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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第一篇 乱世黎明

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第十話 ヴァイスブルクの戦い(下)

ヴァイスブルクへ迫るアルベルト軍の前に、六百人の迎撃部隊が立ちはだかります。西門が破られるまでの限られた時間の中、アレクたちは正面衝突とは異なる突破口を探します。

 アルベルト軍は歩みを止めなかった。

 丘を越えるたび、ヴァイスブルクの方角から聞こえる砲声が大きくなる。城の姿はまだ地形に遮られていたが、空へ昇る黒煙ははっきりと見えていた。

 先頭を進む五百人の槍兵は足並みを揃え、その後ろに弓兵が続いている。残る槍兵は二隊に分かれ、左右と後方を警戒しながら進んでいた。

 長い行軍を続けてきた本隊と、シュタイン村付近で戦った百五十騎を合わせ、兵力は約二千六百三十人。

 数だけを見れば、前方で陣を組み始めた六百人を大きく上回っている。

 しかし、アルベルト軍の兵は疲れていた。

 行軍についてこられず、後方へ遅れた者もいる。荷車の多くは護衛とともに山道を進んでおり、まだ本隊へ追いついていない。

 負傷した騎士を乗せた馬も混じっている。

 援軍と合流したからといって、すぐに全員が万全の状態で戦えるわけではなかった。

「敵までの距離は」

 アルベルトが前方から戻った物見へ尋ねた。

「半里を切りました。敵は丘の西側で陣を整えております」

「配置は」

「前列に大盾。その後ろへ長槍を三列以上並べています。弓兵もいるようですが、数は多くありません」

「騎兵は」

「確認できません」

「ベルン伯爵の本陣との間は」

「敵兵が行き来しております。完全には離れておりません」

 アルベルトは馬上から前方の丘を見た。

 六百人の役割は、こちらを倒すことではない。

 アルベルト軍を丘の東側へ留め、西門を攻めるための時間を作ることだ。

 その狙いは、敵の布陣を見た時から分かっている。

 問題は、六百人をどう越えるかだった。

「全軍、速度を維持しろ! 走らせるな!」

 アルベルトが命じた。

「隊列を崩した者から敵に食われるぞ!」

 命令が伝令と旗によって後方へ送られる。

 アレクはアルベルトの少し後ろを馬で進んでいた。

 肩の傷は、馬が地面を蹴るたびに痛んだ。手綱を握る手にも疲労がたまり、指先の感覚が薄くなっている。

 それでも、周囲を見る余裕はシュタイン村へ向かう時より増えていた。

 右にはゲオルク、左にはトーマスがいる。

 どちらも何度かアレクの姿勢を確かめていたが、今は口を出さない。

「もう足元を見なくなったな」

 トーマスが言った。

「見る余裕がないだけです」

「それでも前を見ているなら同じだ」

「落ちそうになったら助けてください」

「馬から落ちた者を、走っている馬の上から拾えると思うか」

「では、落ちないようにします」

「最初からそうしろ」

 再び砲声が響いた。

 重い音が丘の間で反響し、どこから聞こえたのか分からなくなる。

 アレクは笑みを消し、西の空を見た。

「間に合いますか」

「間に合わせる」

 アルベルトが答えた。

「そうではなく、城が持つかという意味です」

「同じだ。ヴァイス男爵が持たせ、我々が間に合わせる」

 アルベルトは前方へ視線を戻す。

「心配する暇があるなら、敵を見ることに使え」

「はい」

 アレクは丘の向こうにいる六百人を思い浮かべた。

 正面から戦えば勝てる。

 だが、その勝利へどれほどの時間と命を使うのかは、まだ分からなかった。


 ◇ ◇ ◇


 ヴァイスブルク西門では、四門の火砲が交互に煙を吐いていた。

 火砲は一斉に撃っているわけではない。

 一門が発射した後、砲兵たちが筒内を掃除し、火薬と砲弾を詰め直す。その間に、準備を終えた別の一門が前へ出て発射する。

 城壁へ命中する弾もあれば、手前の地面を抉るだけの弾もあった。

 城兵にとって幸いだったのは、狙った場所へ正確に当て続けられるほど、ベルン伯爵軍の火砲が優れていないことだった。

 それでも、同じ門を何度も狙えば、いずれは当たる。

「砲撃が来るぞ!」

 城壁上の兵が叫んだ。

「伏せろ!」

 火砲が轟音を上げる。

 放たれた砲弾は西門から少し南へ外れ、傷んでいた外壁へ激突した。

 石材が砕け、白い砂埃と破片が周囲へ飛び散る。

 壁際へ伏せるのが遅れた兵が、顔を押さえて倒れた。

「負傷者を下げろ!」

 ヴァイス男爵が命じた。

「空いた場所へ二人入れ! 壁の下にも近づかせるな!」

「しかし、男爵!」

 一人の騎士が崩れた外壁を指した。

「あの場所へ次の弾を受ければ、上にいる兵ごと落ちます!」

「だから下がらせろと言っている!」

「守る者がいなくなります!」

「壊れかけた壁の上で砲弾を待つ必要はない! 敵が梯子を掛けるまでは、内側から弓を射させろ!」

 ヴァイス男爵は西門の上から城外を見た。

 約千五百人のベルン伯爵軍が、門と周辺の外壁へ向かっている。

 盾兵の後ろでは、何本もの梯子が運ばれていた。濡らした獣皮を屋根へ掛けた二台の破城槌も、兵たちに押されて少しずつ近づいてくる。

 城壁上から矢を浴びせても、破城槌は止まらない。

 屋根を覆う獣皮は火矢を防ぎ、その下で押す兵を通常の矢から守っている。

「油は」

「残り少ないです!」

「門の上から使う分を残せ。破城槌へは投げるな」

「火矢で燃やせませんか」

「濡れた獣皮へ何本刺しても同じだ。押している兵を狙え!」

 弓兵が城壁の隙間から身を乗り出す。

「放て!」

 矢が空を横切り、破城槌を押す兵へ降り注ぐ。

 盾や獣皮へ突き刺さる音に混じって、短い悲鳴が上がった。

 倒れた者が後ろへ運ばれる。

 しかし、空いた場所にはすぐ別の兵が入った。

 破城槌は前進を続ける。

「敵歩兵、来ます!」

 盾と槍を持った兵が走り始めた。

 後方の兵は梯子を担いでいる。

 城壁から矢を浴びせられ、先頭の何人かが倒れた。それでも、後続は倒れた味方の横を通り過ぎて壁へ殺到する。

 梯子の先端が石壁へぶつかった。

「落とせ!」

 城兵が長い棒を使い、掛けられた梯子を押し返す。

 一本が大きく傾き、取りついていた兵ごと地面へ倒れた。

 その隣では、すでに二本目が掛けられている。

 さらに少し離れた場所へ三本目、四本目が続いた。

 すべてを同時には落とせない。

「男爵、北側の壁へ敵兵が上がります!」

「予備から二十人を回せ!」

「予備は残り四十人です!」

「知っている!」

 ヴァイス男爵は城壁の下を見る。

 西門の内側では、傷を負った兵や民が荷車、樽、木材を積み上げていた。

 石壁から門へ続く道を完全に塞ぐのではない。

 人が二、三人並んで通れる程度の隙間を中央に残し、その奥へ槍兵と弓兵を置く。

 門が破られた時、城内へ入った敵を受け止める第二防衛線だった。

 この備えを最初に提案したのはアレクだ。

 ヴァイス男爵は当初、敵が門を破る前提で話す少年に腹を立てた。

 しかし今では、あの時に用意していなければ、門を破られた直後に城兵が崩れていたと分かる。

「第二防衛線の指揮は」

「騎士二人を置いております」

「一人でいい。もう一人は門の上へ回せ」

「承知しました」

 破城槌が西門の正面へ着いた。

 敵兵が丸太を後ろへ引く。

「来るぞ!」

 ヴァイス男爵が叫んだ。

 巨大な丸太が前へ振られ、鉄で補強された先端が門扉へ激突する。

 門全体が揺れ、内側へ木片が飛んだ。

「門を支えろ!」

 城兵たちが横木と支柱へ取りついた。

 一度目の衝撃で壊れはしない。

 敵兵は丸太を再び引く。

 二度目の衝撃が門と石壁を震わせた。

 横木に亀裂が走る。

「持たせろ!」

 ヴァイス男爵は剣を抜いた。

「門が破られても城を渡すな! ここで敵を止めれば、アルベルト様が外から来る!」

 それが間に合うという保証はなかった。

 それでも、守る兵には信じる理由が必要だった。


 ◇ ◇ ◇


 ベルン伯爵は西門への攻撃を、本陣から見ていた。

 西門の前には二台の破城槌が到達している。城壁へ掛けた梯子の一部からは兵が上がり、壁上で城兵と戦い始めていた。

 敵の抵抗は弱まっている。

 夜から休まず戦っているのだ。兵力が残っていても、疲労までは隠せない。

「北東の部隊から報告!」

 伝令が馬を降りる前に声を上げた。

「アルベルト軍、接近を続けています!」

「距離は」

「半里を切りました!」

「六百人の配置は」

「丘の西側で完了しております。正面から来る敵を止める構えです!」

「攻撃する必要はないと伝えろ」

 ベルン伯爵が答えた。

「隊列を維持し、弓を射ながら下がれ。アルベルトを一歩でも長く東へ留めろ」

「はっ!」

 伝令が走り去る。

 副官が地図へ目を落とした。

「アルベルト軍は二千六百以上。六百人では長く持ちません」

「持たせる必要はない」

「では」

「西門を破るまででいい」

 ベルン伯爵の指が地図上のヴァイスブルクへ置かれる。

「一度城内へ入れば、アルベルトも外から攻めるだけでは済まなくなる。城内の味方を巻き込むからな」

「城へ入った兵と挟むおつもりですか」

「そうできれば勝てる」

 副官は西門を見た。

 二台の破城槌が交互に門を打っている。

 門を支える横木は、外からでも分かるほど歪み始めていた。

「南の四百人は」

「動かすな。南門から城兵が出る可能性も、アルベルトが南へ回る可能性もある」

「騎兵は」

「本陣の近くへ集めろ」

「攻城隊からも戻しますか」

「馬に乗れる者だけだ。城門を目前にした歩兵を動かせば、攻め手が鈍る」

 ベルン伯爵は、北東の丘から現れ始めたアルヴェイン大公旗を見た。

「アルベルト」

 敵の姿はまだ小さい。

 だが、その後ろから次々と旗と槍が現れている。

「お前が城へ着くのが先か、私が門を破るのが先か。試してみようではないか」


 ◇ ◇ ◇


 アルベルト軍が丘を越えると、ヴァイスブルクを巡る戦場の全体が見えた。

 西門付近から煙が上がり、外壁の一部は崩れている。

 門の前には二台の破城槌。その後方には兵が密集し、梯子が何本も城壁へ掛けられていた。

 さらに西には、濃い色の旗が集まるベルン伯爵軍の本陣がある。

 アレクたちと城の間では、六百人の敵兵が陣を完成させていた。

 前列には大盾が隙間なく並び、その間から長槍が突き出されている。二列目、三列目にも槍兵が置かれ、後方には弓兵が並んでいた。

 正面へ騎兵を向ければ、馬も人も槍へ突き刺さる。

「敵まで三百歩!」

 物見の報告を受け、アルベルトは本隊を止めた。

「槍兵、前へ! 弓兵はその後ろ! 騎兵は左右を警戒しろ!」

 兵が動き、隊列を組み直す。

 六百人の敵も弓兵を前へ出した。

 互いの矢が届く距離まで、あと少しだった。

「正面から押しますか」

 ゲオルクが尋ねた。

「押せば崩せる」

 アルベルトは答えた。

「ただし、時間と兵を使う」

 西門では破城槌が再び振られた。

 門扉が大きく揺れ、遠く離れた場所からでも木片が飛ぶのが見えた。

「時間はありません」

 アレクが言った。

「だからといって、急いで槍へ飛び込めば、もっと遅くなる」

 アルベルトは六百人の左右を見る。

 北側には丘と林が続き、歩兵も騎兵も大きく迂回しなければならない。

 南側は比較的開けているが、さらに西へ進めば川へ近づく。

 全軍で回るには時間がかかる。

 アレクは六百人の敵兵を見た。

 敵は前へ出てこない。

 こちらより少ないと分かっているため、丘を利用して待っている。

「この六百人は、私たちに勝とうとしているわけではありません」

「ああ」

「私たちを止めるためにいる」

「そうだ」

「なら、全員で相手をする必要はありません」

 アルベルトがアレクを見た。

「続けろ」

「歩兵は、このまま正面から圧力をかけます。敵が退けば進み、止まればこちらも隊列を整える。無理に槍衾へ入る必要はありません」

「その間に何をする」

「騎兵を南へ回します」

 アレクは六百人の陣の南側から、ベルン伯爵軍の本陣までを目で追った。

「百五十騎が西門の攻城部隊や本陣へ向かうように見せれば、ベルン伯爵は無視できません。南の兵か騎兵を動かすはずです」

「敵が動かなければ」

「そのまま本陣か攻城部隊の側面へ向かえます」

「南には四百人ほどいる」

「その四百人とも正面から戦いません。近づいて、こちらを向かせます」

 アルベルトが口元を上げた。

「騎兵で敵の周りを走り、全部こちらへ向かせるか」

「できるかどうかは、走ってみないと分かりません」

「考えながら走れと言ったのは私だったな」

「そうでした」

 アルベルトは本隊を指揮する騎士を呼んだ。

「槍兵は正面から前進。走らせるな。敵が下がれば同じだけ進め。無理に突撃する必要はない」

「はっ」

「弓兵は敵の弓兵を押さえろ。盾兵の陰から出るな」

「はっ」

「敵がこちらを攻めてきた場合は」

「槍兵で受け止めます」

「よし。騎兵百五十は南へ回る」

 騎士がわずかに目を見開いた。

「すべて連れていかれるのですか」

「ああ。敵に少数だと思わせる必要はない」

「アルベルト様も?」

「私が行かなければ、ベルン伯爵は本気で追わん」

「危険です」

「安全な場所へ行くために騎兵を動かすわけではない」

 アルベルトはアレクへ顔を向けた。

「言い出した者も来い」

「はい」

「すぐに返事をしたな」

「前に置いていかれそうになりましたから」

「今度は自分から危険な方へ来るのか」

「正面の槍へ突っ込むよりはいいと思っています」

「どちらが危険かは、敵が決める」

 ゲオルクとトーマスも馬を進めた。

「二人はアレクを見ろ」

 アルベルトが命じる。

「アルベルト様の護衛は」

 ゲオルクが尋ねた。

「他にいる」

「アレクよりアルベルト様の方が敵に狙われると思いますが」

「だから、この少年を私から離しすぎるな」

「結局、近くにいることになります」

「なら二人とも守れるだろう」

 ゲオルクが諦めたように息を吐いた。

「アレク、勝手に走るな」

「馬を勝手に走らせられるほど上手くありません」

「それなら安心だ」

 角笛が鳴った。

 アルベルト軍本隊が、六百人の敵へ向けて前進を始める。

 その右側から、百五十騎が南へ走り出した。


 ◇ ◇ ◇


 六百人の迎撃部隊は、アルベルトの騎兵が南へ動いたことにすぐ気づいた。

「敵騎兵、南へ!」

「右翼を向けろ!」

 指揮官の命令で、陣の南側にいた槍兵が向きを変えようとする。

 しかし、正面ではアルベルト軍本隊が接近していた。

「前へ!」

 二千人を超える歩兵が、盾と槍を揃えて一歩進む。

 敵の弓兵が矢を放った。

 前列の盾へ矢が当たり、何人かが傷を負う。

 アルベルト軍の弓兵も応射した。

 敵兵の一部が南へ向こうとするたび、正面の隊列が薄くなる。本隊が前へ出れば、慌てて元の位置へ戻らなければならない。

 その結果、六百人の陣は南へ動けなかった。

「追ってきません」

 アレクが馬上から敵陣を見た。

「追えんのだ」

 アルベルトが答える。

「本隊へ背を向ければ、そのまま押し潰される」

「では、南の四百人が動きますか」

「すぐに分かる」

 百五十騎は南西へ走った。

 川へ近づくにつれ、地面が柔らかくなる。アルベルトは泥の深い場所を避け、乾いた草地を選んで進路を変えた。

 前方で、南を守る約四百人の敵兵が動き始める。

 それまで城の南門へ向いていた盾と槍が、百五十騎へ向けられていく。

「速度を落とせ!」

 アルベルトが右手を上げた。

 騎兵隊は敵の槍が届かない距離を保ちながら、四百人へ近づく。

 敵兵の前列が槍を構え、後列が左右へ広がった。

 騎兵に回り込まれないための動きだった。

「本当に近づくだけですか」

 アレクが尋ねた。

「突撃したいか」

「したくありません」

「なら安心しろ」

 距離が縮まり、敵兵の顔が見えるようになる。

 アルベルトは突撃を命じなかった。

 百五十騎の先頭を北西へ向ける。

「本陣へ向かうぞ!」

 騎兵隊が進路を変えた。

 南の四百人は、すぐに追うことができない。槍を構えたまま走れば隊列が崩れ、背を向ければ騎兵に襲われる。

 四百人はその場へ留まり、百五十騎の動きを目で追うしかなかった。

 進路の先には、ベルン伯爵軍の本陣と、西門を攻める部隊の側面がある。

 ベルン伯爵がどちらを守ろうとしても、兵を動かさなければならない。

 アレクは振り返り、戦場全体を見た。

 北東ではアルベルト軍本隊が六百人を押している。

 南の四百人は、こちらを向いたまま動けない。

 西門では攻城部隊が戦い続けている。

 その中央を、百五十騎が走っていた。

 敵兵をほとんど倒していないのに、ベルン伯爵軍の三つの部隊が、すべてこちらの動きを気にしている。

「騎兵は、敵を斬るためだけにいるわけではないのですね」

「今ごろ気づいたか」

 ゲオルクが答えた。

「速く動くだけで、敵に選ばせる時間を与えずに済む。もっとも、使い方を誤れば、速く死ぬだけだ」

「最後の一言は必要ですか」

「忘れるなという意味だ」

 ベルン伯爵の本陣から角笛が鳴った。

 馬上の兵が次々と前へ出てくる。

「敵騎兵!」

 トーマスが叫んだ。

「二百……いえ、二百五十ほど!」

「ようやく出したか」

 アルベルトが笑った。

「退くぞ!」

「来るのを待っていたのですか」

「本陣に置かれたままより、引き離した方がいい」

 百五十騎が北東へ進路を変える。

 敵騎兵はその後を追った。

 こちらより百騎ほど多い。

 アルベルトが討たれれば、戦そのものが終わる。ベルン伯爵軍の騎兵が追撃を諦める理由はなかった。

「後ろとの距離が縮まっています!」

 アレクが叫んだ。

「こちらには疲れた馬が多い!」

 アルベルトは前を見たまま答える。

 百五十騎は、城を出てシュタイン村へ向かい、コンラート軍と交戦した。その後さらに東へ走り、本隊と合流している。

 馬の疲労は隠せない。

 敵騎兵との距離が少しずつ狭まっていた。

 そこへ、先ほどアルベルトが本隊へ向けて走らせた伝令が戻ってきた。

「準備が整いました!」

「射線は」

「本隊中央の前方を空けています!」

「合図は」

「白旗を上げた後、騎兵が左右へ抜けたことを確認してから射ます!」

「よし。先に戻れ!」

 伝令が馬首を返す。

 アレクは前方を見た。

 本隊の槍兵が左右へ分かれ、中央に広い空間を作っている。その奥には、弓兵が横に並んでいた。

「正面へ走れ!」

 アルベルトが命じる。

「合図があるまで左右へ動くな!」

 味方本隊まで二百歩ほど。

 後ろでは敵騎兵の蹄が地面を叩いている。

 百五十歩。

 敵の声まで聞こえ始めた。

「アルベルトを逃がすな!」

「追いつけ!」

 百歩。

 味方弓兵の持つ弓が上がる。

 アレクの正面にも、何十本もの矢尻が見えた。

 射線を決めてあると分かっていても、そこへ向かって馬を走らせるのは恐ろしい。

「まだだ!」

 アルベルトが声を上げた。

 先に左右へ逃れれば、敵騎兵も危険へ気づく。

 五十歩。

 本隊の前で白い旗が上がった。

「左右へ分かれろ!」

 百五十騎が二つに割れた。

 アレクはゲオルクとトーマスに挟まれ、右へ馬を向ける。

 馬の蹄が乾いた土を蹴り上げた。

 中央から外れた後も、すぐには矢が放たれない。

 最後尾の騎兵が射線を抜けるまで、弓兵は待っていた。

「放て!」

 百五十騎が完全に左右へ離れた直後、弓弦の音が重なった。

 放たれた矢が、正面から追ってきた敵騎兵へ降り注ぐ。

 先頭を走る馬が倒れた。

 騎手が地面へ投げ出され、後続の馬が左右へ避けようとする。避けきれなかった馬が倒れた馬へ乗り上げ、さらに隊列を乱した。

 二射目が続く。

「退け!」

 敵側の指揮官が声を張る。

「弓の届かない場所まで下がれ!」

 追撃してきた騎兵が馬首を返した。

 アルベルトは味方に追わせなかった。

「止まれ! 深追いするな!」

 百五十騎が本隊の左右で速度を落とす。

 アレクは大きく息を吐いた。

「撃たれるかと思いました」

「射線から出ていただろう」

 トーマスが答える。

「最後の人が遅れていたら、全員が待たされます」

「だから隊列を崩すなと命じられていた」

「敵に追いつかれていてもですか」

「射手が早く射れば味方へ当たり、遅ければ敵が近づきすぎる。どちらも起こり得た」

 ゲオルクが敵騎兵の後退を確認する。

「騎兵だけでできる策ではない。先に伝令が命令を届け、歩兵が道を空け、弓兵が待てなければ成立しなかった」

 アレクはうなずいた。

 一つの思いつきだけで戦場が動いたわけではない。

 命令を運ぶ者がいる。

 命令を理解し、準備する者がいる。

 恐怖に負けず、決められた時まで待つ者がいる。

 誰か一人が間違えれば、味方の背中へ矢が刺さっていた。

「本隊を前へ出す!」

 アルベルトが剣を掲げた。

「六百人を西へ押し戻せ!」


 ◇ ◇ ◇


 破城槌が西門へ激突した。

 何度目の衝撃だったのか、ヴァイス男爵にも分からなくなっていた。

 門を支える横木は割れ、内側から当てていた支柱も一本が折れている。

 敵兵が丸太を後ろへ引く。

「門から離れろ!」

 ヴァイス男爵が叫んだ。

「第二防衛線まで下がれ!」

 支柱を支えていた兵たちが走る。

 最後の一人が離れた直後、破城槌が門扉へ打ち込まれた。

 大きく割れた門扉が内側へ傾き、その隙間から外の光が差し込む。

 敵兵の歓声が響いた。

「ベルン!」

「ベルン!」

「城内へ入れ!」

 盾を構えた兵が、壊れた門へ殺到する。

 しかし、一度に通れるのは数人だけだった。

 先頭の兵が門を抜けた瞬間、第二防衛線の後ろから矢が飛ぶ。

 至近距離で盾を構える暇もなく、敵兵が倒れた。

「進め!」

 後ろから来た兵が、倒れた味方を踏み越える。

 荷車と樽の間から、城兵の長槍が突き出された。

 盾に受け止められた槍が滑り、別の槍が敵兵の脇腹へ入る。

 後ろの兵は、門の内側で何が起きているのか見えない。前へ進めという命令だけを聞き、味方の背中を押し続けている。

「押すな!」

「前が詰まっている!」

「城内へ入れ!」

「盾を上げろ!」

 命令と悲鳴が重なった。

 ベルン伯爵軍は城内へ入った。

 しかし、ヴァイスブルクを奪ったわけではない。

「槍兵、前へ!」

 ヴァイス男爵が第二防衛線の中央に立つ。

「疲れた者は後ろへ下がれ! 二列目と交代しろ!」

「男爵もお下がりください!」

「私が下がれば、兵も下がる!」

 ヴァイス男爵は剣で敵の槍を払い、荷車の隙間へ盾を押し込もうとした兵の腕を斬った。

 倒した敵を追って前へは出ない。

 狭い通路を守り、敵が一度に入れる人数を増やさないことだけを考える。

 敵兵は少しずつ城内へ入ってきた。

 百人。

 二百人。

 やがて三百人近くが門を越えた。

 それでも、第二防衛線は破られていなかった。


 ◇ ◇ ◇


 アルベルト軍本隊は、六百人の迎撃部隊へ向けて前進した。

 槍兵と盾兵が隊列を揃え、その後ろから弓兵が矢を放つ。

 敵側からも矢が返され、盾に当たる。

 数人が倒れ、後ろの兵がその場所を埋めた。

「走るな!」

 本隊の指揮官が声を上げる。

「前列へ速さを合わせろ!」

 六百人の敵兵は槍を構えていた。

 しかし、そのまま留まれば、左右から包まれる。

 アルベルト軍は正面だけでも四倍近い兵力を持ち、さらに百五十騎が南から戻ってきている。

「一歩下がれ!」

 敵の指揮官が命じた。

 六百人が隊列を保ちながら後退する。

 アルベルト軍は同じだけ前へ進んだ。

 敵が止まれば、こちらも槍の届かない場所で止まる。

 弓兵だけが矢を交わす。

 再び敵が下がる。

 アルベルト軍が進む。

 正面衝突は起きていない。

 それでも、六百人は確実に西へ押されていた。

 アレクは馬上から、その動きを見た。

「戦わなくても、下がらせられるのですね」

「こちらが多いからできることだ」

 アルベルトが答えた。

「数が多くても、走って突っ込めば隊列は乱れる。敵がその場で耐えれば、こちらだけが疲れる」

「だから歩くのですか」

「そうだ。こちらには進む理由があり、敵には留まる理由がない。なら、崩れるまで押せばいい」

 六百人の一部は、南へ動いた騎兵を警戒して向きを変えていた。そのため、前列の厚みが均一ではなくなっている。

 アルベルト軍の指揮官が、薄くなった場所へ兵を寄せた。

 敵の指揮官も気づき、槍兵を戻そうとする。

 隊列の端で兵がぶつかり、長槍の向きが乱れた。

「前へ!」

 アルベルト軍がさらに一歩進む。

 敵兵の一部が命令より早く下がった。

 隣の兵もつられて足を動かす。

 六百人は崩壊こそしていないが、最初に作った整然とした槍衾を失い始めていた。

「ベルン伯爵の本陣まで、もう遠くありません」

 アレクが言った。

「ああ」

 アルベルトは西門を見た。

 壊れた門の中へ、敵兵が入っている。

 だが、城内からはまだヴァイス家の旗が下がっていない。

「ヴァイス男爵は持たせた」

 アルベルトが剣を抜く。

「今度は我々の番だ。全軍、前へ!」


 ◇ ◇ ◇


「北東隊、後退を続けています!」

「アルベルトの騎兵は本隊へ合流!」

「こちらの騎兵は」

「弓兵の射撃を受けました! 死傷者を出し、後退しております!」

 報告を聞いたベルン伯爵は、西門へ目を向けた。

「城内へ入った兵は」

「三百ほどです!」

「第二防衛線は」

「まだ破れておりません!」

 副官が北東を見る。

 アルベルト軍の槍と旗が、先ほどよりはるかに近づいている。

 迎撃へ出した六百人は後退を続け、このままでは西門を攻める部隊と接触する。

 南の四百人も、アルベルトの騎兵を警戒して配置を変えたため、すぐには本陣の守りへ戻せない。

「伯爵様、ご決断を」

 副官の声は震えていなかった。

 だが、その言葉が何を求めているのかは明らかだった。

 ベルン伯爵は壊れた西門を見る。

 あと少しだった。

 城内へ入れた三百人が第二防衛線を破り、内側から門を広げれば、さらに多くの兵を送り込める。

 ヴァイス男爵を討ち、城館まで押さえれば、ヴァイスブルクは落ちる。

 しかし、それまでアルベルトが待つ理由はない。

 北東から約二千六百人が迫り、城内には守備兵が残っている。

 攻城部隊が挟まれれば、城を奪う前に軍そのものを失う。

 北へ送ったコンラート隊は、まだ戻ってこない。

「城内へ入った兵へ退却を伝えろ」

 ベルン伯爵が言った。

「伯爵様」

「攻城を中止する」

「西門は破れております」

「見れば分かる」

「もう少しです」

「そのもう少しのために、全軍を失えと言うのか」

 副官は答えなかった。

「砲を先に下げろ。馬を失った砲があれば、兵に引かせろ」

「はっ」

「南の四百人を後衛にする。北東の六百人は、攻城部隊を通した後に合流させろ」

「騎兵は」

「左右へ分け、アルベルトの追撃に備えろ」

「破城槌は」

 ベルン伯爵は二台の破城槌を見た。

 今から向きを変え、兵に引かせれば、撤退が遅れる。

「捨てろ」

「梯子もですか」

「持って走れる物だけ持たせろ。負傷者を置いていくな」

「承知しました」

 副官が走り出す。

 ベルン伯爵はしばらく西門を見続けた。

 門は破った。

 城内へ兵も入れた。

 それでも勝てなかった。

「アルベルト」

 ベルン伯爵は低い声で名を呼んだ。

「ここでは、お前の勝ちだ」

 直後、本陣の角笛が長く鳴り響いた。


 ◇ ◇ ◇


 角笛を聞いた城内のベルン兵が後退を始めた。

 先頭にいた兵には命令が届かず、しばらく戦い続けた。やがて後ろから仲間が減っていることに気づき、一人、また一人と壊れた門へ戻っていく。

 ヴァイス男爵は追わせなかった。

「第二防衛線を崩すな!」

「敵が退いています!」

「門の外へ出るな! 残った敵がいないか確認しろ!」

 逃げる敵へ背後から襲いかかれば、さらに何人かを倒せる。

 しかし、壊れた門の外に何が待っているかは、城内から見えない。

 退却に見せかけて、槍兵が待っている可能性もある。

 城兵は荷車と樽の後ろに残り、敵が完全に門から離れるのを待った。

 城外でも、ベルン伯爵軍が下がり始めていた。

 破城槌と梯子の一部が置き去りにされ、四門の火砲が西へ運ばれていく。

「敵が退くぞ!」

 アルベルト軍から声が上がった。

「追撃を!」

 一人の騎士がアルベルトへ馬を寄せる。

「今なら背後を突けます!」

「全軍停止!」

 アルベルトは追撃ではなく、停止を命じた。

「ですが、敵は退いております!」

「崩れてはいない」

 ベルン伯爵軍の南側では、四百人の兵が盾と槍を構えていた。

 北東から下がる六百人も、歩調を乱しながらではあるが、アルベルト軍へ背を向けていない。

 騎兵は左右に分かれ、こちらの動きを警戒している。

 敗走ではなかった。

 撤退だった。

「敵はまだ二千人以上いる。追えば、あの槍兵が足を止め、その間に騎兵が側面へ回る」

「しかし、ここで損害を与えれば」

「我々も損害を受ける」

「勝機です」

「違う」

 アルベルトは壊れた西門へ剣を向けた。

「我々の目的は、ベルン伯爵軍を全滅させることではない。ヴァイスブルクを守ることだ」

 騎士はなおも敵軍を見ていたが、やがて頭を下げた。

「承知しました」

「物見だけを出せ。敵が反転しないか確認しろ。残りは城へ向かう」

 アルベルトはアレクを見た。

「何か言いたそうだな」

「戦の前に、退く条件を決めるという話を思い出しました」

「今は勝っているぞ」

「はい。ですが、勝った後にも、どこで止まるかを決める必要があるのですね」

「そうだ」

 勝てば、もっと敵を倒したくなる。

 もっと多くの武器や荷車を奪い、少しでも大きな戦果を得たくなる。

 しかし、欲を出して隊列を伸ばせば、整然と退く敵から反撃を受ける。

 戦う目的を忘れれば、勝利した直後に敗北することもある。

「勝ったから追わないのですか」

 アレクが尋ねた。

「ああ。守るべき城を守った。なら、ここで死ぬ理由を増やす必要はない」

 アルベルト軍は、後退する敵を見送りながらヴァイスブルクへ進んだ。


 ◇ ◇ ◇


 西門の内側には、敵味方の死傷者が入り交じって倒れていた。

 門扉は中央から大きく割れ、横木も折れている。周囲の石壁には砲弾の痕が残り、足元には折れた槍、盾、矢、砕けた石が散乱していた。

 アレクは門をくぐったところで馬を降りた。

 つい先ほどまで、何千人という兵を部隊として見ていた。

 六百人の迎撃部隊。

 千五百人の攻城部隊。

 二千六百人の援軍。

 地図の上では、それぞれが一つのまとまりだった。

 だが、地面に倒れている人間は一つの数字ではなかった。

 傷口を押さえて呻く者がいる。

 動かなくなった仲間の名を呼ぶ者がいる。

 敵兵へ水を渡す城兵もいれば、血の付いた剣を握ったまま座り込んでいる者もいた。

 トーマスが隣で馬を降りる。

「肩は」

「まだ動きます」

「血がにじんでいる」

「馬に乗り続けたからだと思います」

「治療所へ行け」

「その前に」

 アレクは周囲を見た。

「手伝えることはありませんか」

「立っている者が倒れれば、助ける手間が増える。先に治せ」

「分かりました」

 そこへヴァイス男爵が歩いてきた。

 顔と鎧に血が付き、剣の刃にも赤黒い汚れが残っている。足取りは重かったが、誰かに支えられてはいなかった。

「アルベルト様」

「ヴァイス男爵」

 ヴァイス男爵は頭を下げた。

「申し訳ありません。西門を破られました」

「城は」

「守りました」

「なら十分だ」

「しかし」

「門は直せる。死んだ兵は戻らん」

 アルベルトは西門の周囲を見渡した。

「被害を調べろ。味方と敵を分ける前に、生きている者から運べ」

「敵兵も治療するのですか」

 近くにいた騎士が尋ねた。

「捕虜にできる者は治療しろ。放っておけば死ぬ者を増やすだけだ」

「薬や布には限りがあります」

「重傷者を先に見ろ。助からない者と、手当てを待てる者を治療する者に判断させろ」

「承知しました」

「それから、敵の遺体も集めろ。城門の前へ放置すれば病の原因になる」

 兵と民が動き始めた。

 勝利を祝う声は、まだ小さい。

 城を守った喜びより、目の前に残された負傷者と死者の方が多かった。


 ◇ ◇ ◇


 日が西へ傾いた頃、肩の手当てを終えたアレクは城壁へ上がった。

 壊れた西門では、すでに応急修理が始まっている。

 完全に直すことはできなくても、夜までに人や馬が簡単に入れないよう塞がなければならない。

 西壁の上には、アルベルトが一人で立っていた。

 遠くには、後退するベルン伯爵軍の旗が見える。敵は一か所に留まらず、追撃を警戒しながら西へ進み続けていた。

「来たか」

 アルベルトが振り返らずに言った。

「はい」

「肩は」

「傷が開きかけていたそうです」

「馬へ乗せたのは失敗だったか」

「アルベルト様が今さら反省するのですか」

「次はもっと丈夫にしてから乗せる」

「そちらですか」

 アレクはアルベルトの隣へ立った。

 風の中には、煙と血の臭いが残っている。

「勝ったのですね」

「ああ」

「あまり、そのような気がしません」

「勝てば死者が起き上がるわけではないからな」

 城内では、担架を運ぶ兵の声が聞こえている。

「何人が死んだのでしょう」

「まだ分からん。夜までに大まかな数が出る」

「敵もですか」

「連れていかれた者までは数えられん」

 アレクは石壁へ手を置いた。

「怖かったです」

「そうか」

「シュタイン村でも、ここへ戻ってくる間も、何度も逃げたいと思いました」

「逃げなかったな」

「逃げる場所が分からなかっただけかもしれません」

「それでも残った」

「人も斬りました」

「ああ」

「何度も戦えば、慣れるのでしょうか」

 アルベルトはすぐには答えなかった。

 遠ざかる敵軍をしばらく見てから、静かに口を開く。

「慣れる」

「そうですか」

「剣を向けられた時に体が動くようになる。人が倒れていても、その横を通れるようになる。死者の数を聞いて、次に必要な食料や兵を考えられるようになる」

「それは、良いことですか」

「戦場で生きるためには必要だ」

「では」

「だが、慣れたことを誇るな」

 アルベルトがアレクを見る。

「人の死を何とも思わなくなった時ほど、自分を疑え。怖さを失った者は、自分だけでなく、他人の命まで軽く使う」

「アルベルト様も疑うのですか」

「何度もな」

「そうは見えません」

「見せていないからだ」

 アルベルトはわずかに笑った。

「指揮官が兵の前で震えていれば、全員が不安になる。だから立っている。怖くないからではない」

 アレクは西を見た。

「ベルン伯爵は、また来ますか」

「来るだろう」

「門を破るところまで来ましたからね」

「あれで諦める男ではない。次は同じ攻め方をしないかもしれん」

「こちらも同じ守り方はできません」

「少しは分かってきたな」

「できれば、分からないままでいたかったです」

「乱世で生きるには不便だぞ」

「乱世でなければよかったのですが」

「それは私も同じだ」

 嘘か本当か判断できず、アレクはアルベルトの横顔を見た。

 アルベルトは少し遅れて笑った。

 アレクもつられて、わずかに笑った。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、ベルン伯爵軍はヴァイスブルクから離れた場所に野営地を作った。

 追撃がないことを確認しても、兵の多くは武具を外していない。外周には槍兵が置かれ、馬へ乗った物見が周囲を警戒している。

 焚き火の前にいたベルン伯爵のもとへ、左肩を布で固定したコンラートが現れた。

「伯爵様」

「遅かったな」

「申し訳ありません」

「北は」

「シュタイン村からアルベルトを引き離すことはできました。しかし、本隊との合流を許しました」

「そうか」

「兵にも損害を出しております。処罰は受けます」

「必要ない」

 コンラートが顔を上げた。

「ですが」

「私も城を落とせなかった」

「西門は破ったと聞きました」

「破っただけだ。城は取れなかった」

 ベルン伯爵は火の中へ小枝を投げ入れた。

「お前と私の首を落とせば、次は誰がアルベルトと戦う」

「それは困ります」

「私も困る」

 コンラートはわずかに笑った。

「少年はいたか」

「はい」

「どうだった」

「昨日より厄介でした」

「一日でか」

「昨日は、策を思いつく少年だと思いました。今日は、敵の動きを見て、確かめてから次を考えていました」

「策を出したのは、またその少年か」

「すべてではありません。アルベルトも使っています」

「使う?」

「育てているように見えました」

 コンラートは傷ついた肩へ目を落とした。

「少年に問い、答えさせ、足りなければさらに考えさせる。自分の近くへ置いて、戦場全体を見せています」

「名は」

「アレク・ハルトマン」

「家は」

「分かりません。十五歳ほどだと聞いています」

「十五か」

 ベルン伯爵はその名を口の中で繰り返した。

「覚えておこう」

 焚き火の中で、薪が音を立てて崩れた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、ヴァイスブルクでは戦場に残された遺体と負傷者の確認が続いていた。

 敵が連れ帰った者も多く、ベルン伯爵軍の正確な損害は分からない。

 城外と城内で確認できた敵の死者は二百六十人を超え、捕虜となった者も百人以上いる。撤退する軍が運んだ死傷者を含めれば、実際の損害はさらに多いはずだった。

 アルヴェイン側も無傷ではない。

 アルベルト軍とヴァイスブルク守備隊を合わせた戦死者は百三十七人。重傷者と軽傷者は、合わせて三百人を超えていた。

 民にも死傷者が出ている。

 アレクは城館の一室で、書記がまとめた報告書を見ていた。

 百三十七。

 紙の上では、それだけだった。

 しかし、その一という数字の一つ一つに名前がある。

 家族がいる。

 昨日まで食事をし、眠り、誰かと言葉を交わしていた。

 敵の二百六十人も同じだ。

 敵だったというだけで、その一人一人が最初から数字だったわけではない。

「何を見ている」

 アルベルトの声に、アレクは顔を上げた。

「死者の数です」

「そうか」

「これで、戦は終わりですか」

「ヴァイスブルクを巡る戦はな」

「ベルン伯爵との戦いは」

「終わっていない」

 アルベルトは別の書類を机へ置いた。

 そこには、今回の戦いで功績を挙げた騎士や兵の名が記されている。

「これから、死者の埋葬、負傷者の治療、捕虜の扱い、西門と城壁の修理を決める。消費した食料と矢も数えなければならん」

「勝っても、仕事は終わらないのですね」

「むしろ増える」

「聞かなければよかったです」

「お前にも関係がある」

「私に?」

 アルベルトは書類の一か所を指した。

 アレク・ハルトマン。

 そこには自分の名前が書かれていた。

 夜襲に備えた第二防衛線の提案。

 シュタイン村での煙による偽装と、本隊への連絡。

 迎撃部隊を正面から攻めず、騎兵で南へ迂回する策。

 そして、自ら戦闘へ加わったこと。

「私一人で考えたわけではありません」

「知っている」

「戦ったのも、私だけではありません」

「それも知っている」

「では、なぜ」

「お前がしたことを、お前一人の勝利にするつもりはない。だが、他の者も働いたからといって、お前の働きが消えるわけでもない」

 アルベルトは書類を閉じた。

「功績は分ければ減るものではない」

 アレクは、自分の名前が隠れた紙の束を見た。

「この戦いは、何と呼ばれるのでしょう」

「戦の名など、後から誰かがつける」

「その時、私の名前も残りますか」

「記録を捨てる者がいなければな」

「随分頼りないですね」

「歴史とはそういうものだ。起きたことが、そのまま残るとは限らん」

 誰かが記録し、誰かが読み、誰かが書き直す。

 その過程で、消える名前もあれば、大きく語られる名前もある。

 アレクが前の人生で読んだ歴史も、そうして残されたものだったのだろう。

 それでも、この日の記録には確かにアレク・ハルトマンの名が書かれた。

 転生したばかりの少年でも、神から与えられた特別な英雄でもない。

 アルベルトや兵たちとともに考え、恐れながら戦い、生き残った一人として。

 後にヴァイスブルクの戦いと呼ばれる戦は、アルヴェイン側の勝利で終わった。

 そしてこの戦いは、アレク・ハルトマンの名が、この世界の記録へ初めて書き加えられた戦いとなった。

第十話を読んでいただき、ありがとうございました。

ヴァイスブルクを巡る戦いは、アルベルト軍と守備隊の連携によって勝利を迎えました。しかし、その裏には多くの死傷者がおり、アレクは勝利もまた軽い言葉ではないことを知ります。

次回、戦後処理と論功を通じて、アレクは自分が誰のために働き、どこで生きていくのかを選ぶことになります。


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