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パンデモニウム・リベリオン  作者: 鎌竹のぶみ


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Ver.1 JUGGERNAUT Chapter 2-6 堕天使とアスラの姫君

 道行く人々は、皆一様に、ドゥルガーへ親しげな声をかけていく。


「おはようございます、ディ様!」


「今日も元気そうで何よりだ、ディ様!」


 老いも若きも、男も女も、区別なく「ディ様」と呼ぶ。その呼びかけの一つ一つに、ドゥルガーは、気さくに手を振って応じていた。堅苦しい距離感など、そこにはまるでない。武を尊ぶこの土地では、身分よりも先に、親しみが根を張っているらしかった。すれ違う衛兵の一団までもが、律儀に頭を下げながらも、口元は緩んでいる。


 そして、その視線が、ドゥルガーの隣を歩くリゼルへ移ると、少しだけ、色合いが変わる。


「あちらが、噂の……堕天使の姫様、か」


 囁くような声が、あちこちから漏れ聞こえた。恐れとも、好奇心とも、憧れともつかぬ、複雑な響きだった。子供たちは、遠巻きに、白銀の髪と小さな翼を、興味津々に見つめている。


「堕天使の姫様、ようこそアーシュラ領へ」


 一人の老婆が、深々と頭を下げた。リゼルは、その一礼に、完璧な会釈で応じる。


「お心遣い、痛み入ります」


「なんの、なんの。あの美味い菓子を考えなすったのが、あなた様だと聞いておりますよ。厨房の連中が、えらい騒ぎだったとか」


 その言葉に、リゼルの内心が、わずかに緊張した。


(……昨日の件、もう広まっているのか。この土地の噂の伝わる速さ、侮れないな)


「いやはや、大した鬼指導だったそうで」


 老婆は、目を細めて、楽しそうに笑った。皺だらけの顔には、悪意の欠片もない。


「薪割り100本に、水汲み80杯、乳搾りに、貯蔵庫の総点検……とか、そんな話を、小耳に挟みましてね」


 その言葉遣いは、あくまで世間話の延長、といった調子だった。だが。


「なんでも、理屈が通っていて、しかも最後には、ちゃんと美味い菓子に仕上げてくださったとか。息子も、あんな面白い教え方をする方には、初めてお目にかかったと、興奮して話しておりましたよ」


「息子、様……?」


 リゼルが、思わず問い返す。


「ええ。うちの倅が、この屋敷の料理長を務めておりましてね」


 その一言に、リゼルの完璧な微笑みの奥で、内心だけが、大きく跳ねた。


(――やばっ!)


 道理で、話にしては、やけに具体的だったわけだ。薪の本数も、水の杯数も、まるでその場で見ていたかのような詳しさだった。息子から、逐一報告を受けているのだろう。


(それにしても……この調子だと、まだ他にも、身内が厨房にいる者がいるやもしれない。今後は、迂闊な発言も慎むべきか)


 そんな内心の警戒とは裏腹に、老婆は、なおも上機嫌に続けた。


「厳しいだけの指導者なんぞ、この土地にはいくらでもおりますがね。そんな見事な鬼は、そうそうお目にかかれません」


「わ、私は、ただ……」


「いやいや、ご謙遜を」


 すれ違う別の男も、深々と頭を下げていく。屈強な体格からして、鍛冶場か、あるいは訓練場勤めの者だろうか。


「うちの娘も、あの厨房で井戸水を汲まされた一人でしてな。帰ってきて、開口一番『あんな面白い教え方をする方、初めて見た』と、興奮しておりましたよ」


(……そんな、まさか)


 リゼルは、内心で戸惑いを隠せずにいた。あの鬼のような指導が、恐怖ではなく、称賛として受け止められている。武の家の民らしい、いっそ清々しいほどの評価だった。厳しさそのものより、その厳しさに筋が通っているかどうかを、この土地の者たちは見ているらしい。


「リゼル、モテてるじゃん!」


 ドゥルガーが、串をくわえたまま、からかうように笑う。


「畏れ多い限りにございます」


「そういうとこだよ、そういうとこ」


   *   *   *


 後ろに控えていたメアも、時折、興味深そうに周囲を見回しながら、小さく声を漏らしていた。屋台の並び方、行き交う人々の装い、壁に打ち付けられた鍛冶場の看板――一つ一つに目を留めては、心の中で何かを整理しているような様子だった。


「あの、ドゥルガー様。この街並みは、随分と武具屋が多いように見受けられますが」


「あー、それはね。アーシュラ領って、腕試しの祭りとか、闘技会とか、しょっちゅうやってるからさ。みんな、自前の得物を大事にしてるんだ」


「なるほど……。ヴァルクロア領では見られない光景にございますね。街の空気そのものが、活気に満ちていると申しますか」


 メアの、控えめながらも的を射た観察に、ドゥルガーは、感心したように目を丸くした。


「メアって、意外と鋭いこと言うね」


「そ、そのような……恐れ多いことにございます」


「またそういう堅い喋り方する。メアも、もっと砕けていいのに」


 そのやり取りに、リゼルは、内心でそっと頷いた。


(メアの立ち回り、悪くない。物怖じせず、しかし出過ぎもしない。この短い時間で、ドゥルガーとの距離を、上手く測っている)


「ねえ、メア」


 ドゥルガーが、串をくわえたまま、ふと振り返った。


「メアも、あたしのこと、ディって呼んでいいよ。リゼルの侍女なら、もう身内みたいなもんだし」


「え……よ、よろしいのですか」


 メアは、一瞬、戸惑ったように、リゼルの方を見た。リゼルが、小さく頷いてみせると、メアの表情に、ようやく安堵が滲む。


「では……ディ様、と」


「様はいらないんだけどなあ、まあいいや」


 ドゥルガーは、そう言って、屈託なく笑った。そうして、また一つ、輪の中に人を引き込んでいく。誰かとの距離を詰めることに、彼女は、まるで迷いというものを持っていないらしかった。


   *   *   *


「リゼルお嬢様、あちらの露店にも、面白い品が並んでおりますね」


 メアが、そう言って、指差した先を見る。並んだ露店には、小ぶりな刃物や、装飾を凝らした腕輪が、所狭しと並べられていた。


 その呼び方に、リゼルは、ふと気づいた。いつもは、ただ「お嬢様」とだけ呼ぶメアが、今日はわざわざ「リゼルお嬢様」と、名を添えている。


(……なるほど。ドゥルガーも、アーシュラ侯爵家の「お嬢様」だからか)


 同じ場に、二人の「お嬢様」がいる。呼び分けなければ、誰を指しているのか、聞く者を混乱させてしまう。メアは、それを瞬時に判断し、呼び方を変えていた。些細なことのようでいて、こうした細やかな気配りの積み重ねこそが、侍女としての質を左右する。


(機転が利く。よい判断だ)


 内心で、静かな評価が積み上がっていく。表情には、欠片も出さないまま。ドゥルガーもまた、その露店の品を覗き込みながら、時折メアへ「これ、可愛くない?」と話しかけている。二人の間には、すでに、ずいぶんと自然な間合いが出来上がりつつあった。


   *   *   *


 そうして街を抜けるうちに、賑わいは、少しずつ気配を変えていった。


 商店の並びが途切れ、代わりに、開けた敷地が広がり始める。道の先に、広い訓練場らしき敷地が見えてきたのは、露店を3軒ほど覗いた頃だった。


 金属を打ち合う音、怒号にも似た気合いの声、地面を踏み鳴らす音――それらが、風に乗って、一段と大きく響いてくる。屋敷の裏手で聞いた、朝の稽古の気配とは、比べ物にならないほどの密度だった。空気そのものが、張り詰めているようにすら感じられる。


「あそこだよ」


 ドゥルガーが、4本の腕のうち1本で、遠くを指し示した。その声には、これまでの気安さとは、少しだけ違う響きが混じっていた。屋台や露店を語る時の弾んだ声とは、明らかに違う、どこか誇らしげで、それでいて、少しだけ改まった調子だった。


「ルドラ兄ぃの、訓練場」


(ルドラが、あそこに……)


 赤い瞳の奥で、小さな高鳴りが生まれる。表情には、欠片も出さないまま。だが、胸の奥では、ここまでの散策の間ずっと抑え続けてきた何かが、少しずつ形を持ち始めていた。


「ルドラ……」


 思わず零れた呟きだった。


 その一言に、ドゥルガーは、ほんの一瞬、目を丸くした。


(あれ……今、「ルドラ殿」じゃなくて、「ルドラ」って……)


 昨日までのリゼルは、誰に対しても、きっちりと「殿」や「様」をつけていた。それが、今は、ごく自然に、呼び捨てになっている。ほんの小さな違いだったが、ドゥルガーには、それが、何よりも雄弁な証のように思えた。


(もしかして、あたしたちのこと、本当に、身内みたいに思ってくれてる……?)


 ドゥルガーの中で、リゼルへの好感度が、また一段、跳ね上がった。


「ルドラ様は、いつもこちらで鍛錬されておられるのでございますは?」


 メアがヴァルクロア大侯爵領では見ないような武骨な建物を見上げながらドゥルガーに尋ねた。


「毎日だよ。雨の日も、風の日も、休んでるとこ、見たことないもん」


 ドゥルガーは、そう言いながら、心なしか、声を弾ませていた。自慢の兄について語る時だけ、その声には、いつもの快活さとはまた違う、誇らしげな熱が籠る。


 リゼルは、その方角を、静かに見つめた。


 赤い瞳の奥で、前世からの記憶と、この世界で積み重ねてきた違和感とが、静かに、しかし確かに、一つの答えへ向かって収束していこうとしていた。あと、ほんのわずか。あの音の中心に立つ者の姿を、この目で見るまでの、わずかな距離だった。



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