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UN-KNOWN:チームQの潜入記録  作者: やた
File01.亡霊のチェックメイト

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8.ベルリンの夜明け

 ベルリンの朝は、昨夜の劇的な狂乱を洗い流したかのように、どこまでも透き通った青空に包まれていた。ミッテ地区の裏通りにある、古びたレンガ造りのカフェ。テラス席には、街の活気が動き出す前の穏やかな時間が流れている。


「……はぁ、これこれ。やっぱりドイツの朝はこれに限るぜ」


 Tシャツにジーンズのガウスが、焼きたてのブレッツェルを豪快に引きちぎり、岩塩の粒をこぼしながら口に放り込んだ。テーブルの上には、ドイツの伝統的な朝食「フリューシュトゥック」が所狭しと並んでいる。


 数種類の黒パン、レバーパテ、切り分けられた数種のチーズ。そして主役は、白く艶やかなヴァイスヴルスト(白ソーセージ)だ。ガウスは慣れた手つきで皮を剥き、甘いマスタードをたっぷりとつけて頬張った。


「ガウス、食べ方が汚いわよ。せっかくベルリンの爽やかな朝なんだから、もう少しエレガントにできない?」


 アイリスは、カシミアのカーディガンを羽織り、ゆったりとカフェ・オ・レを啜っていた。彼女の前には、色鮮やかなフルーツコンポートが添えられたクワルク(フレッシュチーズ)が置かれている。昨夜、ドレスの裾を捲り上げて哨戒兵を翻弄した小悪魔的な面影はどこにもない。


「……マヤ。そのジャム、美味しい?」


「……酸っぱい。でも、悪くない」


 マヤは、ライ麦パンにベリー系のジャムを厚く塗り、小鳥のような仕草で静かに咀嚼していた。


 レンは、新聞の片隅に置かれた小型タブレットの画面に視線を落としながら、ブラックコーヒーを口に含んだ。


 店内の壁に掛けられたテレビからは、朝のニュース番組が流れている。


『――続いてのニュースです。東欧の特命全権公使フォン・クラウス氏が、本日未明、ベルリン市内で当局に身柄を拘束されました。容疑は、数年前の美術品不当取引に伴う資金洗浄の疑いとのことです。なお、今回の拘束についてドイツ連邦情報局(BND)は「長年にわたる慎重な内部調査の結果である」と発表しており……』


 ニュースキャスターの声は淡々としていた。


 そこに「NATOの暗号鍵」という言葉も、「地下ボイラー室での銃撃戦」という事実も存在しない。BNDがメンツを守るために用意した、あまりに退屈で非の打ち所がない「修正された真実」だ。


「ハッ。美術品の資金洗浄かよ。BNDの広報も、なかなか気の利いた嘘をつくじゃねえか」


 ガウスが鼻で笑い、ソーセージを飲み込んだ。


「いいじゃない。誰も死なず、大事なデータも戻った。世界は今日も平和。……あたしたちのおかげね」


 アイリスが伸びをして、朝日を浴びる。


 その時、4人のQ-Linkからクラウディアの抑制された声が流れた。


『皆様、昨夜の『お掃除』の結果をご報告いたします。東側の工作員たちは、アジトへと帰還したことが確認されました。……ただし、その後の消息については、現時点の演算予測では生存確率12%以下と算出されております』


 テーブルに、一瞬の沈黙が落ちた。


 作戦に失敗し、あまつさえ「偽物のストレージ」を持ち帰った彼らが、本国でどのような扱いを受けるか。それを想像できないほど、この場にいる4人は初心ではない。だが、誰もその先を言葉にしようとはしなかった。


 それが、この世界のルールだ。


「……次の仕事では、もう少し『演出』を凝らす必要があるかもしれないね」


 レンが静かにコーヒーカップを置くと、クラウディアの声が心なしか弾んだように響いた。


『かしこまりました、レン様。アイリス様のご要望および昨夜の成功例に基づき、次回の作戦立案においては、より親密な接触――いわゆる“本番”を前提とした陽動シークエンスを標準プロトコルとして組み込んでおきます。現在、最適なロケーションと遮音機材をリストアップ中です』


「……クラウディア。アイリスの冗談を真に受けるなと言ったはずだ。それから、そのリストは今すぐ削除しろ」


 レンが眉間を押さえながら低く嗜めると、アイリスは待ってましたと言わんばかりに、テーブル越しに身を乗り出した。彼女の瞳には、朝日よりも悪戯っぽい光が宿っている。


「えー、削除しちゃうの?もったいないじゃない。……ねえレン、そんなに不安なら、今からアヴァロンに帰って『練習』しておく?次のミッションで失敗しないようにさ」


 アイリスが唇の端を吊り上げ、レンのネクタイの結び目に指先を這わせる。その誘うような仕草に、ガウスが飲んでいたコーヒーを派手に吹き出した。


「ゲホッ、おい!朝っぱらから見せつけてんじゃねえよ!店の客がこっち見てるだろうが!」


 マヤは無言で、自分の耳をそっと両手で覆い、冷めたクロワッサンを見つめ続けた。


「アイリス……。公衆の面前だ、いい加減にしろ」


 レンが彼女の手を優しく、しかし断固として退けると、クラウディアの声がさらに追い打ちをかける。


『アイリス様、素晴らしいご提案です。艦内のシミュレーションルームを『プライベート・モード』で予約いたしました。レン様のバイタルデータ測定準備も万全です。本番さながらのシチュエーション設定を今すぐアップロードいたしますか?』


「それいいわね!クラウディア、最高!」


「……クラウディア、予約をキャンセルしろ。アイリス、君も席に戻れ。これは命令だ」


 レンの、耳までわずかに赤く染まった――あるいは純粋に辟易とした――表情を見て、ガウスがテーブルを叩いて笑い声を上げた。


 ベルリンの街が本格的に目を覚まし、通勤の人々や観光客で通りが溢れ出した。


 その賑やかな喧騒に紛れるように、四人の亡霊たちは席を立ち、アヴァロンへと続く帰り道へと歩き出す。


「……で、練習は何時からにする?レン」


「……しない。絶対にだ」


 レンの頑なな呟きは、初夏の風に溶けて消えた。

 彼らが去った後のテーブルには、ただ空になったコーヒーカップと、誰にも気づかれない「平和」の残り香だけが残されていた。

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