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Ver.3 Arrow Chapter 5-5 滅びた国の、そのお値段

王国は滅びました。


ですが――戦いが終われば、次に待っているのは後始末です。


戦益の分配。

接収した技術。

勇者討伐の戦功。

そして、魔弓《ザミエル》の今後。


今回は、人間界で得た「成果」を大魔王府へ持ち帰り、整理していくお話です。


Ver.3 Arrow Chapter 5-5

「滅びた国の、そのお値段」


よろしくお願いいたします。

 かつて人間の王が臣下を跪かせていた謁見の間は、今や戦勝後の臨時執務室へと変貌していた。玉座の前から壁際に至るまで、城内から掻き集められた長机が所狭しと並べられ、その上には接収物資の目録、戦益算定書、戦闘詳報、技術資料といった膨大な書類が幾重にも積み上げられている。


 その中央で、リゼル、メア、メリュジーヌの三人は揃って膝をついていた。


 対するのは、大魔王府の文官を束ねる大尚書リチャード。


 柔らかな淡金色の髪の間から覗く獣耳と、腰の後ろで緩やかに揺れる豊かな尾。その容貌は端整という言葉だけでは足りないほど華やかで、切れ長の紫の瞳には、相手を威圧する鋭さよりも理知的な穏やかさが宿っている。身に纏うのは深い青を基調に金の装飾を随所へあしらった大魔王府高官の装束であり、胸元や腕には精緻な金細工が煌めいていた。


 だが、その優美な顔立ちと文官という肩書きに反して、露わになった肉体は驚くほど逞しい。肩から腕、胸部、腹部に至るまで無駄なく鍛え上げられており、机上で筆を執るだけの者とは到底思えない体躯を備えている。それでいて立ち居振る舞いに武人特有の荒々しさはなく、書類を扱う指先に至るまで洗練されていた。


 齢十七。大魔王府の文官を束ねるにはあまりにも若い。しかし、その声音にも所作にも、年齢から想像されるような未熟さは微塵もなかった。報告書へ目を落とす紫の瞳は穏やかでありながら、一枚を捲るごとに数字と記述を恐るべき速度で咀嚼していく。


「戦益の分配についてですが、リゼル嬢。魔界法に従えば、此度のように大魔王府から直接派遣された征討軍ではなく、貴族家およびその関係者が主体となって獲得した戦益については、原則として七割が勝ち取った者たちへ帰属します」


 リチャードが手にしているのは、接収品の総目録だった。王城の宝物庫に収められていた財貨だけではない。兵器、車両、医療器具、通信機器、工業製品、書籍、各種機械――人間界では日用品として流通している物まで含めれば、その品目は到底一読できる量ではない。


 だが、リチャードが目を留めたのは、その莫大な総額そのものではなかった。最後の頁に記された処分先へ目を通すと、僅かに眉を上げる。


「率直に申し上げます。これは、最低でも侯爵家一門が長期間にわたって得る収益に匹敵しかねない規模です。その大半について、大魔王府への献上を希望すると記載されていますが……こちらは記載上の誤りではございませんね?」


「はっ。戦益の大半を、大魔王ドラコー陛下へ献上させていただきたく存じます。此度の品々が陛下のお役に立ち、僅かでも御心をお慰めするものとなれば、それ以上の喜びはございません。大魔王ドラコー陛下のお茶代の足しにでもなれば、わたくしには身に余る光栄にございます」


 その答えには逡巡どころか、惜別の情さえなかった。莫大な戦益を手放しているという認識そのものが、リゼルには希薄なのだろう。隣で跪くメアは平然としていたが、メリュジーヌは半ば呆れたようにリゼルの横顔を眺めている。


 リチャードはそんな三人を一瞥したあと、机上に置かれていた見慣れぬ小型機械を手に取った。


「これは?」


「携帯式の通信機にございます。遠方にいる者との会話や、短い文章の送受信などに用いられます。ただし、それ単独で機能するものではございません。人間界各地の通信設備を介して使用する物にございます」


「なるほど。つまり完成品だけを持ち帰っても、魔界では本来の機能を発揮できない。背後にある設備と運用体系まで含めて、一つの技術というわけですね」


「仰せの通りにございます」


 僅かな説明だけで要諦を掴んだリチャードに、リゼルは内心で舌を巻いた。魔界と人間界では、文明が辿った道筋そのものが異なる。人間界の技術を無批判に移植したところで、魔界の多種多様な種族、魔法体系、生活環境へそのまま適合するとは限らない。


「ですので、すべてを人間界と同じ形で再現する必要はないと考えております。利用できる技術や発想のみを抽出し、魔界に適した形へ改めればよろしいかと」


「文明そのものを模倣するのではなく、必要な成果だけを選別する、と」


「はい。魔界には魔界の発展がございますゆえ」


「興味深いお考えです。技術官僚にも資料を回しましょう。少なくとも、ここに積まれている物を単なる戦利品として倉庫へ収めるよりは、遥かに有益です」


 それだけで話は終わった。


 メアは相変わらず無表情で跪いており、メリュジーヌも難解な技術談義から解放されたことに安堵したように、小さく息を吐いている。リゼル自身も、これ以上専門外の知識について問われれば前世の曖昧な記憶まで掘り返さねばならなかったため、密かに胸を撫で下ろしていた。


 だが、リゼルにはもう一つ、どうしてもリチャードへ伝えておかなければならないことがあった。


「閣下。もう一点、お願いしたき儀がございます」


「お伺いします」


 リゼルは振り返った。


 少し離れた場所に、レザードが立っている。彼だけが跪いていないのは無礼ゆえではない。グリムロアの王子であるレザードは、大魔王ドラコーの臣下ではないからだ。


「レザード、リチャード閣下の御前に」


「はい、リゼルさん」


 呼ばれたレザードが歩み寄り、リチャードの前で一瞬だけ動きを止めた。客分として立礼に留めるべきか、それとも大魔王府の最高位文官を前に膝を折るべきか。その僅かな逡巡を、リチャードは見逃さなかった。


「レザード王子殿下。殿下は大魔王ドラコー陛下の臣下ではございませんから、そのままで結構ですよ」


 あまりにも自然な一言だった。


 相手の立場を損なわず、かといって過剰に持ち上げることもない。十七歳という年齢を忘れさせるほど洗練された配慮に、リゼルは思わずリチャードの横顔を凝視した。


(なんだこの超イケメン……ソーマ様と同様に配慮のできるステキ男子だ!)


「……リゼル殿?」


「……尊い。推せる……」


「は? とうとい……押せる? 何かを押すのですか?」


「し、失礼致しました。激務が続いておりましたので、少し頭がぼんやりとしておりました」


 慌てて取り繕うリゼルを咎めることもなく、リチャードはむしろ心配そうに眉を下げた。その反応には大尚書としての威圧も、幼い令嬢の失言を笑う気配もない。ただ目の前の相手を気遣う、彼本来の穏やかさだけがあった。


「それはいけません。勇者と戦い打ち負かしただけではなく、これだけの報告書を書いていただいているのです。お身体を大事になさってくださいね」


「は、はい、ありがとうございます閣下!」


 思わず頬を緩ませたリゼルだったが、横から妙な視線を感じた。


 レザードである。普段と変わらぬ無表情に見える。しかし、ほんの僅かに視線が沈んでいるような気がした。


「ち、違うぞレザード!」


「…………………はい、リゼルさん」


「なんかいつもと間が違うぞ――って、失礼しました閣下! あ、えっと、こちらのレザード王子殿下はご覧の通り魔弓《ザミエル》の適性がございました」


 どうにか話を本筋へ戻すと、リチャードは机上の別の報告書を手に取った。そこには、《ザミエル》がレザードを適性者として認めた経緯から、実戦投入後の戦果に至るまでが記されている。頁を追っていた紫の瞳が、やがて勇者アーネストとの交戦記録で止まった。


「ええ。報告書にもございますね。千年にわたり適性者の現れなかった《ザミエル》を、レザード王子殿下は問題なく扱われた。そればかりか、勇者アーネストとの戦闘においても実際に使用された、と」


「はい。閣下」


 リチャードは小さく頷き、さらに数枚の報告書を捲った。そこには《ザミエル》の実戦投入から勇者アーネスト討伐まで、レザードの戦功が時系列に沿って記されている。そして最後には、討伐に携わった者たちの名が明記されていた。


「勇者アーネスト討伐――最終討伐者、リゼル・ノクス・ヴァルクロア。そして共同戦功者として、レザード王子殿下」


「はい。閣下」


 リゼルは迷うことなく頷いた。


「最後に勇者を地へ落としたのは、わたくしにございます。しかし、あの者をそこまで追い詰めることができたのは、レザード王子殿下が《ザミエル》を射てくださったからこそ。あの一矢なくして、同じ結果を得られたとは申し上げられません」


 傍らで、レザードが僅かに目を伏せた。


 それは今になってリゼルが付け加えた評価ではない。戦いが終わり、膨大な戦後処理に追われる最中から、彼女は既にその功績を正式な記録へ残していた。自分が勇者を討ち取ったという華々しい戦果だけを取り上げるのではなく、そこへ至る一矢を放った者の名まで、当然のように並べていたのだ。


「リゼルさん……」


「なんだ? 事実だろう。君が撃たなければ、あの勇者は落ちなかった。だったら君の手柄でもある」


 あまりにも当然のことのように言われ、レザードはそれ以上の言葉を失った。


 リチャードは二人のやり取りを静かに見届けると、再び報告書へ視線を落とした。そこに記された戦功は情誼による贔屓ではない。《ザミエル》の一矢が勇者討伐の帰趨を左右したことは、戦闘記録そのものが証明している。


「異論はございません。この内容であれば、レザード王子殿下の戦功として正式に受理できます」


「ありがとうございます、閣下!」


 リゼルは深々と頭を下げた。


 レザードの名が、これで正式に大魔王府の記録へ残る。地下牢で誰にも顧みられず、故国からさえ死者同然に扱われていた王子が、人間界の勇者を討ち果たした戦功者の一人として認められたのだ。


 しかし、リゼルにとってはそれすら目的の半ばに過ぎなかった。彼女がレザードを人間界から連れ帰った理由も、《ザミエル》を実戦で握らせた理由も、その先へと繋がっている。


「つきましては、閣下。もう一つ、お願いしたき儀がございます」


「お伺いしましょう」


 リチャードが報告書を机上へ戻す。


 その穏やかな紫の瞳を真正面から受けながら、リゼルは改めて居住まいを正した。先ほどまで「尊い」「推せる」などと口走っていた少女の面影は消え、大侯爵家の令嬢として、深々と頭を垂れる。


「何卒、大魔王ドラコー陛下に、魔弓《ザミエル》のレザード王子殿下への貸与をお認めいただきたく存じます」


 メアが僅かに目を動かし、メリュジーヌもリゼルへ視線を向けた。


 レザードだけは何も言わなかった。


 だが、その沈黙の意味を、この場にいる者たちは理解している。《ザミエル》は単なる強力な武器ではない。千年ものあいだヴァルクロア大侯爵家によって管理されながら、一人として適性者を見出せなかった魔弓である。そして今、その弓が選んだ唯一の使い手が、ヴァルクロア家とは何の血縁も持たないグリムロアの末王子だった。


 所有権そのものを手放すわけではない。あくまで貸与である。しかし、相手は独立国家グリムロアの王族だ。魔界の一大侯爵家が長年管理してきた魔弓を、他国の王子へ長期にわたって預けるとなれば、単なる武具の貸し借りでは済まない。一侯爵家だけの判断で決するには、その意味するところがあまりにも大きかった。


 だからこそ、リゼルは大魔王ドラコーの裁可を求めている。


 リチャードはすぐには返答せず、先ほど確認した戦闘報告書へ再び目を落とした。


「リゼル嬢のお考えは理解いたしました。《ザミエル》の適性については、もはや疑う余地はないでしょう。実戦においても、勇者討伐に寄与するだけの戦果が既に証明されています」


「はい」


「ただし、私の一存でお認めすることはできません」


「承知しております」


 リゼルも、それは最初から理解していた。


 だからこそ大尚書であるリチャードへ願い出ているのだ。ここで許可を取り付けようというのではない。大魔王府へ正式な案件として持ち帰り、至尊たる大魔王ドラコーの裁可を仰いでもらうためである。


「ですが、陛下へは私からも申し上げましょう。これだけの実績が伴っている以上、少なくとも検討に値する案件です」


「ありがとうございます、閣下!」


 ぱっとリゼルの表情が明るくなった。


 リチャードはその様子を見て、柔らかく目を細めた。


「それに――陛下はリゼル嬢のことを随分と気にかけておられますから。お話くらいは、きっと聞いてくださると思いますよ」


「…………へ?」


 間の抜けた声が、謁見の間に落ちた。


 つい先ほどまで《ザミエル》という魔界屈指の武具について大真面目に陳情していた大侯爵令嬢が、完全に停止している。


 リゼルはゆっくりと顔を上げた。


「へ、陛下が……わたくしを……?」


「ええ」


「大魔王ドラコー陛下が……わたくしごときを……気にかけてくださっている……?」


 まるで自分の聞き間違いを疑うように、一語ずつ確かめる。


 リチャードはそんなリゼルを笑うこともなく、穏やかな表情のまま頷いた。


「はい。少なくとも私は、そのように拝察しております」


 それで駄目だった。


 赤紫の瞳が大きく揺れ、見る間に涙が溜まっていく。勇者を相手に一歩も退かず、自らの胸を《ザミエル》で射抜かせるという狂気じみた策すら平然と実行した少女が、たった一言で見る影もなく動揺していた。


「な、なんと恐れ多い……。陛下が……わたくしのことを……う、うぅう……」


「お、お嬢様!?」


 メアが思わず顔を上げた。


 その隣では、メリュジーヌまで目を丸くしている。


「リ、リゼルちゃん!? どうして泣いておりますの!?」


「だ、だってぇ……陛下がぁ……!」


 とうとう決壊した。


 両手で顔を覆ったリゼルの肩が小刻みに震え始める。もはや先ほどまでの恭謙な大侯爵令嬢の姿はどこにもなく、敬愛する相手から僅かでも認められていると知った六歳の少女が、必死に嗚咽を堪えているだけだった。


 メアは慌てて主人の傍へ身を寄せ、どうしたものかと困惑している。メリュジーヌもまた、勇者との死闘ですら見せなかったリゼルの狼狽ぶりを前に、慰めるべきか笑ってよいものか判断しかねていた。


 ただ一人、リチャードだけが困ったように眉を下げながらも、穏やかな微笑を崩さなかった。


「……そこまで喜んでいただけるとは、思っておりませんでした」


「こ、これ以上ない栄誉にございますぅ……!」


 どうにか敬語へ戻そうとしているらしい。


 だが涙声になってしまった時点で、威厳の回収には完全に失敗していた。


 莫大な財貨も、接収した人間界の技術も、勇者を討ち果たした戦功さえも、リゼルにとっては大魔王ドラコーへの忠誠の前では二の次なのだろう。


 リチャードは、そんな少女の姿をしばらく静かに見守っていた。


 こうして、死都における戦益報告は、持ち帰るべき幾つかの案件を残して終わった。


 大魔王府へ献上される莫大な戦益。人間界から接収された未知の技術。勇者アーネスト討伐におけるレザードの戦功。そして、千年にわたり眠り続けてきた魔弓《ザミエル》の貸与願い。


 大魔王府で検討すべき案件は、十分すぎるほど揃っている。


 ただし最後に大尚書リチャードが目にしたのは、一国を滅ぼした冷酷な征服者でも、勇者を討ち果たした戦士でもなかった。


 敬愛する大魔王が自分を気にかけてくれていた。


 ただそれだけのことで、人目も憚らず泣きじゃくる――六歳の少女の姿だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


莫大な戦益も、人間界から得た技術も、勇者討伐の戦功も。


リゼルにとっては――すべて、大魔王ドラコー陛下の御為。


そして今回、レザードの戦功も正式に認められ、《ザミエル》についても次の段階へ進みました。


一国を滅ぼした冷酷な大侯爵令嬢が、敬愛する陛下に気に掛けていただいていると知った途端に号泣する。


この落差もまた、リゼル・ノクス・ヴァルクロアです。


そして次回――舞台は再び、ダークエルフ王国グリムロアへ。


かつて「要らぬ」と切り捨てられた末王子が、《ザミエル》と勇者討伐の戦功を携え、故郷へ帰ります。


次回――


Ver.3 Arrow Chapter 6-1

「てめぇもレザードにごめんなさいしろ!」


引き続きお付き合いいただけましたら嬉しいです!

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