Ver.2 Poison Chapter 5-1 サタンの果実
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
大切な存在を奪われるかもしれない。
その恐怖を――リゼルは知っています。
母を奪われ、友を傷つけられ。
そして今また、大切な者へと魔の手が伸びようとしている。
ならば――もう、容赦する理由などありません。
奪われるのが怖いのなら。
奪われてしまう、その前に。
自分から奪う側に回ればいい。
今回は、そんな5歳のリゼルが見せる――
少しばかり(笑)、怒りのお話です。
どうぞ最後までお楽しみください。
ベルルカリス領の古城は、夜の底でその静寂を破られた。
崩れかけた正門の前に、三つの影が舞い降りた。星明かりだけが頼りの前庭に、黒紫の魔力の残滓がまだ薄く漂っている。空気には、焦げた土と、遠く城の奥から漂ってくる古い血の匂いが混じっていた。
小さな寝巻き姿の少女。グレートソードを担いだアスラ族の少年。そして、四本の腕に三日月剣とアビスタイトの拳甲を構えた、もう一人のアスラ族の少女。三者三様の出で立ちでありながら、その佇まいだけは奇妙に揃っていた。誰一人として、これから起こることに怯えてなどいない。
リゼルは、まず古城の正門を見上げた。朽ちてはいるが、それでも往時の威容を残す巨大な門である。分厚い樫の扉に鉄の装飾が打ち込まれ、両脇には風化した石像が門番のように立っている。かつては、ここを通る者すべてに睨みを利かせていたのだろう。
「さて、2人とも」
リゼルは、隣に立つルドラとドゥルガーへ向き直った。夜風が、彼女の乱れた髪と、急いで羽織っただけの上掛けを揺らす。頬の痣も、口の端の血の跡も、月明かりの下では奇妙な迫力を帯びていた。
「私には父上の代理でパーティの招待状があるのだが、君たちには無い。どうするね、ルドラ? ディ?」
「そりゃお前」
ルドラがグレートソードの刃を軽く肩で弾ませながら答えた。刃の腹に月光が反射し、鈍く光を放つ。
「礼儀正しくノックして『入れてください』ってお願いするしかねぇだろ?」
「でも、やっぱりパーティなんだから」
ドゥルガーが二刀の三日月剣を掲げ、にんまりと笑う。四本の腕がそれぞれ違う角度でしなり、まるで舞台に立つ演者のような構えだった。
「ビックリさせてあげた方が盛り上がるよぉ?」
「うむ」
リゼルは、二人の意見を吟味するように顎へ手を当てた。その仕草は、まるで真剣な軍議でも開いているかのように大真面目だった。
「ルドラとディの意見の間を取ろう」
「間って何だよ」
ルドラが眉をひそめた、次の瞬間。
リゼルの右手に、暗紫色の稲妻がバチバチと音を立てながら凝縮していく。ただの魔力弾ではない。無数の雷条が渦を巻くように絡み合い、圧縮された魔力の塊となって収束していく。周囲の空気は静電気を帯びたように軋み、石畳の砂利が、その圧に押されて僅かに浮き上がり、パチパチと弾けるような音を立てた。
「《バアルの投擲》」
放たれた雷塊が、巨大な正門へ着弾した。
轟音。
城全体が揺れるほどの衝撃波が走り、分厚い石造りの門は跡形もなく吹き飛んだ。粉々になった石材が夜空へ舞い上がり、破片の雨となって古城の前庭へ降り注ぐ。土埃が濛々と立ち込め、月明かりを一瞬だけ遮った。もはやノックなどという生易しい表現の範疇にはない、完全なる破壊だった。門番のように立っていた石像も、爆風の余波で頭部から真っ二つに割れて崩れ落ちた。
「よし!」
リゼルは満足げに頷いた。
「よし! じゃねぇよ!」
ルドラが即座に突っ込んだ。土埃を手で払いながら、呆れた顔でリゼルを見る。
「おもいっきり目立つだろう!!」
「む」
リゼルは首を傾げた。心底不思議そうな顔だった。
「礼儀正しくノックしたつもりだったが、少し強すぎたようだな。すまんが家主に詫びておいてくれ、お義兄さん」
「なんで俺様が詫びなきゃなんねーんだよ! あとお義兄さん言うな!!」
「あはははは!」
ドゥルガーが腹を抱えて笑った。四本の腕をばたばたと振り回すほどの大笑いだった。
「まぁまぁルドラ兄ぃ。パーティは楽しくはしゃいだもん勝ちだよ!」
その言葉を証明するかのように、崩れた門の奥から、黒衣の人影が次々と湧き出してきた。物音を聞きつけた見張りと迎撃部隊が、松明を掲げ、武器を構えて雪崩れ込んでくる。尖った頭巾と、十字の紋章を刻んだ仮面に覆われた顔は、感情の一つも読み取らせない。だが、武器を握る手の強張りと、僅かに乱れた足並みが、動揺を雄弁に語っていた。まさか正面から堂々と、しかも門ごと吹き飛ばして踏み込んでくる者がいるとは、誰も想定していなかったのだろう。
「素晴らしい」
リゼルは笑みを深めた。まるで待ちに待った来客を迎えるような表情だった。
「大歓迎だな」
「誰のせいだてめぇ!!」
「わーい! パーティ! パーティ!」
ドゥルガーが真っ先に前へ躍り出た。四本の腕が同時に構えられる。二本の三日月剣が三日月の刃紋を煌めかせ、残る二本のアビスタイトの拳甲が月光の下で鈍く輝いた。
「ルドラ兄ぃ。殺した方が多い方が勝ちだよ!」
「おい! 抜け駆けすんなディ!!」
ルドラが慌てて後を追う。
黒衣の刺客たちが左右から殺到した。ドゥルガーの二刀が唸りを上げ、迎え撃つ刺客たちの得物を次々と弾き飛ばす。
「《月牙・双閃》!」
交差した三日月剣が、三日月そのものの軌跡を描いて薙ぎ払われた。まるで舞踏でも披露するかのような、無駄のない旋回。一人の首が根元から刎ね飛び、断面から血の柱が噴き上がって夜空を紅く染める。首を失った身体は数歩よろめいてから、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。もう一人は胴を斜めに両断され、上半身と下半身が別々の方向へずれ落ちる。臓物が石畳へ零れ落ち、湯気を立てながら広がっていった。
「まだまだぁ!」
ドゥルガーは血に濡れた刃を軽く振って払うと、休まず踏み込み、今度は拳に嵌めたアビスタイトの拳甲を叩き込んだ。
「《鉄拳乱牙》!」
二本の拳甲が、剣戟の合間へ割り込むように目にも留まらぬ連打を叩き込む。一撃目が顎を粉砕し、二撃目が胸骨をへし折る。返す一撃目が腹を突き破って背中まで貫通し、続く二撃目に殴られた男は、頭部が原型を留めぬまま石壁へめり込んだ。まるで剣舞の延長のように、彼女はくるりと身を翻しながら次の獲物へ向かっていった。舞うようなその所作と、辺りに撒き散らされる血飛沫の凄惨さが、あまりにもちぐはぐで、それだけに恐ろしかった。
「負けてらんねぇな!」
ルドラもグレートソードを大きく振りかぶった。剣身が唸りを上げ、周囲の空気を圧縮していく。
「《豪断・地烈斬》!」
振り下ろされた一撃が、刺客もろとも地面ごと縦に両断した。頭頂から股間まで、寸分の狂いもなく真っ二つに割られた身体が、左右へどさりと崩れ落ちる。石畳には人の形をした深い亀裂が刻まれ、そこから噴き出した血が黒い染みとなって広がった。
「これでどうだ!」
ルドラは怯まず前進し、拾った槍を無造作に投げ捨てながら、素手のまま次の刺客へ突っ込んだ。振り上げた掌を、そのまま相手の胸へ突き立てる。
「《豪腕・岩砕撃》!」
手刀と呼ぶにはあまりにも粗暴な一撃が、鎧ごと胸郭を貫通し、背中から突き抜けた。ルドラが乱暴に腕を引き抜くと、大穴の空いた身体が力なく後ろへ倒れる。返す刀――もとい返す拳で、別の一人の側頭部を殴り飛ばした。頭部が輪郭を保てぬほど陥没し、脳漿と血が石壁に飛び散る。壁面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、崩れ落ちた石材が瓦礫の山を積み増していく。
「兄ぃ、負けてる負けてる!」
「うるせぇ! 数えてんじゃねぇよ!」
二人は競うように敵を屠っていく。ドゥルガーが優雅な剣舞で命を刈り取れば、ルドラは純粋な暴力の塊で肉体を圧し潰す。まるで戦場そのものが、二人にとっての遊び場であるかのようだった。焦げた土と、鉄と血の匂いが濃くなっていくのに、二人の表情には疲労の色すらなかった。
その様子を眺めながら、リゼルは静かに呟いた。
「ふむ、招待されたのは私なんだが」
次々と倒れていく刺客たちを見て、少し不満げに眉根を寄せる。
「君たち兄妹に独り占めされてしまうな。どれ、ここは大罪魔法でも一発――」
「リゼル、てめぇ馬っ鹿じゃねーのか!?」
ルドラが即座に振り返り、怒鳴った。振り上げていた拳を止め、こちらへ向き直る余裕すらあった。
「セレスティア様は捕らえられたまんまで、そんな大魔法ぶちかますな馬鹿やろう!!」
「そーだよリゼル!」
ドゥルガーも刺客を殴り飛ばしながら叫んだ。
「リゼル、先に行っていいよ! こっちはあたしとルドラ兄ぃで全部やっとくから!」
その一言に、リゼルの表情が凍りついた。まるで時が止まったかのような沈黙が、一拍だけ流れた。
「ぬ! ディ!」
リゼルは血相を変えてドゥルガーを指差した。
「それは死亡フラグだ! 口にするな!!」
「しぼうふらぐ? 何それ?」
ドゥルガーが、殴打の合間にきょとんとした顔で聞き返す。手は止めていないが、その表情には純粋な疑問符が浮かんでいた。
「戦いの場において絶対口にしてはならない呪いの言葉だ」
リゼルは重々しく告げた。
「君がそれを口にした以上、私は嫁を守るために、君たちのターンを奪うことに決めた」
「たーんを奪う?」
ルドラが、話について行けないという顔で聞き返した。
「つまり――こういうことだ」
リゼルの両手が天へ掲げられた。膨大な魔力が渦を巻き、空気そのものが唸りを上げる。夜空の星々の光すら、その魔力の圧に飲まれて薄れて見えるほどだった。
「《大罪魔法・憤怒――サタンの果実》」
魔界における最高位魔法《大罪魔法》の一つ。魔界の最高峰である七魔公でさえ、習得を公言しているのはたったの3人だ。
上空に、無数の巨大な赤黒い「果実」が出現する。脈動するようにどくどくと膨張しながら、それぞれが夜空を埋め尽くしていく。表面に幾筋もの亀裂が走ったかと思うと、その隙間から灼熱の光が漏れ始めた。まるで、内側に太陽の欠片でも詰め込まれているかのようだった。
だが、リゼルはその一つ一つの軌道を、寸分の狂いもなく計算していた。城の奥、セレスティアが囚われているであろう一角にだけは、決して落とさない。あくまで前庭とその周辺、まだ戦っている刺客たちの頭上にのみ狙いを定めていた。
果実が、一斉に地上へ落下する。
着弾と同時に、凄まじい大爆発が連鎖した。
衝撃と熱風が吹き荒れ、崩れかけていた城壁の一部までもが轟音を立てて崩落した。石材が空高く舞い上がり、しばらくしてから雨のように降り注ぐ。業火に飲まれた刺客たちの身体は、逃げる間もなく黒く焼け爛れ、いくつかは原形すら残さず塵と化していった。残っていた刺客たちは、ルドラとドゥルガーが仕留めた分を差し引いても、なお十分すぎる数がまとめて薙ぎ払われていた。焼け焦げた肉の匂いが、夜風に乗って辺り一帯に広がる。
「悪魔は怒りに燃えてお前たちの元へ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである」
「え? リゼル? 急にどうしちゃったの? それに、それ、なに?」
「新約聖書の『ヨハネの黙示録』かーー」
リゼルはドゥルガーの問いに答えない。ただただ、目の前に広がる地獄の光景が、リゼルにはたまらなく愉快で心地良かった。大切な存在が奪われてしまうかもしれないあの日の恐怖。今度はーーきっと耐えられないだろう。だからこそ、逆に今度は自分が明確に奪う側に立っていることを認識でき、リゼルははち切れんばかりの喜びを抑えられなかった。
「ククク……あはははは……はーはっはっはっはっ!! ざまぁーみろ!! 私からディを奪う可能性を、根こそぎ焼き払ってやったぞ!!」
「あー!! リゼルずるーい!!」
ドゥルガーが地団駄を踏んだ。燃え盛る炎を背に、心底悔しそうな顔だった。
「てめぇ、いい加減にしろよ!!」
ルドラが炎の余波を避けながら、これまでで一番の怒声を上げた。声には、本気の苛立ちが滲んでいた。
「大罪魔法だと!? セレスティア様まで巻き込んだらどうすんだ!!」
「安心しろ。母上の魔力反応は捕捉している。着弾範囲からは外した」
「だったら先に言え馬鹿野郎!!」
「いや」
リゼルは涼しい顔で答えた。
「ディが呪いの言葉を口に出したのでな。死亡フラグをへし折ってやっただけだ」
「だからそれなんだよ!?」
燃え盛る前庭を背に、三人の押し問答はしばらく続いた。夜空に立ち上る黒煙と、崩れた城壁の隙間から漏れる炎の光が、その光景をいっそう異様なものに見せていた。
ひとしきり言い合った後、リゼルは満足げに頷き、居住まいを正した。
「残念だが、2人ともここから先は招待状がないと入れない。悪いが、君たち2人でパーティを楽しんでくれたまえ」
「おぉ、任せておけ!」
ルドラがグレートソードを担ぎ直し、獰猛に笑う。
「お前にたくさん料理喰われちまったからな! 腹が減って仕方ねぇとこだったぜ!」
「うん、そうだね! ここはあたしたーー」
言い終わるより早く、リゼルの背に黒い翼が広がった。羽ばたき一つでふわりと浮き上がり、ドゥルガーと目線を合わせる高さまで一瞬で移動すると、その唇を指先でむにっとつまみ上げた。
「んむ、んーっ!?」
「ディ……それは呪いの言葉だ。最後まで言わせん」
リゼルはつまんだ唇を放さないまま、真剣な顔で告げた。
「君は私の嫁なんだぞ」
「……ん、ごめんね。リゼル」
解放されたドゥルガーは、唇を擦りながら、しゅんとしたように肩をすくめた。だが、それも一瞬だった。
「じゃあさ、ここはあたしとルドラ兄ぃの遊び場だから、今日はリゼル仲間はずれだよ!」
「素晴らしいよ、ディ。愛している❤︎」
「えへへへへ……あたしも愛してる❤︎」
「お前ら、そんくらいにしとけよ!」
ルドラが、迫る刺客の一人を殴り飛ばしながら怒鳴った。
「リゼル、てめぇはさっさとお友達と遊んでこいや!!」
「そーだね!」
ドゥルガーも三日月剣を振るいながら、明るく続けた。
「あとで、あたしたちにも、そのメリュジーヌちゃん? 紹介してね!」
「あぁ。もちろんだとも。君たちとは必ず仲良くなれる」
リゼルは、ルドラを一瞬だけ見つめた。何かを確かめるような、それでいて満足したような一瞥だった。それから踵を返し、二人を残して崩れた城の奥へと入っていく。
その背を追うように、遠い記憶の残響が耳の奥で響いた。
『だーかーらーよぉ、メル! てめぇのやり方だと俺様に出番ねーだろーが!!』
『うるさいわよぉ、筋肉ダルマ。わたくしの毒の方が効率よくあの国を滅ぼせるのよぉ? あんた脳みそ筋肉だから。分からないかしらぁ? ねぇ、リゼルちゃん?』
『いや、2人とも働いてもらう。君たちにはたっぷりと経験値を稼いで貰わんとな』
パンデモニウム・オンライン時代の、幻聴のような記憶だった。あの頃も、こうして誰かと誰かの間に立ち、無理やり丸く収めていたことを思い出す。今も昔も、自分のすることは変わっていないらしい。
「さぁ行くぞ、メリュジーヌ!」
リゼルは声を張り上げた。誰もいないはずの廊下に、その声だけが響いていく。
「お前がお前である限り、お前は私のものだ!! あーはっはっはっ!!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リゼルの物語をもう少し見届けてみたいと思っていただけましたら、ブックマークしていただけますと、とても励みになります。
彼女はまだ――踏み躙る側へと歩き始めたばかりです。




