第六十七話 王国が動く
終盤です。
積み上げてきた道路・物流・人の流れが、ここで効いてきます。
コンラート・シュルツが馬車でノルトクロイツに乗り込んできたのは、書簡が届いてから四日後だった。
クルトが門で出迎えると、コンラートは馬車から降りた瞬間に頭を下げた。王都の作法通りの礼だったが、その顔には隠しきれない緊張と、それ以上の何か——尊敬に近いものが滲んでいた。
「ヴァイス卿。この度は親王殿下付き官僚室の代表として、正式にご訪問申し上げます」
「堅苦しい挨拶は省いていい。中で話そう」
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執務室に通すと、コンラートは鞄から書類の束を取り出した。表紙に「辺境領再建に関する王国政策指針(草案)」と書かれていた。
「親王殿下のご意向により、ノルトクロイツの再建実績を基に、王国全体の辺境領政策の指針を策定することになりました」
クルトは書類を受け取り、ページをめくった。
「……ノルトクロイツの事例が、ここに記載されている」
「はい。施工方法、工期管理の手法、そして魔法の建設利用指針——これら全てが、今後の辺境領再建の基準として採用される方向で議会に提案されます。名前は『ノルトクロイツ・モデル』。来月、王都で認定式典を行う予定です」
ヴィオラが傍らで書類を受け取り、目を通し始めた瞬間、彼女の目が輝いた。
「……これは全部、私が記録したデータです」
声が低かったが、確かに聞こえた。コンラートがヴィオラを見て、頷いた。
「エーベルト書記官の記録の精緻さが、この指針の信頼性を担保しています。王都での議会でも、数字の正確さについては特に評価を受けました」
「記録は正確に。……このデータの正確さは、こちらで保証します」
ヴィオラが静かに、しかし矜恃を持って言った。
クルトは書類を読み進めていた。施工の基本手順、材料の規格、検査の方法——ここまでは問題ない。しかし三十二ページ目で手を止めた。
「コンラート、一つ聞く。水路の維持管理コストの計算式が、ここに入っていない」
「……え?」
「水路は作って終わりじゃない。定期的な浚渫と補修が必要で、そのコストを最初から組み込んでおかないと、十年後に機能停止する。この指針で他の辺境領が水路を作っても、維持管理の計画が抜けていたら同じことが起きる」
コンラートが書類を覗き込んだ。
「……確かに、その項目が」
「ヴィオラ、ノルトクロイツの水路維持管理の年次記録を出してくれ。過去三年分のコスト実績と、来年の計画を一緒に」
「その計算、私が確認します。少し待ってください」
コンラートがやや圧倒された顔で、二人を見ていた。「式典の挨拶」が来ると思っていたら、いきなり実務の修正作業が始まっていた。
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三時間かけて、書類の技術的な部分を精査した。クルトが指摘して、ヴィオラがデータを出して、コンラートが書き直す。水路の項目の他に、道路の舗装厚の根拠の記述が曖昧なところ、製鉄設備の改良コストの計算に一箇所ミスがあるところを直した。
「名前はどうでもいい」とクルトが言った時、コンラートが「と言いますと?」と聞いた。
「ノルトクロイツ・モデルという名前がついても、中身が正確でなければ意味がない。名前より、数字で話しましょう」
コンラートが「……おっしゃる通りです」と頷いた。
午後になって、ランベルトが執務室の扉を叩いた。
「で、俺の鍛冶のやり方も書いてあるか?」
「製鉄改良の項目に詳細が記載されています。旧来の製鉄炉から改良した工程が、特に」
ランベルトがしばらく書類を見た。
「……なるほどな」
小さく笑って、鍛冶場に戻っていった。
エルドリックも顔を出した。
「ノルトクロイツ・モデルとは何ですか、具体的に言うと」
「この領地のやり方を、国が他の場所でも真似をする、ということです」
エルドリックが眉を動かした。しばらく黙って、それから言った。
「……俺たちのやり方が、国の手本になるのか」
珍しく、感慨深そうな顔だった。
フリッツが廊下から首を突っ込んできた。
「え、じゃあ領主様がモデルになるんですか!? すごい!すごいですよね、ヴィオラさん!」
「記録は正確に、ね、フリッツ。廊下で騒がない」
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「私に付け加えることはありますか?」とコンラートが聞いた。
「今指摘した部分を直してくれれば、他は問題ない。ただ一点——認定の後に、各領地で実施する際の現地調査の手順が必要だ。土地によって地盤が違う。ノルトクロイツの数字をそのまま当てはめると失敗する」
「それは今後の課題として、追記させていただきます」
「……それと、式典だが」
「はい。来月の初旬、王都にて。親王殿下が直接お会いしたいとおっしゃっています」
クルトはヴィオラを見た。ヴィオラが「記録の準備をします」という目で頷いた。
「……分かった」
「近隣の辺境領主も招待される予定です。ガルトナー伯爵やブレスラウ子爵も」
「そうか」
夕方、コンラートが帰り支度を始めた。玄関で挨拶をする時、彼が言った。
「ヴァイス卿。あなたが実証してくれたことで、私たちが王都で動けるようになりました。最初にここに来た時、正直、これほどのことになるとは思っていませんでした」
「あなたが王都で動いてくれたから、こちらが証拠を集める時間が生まれた。お互い様です」
コンラートが少し目を細めた。
夜、クルトは一人で書類を見返した。ランプの光の中に、三年分の仕事が数字になって並んでいる。ヴィオラの几帳面な記録から来たデータが、細部まで文書に織り込まれていた。
(……ヴィオラがいなければ、これは成立しなかった)
数字は嘘をつかない。それは前世からの信念だった。その信念が、今ここで形になっている。
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コンラートが帰る前夜のことだった。
ヴィオラが「領主様、一つお願いがあります」と言った。コンラートも「実は私も途中で聞きまして」と言いかけて止めた。
「何だ」
「領民の方々から、申し出があって」ヴィオラが慎重に言葉を選んでいた。「皆さんで直接お話ししたいと。明日の朝、街の広場に集まっているそうです」
クルトは少し間を置いた。
「……分かった。行く」
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




