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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第一篇 乱世黎明

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第九話 ヴァイスブルクの戦い(中)

夜襲を退けたのも束の間、フリードリヒの次なる一手は北へと伸びていた。


狙われたのは、アルベルト本隊へと続くシュタイン村とその補給路。

城を守るか、援軍を守るか。


アルベルトは僅か百五十騎を率い、アレクと共に城外へ打って出る。


だが、敵将コンラートもまた、彼らが来ることを待ち構えていた。

 東門が開く。

 ギギギギギ……。

 分厚い木の扉が、重い音を立てながら左右へ開いていく。

「騎兵、準備!」

 城門の内側には百五十騎の騎兵が並んでいた。

 馬が鼻を鳴らす。

 ブルルッ。

 ヒヒィン!

 ガチャ。

 ガチャガチャ……。

 騎士たちが手綱を握るたび、胸甲や腰の剣が擦れ合って金属音を鳴らす。

 その中に、俺もいた。

「……高い」

「何がだ?」

 隣のゲオルクが聞く。

「馬です」

「馬は高いものだ」

「値段じゃありません」

 俺が乗せられている馬は、思っていたよりずっと大きかった。

 視線が高い。

 しかも当然ながら、自分の意思とは別に動く。

「本当に大丈夫でしょうか」

「乗れているではないか」

「今のところは」

「落ちなければ問題ない」

「それを心配してるんです」

 幸い、身体は馬の乗り方を知っていた。

 手綱の持ち方。

 鐙への足の置き方。

 身体の傾け方。

 馬が歩けば、その揺れに合わせて自然と腰が動く。

 神から与えられた剣士としての身体能力に、騎乗まで含まれているのかもしれない。

 正確なところは分からない。

「でも、走ったことはありません」

「すぐ慣れる」

「皆さん簡単に言いますよね」

「死ぬより簡単だ」

「比較対象がおかしいです」

 その時。

「アレク!」

 前方から声が飛んだ。

 黒い馬に跨がったアルベルトだ。

 黒い外套をまとい、その周囲には直属の騎士たちが並んでいる。

「前へ来い」

「俺がですか?」

「他にアレクがいるか?」

「いませんけど」

「なら来い」

「……はい」

 馬を進める。

 パカッ。

 パカッ。

 どうにかアルベルトの横へ並ぶ。

「殿下」

「地図は覚えているか?」

「だいたいは」

「説明しろ」

「今ですか?」

「今だからだ」

 俺は頭の中に地図を描いた。

 ヴァイスブルクから北へ丘陵地帯が続き、その向こうにシュタイン村がある。

 さらに東へ進めば山道があり、その道はアルベルト本隊がヴァイスブルクへ向かう経路の一つになっている。

「シュタイン村まで、どれくらいです?」

「騎馬なら一刻半ほどだ」

「敵は五百?」

「報告ではな」

「歩兵中心?」

「おそらく」

「荷車もいる」

「ああ」

「じゃあ、そこまで速くはない」

「私もそう考えている」

 アルベルトがこちらを見る。

「で?」

「で?」

「どうする」

「もう作戦は決めてるんじゃないんですか?」

「決めている」

「じゃあ聞かないでください」

「お前ならどうするか聞いている」

 この人、本当にどんな時でも考えさせてくる。

「……五百対百五十なら、正面からは戦いません」

「当然だ」

「相手の目的は、援軍が通る道を荒らすこと」

「そうだ」

「だったら敵を全滅させる必要はない」

「続けろ」

「シュタイン村から追い払えばいい」

「どうやって」

「それを今から考えます」

「遅いな」

「徹夜明けなんです!」

 アルベルトが笑った。

 だが次の瞬間、その声が指揮官のものへ変わる。

「出るぞ!」

「全騎、出撃!」

「はっ!」

 騎士たちが一斉に手綱を引く。

 ドッ。

 百五十頭の馬が動き始めた。

 最初は歩み。

 パカッ。

 パカッ。

 パカッ。

 東門を抜ける。

 そして城から十分に離れたところで。

「駆け足!」

 ドドッ!

 一気に速度が上がった。

「うわっ!」

 身体が後ろへ持っていかれる。

「腰を浮かせろ!」

 ゲオルクが叫ぶ。

「はい!」

 俺は鐙へ力を入れ、馬の動きに身体を合わせた。

 ドドドドドッ!

 百五十頭の馬。

 百五十組の蹄。

 それらが一斉に大地を叩く。

 ドドドドドドドド――!

 これまで城壁の上から聞いていた音とはまるで違った。

 今は自分自身が、その地鳴りの中にいる。

 前の馬が蹴り上げた土が飛び、左右にも後方にも騎士がいる。

 ガチャガチャガチャッ!

 甲冑が激しく鳴る。

 馬の荒い息。

 騎士たちの怒鳴り声。

「間隔を空けろ!」

「列を乱すな!」

「前だけを見るな!」

 俺は必死に手綱を握った。

「怖っ……!」

 なのに、身体はちゃんと動いている。

 馬の背から落ちない。

 それどころか、少しずつ分かってきた。

 馬の呼吸。

 足運びの周期。

 身体を預ける瞬間。

「……すごい」

 こんな状況でなければ、少し楽しいと思っていたかもしれない。

「アレク!」

「はい!」

 アルベルトが隣から叫ぶ。

「余裕が出てきたな!」

「顔で分かるんですか!?」

「分かりやすいからな!」

「今それ言います!?」

 アルベルトが笑う。

 そのまま俺たちは北東へ駆けた。


 ◇ ◇ ◇


 同じ頃。

 シュタイン村。

「火を回せ!」

 ベルン軍の兵士が叫ぶ。

「穀物庫を先に探せ!」

「荷車を近づけろ!」

 ガチャガチャ。

 ザッザッ。

 五百人の兵士たちが村と周囲の街道へ広がっていた。

 ただし、全員が略奪に加わっているわけではない。

 村の西側には槍兵を中心とした二百が防御陣を敷き、南にはヴァイスブルク方面を警戒する百がいる。

 東の山道にも百。

 残りは荷車の護衛と村内での徴発に回されていた。

 その中央に、赤い外套をまとった騎士がいる。

 左肩を布で固定した、コンラート・ヘルマンだった。

「伯爵様の読み通りなら」

 副官が言う。

「アルベルトは来ます」

「来る」

 コンラートは即答した。

「兵は百から二百」

「少数で?」

「城を空にはできん」

「なら我々が勝てます」

「数だけならな」

 コンラートは西を見た。

 ヴァイスブルクはここからでは直接見えない。

 丘と森が視界を遮っている。

「昨日の少年」

「少年?」

「アルベルトの近くにいた奴だ」

「十五ほどの?」

「ああ」

「気になるのですか?」

「俺を嵌めた策を考えたと聞いた」

「子供ですよ」

「その子供に射られた肩がまだ痛む」

「それは……」

 副官が言葉を失う。

「敵を年齢で見るな」

「はっ」

「昨日の俺がそうだった」

 コンラートは馬上から村を見る。

「ただ、あれはまだ兵士ではない」

「どういう意味で?」

「人を殺した後の顔をしていた」

 コンラートは自分の左肩を見る。

「そのうち慣れる」

「では」

「慣れた時が厄介だ」

 その時、伝令が駆け込んできた。

 ザッザッザッ!

「騎士団長!」

「何だ!」

「西方見張りより!」

「言え!」

「騎兵接近中!」

「数は!」

「百五十前後!」

 コンラートが笑った。

「来たな」

「アルベルトでしょうか?」

「他に誰が来る」

 コンラートが右手を上げる。

「略奪中止!」

 ブオォォォ――!

 角笛が響く。

「全軍、集合!」

 兵士たちが一斉に動き始めた。

「西隊二百! 街道へ!」

「槍衾を作れ!」

「東隊百はそのまま山道を押さえろ!」

「南隊は村へ下がれ!」

 命令が飛ぶ。

 ザザザザザッ!

 兵士たちが走り、槍と盾を構えて列を作る。

 やがて長槍の穂先が一本、二本、十本、百本と斜め前へ揃っていった。

 コンラートが叫ぶ。

「騎兵に追わせるな!」

「向こうは百五十だ!」

「数で勝とうとするな!」

 兵士たちは次々と位置についた。

 コンラートはその槍列を見ながら笑う。

「来い、アルベルト」

「騎兵で槍列を正面から割れるものならな」


 ◇ ◇ ◇


「止まれ!」

 アルベルトの声が響く。

 ドドドドッ――。

 馬の速度が落ちる。

 ドドッ。

 パカッ。

 百五十騎が丘の手前で停止した。

「偵察!」

「はっ!」

 五騎が前へ出る。

 俺は周囲を見回した。

 丘。

 森。

 細い道。

 平野ではない。

 ヴァイスブルクの西側とはまったく違う地形だ。

「この辺り、騎兵は動きにくいですね」

「そうだ」

 ゲオルクが答える。

「だから百五十にした」

「多すぎると邪魔になる?」

「ああ」

 少し待つと、偵察騎が戻ってきた。

「殿下!」

「報告」

「シュタイン村西方、敵約二百が街道を封鎖!」

「装備は」

「槍兵! 盾もあり!」

「東は」

「約百! 山道を押さえています!」

「残りは?」

「村内及び南方!」

「コンラートは?」

「西方部隊中央!」

 アルベルトが笑った。

「昨日肩を射られて、まだ出るか」

 ゲオルクが答える。

「武人ですから」

「馬鹿とも言う」

「殿下がそれを言いますか?」

「私は賢い」

 誰も答えなかった。

「なぜ黙る」

「続けましょう」

 俺は地図の代わりに周囲の地形を見る。

 西に槍兵二百。

 その後ろに村。

 東の山道に百。

 残り二百は村と南側。

 こちらは騎兵百五十。

「正面は無理ですね」

「ああ」

「槍衾に騎兵で突っ込むなんてしたくない」

「正しい」

 騎兵が槍兵へ突撃する場面は、映画やゲームではよく見る。

 だが馬は生き物だ。

 正面に大量の槍が並んでいる場所へ、何も考えずに突っ込むわけではない。

 騎兵の強みは機動力。

 速度。

 突撃の衝撃。

 そして、敵の側面や崩れた隊列へ襲いかかることだ。

 真正面から整った長槍部隊に突撃するのは危険すぎる。

 歴史上でも騎兵は万能ではない。

 地形。

 陣形。

 敵の装備。

 状況。

 それによって価値は大きく変わる。

「回り込みますか?」

 ゲオルクがアルベルトへ尋ねる。

「北は?」

「森です」

「南は」

「畑と低湿地です」

「騎兵は?」

「通れますが、速度は落ちます」

 アルベルトが黙る。

 俺も敵陣を見る。

「殿下」

「何だ」

「敵の目的は?」

「援軍路を荒らすことだ」

「それだけでしょうか」

「何が言いたい」

「五百も出している」

「ああ」

「しかもコンラート本人がいる」

「ああ」

「俺たちを誘っているんじゃないですか」

 アルベルトがこちらを見る。

「そう思うか」

「はい」

「理由は?」

「こちらが百五十くらいで来ることまで読んでいたような配置です」

 西に二百。

 騎兵の正面突撃を止める。

 東に百。

 援軍路を押さえる。

 残り二百は、どちらにも動ける。

「城からアルベルト殿下を引き離すのが目的?」

「その可能性はある」

「だったら」

 嫌な予感がした。

「ヴァイスブルクにも何かするつもりです」

 アルベルトは一度だけ振り返った。

 遠くに城は見えない。

「オットーなら持つ」

「信頼してるんですね」

「持たなければ殺す」

「怖いな」

「冗談だ」

「殿下の冗談は分かりづらいです」

「よく言われる」

 アルベルトが周囲を見る。

「アレク」

「はい」

「敵を動かすには?」

「……」

 また問題だ。

「敵に、今いる場所が不利だと思わせる」

「どうやって」

「それを考えてます」

「遅い」

「さっきから厳しくないですか?」

「戦場だからな」

 考える。

 こちらは騎兵。

 敵は槍兵。

 正面は無理。

 回り込めば敵も動く。

 何か別の方法。

 敵の目的はシュタイン村を荒らし、援軍の通り道を乱すことだ。

「敵は援軍が今どこにいるか知っていますか?」

「正確には知らんはずだ」

「俺たちも?」

「昨日の情報では、ここから東へ一日弱」

「今ならもっと近い」

「当然だ」

「だったら」

 使えるかもしれない。

「援軍がもうすぐ来ると思わせる」

 アルベルトの口元が上がった。

「どうやって」

「煙です」

「煙?」

「山の向こうで大量に火を焚く」

「誰が」

「誰か先に回れません?」

 ゲオルクが眉を寄せる。

「この辺りの山道を知る者なら、数騎で東へ抜けることはできる」

「なら三か所か四か所で煙を上げてもらう」

「何に見せる」

「軍の炊事です」

 戦国時代でも、軍勢の規模を推測する材料はいくつもあった。

 旗。

 陣幕。

 篝火。

 炊煙。

 もちろん、煙だけで兵数を正確に判断できるわけではない。

 だが、敵の援軍が近づいていると分かっている状況なら話は違う。

「敵は二千五百の援軍を警戒している」

「そうだ」

「東の山の向こうから何本も煙が上がれば、来たと思うかもしれない」

「少なくとも確認したくなる」

「はい」

 アルベルトがゲオルクを見る。

「土地を知る者は?」

「ヴァイス家の騎士に三名おります」

「出せ」

「はっ」

 ゲオルクが三人の騎士を呼び、指示を与える。

 三騎はすぐに東へ駆けていった。

 ドドドッ。

「それで?」

 アルベルトがこちらを見る。

「まだですか?」

「煙だけで五百が逃げると思うか」

「思いません」

「なら次だ」

 考える。

「伝令を使う」

「またか」

「前にもやりました」

「同じ策は読まれるぞ」

「同じにはしません」

「どうする」

「敵に聞かせるんじゃなくて、捕まえさせる」

 アルベルトの目が変わった。

 ゲオルクもこちらを見る。

「危険だぞ」

「本物の重要な伝令にしなければいい」

「内容は?」

「『本隊先鋒五百、まもなくシュタイン村東方へ到着』」

 アルベルトが少し考える。

「二千五百ではなく?」

「五百です」

「なぜ」

「二千五百全部がもう来るって言ったら、嘘っぽいでしょう」

「なるほど」

「先鋒五百なら現実的です」

「しかも」

 ゲオルクが続ける。

「敵は西のアルベルト軍百五十と、東の五百に挟まれると思う」

「そうです」

「退くか」

「少なくとも東にいる百を動かすと思います」

 アルベルトが笑った。

「やってみるか」

「ただ」

「何だ」

「本当に捕まったら、その人殺されません?」

「そうだな」

「誰にやらせるんです?」

 アルベルトが俺を見る。

「嫌ですよ」

「何も言っていない」

「目が言ってます」

「馬には乗れる」

「嫌です」

「剣も使える」

「もっと嫌です」

「記憶力もいい」

「絶対嫌です」

「分かった」

 珍しく諦めた。

「ほっ……」

「ゲオルク」

「はっ」

「足の速い騎士を一人」

「承知しました」

「良かった……」

 心底安心した。

 アルベルトがこちらを見る。

「残念そうだな」

「どこがですか!」


 ◇ ◇ ◇


 正午前。

 シュタイン村西方。

 両軍は三百メートルほどの距離を空けて睨み合っていた。

 正面には敵の槍兵二百。

 こちらは騎兵百五十。

 風が草を揺らし、馬の鼻息と甲冑の金属音だけが断続的に聞こえる。

 ガチャ……。

 ガチャ……。

 誰も動かない。

 だが、これも戦っているうちなのだろう。

「敵は何を待ってるんです?」

 俺が聞く。

「我々が突っ込むのをだ」

 ゲオルクが答える。

「来ないと分かれば?」

「次を考える」

 敵兵は槍と盾を構えたまま、じっとこちらを見ている。

 その後ろには赤い外套。

 肩を吊ったコンラートだ。

「……本当にいる」

「見えるか?」

「赤いので」

 その時、アルベルトが前へ出た。

「殿下?」

「少し挨拶してくる」

「一人で?」

「護衛は来い」

「何する気ですか」

「話す」

「敵と?」

「知り合いだからな」

 この人はフリードリヒとも知り合いで、コンラートとも面識があるらしい。

 十騎ほどが前へ出る。

 敵側からも、コンラートが数騎を連れて進んできた。

 両者はちょうど中間で止まる。

「コンラート!」

 アルベルトの声が響く。

「昨日の傷はどうだ!」

 遠くから怒鳴り声が返ってきた。

「誰のせいだと思っている!」

「自分のせいだろう!」

「貴様……!」

 本気で怒っている。

「今日も負けに来たのか!」

「百五十で五百に勝つつもりか!」

「やってみなければ分からん!」

「なら来い!」

「そちらから来い!」

「馬鹿か!」

「お前ほどではない!」

 俺はゲオルクを見る。

「これ必要ですか?」

「さあな」

「戦争中ですよね?」

「そうだな」

 その時、コンラートの声が飛んできた。

「その少年もいるのか!」

「……俺?」

 アルベルトが振り返る。

「呼ばれているぞ」

「行きませんよ!」

「アレク!」

 コンラートが叫ぶ。

 名前まで知られている。

「聞こえているのであろう!」

 仕方ない。

「……はい!」

「昨日の策は貴様か!」

「皆で考えました!」

「その答えは聞いている!」

「じゃあ聞かないでください!」

 敵側から笑い声が上がる。

 味方側からも笑いが起きた。

 何なんだ、これ。

「次は正面から来い!」

 コンラートが叫ぶ。

「嫌です!」

 即答した。

「なぜだ!」

「死にたくないので!」

 また笑いが起きる。

 コンラートが一瞬黙った。

「……気に入らん!」

「俺も戦いたくありません!」

「そこではない!」

 アルベルトが笑っている。

「戻るぞ」

「何だったんですか?」

「敵を見た」

「話しに行ったんじゃ」

「顔を見るのも情報だ」

 戻りながらアルベルトが言う。

「コンラートは焦っている」

「分かるんですか?」

「昨日なら、お前と話などせん」

「今日はした」

「ああ」

「時間稼ぎ?」

「あるいはこちらの様子を見たかった」

「お互いに?」

「そういうことだ」

 会話まで戦なのか。

 本当に面倒だ。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして。

「煙!」

 騎士が叫んだ。

 東の山の向こうから白い煙が上がっている。

 一つ。

 少し離れて二つ。

 三つ。

 四つ。

「上がった」

 俺は呟いた。

 敵陣にも動きが出る。

 兵士たちが東を見た。

 コンラートも確認している。

「気づいた」

 ゲオルクが言う。

「だが、まだ動かない」

 アルベルトは落ち着いていた。

「当然だ」

 次は偽伝令だ。

 味方の騎士が東側の林を抜け、わざと敵東隊の近くを走る。

 ここからでは遠すぎて細かい様子までは見えない。

 待つ。

 五分。

 十分。

 長い。

「失敗?」

「まだだ」

 十五分。

 騎士は戻らない。

「……捕まった?」

 俺が言う。

「予定通りならな」

「殺されてないですよね?」

「それは分からん」

「嫌な言い方しないでください」

 その時、敵が動いた。

「東隊!」

 ゲオルクが指を差す。

 村東方にいた敵百のうち、五十ほどがさらに東へ動き始める。

「確認に行った」

「効いてる」

 だが西の二百は動かない。

「コンラートは慎重ですね」

「ああ」

 アルベルトが敵を見続ける。

「なら、もう一押しだ」

「何を?」

「攻める」

「正面から?」

「まさか」

 アルベルトが声を上げた。

「第一隊五十! 北へ!」

「はっ!」

「第二隊五十! 南へ!」

「はっ!」

「残り五十はここに残れ!」

 騎兵が三つに分かれる。

 俺、ゲオルク、アルベルトは中央に残った。

「何をするんです?」

「包む」

「二百を百五十で?」

「包むふりだ」

「ああ……」

 北へ五十。

 南へ五十。

 敵から見れば、左右へ騎兵が広がる。

 さらに東には援軍らしき煙が上がっている。

「西にアルベルト」

「東から援軍」

「北と南へ騎兵」

「囲まれるように見える」

「だが実際には薄い」

「敵が知る必要はない」

 アルベルトが笑う。

「アレク」

「はい」

「覚えておけ」

「何を?」

「軍勢は数だけで強さが決まるわけではない。敵がどう感じるかでも変わる」

「……」

「五十人でも、退路に現れれば五百人より怖いことがある」

 戦国時代でも同じだった。

 敵の背後に少数部隊が現れただけで、軍全体が混乱することがある。

 兵士一人一人には戦場全体が見えない。

 噂。

 叫び。

 旗。

 伝令。

 それだけで情報が広がり、恐怖も広がる。

「敵が退く」

 ゲオルクが言った。

 正面の槍兵二百が少しずつ後退していく。

 村の方向へ。

「追いますか?」

「まだだ」

 アルベルトが答える。

「もっと下がらせる」

 敵は百メートル、二百メートルと下がる。

 やがて村の入口近くまで後退した。

 だが、そこで止まった。

「止まった」

「コンラートだな」

 赤い外套が前へ出る。

「隊列を崩すな!」

 遠くから声が響く。

「東の情報を待て!」

「踏みとどまった」

「やっぱり簡単じゃない」

 アルベルトが笑う。

「だから面白い」

「俺は面白くないです」

 その時だった。

 北側から味方騎兵の声が飛ぶ。

「敵!」

「北の森から敵!」

「何?」

 木々の間から槍と盾が見えた。

 敵兵だ。

 百。

 いや、もっといる。

「伏兵!」

 ゲオルクが叫んだ。

 ドドドドッ!

 北へ回っていた味方騎兵五十が反転する。

 森の中から敵歩兵が飛び出した。

「うおおおおおっ!」

 俺の背筋が冷える。

「読まれてた?」

「違う」

 アルベルトが即答した。

「最初からいた」

「偵察で見つけられなかった?」

「森の奥だ」

 さらに南側でも動きが起こる。

「南も!」

 兵士が叫ぶ。

 畑の低地から敵兵が出てきた。

「百以上!」

 北に約百五十。

 南に約百。

 正面に二百。

 東に百。

「五百全部……」

「最初から分散させて隠していたのか」

 ゲオルクが呟く。

 コンラートは、俺たちが左右へ分かれるのを待っていた。

「こっちが包囲された」

 俺が言う。

 アルベルトが笑った。

「やるな、コンラート」

「笑ってる場合ですか!」

「騎兵全隊!」

 アルベルトの声が響く。

「中央へ戻れ!」

 角笛が鳴る。

 ブオォォォ!

 北五十。

 南五十。

 味方騎兵が一斉に反転する。

 敵兵も追ってくる。

 ドドドドドッ!

 ザザザザッ!

 槍兵が走る。

「中央五十! 前へ!」

「前?」

 アルベルトが剣を抜いた。

 シャッ――。

「正面二百を叩く!」

「え?」

「左右が戻る時間を稼ぐ!」

「騎兵五十で二百!?」

「止めるだけだ!」

 アルベルトが馬腹を蹴る。

「続け!」

「うおおおおっ!」

 騎士たちが一斉に駆け出す。

「アレク!」

 ゲオルクが叫ぶ。

「私の後ろにいろ!」

「はい!」

 ドドドドドドッ!

 怖い。

 正面には槍兵二百。

 どんどん近づく。

「敵騎兵来るぞ!」

「槍構え!」

 ザッ!

 敵の槍が一斉に前へ倒される。

 駄目だ。

 真正面だ。

「殿下!」

 俺が叫ぶ。

「分かっている!」

 アルベルトが声を張る。

「左へ!」

 激突する直前、全騎が一斉に進路を変えた。

 ドドドッ!

 俺たちは敵槍列の正面を横切る。

「投槍!」

 味方騎士が槍を投げる。

 ヒュンッ!

「ぐあっ!」

 敵兵が倒れる。

「弓!」

 騎乗弓を持つ者が矢を放った。

 バシュッ!

 敵の槍列がわずかに乱れる。

「止まるな!」

 アルベルトが叫ぶ。

 騎兵は槍列へ突っ込まない。

 敵の前を高速で駆け抜ける。

 槍兵たちはこちらへ槍を向けるため、隊列の一部が揺れる。

 その間に、北へ回っていた五十が戻ってくる。

 南からも五十。

「合流!」

 ゲオルクが叫んだ。

 百五十騎が再び一つになった。

 だが敵も来る。

 北百五十。

 南百。

 正面二百。

「西へ抜ける!」

 アルベルトが命じる。

「城へ戻る?」

「違う!」

 西はヴァイスブルク方面だ。

「敵を村から離す!」

「……」

 なるほど。

 敵の目的はシュタイン村と援軍路。

 だがこちらを囲もうとしたことで、五百人のほとんどが村の外へ出ている。

「追わせる」

「そうだ!」

「でも追ってこなかったら?」

「その時は戻る!」

 単純だ。

 だが敵側でコンラートの声が上がる。

「追え!」

 来た。

 ザザザザザッ!

 五百全部ではない。

 四百ほどの槍兵が追撃してくる。

「歩兵で騎兵を追う?」

「逃がしたくないんだ!」

 ゲオルクが答える。

 その時、アルベルトが速度を少し落とした。

「殿下?」

「速すぎるな!」

「え?」

「敵が諦める!」

 騎兵が、あえて歩兵でも追いつけそうな速度まで落とす。

「……わざと追いつけそうにする」

「そうだ」

 敵兵がさらに追ってくる。

 距離が二百。

 百五十。

 百。

「近いです!」

「まだだ!」

 アルベルトは後方を見る。

 赤い外套。

 コンラートも馬で追っている。

「もう少し!」

 俺は前を見る。

 街道。

 丘。

 その先。

 さっき通った場所。

「何を狙って……」

 そこで気づいた。

 左右から丘の斜面が迫り、街道が狭くなっている。

「ここ」

「分かったか?」

「騎兵なら通れる」

「歩兵は?」

「横に広がれない」

「そうだ」

 小さな丘に挟まれた狭道。

「ここで?」

「まだだ」

 アルベルトは後ろを見た。

「敵の半分が入るまで待つ」

 心臓が速くなる。

 敵兵がザザザザッと追ってくる。

 先頭が狭道へ入る。

 百。

 二百。

 後方はまだ外にいる。

「今だ!」

 アルベルトが叫んだ。

「反転!」

「え!?」

 百五十騎が一斉に手綱を引く。

 馬が次々と向きを変える。

 ドドドドッ!

「槍!」

 騎士たちが槍を構える。

 今度は敵槍兵の隊列が整っていない。

 追撃のため走っている。

 隊列が縦に伸び、しかも狭い場所へ入っている。

「突撃ぃぃぃ!」

 アルベルトの声が響く。

「うおおおおおおおっ!!」

 百五十人の鬨の声。

 ドドドドドドドドドッ――!

 大地が震える。

 騎兵が一気に加速した。

「止まれ!」

「槍!」

「槍を構えろ!」

 敵兵が叫ぶ。

 だが遅い。

 前列が止まる。

 後ろの兵がぶつかる。

「押すな!」

「前が止まったぞ!」

「槍を――」

 ドガァン!

 激突した。

 馬。

 人。

 盾。

 槍。

 ガァン!

 バキッ!

「うわあああっ!」

 俺も馬上で剣を握る。

 目の前に敵兵がいる。

「っ!」

 剣を振る。

 ギィン!

 敵の槍を弾き、馬がその横を抜ける。

 ザシュッ!

 ゲオルクの剣が別の敵を斬る。

「止まるな!」

「はい!」

 速い。

 怖い。

 一人の敵を通り過ぎたと思った瞬間には、その姿はもう後ろへ消えている。

 だがすぐ次の兵が来る。

 槍。

 盾。

 叫び。

 ガチャガチャッ!

 ドドドッ!

 騎兵の突撃。

 敵だけが怖いのではない。

 こちらも止まれない。

 もし前の馬が倒れれば、俺も巻き込まれる。

 敵の槍が少し違う角度で突き出されていたら、そのまま死ぬ。

「抜けろ!」

 アルベルトが叫ぶ。

 百五十騎は敵陣を突き抜け、そのまま向こう側へ出た。

「止まるな! 距離を取れ!」

 ドドドッ!

 さらに走る。

 振り返ると、敵の隊列は崩れていた。

 だが完全に瓦解したわけではない。

「追撃は?」

 騎士が聞く。

「するな!」

 アルベルトが即答する。

「隊列を整えさせる前に離れる!」

 敵後方ではコンラートが叫んでいた。

「隊列を戻せ!」

「追うな!」

 コンラートも追撃を止めた。

「……やっぱり」

 俺は息を整える。

「敵も止まる」

「そういう男だ」

 アルベルトは短く答えた。

 味方にも落馬した者がいる。

 負傷者も出ている。

 敵側では数十人が倒れていた。

 だが、まだ決着ではない。

 ただ一撃を入れただけだ。

「殿下」

「何だ」

「これが目的だったのですか?」

「半分だ」

「もう半分は?」

 アルベルトが東を見る。

 さきほど上げさせた煙が、まだ山の向こうに見えている。

「時間だ」

「時間?」

「我々がここでコンラートを引きつけた」

「……」

 援軍。

 東。

「本隊が近づく時間を稼いだ」

 そうか。

 敵の目的は援軍路を荒らすことだった。

 だが今、その五百人はシュタイン村から離れている。

「道が空いた」

「そうだ」

 アルベルトが笑った。


 ◇ ◇ ◇


 その頃。

 ヴァイスブルク西方、ベルン軍本陣。

「報告!」

 伝令が膝をつく。

 フリードリヒが振り返った。

「北は」

「コンラート様、アルベルト軍と交戦!」

「状況は」

「アルベルト軍百五十! 現在西方へ移動! コンラート様が追撃しております!」

「……追ったか」

 フリードリヒの眉が僅かに動く。

「何か?」

 副官が聞く。

「いや」

「策通りでは?」

「半分はな」

 フリードリヒが地図を見る。

「アルベルトを城から出した」

「はい」

「北へ引きつけた」

「はい」

「なら」

 フリードリヒの指がヴァイスブルクの駒へ移る。

「今度はこちらだ」

「攻城を?」

「砲を出せ」

 副官の表情が変わる。

「四門すべて?」

「すべてだ」

「夜襲の後です。兵も疲れています」

「城兵も同じだ」

「……」

「それにアルベルトはいない」

 フリードリヒが立ち上がる。

「中央千二百を前へ」

「北七百は?」

「三百を中央へ回せ」

「南は?」

「そのまま」

「計千五百?」

「ああ」

「本格攻城ですか」

「違う」

「では?」

 フリードリヒが笑った。

「アルベルトを戻す」

「……」

「奴に選ばせる」

 北の補給路か。

 城か。

「どちらを守るか」

「また正解をなくす?」

「そうだ」

 ブオォォォォ――!

 角笛が響く。

 ベルン軍が動き始めた。

 ザッ。

 ザッ。

 ザッ。

 千を超える兵士たちが一斉に立ち上がる。

 ガチャガチャガチャッ!

 鎧。

 武器。

 盾。

 攻城槌。

 そして砲。

 ギギギギ……。

 重い車輪が回り始める。

 フリードリヒはヴァイスブルクを見た。

「さあ、オットー」

「アルベルトがいなくても守れるか」

 そして北を見やる。

「アルベルト」

「お前は戻るか?」

「それとも、援軍を取るか?」


 ◇ ◇ ◇


 北方。

「殿下!」

 一騎の伝令がこちらへ駆けてくる。

 東からではない。

 南西。

 ヴァイスブルク方面からだ。

 馬は泡を吹くほど走らされている。

「報告!」

「言え!」

「ベルン軍本隊、動きました!」

 アルベルトの表情が変わる。

「数!」

「約千五百!」

「方向は」

「西門!」

 俺の背筋が冷えた。

「城攻め……」

「砲四門、破城槌も前進!」

 本気だ。

「オットー男爵は?」

「守備につかれております!」

 アルベルトは馬上で地図を広げた。

「殿下」

「黙っていろ」

 声が違う。

 考えている。

 今、北にはコンラート五百。

 こちら百五十。

 援軍二千五百が東から接近中。

 西のヴァイスブルクには敵千五百が攻めかかっている。

 城内はおよそ千。

 しかもアルベルトはいない。

「戻りますか?」

 俺が聞く。

 アルベルトは答えない。

 ゲオルクも黙って待つ。

 数秒。

 だが、とても長く感じた。

「戻らん」

 俺は顔を上げた。

「城は?」

「オットーに任せる」

「でも千五百です」

「城壁がある」

「砲も」

「四門だ」

「……」

「アレク」

「はい」

「私が戻れば、フリードリヒはどうする?」

 考える。

「攻撃を弱める?」

「そして」

「……北を」

「そうだ」

 アルベルトの指がシュタイン村と援軍路を示す。

「私を城へ戻すための攻撃だ」

「でも、本当に城が危なくなったら?」

「その時は戻る」

「どこまで?」

「西門外壁が破られた時」

「撤退条件」

「ああ」

 第七話で俺が言ったことを思い出す。

 成功する条件だけではなく、いつ諦めるかを先に決める。

 アルベルトも同じことをしている。

「それまでは北を取る」

「理由は?」

「本隊二千五百と合流できれば」

 合計は二千六百五十。

「逆にベルン軍を」

「北から叩ける」

「……」

 フリードリヒは、アルベルトに城か援軍かを選ばせようとした。

 だがアルベルトは。

「両方取るつもりですか?」

「できるならな」

「欲張りですね」

「大公だからな」

「関係あります?」

「あることにしておけ」

 アルベルトが剣を鞘へ戻した。

「ゲオルク!」

「はっ!」

「コンラートをもう一度動かす」

「どうします?」

「東へ向かう」

「援軍と合流?」

「そう見せる」

「……また追わせる?」

「今度は逆だ」

 アルベルトが笑った。

「コンラートに、追われていると思わせる」

「どういうことです?」

「本隊が来る」

「でもまだ見えません」

「だから」

 アルベルトは東の煙を見る。

「見えるまで持たせる」

「……」

「全騎!」

 声が響く。

「東へ進路変更!」

 百五十騎が一斉に手綱を動かす。

 ガチャッ!

「駆け足!」

 ドドドドドッ!

 騎兵隊が動き始めた。

 後方ではコンラート軍がこちらを見ている。

 追うか。

 戻るか。

 俺は振り返った。

 赤い外套は動かない。

「殿下」

「何だ」

「コンラートが来ません」

「そうか」

「どうします?」

「なら、こちらから置いていく」

「え?」

「全速!」

「全速!?」

「本隊へ合流する!」

 ドンッ!

 アルベルトが馬腹を蹴る。

 百五十騎が一気に加速した。

「うわっ!」

 ドドドドドドドド――!

 地鳴り。

 風。

 俺は必死に馬へ身体を合わせる。

 後方ではコンラート軍が追ってこない。

 いや、歩兵五百では騎兵百五十の全速にはついてこられない。

「これでいいんですか!?」

「いい!」

「敵を置いてきましたよ!」

「それが目的だ!」

「でもシュタイン村へ戻るかも!」

「戻る前に本隊と合流する!」

「間に合います?」

「間に合わせる!」

「無茶苦茶だ!」

「戦場ではよくある!」

「絶対嘘だ!」

 アルベルトが笑う。

 俺たちは東へ駆けた。


 ◇ ◇ ◇


 一刻ほど走った頃には、馬も人間も限界に近づいていた。

 ようやく速度が落とされる。

 パカッ。

 パカッ。

 馬の身体から湯気が上がり、白い息を吐いている。

「……尻が痛い」

 俺は呻いた。

「慣れろ」

 ゲオルクが言う。

「嫌です」

「騎兵になれんぞ」

「なる予定ありません」

「そうだったな」

 アルベルトは前方を見た。

「見張り!」

「はっ!」

 一騎の騎士が丘へ上がる。

 しばらくして。

「殿下!」

 声が飛んだ。

「東!」

 全員がそちらを見る。

 丘の向こうに旗が見えた。

 一つ。

 二つ。

 さらに次々と現れる。

 そして音が届く。

 ザッ……。

 ザッ……。

 ザッ……。

 小さい。

 だが確実に近づいている。

 ガチャ……。

 ガチャガチャ……。

「……来た」

 俺が呟いた。

 丘の向こうから兵士たちが姿を現す。

 何百。

 何千。

 アルヴェイン大公家の旗。

「本隊!」

 兵士たちから歓声が上がる。

「援軍だ!」

「大公軍だ!」

「来たぞ!」

 二千五百。

 その先頭から一人の騎士が馬を駆ってくる。

「大公殿下!」

「遅い!」

 アルベルトが叫ぶ。

「申し訳ありません!」

「何人いる!」

「二千四百八十余!」

「脱落は?」

「二十名ほど! 後続します!」

「よし!」

 アルベルトが笑った。

 その瞬間、俺は初めて、この戦全体が大きく動いたように感じた。

 こちらは二千六百余。

 北に敵五百。

 西にはベルン本隊三千弱。

 ヴァイスブルクには城兵千。

 今までは敵の方が数で上だった。

 だが。

「殿下」

「何だ」

「これで」

「ああ」

 アルベルトが西を見る。

「反撃だ」


 ◇ ◇ ◇


 だが、その時だった。

 遠く西の空から、低い音が届いた。

 ドォン――。

 全員が止まる。

 もう一度。

 ドォン――!

 砲だ。

 ヴァイスブルク。

 三発目。

 ドォォン――!

 かなり距離がある。

 それでも聞こえる。

「……城」

 俺が呟いた。

 アルベルトの表情から笑みが消える。

 そこへ西から一騎の伝令が必死に馬を走らせてきた。

「殿下ぁ!」

 嫌な予感がした。

「報告!」

「西門!」

 伝令は馬から落ちるように降りた。

「ベルン軍の砲撃により――」

 息を整える。

「外壁の一部が崩落!」

 その場の空気が凍った。

「被害は」

「現在確認中!」

「突破されたか」

「まだです!」

「破城槌は」

「西門へ接近中!」

 撤退条件。

 西門外壁が破られた時。

 俺はアルベルトを見る。

「殿下」

「……」

「戻るんですよね」

 アルベルトは地図を見る。

 西に城。

 北に敵五百。

 東に本隊二千五百。

 さらに南西にはフリードリヒ軍三千弱。

「殿下?」

 数秒後。

 アルベルトが顔を上げた。

「戻る」

「はい」

「だが、城へは入らん」

「……え?」

「全軍」

 アルベルトが西を指す。

「ヴァイスブルク北方へ進軍する」

 騎士たちがざわついた。

「城に戻るのでは?」

 ゲオルクが聞く。

「フリードリヒは今、西門を見ている」

「はい」

「城壁を破ることしか考えていない」

「……」

「なら」

 アルベルトの指が地図の北側を回り込み、ベルン軍の側面へ伸びる。

「外から叩く」

 俺は息を呑んだ。

「二千六百で?」

「ああ」

「ベルン軍は三千近い」

「城兵がいる」

「千」

「挟む」

 ヴァイスブルク。

 その西にベルン軍。

 東には城壁。

 そして北からアルベルト本隊。

「挟撃……」

「そうだ」

「でもフリードリヒが気づいたら」

「だから速く行く」

「またですか」

「嫌か?」

「嫌です」

「私もだ」

「絶対嘘ですよね」

 アルベルトが笑う。

「アレク」

「はい」

「ここからが本当の戦だ」

 その言葉と同時に命令が飛ぶ。

「全軍、西へ!」

 ブオォォォォォ――!

 角笛が鳴る。

 二千五百を超える兵士たちが動き始めた。

 ザッ!

 ザッ!

 ザッ!

 最初は一部だった足音が、やがて大きな一つの音へ変わっていく。

 ザッザッザッザッザッ――!

 何千という軍靴。

 ガチャ。

 ガチャガチャガチャッ!

 鎧。

 盾。

 剣。

 槍。

 旗が風を受けて動き、馬が嘶く。

 ドドドドッ!

 俺はその中央で馬に跨がり、西を見た。

 ヴァイスブルクの方向には黒い煙が上がっている。

 砲声が再び響いた。

 ドォン――。

 戦場が俺たちを待っている。

 今度は、俺たちが三千のベルン軍を追う側になる。

 ヴァイスブルクの戦い。

 決着の時が近づいていた。

北の補給路を巡り、互いの狙いを読み合うアルベルトとコンラート。

その裏では、フリードリヒもまたヴァイスブルクへ新たな一手を打っていた。


城、別働隊、そして援軍。

離れていたいくつもの戦場が、少しずつ一つへと繋がっていく。


ついに二千五百の本隊との合流を果たしたアルベルト。

しかしその時、ヴァイスブルクの外壁が崩れる。


次話、ヴァイスブルクの戦いは決着へ。

敵味方すべての軍勢が動き出す。

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