第五十六話 兄として、という言葉の重さ
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
ダリウス・ヴァイスは、土産まで持ってきていた。
王都の菓子が一箱。それと良質な羊皮紙の束。どちらも高価な品だ。従者が三名、整然とした様子で後ろに控えている。訪問というより表敬訪問の体裁が完全に整っていた。
「久しぶりだな、クルト」
ダリウスが応接室に入りながら言った。柔らかな声だ。二十四歳の兄は相変わらず洗練されていた——黒髪を後ろに流し、仕立ての良い上衣を着て、笑顔が自然に見える。
「ようこそ」とクルトは答えた。「座ってください」
ダリウスが腰を下ろし、室内を見回した。
「ずいぶんと変わったな。以前来た時と全然違う」
「設備を改修した」
「執務室の造りを変えたのか。それとも——」ダリウスが視線をクルトに向けた。「お前自身が変わったのか」
クルトは答えなかった。お茶を勧めながら、ダリウスの言葉の構造を分析した。表面と意図。前者と後者を同時に処理する。
「ノルトクロイツの発展は目を見張るものがある」ダリウスが続けた。「大潮防衛の話は王都でも聞こえている。道路が通り、橋が架かり、交易路まで確立しようとしている。弟が本物だと証明してみせた」
「……ありがとうございます」
「俺は本当にそう思っている。兄弟として、誇らしい」
クルトはお茶を一口飲んだ。手帳の記録が頭の中にある。ダリウスの手帳に書いてあった内容が。フォーゲルとの封蜡書簡が。しかし今、それを口にすることはしない。
「大潮の時、駆けつけられなかった」ダリウスが言った。「中央の政務が重なっていて、どうしても動けなかった。お前には申し訳なかったと思っている」
「気にしていません」
「本当か?」
「必要な人間は揃っていた」クルトは答えた。それ以上でも以下でもない、正確な事実だ。
──────
会話が進むにつれ、ダリウスが本題に入った。
「父上とカール兄上は、ノルトクロイツの今後について話し合っている。ヴァイス家として、このまま放置するのは得策ではないという判断が出てきた」
「放置はされていません。俺が統治しています」
「そうじゃなくて」ダリウスが少し身を乗り出した。「ノルトクロイツが成功しているからこそ、家として正式に支援体制を整えるべきだという話だ。俺はお前の側に立ちたい。一緒にうまくやれる道を考えたい」
「具体的には」
「俺が王都でお前の代理人として交渉を担当する。財務省との折衝、王国への申請、外交的な窓口。お前は現場に集中できる」
クルトが手元のお茶を見た。
代理人。つまり王都での交渉の主導権を持つということだ。成果の管理権を持つということだ。
(手帳の記録と一致している)
頭の中で書類と照合する。ダリウスが計画していた「成果の管理権取得」のルート。表向きは協力申し出、実際は代理人という立場を使って全体の統制権を確保する。
「考えておきます」とクルトは答えた。
「急かすつもりはない。ただ、あまり時間がないこともある。財務省の動きが早くなっているから」
「知っています」
ダリウスが少し目を細めた。その反応を、クルトは表情に出さないまま記録した。財務省の動きを知っている——という言葉に対して、ダリウスが何かを確認しようとした。
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廊下で、ヴィオラがダリウスと鉢合わせた。
「ヴィオラ・エーベルト。文書管理官です」とヴィオラが自己紹介した。
「ああ、聡明な方だと聞いている」ダリウスが社交的に返した。「クルトを支えてくれているそうだね」
「職務を果たしているだけです」
ダリウスが微笑んで廊下を歩いていった。ヴィオラはその背中を見送りながら、(この方はどんな相手にも正確に距離を測りながら話す)と思った。感情を出しているように見えて、どこにも綻びがない。
応接室に戻ると、クルトが一人で座っていた。ヴィオラが近づいても、クルトはしばらく何も言わなかった。
エルドリックが外から戻ってきた。
「従者を表の庭に案内した。脅しには来ていない。本当に話だけしに来た。武装は最小限です」と短く報告した。
「ありがとう」クルトが言った。
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帰り際、ダリウスが一度だけ立ち止まった。
「カール兄上はノルトクロイツを正式に辺境伯家の管轄下に置く申請を出そうとしている。それは知っておいてほしかった」
クルトが「わかりました」と答えた。
「それと——」ダリウスが振り返った。「父上が近いうちにお前に連絡を取るかもしれない」
「そうですか」
ダリウスが出口に向かって歩き始めた。ヴィオラの前で一瞬足を止めた。
「あなたはずっとここにいるつもりですか」とダリウスが聞いた。
「ええ」とヴィオラが答えた。
「そうですか」
ダリウスが扉に手をかけた。ほんの少し間があって、振り返らずに言った。
「お前のことが心配なんだよ、本当に」
それだけ言って、ダリウスは出て行った。
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馬蹄の音が遠ざかった後、クルトは長い間、窓の外を眺めていた。
帰り際の「お前のことが心配なんだよ、本当に」という一言が、まだ耳に残っていた。
手帳の記録を知っている。フォーゲルとの連携を知っている。「三男の扱いは予定通り」という言葉も知っている。それが全部事実だということも知っている。
それでも、あの最後の一言だけは——偽りに聞こえなかった。
全部が嘘じゃなかったかもしれない。でも仕事を道具にしようとしたことは事実だ。
前世でも同じことがあった。評価してくれた上司が実は自分の功績を横取りしていた。あの時も、上司がクルトを本当に評価していたという部分は嘘ではなかったと、今でも思う。それでも、横取りは横取りだった。
「大丈夫ですか」
ヴィオラの声が後ろからした。
クルトが振り返った。ヴィオラが少し心配そうな顔をしていた。
「ヴィオラ」
「はい」
「その……封印された書類、というのは何ですか」
ヴィオラが一瞬、固まった。
「前に、先代が最後に誰かに渡すものを書いていたという話を聞いた。それが、あなたが持っているものですか」
ヴィオラがゆっくり、書類箱の鍵を懐から取り出した。小さな鍵だ。丁寧に保管されてきた様子が伝わってくる。
「……ずっと、あなたに見せるべきかどうか迷っていました」と、ヴィオラが言った。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




