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UN-KNOWN:チームQの潜入記録  作者: やた
File01.亡霊のチェックメイト

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7.残響のチェックメイト

 ボイラー室を支配していた絶対的な虚無が、唐突な電子音と共に弾け飛んだ。


 予備電源のブレーカーが強制的に叩き戻され、数百個のLEDライトが一斉に白濁した光を吐き出す。網膜を焼くような強烈な明転に、BNDの隊員たちは呻き声を上げ、視界を覆った。


「……状況報告!敵は!」


 マイヤーが、火花を散らすバイザーを毟り取りながら叫ぶ。


 視界が焦点を結び、白く霞んだ光景がゆっくりと輪郭を取り戻していく。だが、そこに広がっていたのは、彼が予想していた凄惨な射殺死体の山ではなかった。


「……指揮官。これは……」


 隊員の一人が、呆然とした声を漏らす。


 マイヤーの目の前、コンクリートの床に転がっていたのは、東欧の「特命全権公使」フォン・クラウス、そして屈強な二人のボディガードだった。彼らはまるで深い眠りに落ちた子供のように、静かな寝息すら立てて倒れている。そしてその傍らには、争奪戦の火種となったあのチタン製のケースが、主を失ったかのように無造作に置かれていた。


「工作員は!?逃走した奴らを追え!」


「……消えました。非常口のロックが解除されていますが、熱源探知にも、外部の監視カメラにも、一切の反応がありません。まるで……煙のように」


 マイヤーは、混乱する部下たちを押し退け、倒れたクラウスの元へ歩み寄った。首筋を確認するが、外傷はない。ただ、極めて小さな、産毛ほどの太さしかない穿刺痕が一つだけ残されていた。


「……確保だ。クラウスと護衛の二人を拘束しろ。ケースの中身も厳重に管理しろ!」


 BNDの隊員たちが、状況を飲み込めないまま動き出す。手際よく手錠がかけられ、チタン製のケースが回収される。銃撃戦の痕跡――ひしゃげた配管や粉砕された計器類は、先ほどまでの「地獄」が現実であったことを証明しているが、そこにいたはずの「何か」の気配だけが、綺麗に拭い去られていた。


 数分後。気付け薬を嗅がされたクラウスが、激しく咳き込みながら意識を取り戻した。


 彼は自分が床に這いつくばらされ、銀色の手錠で繋がれていることに気づくと、一瞬で顔を怒りに染め上げた。


「……不当だ!マイヤー、貴様、自分が何をしているか分かっているのか!」


 クラウスは声を荒らげ、外交官特有の傲慢な威厳を振り絞った。


「私は全権公使だ!身体の不可侵権を侵害した貴様らBND、いやドイツ政府は、国際社会から最悪の制裁を受けることになるぞ!今すぐ解け!これは宣戦布告に等しい暴挙だ!」


 マイヤーは無言で、部下から手渡されたタブレット端末をクラウスの眼前に突きつけた。


「……君の特権は、この映像が表に出るまでの命だ、公使」


 画面に映し出されたのは、数分前、このボイラー室で繰り広げられた鮮明な記録映像だった。


 クラウスが東側の工作員にチタンケースを手渡し、引き換えに利益を享受しようとする密約の音声。そして、ケースの中身を自ら確認させる決定的な瞬間。BNDが公式に撮影した証拠映像だ。


 クラウスの言葉が、喉の奥で凍りついた。


「……くそっ。奴らだけ逃げたのか……」


「特権は法の下にある。だが、君は自らその法を捨てた。……連行しろ。ベルリンの地下深くで、じっくりと“奴ら”について聞かせてもらう」


 クラウスは糸が切れたように崩れ落ち、二度と口を開くことはなかった。


 作戦は成功だ。NATOの機密データは守られ、売国奴は排除された。BNDにとっては、これ以上ない「完勝」の結末である。


 しかし、マイヤーの心には、冬の隙間風のような冷たい違和感が居座り続けていた。


 彼は、未だに節々が痛む自らの肩に手を置いた。暗闇の中で、自分たちを子供のようにあしらったあの圧倒的な力。電子機器を無力化し、音もなく兵士たちを沈めたあの「気配」。


 工作員たちの技術ではない。彼らは自分たちと同じく、パニックに陥っていたはずだ。


 マイヤーはボイラー室の隅々まで視線を走らせた。指紋一つ、薬莢一つ、足跡一つ残っていない。


(……誰だ。誰が、我々にこの勝利を『与えた』?)


 彼は、何者かが自分たちを操り、舞台の上で踊らせていたのではないかという恐怖に駆られた。BNDの精鋭たちが「勝利」という手柄に酔いしれる中、真の勝者はすでに戦場を去り、深淵へと消えている。


「……指揮官?撤収の準備が整いました」


「……ああ。行こう」


 マイヤーは、最後に一度だけ背後を振り返った。


 湿った空気と蒸気の音が響くだけのボイラー室。そこには、もう誰もいない。


 疑問を飲み込み、彼は「公式な成功」の報告を作成するために、冷たいコンクリートの階段を上り始めた。


 劇場の地上では、第2幕の終演を告げる音楽が鳴り響いていた。


 観客たちは誰も知らない。自分たちの足元で世界を揺るがす戦いが起き、そして、それを「亡霊」たちが闇に葬ったことを。


 ベルリンの夜は、何事もなかったかのように、再び偽りの平穏を纏い始めていた。

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