Ver.2 Poison Chapter 4-4 戦争の時間だ
お待たせいたしました。
母を奪われ、友を奪われ――
どうやらリゼルにとって、ここから先は「救出」では済まないようです。
それでは――戦争の時間です。
夜のアーシュラ侯爵家。
その広大な訓練場には、こんな時間になっても篝火が焚かれていた。夜風に煽られた炎が不規則に揺れ、砂地の上に伸びる幾つもの影を絶えず歪ませている。
砂地には、グレートソード、ヘビーアックス、槍、盾、三日月剣といった様々な武器が突き立てられている。いずれも子供用の玩具ではない。刃こそ潰されているが、重量も重心も実戦用とほとんど変わらない。手入れの行き届いた刃は、篝火の光を受けて鈍く光っていた。
武門貴族アーシュラ家に、子供だからという理由で軽い武器を持たせる習慣はなかった。生まれた瞬間から、この一族にとって武とは呼吸と同じくらい当たり前のものだった。
その中央で、二つの影が激しくぶつかっていた。
「ルドラ兄ぃ、まだまだぁ!」
ドゥルガーの2本の三日月剣が、左右からルドラへ襲いかかる。刃が空気を裂く音が、二重、三重に重なって響いた。
4本の腕。そのうち2本で三日月剣を操り、残る2本にはメリケンサック。斬撃を防げば拳が飛び、拳を避ければ反対側から刃が迫る。11歳とは到底思えない連撃が、砂埃を巻き上げながらルドラへ殺到した。
「そんなもんかよ、ディ!」
ルドラはグレートソードを横薙ぎに振るった。重い刃が空気を割る音が、砂地の上に低く響いた。
重い剣身が2本の三日月剣をまとめて弾き飛ばし、ドゥルガーの小さな身体が砂地を滑る。
「もう! ルドラ兄ぃ、本気出しすぎ!」
「本気出さねぇと、お前すぐ調子に乗るだろうが!」
「じゃあ、もっとやる!」
「来いや!」
ドゥルガーが地面を蹴る。踏み込みの勢いだけで、砂が舞い上がるほどの力だった。
ルドラも笑った。二人の間には、傷つけ合うつもりなど微塵もない、純粋な高揚だけがあった。
1年前、二人はリゼル・ノクス・ヴァルクロアに敗れた。
12歳の神童ルドラと、10歳の天才ドゥルガー。二人がかりで挑み――まだ4歳だった少女一人に叩き伏せられた。あの日の記憶は、今でも鮮明に二人の中へ焼き付いている。
悔しかった。腹も立った。だが、それ以上に面白かった。自分たちより遥かに小さな身体から放たれた、桁違いの力。あれほどの高揚を、二人はそれまで知らなかった。
あの日から、兄妹は鍛え続けていた。再会は4年後、学園で。そう約束していたからこそ、会いに行くこともしなかった。焦がれるような気持ちを抑えつけ、ただひたすらに己を高めることだけに時間を注いできた。
いつかもう一度、真正面から戦うために。
その少女が――突然、目の前に現れるまでは。
「――何だ!?」
空間が裂けた。
ルドラとドゥルガーが同時に飛び退く。反射的な動きだった。危険を察知する感覚だけは、二人とも人一倍鋭かった。
何もなかったはずの訓練場の中央に、紫と黒の光が円環を描き始めた。篝火が激しく揺れ、周囲の見張りたちも一斉に武器へ手を伸ばす。空気そのものが、見えない圧力で押し潰されていくようだった。
「ルドラ兄ぃ!」
「分かってる!」
兄妹が背中合わせに構えた。互いの背を預け合うその動きに、迷いは一切なかった。
黒紫の光が膨張し、そして収束する。
その中心から、小さな少女が現れた。
「……リゼル?」
ルドラの声が掠れる。
リゼル・ノクス・ヴァルクロア。
1年ぶりに見る少女だった。記憶の中の姿と、目の前の姿が、一瞬うまく重ならなかった。
だが、格好がおかしい。
夜着の上から、急いで引っ掛けただけの上掛け。宴のために整えられていた淡い髪も、今では少し乱れている。顔色にも僅かに血の気が足りず、呼吸をするたび胸の奥には鈍い痛みが残っていた。
そして何より、身体から漏れ出している魔力が、明らかに荒れていた。普段の彼女からは想像もつかない、制御しきれていない何かがそこにあった。
「リゼル!」
ドゥルガーの顔が一気に明るくなる。警戒心も違和感も、彼女の中では一瞬でかき消されていた。
「わーい! リゼルだぁ!! 勝負しよ! 勝負!」
「待てディ! 何かおかしいだろ!」
ルドラが妹の襟首を掴んだ。妹の暴走を止められるのは、いつだって自分しかいないと分かっているからだった。
「こんばんは、お義兄さん」
リゼルは、丁寧に頭を下げた。貴族令嬢らしいカーテシーではない。腰から折るような、前世の日本人らしい律儀なお辞儀だった。この状況にはあまりにも不釣り合いな、妙に礼儀正しい挨拶だった。
「誰がお義兄さんだ! 誰が!」
「ディは私の嫁だからな。必然的にお前はお義兄さんになる」
「へへへ」
ドゥルガーが胸を張る。誇らしげな仕草だった。
「あたしも11歳になったし、リゼルになら嫁いでもいいかもなぁ」
「お前ら女同士だろ! しかもリゼル、てめぇはよんさ――」
ルドラの顔が固まった。言いかけた言葉の危うさに、自分自身で気づいたらしい。
「……やべぇ。逃げるぞ、ディ」
「え?」
妹の首根っこを掴み、そのまま走り出す。
だが、遅い。
黒紫の穴が一瞬だけ開き、次の瞬間にはリゼルが二人の進路上へ移動していた。距離を測る間すら与えられなかった。
笑っていた。
ものすごく、いい笑顔だった。それだけに、逆らいがたい圧力があった。
「それで?」
「……はい」
「5歳の私の誕生日に来なかった申し開きを、聞いてやろうか」
「い、いや……」
ルドラが目を泳がせる。
「再会は学園でって言ってたじゃねぇか!」
「そ、そうだよ!」
ドゥルガーも兄へ続いた。
「4年後の学園でって! あたしたち、ずっとそのつもりで――」
「お前らが来なかったせいで」
「「はい」」
「カルガ閣下とマヒーシャ様が、私の部屋を木っ端微塵にした」
「「…………は?」」
兄妹の顔が揃って止まった。予想もしていなかった単語の羅列に、思考が追いつかない様子だった。
「親父殿とお袋殿が?」
「とと様とかか様が?」
「ああ」
「なんで?」
「説明すると長い」
「聞きてぇ」
「私も!」
「なら簡潔に話す」
リゼルは息を吸った。
「私の誕生日会で父上を狙った毒杯事件が起きた。私が毒を飲んだ。私の友達が事件に巻き込まれた。母上が攫われた。巨大なヒュドラーが出た。カルガ閣下とマヒーシャ様が暴れた」
そこで一度切る。
「結果、私の部屋が消えた」
ルドラの肩が震えた。堪えきれない何かが、その身体の奥からせり上がってくるようだった。
「ぶっ……」
「笑うな」
「親父殿とお袋殿、何やってんだよ! あーっはっはっはっは!」
抑えが効かなくなったように、腹を抱えて笑い出す。
「とと様とかか様大暴れしたの!? いいなぁ! やっぱり行きたかったぁ!」
ドゥルガーも同じく、心底楽しそうに声を上げた。
「笑い事ではない!!」
二人がぴたりと止まる。リゼルの一喝には、それだけの威力があった。
「「さぁーせんしたぁ」」
綺麗に頭を下げた。息の合った謝罪の仕方だけは、さすが兄妹と言うべきだった。
「まったく……」
リゼルは呆れながら二人を見る。
そして、ふと意識を集中させた。
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【ステータスウィンドウ】
名前:ルドラ・ザン・アーシュラ
種族:アスラ族
身分:アーシュラ侯爵家 次男
年齢:13歳
レベル:3,040
生命力:58,000
魔力量:11,000
筋力:8,100
耐久:6,800
敏捷:6,000
知力:700
精神:3,600
統率:2,000
政治:100
礼法:280
忠誠適性:アーシュラ家に対し絶対的
主要適性:6腕武術/近接格闘全般/対多数戦闘/直感的戦況判断
危険度評価:最上位
敵対意志:なし
備考:13歳にして、当主カルガをも凌ぐ筋力値を持つ。知力・政治は依然として著しく低いが、戦闘に関する直感的な判断力は、この1年でさらに研ぎ澄まされている。武を尊ぶ一族の中でも、規格外の神童。
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(ルドラほどの男が、1年で300か……)
1年前は2,740。数字を並べただけの、無機質な事実。だが、その裏側には確かに、この1年間の積み重ねがある。
確実に強くなっている。それでも、ゲームだった頃のように経験値を稼げば際限なく伸びていくわけではない。頭では分かっていたつもりだったが、こうして実際の数字を突きつけられると、改めて実感させられるものがあった。
(やはり、この世界は何もかもが『パンデモニウム・オンライン』と同じというわけではないのだな)
そして、隣へ視線を移す。
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【ステータスウィンドウ】
名前:ドゥルガー・ザン・アーシュラ
種族:アスラ族
身分:アーシュラ侯爵家 次女/侯爵家第二剣闘士・戦闘教練担当見習い
年齢:11歳(デビュタント前)
レベル:2,300
生命力:19,800
魔力量:8,100
筋力:4,700
耐久:4,400
敏捷:5,500
知力:1,700
精神:2,500
統率:1,100
政治:370
礼法:1,550
忠誠適性:兄ソーマ・兄ルドラへの敬愛、非常に高い
主要適性:二刀流(三日月剣)/メリケンサック/体術全般/闘技適性
危険度評価:高(同年代比で著しく突出)
敵対意志:なし
備考:デビュタント前にして、この1年でレベルを倍近くまで伸ばした急成長株。裏表のない性格は変わらず、強者を心から尊敬する姿勢も健在。
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リゼルは、ドゥルガーの数値を上から下まで眺めた。一行ずつ確かめるように、じっくりと。
(うむ。さすがは私の嫁だ。すごく頑張っているな、ディ)
この1年で、レベルは1,000も上がっている。もともとの数値が違うとはいえ、ルドラを遥かに上回る伸び方だった。4本の腕を使った戦闘も、先ほど一瞬見ただけで、1年前より明らかに鋭くなっている。動きの一つ一つに、以前にはなかった無駄のなさが宿っていた。
(だが、まだまだ足りない。もっと頑張れ!)
そんなことを考えながらじっと見ていると、ドゥルガーが不思議そうに首を傾げた。
「何であたし見てニヤニヤしてるの?」
「気にするな」
「変なの」
リゼルは改めて、ドゥルガーの4本の腕と鍛えられた身体を眺めた。日々の鍛錬の跡が、隅々にまで刻まれている。
(……しかしディ。やはり、どことなくサ◯ヤ――いや、やめておこう)
「リゼル?」
「何でもない。月だけは見るなよ」
「なんで!?」
「気にするな」
「すっごい気になるんだけど!」
リゼルはそれには答えなかった。
先ほどまで僅かに残っていた笑みが消え、赤紫の瞳がまっすぐ兄妹へ向けられる。声の調子が変わっただけで、ルドラもすぐに表情を改めた。空気が張り詰め、篝火の爆ぜる音だけが妙にはっきりと聞こえた。
「――それより二人とも。手を貸してくれ」
「何があった」
今度は冗談ではなかった。
リゼルも、余計な言葉を挟まなかった。
「母上が攫われた。それと――私の友達も連れて行かれた」
ルドラの表情から、最後の笑みが消えた。
ドゥルガーも目を見開く。
「セレスティア様が?」
「ああ」
「誰に」
「モルテ・ネラ」
ルドラの目つきが変わった。獣が獲物を前にした時のような、静かな鋭さが宿る。
「……暗殺屋か」
「知っているのか?」
「名前くらいはな。どこだ」
「ベルルカリス領の古城だ」
リゼルはそこで一度言葉を切り、二人を見た。夜風が三人の間を吹き抜け、篝火の炎を大きく揺らした。
「それと――カルガ閣下とマヒーシャ様から、お前たちを連れて行けと言われている」
「親父殿とお袋殿から?」
「ああ。《アビスゲート》が使えるなら、ルドラとディを借りろ、とな」
ルドラの6本の腕が僅かに動き、ドゥルガーの顔は一気に明るくなった。
「かか様が、あたしを!?」
「ああ」
「名指しで!?」
「名指しで」
「――やった!」
4本の拳を同時に握り締める。全身から溢れる高揚を、抑えるつもりもないようだった。
「かか様からのお仕事だ!」
「仕事じゃねぇだろ、ディ」
「似たようなもんじゃん!」
「違ぇよ」
そう言いながら、ルドラは地面へ突き立てていたグレートソードを引き抜き、そのまま肩へ担いだ。刃先に付いた砂が、月明かりの下でぱらぱらと零れ落ちる。
「親父殿とお袋殿がそう言ってんなら、話は早ぇ」
「私も行く!」
「お前は最初から数に入ってんだろ」
「そっか!」
ドゥルガーは嬉しそうに三日月剣を握り直した。刃を確かめるように、軽く手首を返す。
「セレスティア様を攫った奴らなんて絶対許さない! それに、リゼルのお友達なら、あたしのお友達だよ!」
「ダチのダチなら、こっち側だ」
ルドラが牙を見せる。獰猛な、それでいてどこか嬉しそうな笑みだった。
「上等じゃねぇか。行くぞ」
「待て」
「あ?」
「話は最後まで聞け」
今にも走り出しそうな兄妹を、リゼルが片手で制した。
「招待状は父上宛てだ。奴らの目的は私ではない。母上を餌にして、父上を誘き出すつもりでいる」
「オルディアス大侯爵を?」
「ああ」
ルドラの目が細くなる。
「じゃあ、これは最初から大侯爵を殺すための罠ってことか」
「その可能性が高い」
「なのに、お前が行く?」
「だから行く」
リゼルは即答した。迷いのかけらもない声だった。
「父上は既に、必要な命令を出している。屋敷の封鎖。転移痕跡の追跡。ノクタール侯爵の拘束。そして軍の編成と、ベルルカリス領の古城の調査。大侯爵として必要な手は、既に打っている」
「……お前、親父置いて先に来たのかよ」
「そうだ」
「相談もせずに?」
「相談している暇などない。それに、父上へ話せば止められる」
「だから黙って出てきたのかよ」
「ああ」
「オルディアス閣下に止められなかったのかよ?」
「もちろん止められた。だが、シカトしてやった」
リゼルは平然と答えた。
「まぁ、早めの反抗期というヤツだ」
「反抗期って、お前何歳だよ!?」
「5歳だ……友達が祝いに来てくれなかったがねぇ……」
「だからごめん! リゼル!!」
ドゥルガーが4本の腕を同時に合わせ、拝むような仕草で謝罪の意思を示した。
ルドラは呆れたようにリゼルを見下ろした。その視線には、呆れと同時に、隠しきれない感嘆も混じっていた。
「……ほんっと勝手だな、お前」
「今さら気づいたのか?」
一瞬の沈黙のあと、ルドラが吹き出した。
「はっ。違ぇねぇ」
リゼルも僅かに口角を上げる。
「父上には父上のやるべきことがある」
赤紫の瞳が、夜の向こうへ向けられた。遠くの山影の彼方、まだ見ぬ古城を見据えるように。
「私は、私の戦をする」
「なるほどな」
ルドラは牙を見せた。
「敵が待ってんのは、お前の親父だ」
「そうだ」
「お前じゃない」
「ああ」
「ましてや、俺様たちなんか呼んでもいねぇ」
「その通りだ」
「なら――」
ルドラの6本の腕が動き、グレートソードの柄を握り直した。
「勝手に行っても文句はねぇよな」
「そういうことだ」
「なんか楽しそう!」
「遊びに行くんじゃないぞ、ディ」
「分かってるよ!」
ドゥルガーは頬を膨らませたが、その4本の手は既に戦いへ向けて武器を確かめていた。口とは裏腹に、身体は正直だった。
ひと通り話を終えたところで、リゼルはふと思い出したように首を傾げた。先ほどまで母とメリュジーヌの救出について話していた時とは明らかに違い、その赤紫の瞳には僅かな期待が浮かんでいる。
「そういえば――ソーマ様は?」
「ソーマ兄ぃなら仕事だ」
ルドラが答えた。
「王都の治療院に呼ばれてる。ソーマ兄ぃは回復魔法と治癒術の専門家だからな。難しい症例や重傷者が出ると、しょっちゅう駆り出されるんだよ」
「ソーマ兄ぃ、最近すっごく忙しいんだよ」
ドゥルガーも4本の腕を腰に当てながら頷いた。
「この前も帰ってくるの遅かったし。今日もたぶん、まだ帰ってこないよ」
リゼルの表情が止まった。まるで時が止まったかのように、動きが完全に凍りつく。
「……いない?」
「ああ」
しばらく何も言わない。
ルドラとドゥルガーが顔を見合わせる中、リゼルはゆっくりと俯いた。その小さな拳が、わなわなと震え始める。先ほどまでの母親を思う真剣な表情とは、また違う種類の震えだった。
「……やはり陰謀か」
「何がだよ」
「決まっているだろう」
リゼルが勢いよく顔を上げた。その目には、先ほどまでとは違う、妙に据わった光が宿っていた。
「奴らは最初から、私とソーマ様を引き離すつもりだったのだ!」
「いや、絶対違ぇだろ」
「私の誕生日会を襲撃し、母上を攫い、メリュジーヌまで連れ去った。その上、よりにもよって今日に限ってソーマ様までお仕事で不在!」
「だからソーマ兄ぃが仕事なのは、あいつら関係ねぇだろ!」
「ここまで揃って偶然なわけがない!」
「偶然だよ!」
ルドラの否定を、リゼルは完全に無視した。
「夫婦の愛を引き裂こうとしている……!」
「いや、まだ夫婦じゃねぇだろ!」
「許せん!」
リゼルの全身から黒紫の魔力が噴き上がった。地面の砂が、その圧に押されて僅かに舞い上がる。
「奴らの四肢を先にズタズタに引き裂いてやる!」
「先にって何だよ!? そのあと何する気だよ!」
「ルドラ兄ぃ」
ドゥルガーが、騒ぐ兄の服をちょいちょいと引っ張った。
「あ?」
「でも、ソーマ兄ぃもリゼルのお婿さんになったら楽しいね!」
「お前まで乗っかるな!」
「だって、リゼルが家族になるんでしょ?」
「そうだ!」
リゼルが勢いよくドゥルガーへ振り返った。その瞳には、賛同者を見つけた喜びが露骨に浮かんでいた。
「さすがディ。話が分かるな」
「えへへ!」
「分かってねぇ奴が二人に増えただけだろ!」
ルドラの叫びを無視して、リゼルはベルルカリス領の方角へ顔を向けた。夜空の彼方、遠く霞む山の稜線をじっと見据える。
母を救う。メリュジーヌを取り戻す。そして、どういう理屈なのかは本人にしか分からないが、ソーマとの愛を引き裂こうとする者たちを叩き潰す。
その三つすべてを、今夜終わらせるつもりだった。
「よし。時間を無駄にした」
「お前が勝手に喋ってただけだろ」
リゼルは聞かなかった。
「早くソーマ様にお会いするために――行くぞ、お前たち!」
「目的変わってんじゃねぇか!!」
「はーい!」
ドゥルガーだけが元気よく返事をした。
そんな二人を見ていたルドラが、深々と溜息を吐く。だが、その手は既にグレートソードの柄を握り直していた。呆れながらも、やる気だけは誰よりもあるらしい。
「……で、リゼル」
「なんだ」
「1年前、俺様はお前に負けた」
「……今それを蒸し返すのか?」
「今だからだ」
ルドラはグレートソードを肩から下ろした。刃先を地面に突き立て、その柄に体重を預けるようにして、まっすぐリゼルを見据える。
「俺様は、あの日からお前に勝つために鍛えてきた。いつか真正面からぶつかって、絶対にぶっ倒す。そのつもりだ」
「結構なことだ」
「だから」
ルドラが、リゼルを指差した。
「俺様以外の奴に、先にぶっ壊されるんじゃねぇぞ」
リゼルが瞬きをした。予想していなかった言葉に、僅かに虚を突かれたような顔だった。
「母親を攫われて、友達まで連れていかれた。冷静なつもりだろうが、今のお前、いつもよりずっと気持ち悪ぃ魔力出してるぞ」
「気持ち悪いとは何だ」
「怖いって意味!」
ドゥルガーが横から口を挟んだ。
「あたしも今のリゼル、ちょっと怖い」
「お前まで……」
「だから、一緒に行く」
ルドラは笑った。牙の覗くその笑みには、これまでとは違う、確かな覚悟が滲んでいた。
「俺様以外の奴に負けんな。それだけだ」
「ルドラ兄ぃ、あたしも!」
「ディは好きに暴れろ」
「うん!」
リゼルは二人を見た。夜風が、三人の間をゆっくりと通り過ぎていく。
「……傲慢だな」
「お前に言われたくねぇ」
「確かに」
先ほどまで荒れていたリゼルの魔力が、ほんの少しだけ静まった。目に見えない圧力が緩んだことに、周囲の空気そのものが緩んだような気さえした。
それを指摘する者はいない。ルドラもドゥルガーも武器を握ったまま、ただリゼルの次の言葉を待っている。
「行くぞ」
「おう」
「うん!」
リゼルが地面から浮かび上がった。足元の砂が、軽く舞い上がって散った。
そのまま数メートル進む。
だが――後ろから誰も来ない。
不審に思って振り返れば、ルドラとドゥルガーは先ほどとまったく同じ場所に立っていた。二人とも、なぜか妙に気まずそうな顔をしている。
「何をしている」
「…………」
「行くぞ」
「…………」
「ルドラ?」
「あー……」
ルドラが視線を逸らす。
「その、な」
「ルドラ兄ぃ」
「言うな、ディ」
「言わなきゃ分かんないじゃん」
「まさかとは思うが」
リゼルの目が細くなる。
「お前たち――《フライ》は?」
「…………」
「使えねぇ、と?」
「……おう」
リゼルの魔力が止まった。訓練場の空気そのものが、一瞬だけ完全に静止したかのようだった。
「お前ら上位魔族だろうが!!」
怒声が訓練場に響いた。
「アスラ族だろうが! なんで基礎中の基礎の飛行魔法を、この歳になって使えないんだ!」
5歳の小さな身体が、空中で両手足をばたつかせる。その必死さと勢いは、傍から見ればどこか滑稽でもあった。
「さてはお前ら――座学をサボっているな!?」
「…………」
「…………」
兄妹が同時に目を逸らした。
そして、同じ角度で口笛を吹く。息の合ったその仕草だけは、なぜか見事なほど揃っていた。
「もういい」
「待て」
「お前たちとの再戦はない」
「待て待て待て!」
「さらばだ、友よ」
リゼルの足元に《アビスゲート》が開く。渦を巻く光が、彼女の輪郭を少しずつ呑み込んでいく。
「ちょっと待ってぇ!!」
ドゥルガーが4本の腕を振った。
「ルドラ兄ぃ! ちゃんと謝って!」
「なんで俺様だけなんだよ!」
「ルドラ兄ぃの方がサボってるじゃん!」
「お前だって教室来てねぇだろ!」
「ルドラ兄ぃが誘うからでしょ!」
「俺様のせいにすんな!」
「そうか。さらばだ」
「待てっつってんだろ!!」
リゼルの輪郭が半分ほど消える。光の中に溶けていくその様子に、二人の焦りが一段と増した。
「ルドラ兄ぃ!」
「分かった! 分かったよ!」
ルドラが叫んだ。
「勉強する! ちゃんとやる!」
「《フライ》も?」
「覚える!」
「ディも?」
「覚える! ちゃんとお勉強する!」
光が止まった。
「よろしい」
「てめぇ……最初から待ってただろ」
「何のことだ?」
「その顔やめろ!」
リゼルは《アビスゲート》を閉じた。何事もなかったかのように、その表情はもう平然としていた。
「まあ、今から覚えろとは言わん。今回は私が運ぶ」
リゼルが両手を伸ばす。
魔力が二人の身体へ絡みつくと、足元の砂が僅かに沈んだ。次の瞬間、ルドラとドゥルガーの身体が、そのままふわりと宙へ持ち上がる。
「お?」
「わっ!」
「飛んだ!」
「浮いてる! ルドラ兄ぃ、浮いてるよ!」
「見りゃ分かる!」
ドゥルガーが空中で身体を捻る。無重力に近い浮遊感に、はしゃぐのを抑えられないらしい。
「おおー!」
「ディ、暴れるな」
「宙返りできるかな?」
「やめろ」
「えいっ!」
「落とすぞ」
「やめます!」
即座に姿勢を正した。
「では余計な動きをするな。二人とも私の魔力制御下にある」
「へいへい」
「はーい!」
三人の身体が、さらに高度を上げていく。
屋敷の屋根が小さくなり、訓練場の篝火が遠ざかる。山々の向こうには、夜の魔界が果てしなく広がっていた。星々の光が、地上の灯りよりもよほど鮮明に瞬いている。
その先にあるのは、ベルルカリス領。
忘れられた古城。
そこに母がいる。メリュジーヌがいる。そして、自分が来るはずがないと思い込んでいる者たちがいる。
「ルドラ。ディ」
「あ?」
「なぁに?」
リゼルは前を向いたまま告げた。夜風が前髪を揺らし、赤紫の瞳だけが変わらず前方を見据えている。
「敵は殺す」
ドゥルガーの笑みが消えた。
ルドラも何も言わない。
ほんの一瞬だけ、三人の間から言葉が消え、吹き抜けていく風の音だけが耳を打った。夜空を切る音だけが、やけに大きく聞こえた。
やがて――ルドラが牙を見せた。
「上等」
6本の拳が握られる。関節の鳴る音が、風の中に紛れて響いた。
「道は俺様が開ける。お前はセレスティア様と友達を取り返せ」
「あたしは?」
「ディは好きな奴を殴れ」
「分かった!」
ドゥルガーの顔に、いつもの明るい笑顔が戻った。
「悪い奴、いっぱいぶっ殺すね!」
満面の笑顔だった。
あまりにも屈託がない。太陽のような、裏表のない笑顔でありながら、その言葉にも表情にも一切の迷いがなかった。
リゼルは横を飛ぶドゥルガーを見て、満足げに頷いた。
(さすがは私の嫁だ。頼もしいこと極まりない)
この状況で、これほど躊躇なく戦意を漲らせられる者はそういない。
「まあいい」
「何が?」
「何でもない」
リゼルは魔力を強めた。
三人の速度が、一気に跳ね上がる。風が耳元で唸り、視界の端で星々が長く尾を引いた。
黒い夜空を、三人の影が駆け抜けていく。母を取り返すため。友を取り返すため。そして、自分たちから奪った者へ、その代償を支払わせるため。
リゼル・ノクス・ヴァルクロア。
ルドラ・ザン・アーシュラ。
ドゥルガー・ザン・アーシュラ。
後に魔界を震わせることになる三人の怪物は、この夜初めて、同じ敵を倒すため、同じ戦場へ向かっていた。
招待されたのは、オルディアスただ一人。
だからこそ、敵はまだ知らない。
その招待状を無視して、5歳の大侯爵令嬢が二人のアスラ族を引き連れ、自分たちの喉元へ向かっていることを。
その頃、ヴァルクロア大侯爵邸では、オルディアスが出した命令によって、すでに多くの者たちが動き始めていた。屋敷の封鎖、転移痕跡の追跡、ノクタール侯爵の拘束、軍の編成、そしてベルルカリス領の古城の調査。妻を奪われた大侯爵として、オルディアスはリゼルが屋敷を出るより前に、打てる手を既に打っていた。抜かりのない、大侯爵としての完璧な初動だった。
本来ならば、その後も彼自身がすべての中心に立つはずだった。
ところが当の本人は現在、カルガ、マヒーシャ、そしてメアとともに――リゼルが屋敷を飛び出した後に現れたメリッサ・ハウゼンによる、地獄の稽古の真っ最中である。当然、先に屋敷を出たリゼルがそんなことを知るはずもなく、逆にオルディアスもまた、5歳の娘が二人のアスラ族を引き連れ、敵の根城へ向かっていることなど知る由もなかった。
父は父で、想定外の地獄の中にいる。
その間にも、父が出した命令によって軍は動き、追跡班は走り、ヴァルクロア大侯爵家そのものは既に戦時の態勢へと移りつつあった。歯車は確かに、正しい方向へ回り始めている。
ただし、そのどれよりも早く――娘はもう、夜空を駆けている。
招待状は父へ届いた。
だが、戦場へ向かったのは娘だった。
これは――彼の娘が勝手に始めた戦争だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
招待状を受け取ったのは父。
けれど、戦場へ向かったのは娘でした。
そして次回――ベルルカリス領の古城へ。
ルドラとドゥルガーを引き連れ、いよいよリゼルが敵陣へ乗り込みます。
どうやら今回は、少々派手な魔法を使うつもりのようです。
次回――『サタンの果実』
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです。




