Ver.1 JUGGERNAUT 大型Update
ルドラ、ドゥルガー、そしてソーマ。
新たな出会いを経て、リゼルの物語は一つの区切りを迎えた。
そのすべてを、薄暗い部屋から眺めていた者がいる。
悪神――ルキフグス。
彼にとって、誰かの出会いも、友情も、苦悩さえも娯楽に過ぎない。
そして悪神は、次なる「物語」を起動する。
――悪神は薄暗い部屋で笑う
現世と幽世とそのどちらにも、属さない場所。神々の目の届かぬ境界の隙間。そこに、ひっそりと、繋ぎ止められた小さな異空間があった。
本来ならば光すら届かぬはずのその場所に――今日もまた、ひとつの生活の残滓がひっそりと息づいている。
部屋の主は、悪神ルキフグス。だが、今、そこに神としての威厳など、欠片も見当たらなかった。本来、纏われるべきはずの荘厳な法衣は、椅子の背もたれに無造作に引っ掛けられている。手にしていたはずの、あの禍々しい神話級の杖もまた、部屋の隅で乱暴に転がされ、放置されている。
窓のないその部屋を照らすのは、いくつものゲーミングモニターから漏れる、青白い光だけだった。床には、食い散らかされた菓子袋。飲みかけの缶。積み上がった、雑誌の山。かつて――黒瀬真璃亜という、1人の人間が暮らしていた、あの、狭いワンルームの記憶を――この悪神は自らの支配領域に忠実に再現していたのだった。
その部屋の中央、黒と赤を基調にした、レーシングタイプのゲーミングチェアにルキフグスは深く体を預けている。神が腰を落ち着けるには、あまりにも不釣り合いなその量産品じみた椅子もまた、この部屋の奇妙な違和感の一部だった。長く伸びた白銀の髪は、幾筋も緩やかに波打ち、額には幾つもの装飾具が鈍く光っていた。紫を帯びた双眸は、常に笑みの形を崩さない。その口の端に浮かぶ、酷薄な笑み一つで、この者が決して慈悲深い存在ではないと、誰もが悟るはずだった。纏う法衣にも似た、漆黒の衣には、金の刺繍と、幾重もの鎖とが、絡みつくように垂れ下がっている。
ルキフグスは、コントローラを指先で緩慢に弄びながら、目の前のモニターを眺めていた。そこには、先ほどまで繰り広げられていた一連の光景が――静止したまま映し出されている。
滝の轟く、崖の谷間。白銀の髪に血のように紅い瞳を宿す幼い少女。その脇に控える、6本の腕を持つ少年。同じく、4本の腕を持つ快活な少女。そして――脱兎のごとく荒野を駆け抜けていく、1人の侍女。
この悪神にとって、それらは誰かが命を賭して生きた証などではない。ただの、盤面の上を動き回る駒の軌跡に過ぎなかった。
「あーあ、負けちゃいましたかぁ」
ルキフグスは、そう言って、大袈裟に肩を竦めた。
「上手にスキルポイントを割り振っておいたつもりだったんですけどねぇ。金剛羅刹とか、修羅顕現とか。スキルポイントの割り振り、間違えましたかねぇ」
だが、そう零す口元には、隠しきれない愉悦の色が滲んでいた。
「それにしても、ルドラ君とドゥルガーさんの2人がかりでも、ですよ? やれやれ、使えねぇ奴ら」
ルキフグスは、そう、ぼやくと、傍らのポテトチップスの袋へ荒々しく手を突っ込んだ。指先に、まとめて掴み取った数枚を、一気に口へと放り込む。ばりばりと、不機嫌そうに噛み砕く音が、部屋に響いた。負けた事実そのものより、その不貞腐れた食べっぷりの方が、よほど彼の本音を物語っていた。
「まぁ、それはそれとして。予定より、リゼルさんの育ちが速いのは、嬉しい誤算ですねぇ」
コントローラを机の上へ放り出す。
「ルドラ君は、所詮、リゼルさんの引き立て役ですからねぇ。……役者不足なのは、まぁ仕方のないことです」
言いながら、ふと、思い出したように口の端を意地悪く吊り上げる。
「それにしても、リゼルさんのあのソーマ君への御執心っぷり。……前世と合わせて、もう、33にもなるでしょうに。BBAがあんな必死に色恋に盛るなんて――ちょーキモいですねぇ」
誰かの密やかな恋心すら、この悪神にとっては嘲る恰好の材料でしかなかった。心底、愉快そうに喉を鳴らす。
その後、束の間の白けた沈黙が部屋に落ちた。
「っと、ビール、ビール」
ルキフグスは、そう呟くと、億劫そうに腰を上げた。いつの間にか床に放り出されていた法衣を遠慮なく踏みつけながら、冷蔵庫の前まで歩いていく。扉を開けば、白い冷気が緩やかに漏れ出した。
中から取り出した、1本の缶。プシュッ、という、小気味よい音を立てて、開ける。そのまま、迷わず口をつけ、一気に喉へと流し込んだ。
「ぷはぁーっ! 地球の酒、たまんねぇ!」
心から満たされたような、その笑い声。
「地球の神とか、魔王とかは、こういう、いいもん、日常的に味わってるんですかねぇ。……いやぁ、なんか、ムカつきますねぇ」
もう一口。喉が、ごくり、と、大きく鳴る。
「くぅーっ、たまらん!」
飲み干した缶を、そのまま背後のシンクへ向けて投げる。からん、という、乾いた音が響いた。
この部屋は――リゼルが、いや、黒瀬真璃亜が生きていた頃の、あの部屋を模したものだった。だが、本物では決してない。彼女の魂をパンデモニウムへと送り込んだその後――ルキフグスが、彼女の記憶の断片を寄せ集めて練り上げた、いわば紛い物の箱庭だった。
だからこそ――この部屋には、どこか体温が欠けている。整然としているようで、何かが決定的に足りない。並ぶ漫画も少ない。飾られたゲームソフトの数も少ない。心を解きほぐすための痕跡が、あまりにも乏しかった。
「にしても、黒瀬真璃亜さんの部屋、ほんっと、味気ないですねぇ。娯楽ってもんが、少なすぎる」
そう言って、ルキフグスは、くつくつと笑う。
「まぁ、壊れる寸前まで、こき使われて、遊ぶ余裕なんてなかったんでしたっけ?」
同情の色など、一片もなかった。
ただの――嘲笑。
そして、その壊れかけた魂が、自分の手の中に転がり込んできたことへの――粘着質な悦び。
「いやはや、よくもまぁ、あんな人生で潰れなかったもんですよ……って、潰れたから、私が拾えたんでしたね。おっと、失敬、失敬」
ルキフグスは、席へと戻る。マウスへ手を伸ばした。カチリ、という、微かな音と共に、画面が切り替わる。崖の映像が消え、代わりに、必死の形相で、荒野を駆け続ける、あの侍女の姿が大写しに映し出された。
「あの、メアという侍女ちゃんも、なかなか良い画を見せてくれましたねぇ。20万アルクを全力で駆け抜ける、なんて。実にけなげだ」
ルキフグスは、満足げに喉の奥で笑うと、傍らに置かれていた1つのパッケージを手に取った。表紙には――赤銅色の肌を持つ、6本腕の青年の姿が、大きく、描かれている。
『Ver.1 JUGGERNAUT』
その、パッケージをしばし愛おしむように眺める。
「アーシュラのルドラ君とドゥルガーさん。……悪くない拾い物でしたよ。リゼルさんの感情をあそこまで揺さぶってくれたんですから」
ルキフグスは、パッケージの裏面へと視線を落とした。
「特に、ドゥルガーさんの方は、思わぬ収穫でしたねぇ。三日月乱舞に、修羅月影……ステータスの伸びも、素直で良い子でした。あの、裏表のなさも、良いスパイスになっている。リゼルさんに、『友』とまで呼ばせるとは、なかなかやりますよ」
ルキフグスは、そこで、にやりと、笑みを深めた。
「まぁ、ドゥルガーさんに関しては、私が一から書き下ろしたオリジナルキャラですけどねぇ。パンデモニウム・オンラインをそのままなぞるだけじゃ、面白くないでしょう?」
悪びれる様子など、微塵もなかった。この悪神にとって、原作にない駒を盤上へ放り込むことすら、ただの余興の一環に過ぎない。
「ソーマ君も……まぁ、よく、頑張りましたが、モブ感が強いですねぇ。BBAがせっかく、ご執心なのです。少しばかり、ピリリと辛いスパイスを加えてやりましょうかねぇ」
ルキフグスは、そう言って、邪悪に笑った。
その声には、からかいと僅かな称賛とが、奇妙に同居していた。もっとも、それはあくまで、駒としての評価に過ぎなかったが。
だが、その緩んだ表情が、ふと、翳りを帯びた。
「……そういえば、あの、ウォプラとかいうバグキャラは何だったんでしょうねぇ」
独り言のように、そう、呟く。指先で宙をなぞるように動かした。
「エルミナと、同じですか。ステータスが狂っていましたねぇ。……気に入りませんねぇ。私の、このプログラムに、バグが混じるなんて」
声から、先ほどまでの、あの、粘ついた笑みが、僅かに消えていた。代わりに滲むのは、微かな苛立ち。だが、それも一瞬のこと。すぐに、いつもの緩んだ顔つきへと、戻っていく。
「まぁ、いいでしょう。今、深追いすべき話じゃ、ない」
そう言うと、ルキフグスは、そのパッケージをゲーミングPCの脇に設えられた、小さな棚へと、そっと、置いた。まるで、大切な戦利品を飾るかのように。散らかったこの部屋の中で、その一角だけが、妙に丁寧に扱われていた。
その、時だった。
ピンポーン。
場違いなほど、間の抜けた呼び鈴の音が、部屋に響いた。本来、この狭間の空間にそんな音が鳴り響くはずなどなかった。
「はいはーい、今、出ますよぉー」
だが、ルキフグスは、まるで慣れた様子で、そう、応じた。椅子から億劫そうに腰を上げると、扉の前まで歩いていく。指先で、鍵を、軽く、なぞる。カチリ、という、小さな、解錠の音と共に、扉が開かれた。
その先に広がっていたのは――黒瀬真璃亜の、あの狭い部屋の続きなどでは決してなかった。果てしなく続く、暗黒の廊下。左右には、規則正しく、無数の扉が、等間隔に、並んでいる。
「ルキフグスさーん、シャングリラから、お届け物でぇーす」
廊下の向こうの声の主は――全身が黒い靄のようなもので覆われた、人影だった。目深に被った帽子。その、隙間から覗く、双眸だけが、ぼんやりと、金色に光っている。制服の胸元には、三角と円とを組み合わせた、奇妙なマークが縫い付けられていた。
「サイン、おねしゃーす」
「はいはーい、ポチっと、な」
ルキフグスは、差し出された端末へ、指先を無造作に押し当てた。
「あざぁーす。壊れ物なんで、お気をつけてくださぁい」
「はいはーい」
配達人から、小ぶりな木箱を受け取ると、ルキフグスは、そのまま扉を閉じた。手首を軽く返し、施錠の感触を確かめる。カチリ、という、音が、静かに、響いた。
それから、木箱へと視線を落とす。梱包など、丁寧に解く気は毛頭ない。両手で乱暴に蓋をこじ開けると、中の緩衝材ごと部屋の隅へと放り投げた。
中から出てきたのは――1枚のゲームソフトのパッケージだった。
表紙に描かれているのは、髪そのものが幾筋もの蛇である、1人の奇怪な女性の姿。妖艶な微笑みの奥に、何か底の見えない翳りを宿している。その手に握られているのは、1本の鞭。だが、ただの鞭ではない。先端は、8つの頭を持つヒドラだった。パッケージの隅には、こう記されていた――。
『Ver.2 Poison』
「さぁて」
ルキフグスは、ゲーミングPCの本体へと、手を伸ばした。中に収まっていたディスクを、丁寧な手つきで引き抜く。先ほどまでの、あの、ぞんざいな仕草とは、まるで違う慎重さだった。そのディスクを、『Ver.1 JUGGERNAUT』のパッケージへと、几帳面に収めていく。
続けて、『Ver.2 Poison』の、パッケージを丁寧に開く。中のディスクを慎重に取り出し――本体へと、静かに挿し込んだ。起動音が微かに響く。
「さぁて、次は――アクションアドベンチャーゲーム、ですかぁ?」
ルキフグスは、そう呟き、ゲーミングチェアへと深く体を沈めた。
「貴女には、たっぷりと、盛り上げて貰いますよぉ」
起動を終えたモニターに映像が映し出されていく。
映し出されたのは――俯きがちに部屋の隅で身を縮めるようにして座り込む、1人の少女だった。細く、頼りない、肩。膝の上には、閉じられたままの、1冊の本。その姿は、まるで誰かに見つかることを恐れているかのようだった。
だが――その髪だけが、異質だった。
幾筋もの細い蛇髪が、静かに蠢いている。
ルキフグスの唇がいっそう愉悦に歪んでいく。
画面の中の、蛇髪の少女は、まだ、何も知らない。リゼルの存在も、この悪神の存在も、自分が、この先、何のために選ばれたのかも――何一つ、理解していない。
だからこそ――たまらなく、良い。
「主人公には、宿敵が、要りますよねぇ。友も、要る。踏み台も、要る」
ルキフグスは、モニターへと身を乗り出した。
その瞳の奥に、神としての慈悲は、微塵も存在しない。あるのは、ただ――他者の運命を、陰から弄び続ける者の、卑しく、粘りつくような悦びだけだった。
「そしてぇ……悲劇も忘れちゃ、いけませーん!」
蛇髪の少女が、静かに本のページをめくる。
まだ、何も、知らない。
その、何も知らぬ者を、不意打ちのように、混沌の渦へと放り込む。戸惑わせ、傷つけ、それでも何かを選び取らせる。その、一部始終こそが――この悪神にとっての至上の娯楽だった。
「次は、あなたにリゼルさんの舞台を盛り上げてもらいましょうかねぇ」
薄暗い、部屋の中に――悪神の笑い声だけが、いつまでも響き続けていた。
神には、あまりにも不釣り合いな、黒と赤のゲーミングチェア。青白い、モニターの光。食い散らかされた菓子の袋。転がるビールの空き缶。そして、床に打ち捨てられたままの、神の衣。
その、あまりにも、滑稽で、あまりにも、醜悪な光景の、真ん中で――しかし、その、指先ひとつが動くだけで、また、誰かの運命が、静かに、書き換えられていく。
「まったく、悪意の種っていうのは――尽きることを知りませんねぇ」
ルキフグスは笑っていた。
心の底から。
誰よりも、楽しそうに。
その、笑い声だけが――薄暗い部屋の中に、いつまでも、木霊し続けていた。
――Ending & Restart
――Next : Ver.2 Poison
Ver.1《JUGGERNAUT》までお付き合いいただき、ありがとうございます。
ここまで楽しんでいただけましたら、ブックマークしていただけますと、今後の執筆の大きな励みになります。
リゼルの物語は、まだまだこれからです。




