↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/81

Ver.2 Poison Chapter 3-1 はじめまして、私の仲間

今回は、リゼルにとって少し特別な出会いのお話です。


まだ彼女は知らない。

けれどリゼルは、もう知っている。


蛇の姫との、少し変わった「はじめまして」です。

 ヴァルクロア大侯爵家の大広間は、魔界貴族たちの笑顔で満ちていた。もっとも、その笑顔のすべてが純粋な祝福とは限らない。魔界の貴族社会において、笑顔とは礼節であり仮面であり、時として剣よりも鋭い武器となる。派閥、婚姻、利害、権力。何気ない立ち話一つでさえ、次代の家門同士の関係へ繋がっていく。


 だが、今日ばかりは少なくとも表向き――祝いの席である。魔晶石の柔らかな灯り、赤黒い絨毯、巨大なシャンデリア。楽団の旋律は客人たちの会話を邪魔せぬ程度に抑えられていた。


 その中心には、本日の主役である二人の令嬢がいる。12歳となった長女、エルミナ・ノクス・ヴァルクロア。そして、5歳となった次女、リゼル・ノクス・ヴァルクロア。


「エルミナ様。本日は誠におめでとうございます」


「ありがとうございます。こうして足をお運びいただけましたこと、心より嬉しく思います」


 エルミナは完璧だった。微笑み、礼をして、祝いの言葉へ応える。それだけならば貴族令嬢として教育を受けていれば誰にでもできる。だが、エルミナは相手そのものを見ていた。それらすべてを計算しているようには見せず、自然にやってのける。


(相変わらずだな、姉上は)


 隣に立つリゼルは、姉の横顔を盗み見ながら内心で呟いた。


「リゼル様も、5歳のお誕生日、誠におめでとうございます」


「7つ年の離れた姉妹が同じ日にお生まれになるとは。まさにヴァルクロア家へ与えられた祝福でございますな」


「ええ。姉上と同じ日に生を受けましたこと、私も誇らしく思っております」


 リゼルはにっこりと、実に愛らしく笑った。


「まあ!」「なんとお可愛らしい」「さすがはヴァルクロア大侯爵閣下の御息女ですな」


(よくもまあ、次から次へと同じような言葉を思いつくものだ。これで何人目だ?)


 15人を超えた辺りから、数えることすらやめている。もっとも、そんなものを顔へ出すほどリゼルも馬鹿ではない。笑顔、角度、声、礼。そのすべてを大侯爵令嬢として完璧にこなしていく。


 その半歩後ろでは、メア・ナイトが静かに控えていた。以前ならば緊張が身体へ現れていたはずだが、今は違う。一見すれば行儀のよい侍女にしか見えない。だが、その目は大広間の出入口、客人の手元、僅かな魔力の揺らぎまで拾っている。


(本当に変わったな)


 メリッサ・ハウゼンの稽古を受け始めてから、まだ半年にも満たない。それだけでここまで変わった。メア・ナイト――レベル1,310。


 リゼルは、ふと姉の背後――エルミナに控える二人の従者、ゼノヴィアとミラベルへ視線を向けた。


(そういえば……)


 メアの急成長を目の当たりにした今、少々気になる。


【ステータスウィンドウ】


名前:ゼノヴィア

種族:黒斑獣人族(ザグレム種)

身分:ヴァルクロア大侯爵家 エルミナ付き侍女

年齢:15歳

レベル:1,255

生命力:12,600

魔力量:3,400

筋力:1,340

耐久:1,520

敏捷:2,850

知力:820

精神:1,760

統率:310

政治:190

礼法:1,120

忠誠適性:測定不能

主要適性:爪撃戦闘/跳躍術/夜目/嗅覚追跡/威嚇/近接戦闘/毒耐性/護衛/侍女作法

危険度評価:高

敵対意志:なし

備考:近接戦闘および対象追跡に極めて高い適性を持つ。特に敏捷性と瞬発力に優れ、主人エルミナへの脅威に対して極端な反応を示す。


(相変わらず、分かりやすいな)


 筋力、耐久。爪と牙を軸にした近接戦闘。真正面から敵を引き裂き、主へ近づけさせない。ゼノヴィアらしい能力構成だった。忠誠適性が測定不能というのも、もはや驚くほどでもない。


 続いて、ミラベル。


【ステータスウィンドウ】


名前:ミラベル

種族:アルラウネ族

身分:ヴァルクロア大侯爵家 エルミナ付き侍女

年齢:14歳

レベル:1,180

生命力:10,880

魔力量:21,600

筋力:760

耐久:1,090

敏捷:1,420

知力:1,640

精神:2,010

統率:420

政治:280

礼法:1,580

忠誠適性:測定不能

主要適性:植物操作/幻惑花粉/索敵/魔力感知/治癒補助/遠距離支援/侍女作法

危険度評価:中~高

敵対意志:なし

備考:索敵・支援・魔力感知能力に優れる。直接戦闘能力はゼノヴィアに劣る一方、後方支援および複数対象への状況把握能力は極めて高い。忠誠適性については正常な測定値を取得できず。


(なるほど。この二人、組ませると厄介だな)


 だが、リゼルが本当に確認したかったのは、そこではない。ゼノヴィア、レベル1,255。ミラベル、レベル1,180。そして、自分の背後で控えるメア・ナイト、レベル――1,310。


(……勝ってる。ゼノヴィアより55上、ミラベルより130上。お前、いつの間に二人とも抜いた!? 私の嫁、強い!!)


 もっとも、単純な上下ではない。ゼノヴィアとミラベルは筋力・耐久や索敵・支援に秀でた戦い方で、対するメアは魔力量と精神、敏捷性を軸にした剣術と高速戦闘が持ち味だ。戦い方がまるで違う以上、レベルが上でも必ず勝てるわけではない。それでも――勝っているという事実は、リゼルにとって単純に嬉しかった。少し前まで比較にすらならなかった少女が、エルミナの側近二人をレベルで追い越したのだ。抱き締めてやりたい衝動を、辛うじて堪える。


(……後にしよう)


 その時、ゼノヴィアとメアの視線が交わった。二人とも笑っている。表面上は。


 ゼノヴィアの口元が、ほんの僅かに吊り上がった。そして客人たちから見えない腰の脇で、すっ、と中指を立てる。


 メアは怒らない。眉一つ動かさず、柔らかな微笑みすら保ったまま、同じく客人から見えない位置で親指をゆっくりと下へ向けた。声には出さない。だが、その口元だけが、微笑みの形を保ったまま小さく動く。


 ――くたばれ。


「…………っ」


 ゼノヴィアのこめかみが引きつる。だが、メアはもう見てもいない。何事もなかったかのように、主人の背後へ控えていた。


 その瞬間。


「っ……!」


 ゼノヴィアの身体が僅かに揺れた。隣に立つミラベルが、涼しい顔のまま彼女の足を踏んでいた。


「ミラ……!」


「何か?」


「お前、今……」


「何もしていないわ」


「して――」


「公式の場よ」


「…………チッ」


 リゼルは、その一部始終をしっかり見ていた。


(たくましくなった……! 以前ならこんな挑発一つで困惑していたはずが、今では涼しい顔でサムズダウンだ。嫁にして正解だったな)


 何を基準にした正解なのかは、本人にもよく分からない。ただ、リゼルは非常にご満悦だった。


 そもそも今日の誕生日会など、少し前までは中止してしまえと本気で思っていたのだ。ルドラも来ない。ドゥルガーも来ない。そして何より、ソーマまで来ない。あの時は自分が死んだとでも伝えてしまえと父へ迫ったほどだった。


 それが今は違う。理由は一つ。


(メル……!)


 メリュジーヌ・リュシエンヌ・ノクタール。本来ならば、もっと後になって出会うはずだった少女。黒瀬真璃亜だった頃、何度も画面越しに見た仲間。そして夢の中で見た、遥か未来の蛇髪の女。そのメリュジーヌが、今日、ここへ来る。


(10年も早く会えるなんて、誰が予想できる!)


 父オルディアスからその名を聞いた時など、思わず涙まで出た。自分からアビスゲートを開いて迎えに行こうとすらしたほどである。当然、止められた。


 祝いの言葉を受ける。笑う。礼をする。また入口を見る。その繰り返し。


(遅い……遅いぞ、ノクタール侯爵家!)


 もちろん、実際には予定の到着時刻を一秒たりとも過ぎていない。完全なる言い掛かりである。


 そして、ようやく。


「ノクタール侯爵閣下、ならびにメリュジーヌ・リュシエンヌ・ノクタール様、ご到着にございます」


「――っ!」


 来た。


 リゼルの赤紫の瞳が、一瞬で大広間の入口へ向いた。


 ノクタール侯爵家。ヴァルクロア大侯爵家の派閥に属する名門。薬学、毒学、解毒、秘薬、魔導薬、疫病への対処。その分野において、魔界でも名を知られた家門である。


 入口から一人の男が歩み入ってくる。セルパン・アルカード・ノクタール。ノクタール侯爵家当主。華美な装飾は少ないが、一目で上級貴族だと分かる衣装を纏い、落ち着いた足取りで大広間へ進んでくる。


 そして、その隣を一人の少女が歩いている。


「…………」


 リゼルの呼吸が止まった。


 メリュジーヌ・リュシエンヌ・ノクタール、10歳。父より半歩だけ後ろを歩く少女は背筋を伸ばし、纏うのは深い紫と黒を基調とした、幾重にも層を重ねたドレスだった。喪の帷のような薄布のヴェールを頭から纏い、艶やかな紫石をあしらった薔薇の髪飾りと、繊細な金の鎖細工が全身を彩っている。侯爵令嬢としての格式を示すには十分すぎるほど豪奢な装いでありながら、その黒と紫の色調のせいか、華やかというより、どこか葬列を思わせる静けさを纏っていた。


 そして、何より目を引くのは髪だった。否、蛇髪。艶やかな鱗に覆われた幾房もの蛇。それぞれが意思を持つかのように生き、静かに動いている。ヴェールの隙間から覗く蛇の一匹。その牙先には、透明な雫がひと粒、妖しく光っていた。


(メル……知っている、あの姿を。何度も見た。育てた。装備を整えた。共に戦った。未来では、私を主と呼んでいた)


 だが、ゲームの世界で友と呼んだ女とは違う。小さい。まだ幼い。そして――生きている。


(本当に……メルだ)


 胸が熱くなる。すぐにでも駆け寄りたい。名前を呼びたい。抱き締めたい。しかし、ここはヴァルクロア大侯爵家の公式な祝宴であり、自分はその主役の一人である。


(落ち着け。私は大侯爵令嬢。私は大侯爵令嬢……!)


 必死だった。


 セルパンとメリュジーヌは、そのままオルディアスとセレスティアの前へ進んだ。


「オルディアス大侯爵閣下。この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」


「よく来てくれた、セルパン」


「光栄にございます。こちらは娘のメリュジーヌにございます」


 促され、メリュジーヌが一歩前へ出た。


「メリュジーヌ・リュシエンヌ・ノクタールにございます。本日は、このような素晴らしい席へお招きいただき、心より御礼申し上げます」


 完璧だった。10歳とは思えない礼。声も柔らかい。


 だが。


(……目が違う)


 リゼルは気づいた。メリュジーヌは笑っている。しかし、その目だけは静かに周囲を測っていた。父との距離。オルディアス。セレスティア。出入口。窓。そして、少し離れた位置に立つリゼルと、その背後のメア。


(やっぱり、お前だ)


 その観察の仕方が、リゼルが知る後のメリュジーヌへ確かに繋がっている。


 やがて、オルディアスが二人の娘へ視線を向けた。


「エルミナ。リゼル。ノクタール侯爵と、メリュジーヌ嬢だ」


 まずエルミナが一歩前へ出た。


「ノクタール侯爵閣下。メリュジーヌ様。本日はお越しいただき、ありがとうございます」


「エルミナ様におかれましては、近頃、学業のみならず領政においても大変な御活躍とうかがっております」


「私など、まだまだです」


「御謙遜を。12歳にして、実に御立派なことです」


「父上や家臣の皆様が進めてくださったものへ、私は少し意見を申し上げているだけです」


「その『少し』を口にできる者が少ないのですよ」


 すると背後のゼノヴィアが、僅かに誇らしげな表情を浮かべた。何か言いたそうなのが丸分かりだった。隣のミラベルが視線だけを向ける。


「…………」


 ゼノヴィアは黙った。


(ちゃんと学習しているな)


 続いて、自分の番。リゼルは一歩前へ出る。


「ノクタール侯爵閣下。メリュジーヌ様。本日は、姉上と私の誕生祝いへお越しいただき、ありがとうございます。リゼル・ノクス・ヴァルクロアにございます」


「これは御丁寧に。リゼル様のお噂も、以前より聞き及んでおります。アーシュラ侯爵家にて、ルドラ殿とドゥルガー嬢のお二人を同時に相手取られたとか」


 オルディアスの眉間へ、早くも皺が寄った。


(嫌な予感がするな)


「しかも、御友人へ害を及ぼす者があれば、独自の召喚魔法で即座に処刑せんとなされたとも。僅か4歳にして、その覚悟。御見事にございます」


「セルパン」


 オルディアスが低い声で釘を刺す。


「ほんの少々、伺っただけでございますよ」


「うふふふふ。嫌ですわ、侯爵閣下」


 リゼルは頬へ小さな手を添え、可愛らしく首を傾げた。


「5歳になったばかりの少女を、そんなにも鬼子のように恐れないでくださいませ」


「誰も恐れているとは申しておりませんぞ?」


「若気の至りにございます」


「まだ5歳でしょう?」


 セレスティアが即座に口を挟んだ。


「母上」


「何です?」


「細かいことを気になさると、早く老けますよ」


「リゼル?」


「失言でした」


 セルパンの肩が震える。オルディアスは深く息を吐いた。


 だが、メリュジーヌだけは、笑っていなかった。じっと、リゼルを見ている。先ほどまでよりも、明らかに強く。ルドラとドゥルガーを同時に相手取った。素性の知れぬ敵へ独自の召喚魔法を使用した。4歳にして、友のためならば迷わず殺す側へ立つ。その情報を、一つ一つ頭の中へ収めているかのようだった。


(……見ているな。いい。10歳でこの目とは、やっぱりお前だ)


 嬉しくなる。そしてリゼルは、初めて真正面からメリュジーヌへ視線を向けた。


「メリュジーヌ様」


「はい、リゼル様」


 二人の目が合う。近くで見る。ますます違う。画面の中の存在ではない。呼吸をしている。瞬きをする。蛇髪が動く。一匹が、リゼルの方を見ていた。ちろりと舌を出し、首を傾げるように僅かに動く。


(……可愛い。めちゃくちゃ可愛い)


 駄目だった。理性が負けた。


「メリュジーヌ様。その……御髪が、とても可愛らしいです」


「…………え?」


 メリュジーヌが初めて、侯爵令嬢として作られた表情を崩した。目を僅かに丸くする。蛇髪を可愛いと言われること自体、想定していなかったようだった。


 リゼルは手を伸ばしかける。だが、途中で止めた。


「触れても?」


「…………」


 メリュジーヌはすぐには答えなかった。リゼルの顔を見る。伸ばしかけた小さな手を見る。そして再び、その目を見る。警戒、疑問、僅かな興味。数秒の沈黙を経て。


「……どうぞ」


 小さく答えた。すると、メリュジーヌの肩口にいた一匹が、自らリゼルの方へゆっくりと伸びてきた。


「……え?」


 今度は、メリュジーヌ自身が僅かに驚く。蛇髪はそのままリゼルの指先へ近づき、触れた。


 鱗。思っていたよりも、ずっと温かい。生きている。呼吸。魔力。生命。


 その瞬間、リゼルの胸の奥で、何かが崩れた。


(あ……ゲームではない。画面でも数値でもない。ここでは、メルが…メリュジーヌが生きている……)


 一粒、涙が落ちた。


「……リゼル様?」


 もう一粒。そして次。リゼルの目から涙が溢れた。


「お嬢様……?」


 背後から、メアの声が届く。だが、狼狽はない。ほんの僅かに主人との距離を詰め、蛇髪を見る。毒、敵意、魔術、呪詛――少なくとも今、この瞬間にはない。ならば、メアは動かない。リゼルの涙が、痛みでも恐怖でも悲しみでもない。それくらい、今のメアには分かる。だからこそ、ただ静かに主人の傍へいる。


「……お会いしとうございました。ずっと……ずっと、お会いしとうございました」


 リゼルの声が震えた。


「…………?」


 メリュジーヌが、完全に言葉を失った。オルディアスも、セレスティアも、エルミナも、セルパンも同じ。初対面のはずなのに、ずっと会いたかった。


「リゼルちゃん……?」


 エルミナの声が聞こえた瞬間、リゼルの理性が戻った。


(まずい……まずいまずいまずい! 私は今日が初対面だ。それなのに、ずっと会いたかった? 馬鹿か私は!!)


 だが、もう言った。言葉は戻らない。リゼルの頭が高速で回転する。


「……失礼、いたしました」


 涙を指先でそっと拭う。


「以前より、メドゥーサ族の方の蛇髪を一度間近で拝見してみたいと思っておりましたので……それが、あまりにも美しく……思わず」


(通れ! 頼むから通れ、この言い訳!)


 セルパンが娘を見る。メリュジーヌも父を見る。その時、蛇髪の一匹が、再びリゼルの指へ身体をそっと擦り寄せた。


「どうした?」


 セルパンが尋ねる。


「……いえ」


 メリュジーヌは蛇髪へそっと触れた。


「この子が……随分と、リゼル様を気に入ったようです」


「まあ」


 セレスティアが微笑んだ。


 リゼルの顔が、一気に明るくなる。


「本当ですか?」


 その瞬間だけ、完璧な大侯爵令嬢の顔が消えた。ただの5歳の少女。


「はい。この子たちは、知らない方には、あまり自分から近づきませんので」


「……嬉しいです」


 その感情が、そのまま顔に出た。


 メリュジーヌはリゼルを見る。先ほどまでの、観察する目、測る目。そこへ、ほんの少しだけ別のものが混じった。戸惑い、興味、そして本人にもまだ名前を付けられない何か。


「変わったお方ですのね、リゼル様」


「よく言われます」


「それは、褒め言葉なのでしょうか」


「私は褒め言葉として受け取っております」


 メリュジーヌの口元が、僅かに動いた。侯爵令嬢として作ったものではない笑み。


 リゼルは、それを見逃さなかった。


(見つけた)


 まだ、仲間ではない。メリュジーヌは自分を知らない。未来も知らない。自分が彼女を知っていることすら知らない。だが、それでいい。知らないなら、これから知ればいい。何が好きなのか、何が嫌いなのか、何を考え、何を望み、何を恐れているのか。ゲームの中では知ることのできなかった、この10歳のメリュジーヌという少女を。


(メル。やっと会えた)


 リゼルは、蛇髪へ触れたまま小さく笑った。


 10年も早く。本来ならば、あり得なかったはずの再会。否、メリュジーヌにとっては初めての出会い。だからこそ、今度はこちらから始めればいい。


 祝いの音楽が流れる大広間。魔界の貴族たちが笑い、語らい、互いの腹を探り合う中、リゼル・ノクス・ヴァルクロアは、目の前に立つ蛇の姫から目を離さなかった。


(メル。今度もお前を、私は必ず手に入れてみせる!)


 5歳の大侯爵令嬢は、心の中だけでその名を呼ぶ。


 この時、リゼルは、まだ知らない。待ち焦がれていた少女が、何を抱え、何を命じられ、このヴァルクロア大侯爵邸へ足を踏み入れたのかを。


 そして、メリュジーヌもまた、まだ知らなかった。


 目の前で自分の蛇髪へ触れ、まるで失くした宝物を取り戻したかのように笑っている5歳の少女が、この先、自らの運命そのものを根底から塗り替える存在になることを――。


 その胸の奥。


 誰にも見えぬ場所で刻まれた契約の痕が、微かに疼いた。


(…………)


 メリュジーヌは笑みを崩さない。


 忘れてはいない。


 自分が今日、この屋敷へ来た理由を。


ようやく出会えました。


リゼルにとっては、待ちに待った「はじめまして」。

メリュジーヌにとっては、何も知らない「はじめまして」。


しかし、リゼルがどれだけその気でも、蛇の姫はそう簡単には頷いてくれないようです。


次話――

Ver.2 Poison Chapter 3-2

『蛇の姫は、まだ頷かない』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。