第29話 切断された頭部
その日、明智院金四郎が事務所の扉を開けるなり言ったのは、
「頭部だ」
という、あまり日常生活で聞かない一言だった。
田所刑事は、ソファで缶コーヒーを持ち上げかけた手を止めた。
「何ですって?」
「切断された頭部だ」
明智院は低く言った。
「ついに来たか」
「来るな」
と田所は言った。
「人の頭の話なら帰ってください」
だが、真柴透子は、依頼人の持ってきた紙袋の中を覗き込み、静かに息を呑んだ。
「……さすが先生です」
「いや待て、まだ何も見てないだろ」
と田所。
「いえ」
透子は真顔で言った。
「先生は最初から、“外れた”のではなく“切断された”可能性を直観しておられたのだと思います」
「……ま、まあそういうことかな」
と明智院。
「乗るの早いなあ」
と田所。
依頼人は、高校二年生の男子だった。
名を立花悠斗という。紺のブレザーを着崩し気味に着ているが、手元の紙袋だけは妙に丁寧に抱えている。
「人のじゃないです」
彼は言った。
「ロボットのプラモデルです」
沈黙。
「……」
「……」
「……」
田所が先に口を開いた。
「ややこしいんだよ」
悠斗は恐縮したように頭を下げた。
「すみません。でも、本当に“切断”されてるんです」
「見せてもらえるかね」
明智院が言った。
紙袋から、透明の保存ケースが出てきた。
中には、精巧に塗装された人型ロボットのプラモデルが入っていた。
青と白を基調にした細身の機体で、肩のマーキングも、スミ入れも、相当に丁寧だ。だがその首から上が、きれいになくなっていた。
頭部はケースの隅に転がっている。
明智院は、ゆっくりと身を乗り出した。
「なるほど」
「ただ外れたんじゃないの?」
と田所。
「そこなんです」
悠斗が言った。
「最初、僕もそう思って拾ったんです。でも……」
「でも?」
透子がそっとケースを開け、頭部を持ち上げた。
そして首の根元を見て、小さく頷いた。
「……切断ですね」
「ほら見たまえ」
と明智院。
「いや、今見たの透子さんだろ」
と田所。
透子は静かに説明した。
「このキットの頭部は、通常なら首のボールジョイントで着脱できます。
でもこれは違う。接続部の根元が、工具で切られています」
「工具?」
悠斗が頷く。
「ニッパーか、デザインナイフだと思います」
「さすが先生です」
透子が言った。
「先生は最初から、“破損”ではなく“方法の不自然さ”を見ておられたのですね」
「……ま、まあそういうことかな」
「便利だなそれ」
と田所。
*
話を聞くと、舞台は高校の模型部だった。
来週に文化祭を控えており、模型部は作品展示の準備に追われていた。悠斗の機体は、今回の展示の目玉の一つだったらしい。部室のガラスケースの中央に置かれ、本人もかなり力を入れて作っていた。
「昨日の放課後には、確かに無事だったんです」
悠斗は言った。
「でも今日の朝、部室を開けたら、頭が落ちてて」
「部室の鍵は?」
と透子。
「顧問と部長、それから副部長が持ってます。僕は持ってません」
「なるほど」
透子はすでにメモ帳を開いていた。
「関係者は?」
と田所。
「模型部の中で、昨日遅くまでいたのは五人です。
部長の相沢先輩。
副部長の黒沼先輩。
同級生の三田。
後輩の白石。
それから僕」
「よい」
と明智院が言った。
「何がです」
「五人だ」
「人数で喜ぶな」
透子が、ふと目を細めた。
「先生」
「何だね」
「五人という人数に、いま少し満足しておられましたね」
「閉鎖空間における適度な容疑者数だ」
「わかります」
透子が頷いた。
「多すぎず、少なすぎず。疑いが巡るに足る人数」
「いや、文化祭前の模型部をその観点で見るな」
と田所。
*
模型部の部室は、放課後にはほぼ部員だけの閉じた空間になる。
しかも件のロボットはガラスケースの中。ケース自体は施錠されていなかったが、そう気軽に触るものでもない。
「誰かが、わざわざケースを開けて、機体を取り出して、頭を切った」
悠斗が言った。
「そういうことになります」
透子は頷く。
明智院は、首の断面をじっと見つめながら、低く言った。
「問うべきは、頭が外れたことではない」
「来たな」
と田所。
「頭が“外れる”ものを、なぜわざわざ切断したのか、だ」
悠斗が、はっとしたように顔を上げた。
「……」
「さすが先生です」
透子の声は、少し熱を帯びていた。
「先生は最初から、“結果”ではなく“方法の不自然さ”に着目しておられるのですね」
「その通りだ」
明智院。
「つまり犯人は、単に壊したかったのではない。
“切断する必要”があった」
「……ま、まあそういうことかな」
「今日はわりと自分で言えてるな」
と田所。
「でも」
悠斗が言った。
「嫌がらせなら、普通に投げたり、踏んだりでもいいはずなんです。なんで首だけ……」
「そこだよ」
明智院が言った。
「犯人は、この中にいる!!」
「まだ誰も来てないだろ」
と田所。
「概念的にはいる」
「また概念か」
*
まず部長の相沢。
三年生。展示全体の責任者。きちっとしていて、悠斗の作品を高く評価していた。
副部長の黒沼。
同じく三年。ロボットより戦車や艦船模型が好きで、「最近の部はロボット偏重だ」と文句を言っていた。
三田。
悠斗の同級生。腕はあるが、悠斗の作品が中央展示に選ばれたことで少し不機嫌だった。
白石。
一年生。ロボットより美少女フィギュア寄りの作風で、悠斗の機体を「顔がちょっと右向きすぎる」と妙な角度で眺めていたという。
「白石くん、最後の妙に気になりますね」
と田所。
「ええ」
と悠斗。
「“首の角度、直したほうがかっこいいのに”って何回か言ってました」
透子が、ふと顔を上げた。
「角度」
「おや」
と明智院。
「来たか」
「来てねえよ」
と田所。
「先生」
透子が静かに言った。
「これはもしかすると、“破壊”ではなく“矯正”の可能性も」
「矯正?」
悠斗が聞き返す。
「はい。
犯人は頭を取ったのではなく、頭の向きを直そうとしたのかもしれません」
「えっ」
「さすが先生です」
透子が言った。
「先生は最初から、“首を落とした”ではなく“首をいじった理由”に目を向けておられたのですね」
「……ま、まあそういうことかな」
「いや今のは完全に透子さんだろ」
と田所。
だが透子は真剣だった。
「このキット、首は本来ボールジョイントで可動ですよね?」
「はい」
「ただし、悠斗さんは塗装後に固定のため接着した?」
「……しました」
「なるほど」
透子は、静かに頷いた。
「つまり外せない。
けれど、見る人によっては“ちょっと角度を直したい”と思う。
そこで無理に外そうとすると」
「切るしかない」
と田所。
「そうです」
「先生」
透子の目がまた輝いた。
「先生はおそらく、“切断”を猟奇ではなく、過剰な修正の痕跡として見ておられた」
「いやおそらくって、たぶんいま初めて出た線だぞ」
と田所。
*
それでも、まだ断定はできない。
「いや待て」
田所が言った。
「仮に角度を直したかったとして、途中でやめるか?」
「やめるだろう」
明智院が言った。
「思ったより切れたからだ」
「雑な予想だな」
「でも」
悠斗は言った。
「頭部はちゃんとケースの中に戻されてたんです。
ただ落ちたみたいに見える位置に」
「お」
と田所。
「それはちょっと重要だな」
「隠したかったのかもしれない」
「あるいは」
明智院が低く言った。
「最初から、“外れたように見せたかった”」
「そういうことです」
透子が即座に言った。
「先生は最初から、“切断”だけでなく“事故に見せる工作”まで含めて見ておられる」
「……ま、まあそういうことかな」
「今日もだいぶ助けられてるな」
と田所。
ここで、悠斗がぽつりと言った。
「白石、昨日最後まで残ってたんです」
「おや」
透子。
「一人で?」
「いや、僕と相沢先輩が先に出て、そのあと三田と白石が片付けしてたらしいです」
「じゃあ三田も怪しいな」
田所。
「はい」
悠斗が頷く。
「三田は三田で、僕の機体が中央なの気に食わなそうでした」
「動機としては十分だ」
明智院が言った。
「嫉妬、修正欲求、作風対立。
模型部というのは、思った以上に火薬庫だな」
「火薬庫ではないと思います」
と透子。
*
翌日、模型部の部室で、関係者が集められた。
相沢部長は疲れた顔をしていた。
黒沼副部長は腕を組んで不機嫌そうだ。
三田は露骨に目を逸らしている。
白石は青ざめていた。
明智院金四郎は、ガラスケースの前に立っていた。
いかにも本格探偵が密室の現場を前にしたような顔である。
もっとも、現場は高校の模型部室だし、被害者はロボットのプラモなのだが、本人はそういう細部に頓着しない。
「諸君」
明智院が低く言った。
「切断された理由は何か」
沈黙。
田所が小さく咳払いする。
「普通そこ、“犯人は誰か”から入らないか?」
「違う」
明智院は言った。
「犯人は後だ。
まず“なぜ切断したか”が問われるべきだ」
「さすが先生です」
透子が言った。
「先生は犯人探しより先に、方法の不自然さの意味を問うことで、犯人像を逆照射しようとしておられるのですね」
「その通りだ」
「今日はほんとに調子いいな」
と田所。
明智院はガラスケースを指した。
「ただ壊したいなら、倒せばよい。
嫌がらせなら、腕でも足でもよい。
だが頭部だけが切断されていた」
彼は白石を見た。
「きみは、角度が気になると言ったね」
「え……」
白石の肩がびくりと動く。
「それが何か」
黒沼が言う。
「気になるくらい誰だって言うだろう」
「だが」
明智院が言った。
「“気になる”と“直したい”は違う。
そして“直したい”と“切るしかない”のあいだには、模型的良心と、少しの愚かさがある」
白石の顔が真っ白になった。
「……っ」
「やっぱりか」
と田所が言った。
だが透子が、そっと口を開いた。
「先生」
「何だね」
「もう一歩だけ、整理してよろしいでしょうか」
「うむ」
「白石くん」
透子はやわらかく言った。
「君はたぶん、壊すつもりではなかったんですね」
「……」
「頭の向きだけ直したかった。
でもこの首は接着済みで、普通には外れない。
だから、ニッパーかナイフで根元を切って、あとで再接続しようとした」
「……はい」
白石が小さく言った。
「でも思ったより、きれいにいかなくて」
「うむ」
明智院が頷く。
「それで怖くなった」
「はい」
「頭を戻して、“外れただけ”みたいに見せた」
「……はい」
沈黙。
悠斗はしばらく何も言えなかった。
やがて、少しかすれた声で言った。
「何で勝手に触るんだよ」
白石は目を伏せたまま答える。
「だって……絶対そのほうがかっこよかったから……」
黒沼がため息をつき、相沢は額を押さえた。
三田だけは少し複雑そうな顔をしていた。
「最悪だな」
と田所が言った。
「悪意じゃないぶん、余計にな」
透子は静かに頷いた。
「はい。
壊そうとしたのではなく、“よくしようとして壊した”。
だからこそ、切断には理由があった」
「さすが先生です」
透子が言う。
「いや今のは完全に透子さんだろ」
と田所。
「いえ」
透子は真顔だった。
「先生は最初から、“嫌がらせ”より“切断する必要”のほうを問題にしておられました」
「……ま、まあそういうことかな」
と明智院。
「乗るなあ」
と田所。
*
白石は、泣きそうな顔で悠斗に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……」
「ほんとに、そのほうがかっこよくなると思って。
ちょっとだけ上向きにしたかっただけで」
「その“ちょっとだけ”で人の作品切るなよ」
悠斗が言った。
「それはその通りです」
透子が静かに言った。
「模型における“ちょっとだけ”は、時に取り返しがつきません」
「先生」
田所が言った。
「今日は珍しく、ちゃんと謎らしい謎でしたね」
「うむ」
明智院は頷いた。
「切断とは、つねに分離の意思だからね」
「ちょっといいこと言うな」
「しかも今回は、破壊ではなく修正欲求の暴走だった」
「そこだろうな」
と田所。
透子はガラスケースの中の機体を見ながら、小さく言った。
「本件、私はかなり先生らしいと思いました」
「おや」
「先生は、“頭が落ちている”という結果ではなく、“なぜわざわざ切ったのか”という方法の不自然さへ最初に着目なさった」
「うむ」
「つまり先生は、破壊されたものより、破壊のされ方に宿る意志を見ておられた」
「……ま、まあそういうことかな」
と明智院。
「完全に透子さんの文章だな」
と田所。
相沢部長が小さく頭を下げた。
「先生、ありがとうございました」
「礼には及ばない」
明智院は低く言った。
「模型部の平和を守るのも、名探偵の務めだ」
「守られてたかなあ」
と田所。
悠斗はまだ少し不満そうではあったが、最後には白石に向かって言った。
「……今度から触る前に言えよ」
「はい」
「あと、“絶対こっちのがかっこいい”って思っても、自分の機体でやれ」
「はい……」
透子が、ほんの少しだけ笑った。
「妥当な和解ですね」
「法学部っぽいまとめだな」
と田所。
明智院はケースの中の首なし機体をしばらく見つめ、やがて低く言った。
「最後のピースが見つかったね」
「今回は何です」
と田所。
「善意だ」
透子が、はっと息を呑む。
「……さすが先生です」
「また始まった」
「先生は、“悪意の切断”ではなく“善意が刃物を持った時の危うさ”を見ておられたのですね」
「その通りだ」
明智院は頷く。
「よい修正は、本人の許可なしに行われた瞬間、しばしば破壊へ転ずる」
「今日はほんとにちょっといいこと言うな」
と田所。
「でも半分は透子さんが仕上げてるんだよなあ」
その夜、明智院金四郎の事件ノートには、こう記されていた。
>『切断された頭部』
>頭部は外れたのではなかった。
>切断されていた。
>それは破壊のためではない。
>修正のためである。
>だが、外せるものをわざわざ切った時、
>そこには単なる雑さではなく、
>“こうあるべきだ”という過剰な意思がある。
>善意の修正は、許可なく他者の作品に触れた瞬間、
>しばしばもっとも乱暴な暴力となる。
>注意したい。
それを横から読んだ田所刑事は、しばらく黙ってから言った。
「なお、“注意したい”のところ、
今日いちばん注意すべきなのは、他人のプラモの首を善意で切るなって一点なんだよなあ……」




