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Ver.3 Arrow Chapter 2-1 幽閉令嬢は諦めない

前回、グリムロア王家の御前で、


「レザード殿下を、わたくしが頂いてもよろしゅうございますよねぇ」


――などと、とんでもないことを言い放ったリゼル。


当然ながら。


父・オルディアスが、それを見過ごすはずもなく――。


今回は、父と娘の攻防戦です。

 王城を出てから、屋敷へ戻るまでの道中、オルディアスは終始無言だった。馬車の車輪が石畳を叩く規則正しい音だけが、車内の沈黙を埋めていく。窓の外を流れる並木の影が、時折、父娘二人の顔へ縞模様を落としていった。


 オルディアスの脳裏には、先ほどの謁見の間での光景が、まだ生々しく焼き付いている。


 ――そこまでレザード殿下を要らぬと仰せならば、わたくしが頂いてもよろしゅうございますよねぇ。


 あの一言を放った瞬間の、娘の恐ろしく冷たい笑み。大王の声すら揺れた、あの瞬間。あれほどまでに狼狽した自分自身を、オルディアスはこれまで一度として経験したことがなかった。


 あの発言が、ただの売り言葉に買い言葉であったなら、まだよかった。だが、この娘に限って、そんな単純な話であるはずがない。


 リゼルもまた、窓の外を眺めたまま、何も言わなかった。膝の上で重ねた両手は、一見して優雅に、令嬢らしく行儀よく収まっている。だが、その内側では、既に幾つもの算段が音もなく渦を巻いていた。父の視線が一度こちらへ向いたのを、リゼルは横目で確かに捉えていた。何を考えているのか探ろうとする、値踏みするような一瞥だった。


 その静けさの中に、父娘のどちらもが、これから交わされるであろう会話の輪郭を、既に思い描いていた。


 ヴァルクロア邸へ帰り着くと、オルディアスはリゼルを執務室へ呼びつけた。普段であれば、まず湯浴みを勧め、軽い夕餉の席を設けるところを、今日ばかりはその手順すら省かれている。それだけで、父の本気度が知れた。


 夕刻の光が、重厚な机の上へ長い影を落としている。窓の外では、庭園の木々が茜色に染まり始めていた。オルディアスは、机の向こうに立ったまま、娘を真っ直ぐに見据えた。長年この屋敷を治めてきた大侯爵の眼差しには、普段の呆れ混じりの苦笑とは違う、明確な重みがあった。


「リゼル」


「はい、父上」


 リゼルは、両手を前で重ね、しとやかに一礼した。その所作の完璧さが、かえって不穏だった。オルディアスは、そのことに気づきながらも、あえて言葉を続ける。


「人間界へ行くことは許さん」


 短い、有無を言わせぬ一言だった。オルディアスの声には、これまでのどんな叱責よりも硬い響きがあった。執務室の空気が、その一言だけで、目に見えて張り詰めていく。


 リゼルは、にこりと微笑んだ。だが、その笑みの底に何が渦巻いているかを、オルディアスは既に見抜いていた。この娘の笑顔は、穏やかであればあるほど、その裏に何かを隠している証拠だった。


「王城でのあの発言だ」


 オルディアスは、先に釘を刺すように切り出した。


「レザード殿下を頂く、とラシュカーン大王の御前で言い放ったこと。あれを、本気で実行に移すつもりなのだろう」


「まさか。いくら私とて、魔族を不倶の仇敵と定めた連中の巣窟へ、単身乗り込むほどの蛮勇はありません」


 リゼルは、にっこりと微笑んだ。眉一つ動かさず、瞳の奥にも一切の揺らぎを見せない、あまりにも堂に入った笑顔だった。


「その顔で言われても、欠片も信じられんな」


 オルディアスは、深く息を吐いた。


「ラシュカーン大王の御前であれだけ大見得を切っておいて、指を咥えて眺めているだけの娘だとは、私も思っていない」


「あら。少しは私を信用しているのですね」


「信用しているのは、お前の行動力の方だ。分別の方ではない」


「随分な言い草ですね」


「事実だろう」


 オルディアスは、指先で額を押さえた。


「ラシュカーン大王は、あの場でお前の名を覚えると仰った。良くも悪くも、お前という存在は、既にグリムロア王家の記憶へ刻まれている。その状態で、もしヴァルクロア家の娘が人間界へ単身潜入し、あまつさえ王子を連れ帰るような真似をしでかせば、それがどう伝わると思う」


「武勇伝として語り継がれるのでは?」


「外交問題だ」


 オルディアスの声が、僅かに低くなる。


「ヴァルクロア家が、グリムロア王家の頭越しに、人間界へ独自の軍事行動を取った――そう受け取られてもおかしくない。下手をすれば、大魔王府からも睨まれる。お前一人の無茶が、家全体を巻き込む火種になりかねん」


「それは、少々飛躍しすぎでは?」


「飛躍だと思うなら、お前がこれまで私にもたらしてきた騒動の数を、一つずつ数え上げてやろうか」


「……それは、あまり聞きたくありません」


 リゼルは、僅かに視線を逸らした。さすがに、これまでの前科の数々には、言い返す言葉がないらしい。


「それに」


 オルディアスは、机に両手をついた。木目の走る天板が、その重みに僅かに軋む。


「お前の力を、人間側に知られること自体が危険だ。六歳にして強大な魔力を持ち、大侯爵家の後ろ盾を持つ子供――そんな存在が人間界の目に留まれば、どれほどの騒ぎになるか、お前にも想像がつくだろう」


「もちろんです」


「もちろん、と言いながら、その目は少しも納得していない」


「気のせいです」


「気のせいで済ませられる目つきではない」


 オルディアスは、じっとリゼルを見据えた。


「お前のその目は、既に何かを決めた者の目だ。私が何を言おうと、心の中では既に結論が出ている」


「父上は、時々、恐ろしいことを言いますね」


「六年、お前の父親をやっていれば、嫌でも分かるようになる」


 オルディアスは、深く息を吐いた。この娘との問答に、これ以上言葉を重ねても意味がないことを、既に何度も思い知らされている。娘が物心ついてから、こうした押し問答を、いったい何度繰り返してきただろうか。その度に、勝つのはいつもこの娘の方だった。


 だが、今回ばかりは、そういうわけにはいかない。


 オルディアスは、そこで呆れたように目を閉じた。深く息を吐き出す。誰かに向けてというより、まるで見えない何かへ語りかけるように、目を閉じたまま、その名を口にした。


「メア」


「はい、お館様」


 返事は、呼び声とほとんど重なっていた。


 執務室の片隅で、影が僅かに揺らぐ。


 次の瞬間、黒い霧が静かに凝集し、細身の影が形を成したかのように――そこにメアが立っていた。


 足音はない。衣擦れの音すらない。長い黒髪を背に流し、感情の読めない瞳を伏せたまま、両手を静かに前へ重ねている。


 高速で移動してきたわけではない。かといって、《アビス・ゲート》のような転移魔法でもない。夜魔族の中でも、上位の者だけが会得できるという、気配そのものを断って短距離を渡る特殊な技だった。アビス・ゲートほどの距離は飛べない代わりに、発動の予兆も、転移特有の魔力の揺らぎも、一切残さない。傍に仕えてきたメアの動きを、リゼルは誰よりもよく知っている。それでも、今の一歩だけは、気配すら捉えられなかった。


(……また速くなったな、こいつ)


 メアは、何事もなかったように一礼した。


「リゼルから目を離すな。片時も離れず、監視しておけ」


 オルディアスの声は、いつになく厳格だった。普段、メアに対して命令を下す時とは、明らかに温度が違う。それだけ、事態を深刻に捉えている証だった。


「万が一にも、この屋敷から一人で抜け出すような真似をさせるな。分かったな」


「かしこまりました、お館様」


 メアは、静かに一礼した。その声には、一切の迷いがなかった。


 リゼルは、その遣り取りを黙って聞いていた。表情には、まだ余裕の笑みが浮かんでいる。


「メア」


「はい、お嬢様」


「私を裏切るのか?」


 冗談めかした口調だったが、その奥には、僅かな本気も混じっていた。オルディアスの見ている前だというのに、あえてそう問いかける。父の反応を窺うような、試すような響きがあった。


「お館様のご命令です」


 メアは、それだけ答えた。感情の色を、一切表に出さない声だった。


 次の瞬間だった。


 メアの動きが、リゼルの視界から一瞬にして消えた。気づけば、リゼルの身体は、荷物のように軽々と抱え上げられている。あまりの速さに、抵抗する暇すらなかった。視界が反転し、執務室の天井が流れるように過ぎていく。


「メ、メア……!?」


 オルディアスの目の前で、メアはリゼルを片腕に抱え上げたまま、そのまま身を翻した。扉を蹴り開け、廊下へ躍り出る。振り返りもしない、迷いのない動きだった。


 執務室に残されたオルディアスは、その一部始終を、しかと見届けていた。娘が、まるで荷物のように連れ去られていく様を、口を挟むこともなく、ただ黙って見送る。


「……ふむ」


 オルディアスは、小さく頷いた。口元に、僅かな満足の色が浮かぶ。


「これで、少しは安心できる」


 そう呟くと、机上の書類へ視線を落とした。メアのあの徹底ぶりを目の当たりにした以上、監視の実効性を疑う余地はない。そう判断したのだろう。


     ◇◇◇


 廊下を疾走するメアの足取りには、一切の淀みがない。壁も、柱も、まるで存在しないかのように、その脇を通り抜けていく。すれ違った使用人が、何が起きたのかも分からぬまま、ぽかんと立ち尽くしているのが、視界の端に映った。リゼルは、その腕の中で、なす術もなく運ばれていった。


「ぐぬぬぬっ! は、放せメア!! 命令だ!」


 総合的な力量だけで言えば、リゼルの方が圧倒的に上だった。本気で魔法を放てば、この拘束を振りほどくこと自体は容易い。だが、屋敷の中で、ましてやメアごと吹き飛ばすわけにもいかない。そして、純粋な近接の組み合い勝負となれば、話は別だった。リゼルは、根っからの魔法職だった。詠唱と術式構築にこそ真価を発揮する反面、こうして力尽くで組み止められては、まともに術を練る間すらない。対して、メアは純粋な近接戦闘特化型である。掴んだ獲物を離さぬことにかけては、この屋敷の誰よりも長けていた。


「申し訳ございません、お嬢様」


 メアは、足を緩めることなく、淡々と答えた。


「お屋敷の中に限りましては、お館様のご命令が、お嬢様のご命令を上回ります」


 角を曲がるたび、遠心力に身体が僅かに傾ぐ。それでも、メアの腕は決して緩まなかった。まるで、リゼルという荷物を、いかなる衝撃からも守り抜くとでも言うように。


 やがて辿り着いたのは、屋敷の奥深く――普段はまず使われることのない、頑丈な扉を持つ一室だった。


「お嬢様。こちらで、静かにお過ごしくださいませ」


 メアは、そう告げると同時に、実に無造作に見える動作で、リゼルの身体を部屋の奥へ放った。


「ぐぇっ!!」


 放物線を描いたリゼルの身体は、部屋の奥、天蓋付きの寝台へ、そのまま突っ込んだ。真綿のように柔らかな寝具が、その勢いを吸い込むように受け止める。乱暴な扱いに見えて、着地点だけは、最初から寝台の中央へ寸分違わず定められていた。それでも、あまりの推進力に、間抜けな悲鳴だけは防げなかった。


「ちょっ――」


 抗議の声を上げる間もなく、重い扉が、無情に閉じられる。


 がちゃり。


 鍵の掛かる音が、静かな廊下に響いた。


 リゼルは、柔らかな寝具に半ば埋もれたまま、しばし呆然としていた。仰向けに転がったまま、天蓋の内側を見上げる形になっている。ふかふかとした敷布の感触が、頬に心地よく伝わってきた。ゆっくりと身を起こし、部屋の中を見渡す。


 そこは、想像していたような牢獄とは、まるで違っていた。


 綺麗に整えられた広い一室。調度品は、いずれも一級品と分かる上質な作りだった。今しがた突撃したばかりの天蓋付きの寝台には、繊細な刺繍の施された布地が幾重にも垂れ下がっている。壁際には、鏡の大きな化粧台まで用意されていた。花瓶には瑞々しい花が生けられ、壁には、見覚えのある風景画が飾られている。まるで、貴賓を迎える客間のような設えだった。


 ただし。


 壁には、幾重もの上級結界術式が刻まれている。見たこともない複雑な紋様が、天井まで隙間なく描かれていた。扉には、頑丈な格子戸が二重に嵌め込まれ、窓にも、太い鉄格子が容赦なく打ち付けられている。指先で触れてみると、まるで見えない壁があるかのような、硬質な感触が伝わってきた。かつて、罪を犯した親族や、力の制御が利かなくなった者を一時的に留め置くため使われていた部屋だと、以前どこかで耳にした覚えがある。居心地だけは、恐ろしく良い牢獄だった。事実上の幽閉だった。


「……メアが」


 ぽつりと呟く。声が、広い部屋の中へ、やけに大きく響いた。


「私を、裏切った……?」


 その衝撃は、想像以上に深かった。幼い頃から傍に置き、誰よりも信頼してきたはずの侍女が、これほどあっさりと自分を閉じ込めた。リゼルの中で、何かがぐらりと揺らいだ。胸の奥に、鈍い痛みのようなものが広がっていく。


(あいつだけは、私の味方だと思っていたのに)


 膝を抱え、その場にへたり込む。普段は決して見せない、年相応の弱々しい姿だった。


 だが。


 その動揺は、数秒と続かなかった。


「……いや」


 リゼルは、ゆっくりと寝台を降りた。乱れた寝具の皺を軽く払い、姿勢を正す。赤紫の瞳に、既に別の光が宿り始めている。


「ならば、父上に知られず行けばいいだけの話だ」


 六歳の少女の思考は、あまりにも恐ろしい速さで、既に次の計画へと切り替わっていた。リゼルは、部屋の中をぐるりと見回し、脱出の糸口を探し始める。結界の術式、格子戸の造り、鉄格子の隙間――一つ一つを、冷静な目で観察していく。先ほどまでの落胆など、既に欠片も残っていないようだった。


 だが、その観察の途中で。


 リゼルは、ふと、恐ろしい事実に思い至った。


「……メア」


 誰もいないはずの部屋の中で、リゼルは、ひとまず声に出して呼んでみた。


 返事の代わりに、部屋の片隅の影が僅かに揺らぐ。


 次の瞬間、黒い霧が静かに凝集し、細身の影が形を成したかのように――そこにメアが立っていた。物音一つなかった。まるで、最初からそこにいたかのような、あまりにも自然な佇まいだった。


 もっとも、この部屋に施された結界を完全に無視できるわけではない。あらかじめ細工しておいた結界の綻びがあってこそ、可能な芸当だった。


「はい、お嬢様」


「トイレはどうするのだ?」


「おまるをお持ちします」


 あまりにも即答だった。既に用意していたのだろう、その声には一切の淀みがなかった。


「断固拒否する」


 リゼルは、正面のメアへ向かって声を張り上げた。


「大罪魔法で屋敷を灰にしてでも、私は自尊心を守護するぞ!!」


「かしこまりました」


 メアは、間髪入れず答えた。まるで最初からこの展開を見越していたかのような、迷いのなさだった。


「では、お手洗いのたびに、私がお連れいたします」


 あまりにもあっさりとした妥協案だった。リゼルは、しばし呆然と天井を仰いだ。監視という名目の下、これから毎日、用を足すたびにメアへ付き添われる生活が始まるのかと思うと、なんとも言えない虚しさが込み上げてくる。だが、おまるで済ませる屈辱に比べれば、まだ幾分ましだった。


「……仕方ない。それで手を打とう」


 リゼルは、深く息を吐いた。令嬢としての尊厳を、辛うじて守り抜いた形である。


 メアは、静かに一礼すると、再び影の中へ溶け込むように、その姿を消した。声をかければ、いつでもまた現れるのだろう。だが、姿が見えない間は、本当にどこにいるのか、まるで見当がつかなかった。


 それはさておき、今優先すべきは、この部屋からどう抜け出すかだった。落ち着きを取り戻した頭で、改めて周囲を見渡す。豪奢な調度品に囲まれたこの部屋は、居心地こそ悪くない。だが、それだけに、施された結界の本気度がよく分かった。並大抵の術式破りでは、到底突破できそうにない。


「さて。まずは、この結界の癖を掴むところからだな」


 独り言ちながら、リゼルは壁際へ近づいていった。指先で紋様の一つをなぞり、その流れを読み取ろうと目を細める。魔力の流れには、必ず癖がある。どれほど堅牢な結界であっても、術者の個性というものは、どこかに滲み出るものだった。


 夜が更けるまで、リゼルは飽きることなく、その作業を続けるつもりだった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、まさかの幽閉回でした。


さすがに父・オルディアスも、今回ばかりはリゼルを野放しにはできなかったようです。


そして監視役として付けられたのは――メア。


果たして彼女は、きちんと監視役を務められるのでしょうか。


それとも……。


幽閉された程度で大人しくなるようなリゼルではありませんので、今後とも見守っていただけましたら幸いです。


――次回


Ver.3 Arrow Chapter 2-2

『魔弓ザミエル』


次回も、どうぞよろしくお願いいたします。

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