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第27話 完全な一体はこの中にいる(前編)

 同じぬいぐるみが五体、並べられていた。


 場所は、町はずれの小さな私設児童館《ひだまりの家》の二階、手芸室である。

 発見したのは、朝いちばんに掃除へ入った館長の増山妙子だった。


 五体は、丸テーブルの上に円を描くように置かれていた。

 どれも同じ犬のぬいぐるみで、垂れた耳、黒いボタンの鼻、赤いチェックの首輪。量販店でまとめて仕入れたらしい、見慣れた顔をしている。だが、その朝の五体は、見慣れているからこそ不気味だった。


 一体は首がない。

 一体は右腕だけがない。

 一体は左腕だけがない。

 一体は下半身がない。

 そして最後の一体には、胴体だけがなかった。


 館長の妙子は、しばらく戸口で固まっていたらしい。


「……で、どう思います?」

 と田所刑事が聞いた。


「正直に言っていい?」

 と妙子は言った。

「気味が悪いです」


「そうでしょうね」

 と田所刑事。


 児童館の手芸室には、その時点で六人が集められていた。


 館長の増山妙子。

 手芸ボランティアの小山内真澄。

 若い職員の星野里穂。

 近所の母親で児童館の手伝いもしている村瀬香苗。

 小学生の常連である結斗。

 そして、なぜか朝からそこにいた名探偵・明智院金四郎。


 ついでに、別件の巡回ついでに顔を出していた田所刑事。


「なんでいるんですか」

 と妙子が聞いたとき、田所は静かに答えた。


「こっちが聞きたいです」


 明智院金四郎は、テーブルの上の五体を前に、いつになく静かな顔をしていた。

 黒い外套。鋭い眼差し。重々しい沈黙。

 そして明らかに、今、内心だけはかなり元気である顔だった。


「……なるほど」


「来たな」

 と田所刑事が言った。

「まだただのバラバラぬいぐるみなのに、頭の中ではもうだいぶ大きなことになってる顔してますね」


「そんなことはない」

 と明智院は言った。

「だが、この配置は美しすぎる」


「ぬいぐるみに対して“美しすぎる”はやめてください」

 と星野里穂が言った。


 館長の妙子は胸の前で手を組んだ。


「この子たちには、ちゃんと名前があるんです」

「名前?」

 と田所。


「ええ」

 と妙子は頷いた。

「この首がないのがポチ太。右腕がないのがモコ。左腕がないのがチロ。下半身がないのがハナ。胴体がないのがペロです」


 沈黙。


「全部ちゃんと名前がついてると、ちょっとつらいな」

 と田所が言った。


 小山内真澄がため息をつく。


「子どもたちに人気の“五つ子わんこ”なんです。

 毎週ここで、お裁縫の練習に使ってて」

「つまり、もともと手芸室にあった」

「はい」

「昨夜は無事だった?」

「無事でした」

 と妙子。

「少なくとも、首も胴も、ちゃんとありました」


「胴もありました、って言い方すごいな」

 と田所。


 そこへ明智院が、ゆっくりとテーブルへ近づいた。


 ポチ太。

 モコ。

 チロ。

 ハナ。

 ペロ。


 彼は一体ずつ見下ろし、円の中心にできた空白へ視線を落とした。

 そして、静かに息を吸った。


「諸君」

 と彼は低く言った。

「安心したまえ」


「何を」

 と村瀬香苗が聞いた。


「最後のピースが見つかったね」


「まだ何も始まってないですよ」

 と田所刑事。


 しかし明智院はもう止まらない。

 彼はテーブルの前に立ち、一同をびしりと指さした。


「犯人は、この中にいる!!」


 沈黙。


「まあ、そうでしょうね」

 と小山内が言った。

「夜のうちにここへ出入りした人、そんなに多くないし」


「違う」

 と明智院は言った。

「今回は“そうでしょうね”で済ませてよい事件ではない」


「いや、ぬいぐるみですけど」

 と星野が言う。


「浅い」

 と明智院。

「この欠損の分配を見たまえ。

 首、右腕、左腕、下半身、胴体。

 あまりにも均整が取れている。

 これは単なる破壊ではない」


「たしかに、行き当たりばったりで壊した感じではないですね」

 と田所刑事が言った。


 明智院は、そこで静かに首を振った。


「違う」


「何が」

 と結斗が聞く。


 明智院は重々しく言った。


「これは五体ではない」


 沈黙。


「いや、五体あるが?」

 と田所刑事が言った。


「見えている五体を信じるな」

 と明智院。

「見えていない一体を疑え」


「急に始まったな」

 と田所。


 明智院は一体ずつ指さした。


「ポチ太に首がない。

 モコに右腕がない。

 チロに左腕がない。

 ハナに下半身がない。

 ペロに胴体がない。

 だが、この欠損はあまりに整理されている。

 あまりに“分け与えられて”いる」


「まあ、そう見えなくもない」

 と村瀬香苗が言う。


「つまり」

 と明智院は言った。

「ここにあるのは、五体の損壊ではない。

 四体の損壊を用いて、五体の損壊に見せかけた構図だ」


 長い沈黙。


「……え、なにそれ、むずかしそう」

 と結斗が言った。


「そうだろう」

 と明智院は満足げにうなずいた。

「だが本質は単純だ。

 五体すべてが壊れたのではない。

 本来は四体しか壊れておらず、残る一体――完全な一体が、どこかに隠されている」


「いや、しても、なんのために?」

 と星野里穂が聞いた。


 明智院は一拍置いた。


「それはまだわからない」


「なんだよ」

 と田所刑事が言った。


「だが、そこにこそこの事件の核心がある」

 と明智院は言った。

「壊すだけなら五体を壊せばいい。

 だが犯人はそうしなかった。

 完全な一体を、どこか別の場所へ隔離したのだ」


「ぬいぐるみに対して“隔離した”って言うな」

 と田所。


 明智院は、首のないポチ太をそっと持ち上げた。


「そして特に注目すべきは、この子だ」


「ポチ太?」

 と妙子。


「そう。首のないポチ太。

 顔を失ったその瞬間、この一体は“誰であるか”の識別を奪われる。

 首輪、胴体、手足、その程度でしか個体を判別できない。

 つまり、もっとも偽装に適しているのは首のない一体だ」


 長い沈黙。


「……え、ちょっと待って」

 と星野が言った。

「何を言ってるんですか」


「犯人は、四体からパーツを融通し、首のないポチ太を“偽の五体目”として構成したのだ」

 と明智院は言った。

「見たまえ。

 首のない一体だけは、もっとも個体識別が曖昧である。

 だからこそ、この子に他の子たちの欠損を受け持たせることができる」


「受け持たせるって、分担みたいに言うなよ」

 と田所刑事。


 村瀬香苗が首を傾げた。


「でも、そうすると縫い目とか変じゃない?」

「そこだ」

 と明智院は満足げに言った。

「問題は、犯人がその不自然な縫合をどう隠したかだ」


「嫌な予感しかしないな」

 と田所。


「服か、修理途中という偽装か、あるいは個体差そのものか」

 と明智院は続けた。

「同一に見えて完全な同一ではない量産ぬいぐるみの“ゆらぎ”を利用すれば――」


「ちょっと言いたいことはわかるのが腹立つ」

 と田所が言った。


 明智院は、ポチ太の首元を指した。


「この青いスカーフを見たまえ」

 全員が見る。


 首のないポチ太の首元には、小さな青いスカーフが巻かれていた。


「縫合を隠す布だ」

 と明智院は言った。

「首元の差異、糸の色、布地のわずかな揺らぎ――

 それらを視線から逸らすために、この一体にだけ装飾が与えられている」


 妙子が、おずおずと手を挙げた。


「それ、もともとポチ太のなんですけど」

「何?」

 と明智院。


「その子だけ、最初から青いスカーフついてるんです。

 五つ子わんこの“リーダー役”だから」


 沈黙。


「リーダー役……」

「売ってたときから、そういう設定で」

「だいぶどうでもいい設定だな」

 と田所刑事。


 明智院は一瞬だけ黙ったが、すぐに立て直した。


「よろしい。

 ならば犯人は、このシリーズの個体差そのものを利用した」


「まだ行くのか」

 と田所。


「そうだ」

 と明智院はきっぱり言った。

「同一に見えて完全な同一ではない。

 耳の角度、首輪の柄、縫い目のわずかな差異。

 犯人はその“雑なアソート性”を知っていた。

 だからこそ、パーツの混成が見破られにくいと判断したのだ」


「なんかそれっぽい」

 と星野が言う。


「ちょっとだけな」

 と田所。


 そこで結斗が、小さく手を挙げた。


「えっと」

「何です?」

 と田所。


「コロのこと?」


 沈黙。


「コロ?」

 と明智院が振り向く。


「六番目の子」

 と結斗が言った。

「たまに先生役やるやつ」


 また、沈黙。


 田所刑事が、ゆっくり顔を上げた。


「六番目?」

「うん」

 と結斗。

「棚のかごにいる」


 全員が、手芸室の隅の棚を見る。

 そこには赤いかごが置かれていて、中に同じ犬のぬいぐるみが一体、まるごとな姿で入っていた。


 赤いチェックの首輪。

 垂れた耳。

 黒いボタンの鼻。

 首も、腕も、脚も、胴体も、全部ついている。


「……」

「……」

「……」


 長い沈黙。


「名前は?」

 と妙子が小さく聞いた。


「コロ」

 と結斗が言った。


「六体目かよ」

 と田所刑事が言った。


 明智院だけが、しばらく黙っていた。

 やがて静かに言う。


「……なるほど」


「いや、今回の“なるほど”はちょっと遅いな」

 と田所。


 明智院は咳払いした。

 だがまだ崩れない。

 彼の中では、完全体ポチ太はなおどこかに潜伏していた。


「物理的な完全体は、すでにこちら側にあったということだ」

「最初から棚にいたんですよ」

 と田所。

「あなたが勝手に“潜伏している完全体”を作っただけでしょう」


 明智院は、満を持して振り返る。


「いや、まだ終わっていない」

「終わっててほしいんだが」

 と田所。


「コロは完全体として棚にいた。

 だがそれで、首なしポチ太の不自然さが消えるわけではない。

 真に問うべきは、なぜ犯人が“完全な一体の存在”をあえて残したのかだ」


「いや、先生役だからでは?」

 と結斗が言った。


 また、沈黙。


 星野が顔を覆う。


「先生役」

「うん」

 と結斗。

「いつもそう」


 明智院は、それでもなお何かを掴みかけた顔をしていた。


「……そうか」

「何が“そうか”なんです?」

 と田所。


「完全体を残した理由があるということだ」

「先生役だからだって言ってるだろ」

「それは表向きの説明にすぎない」

「児童館に“表向きの説明”とか要らないんだよ」


 手芸室には、五体の欠損ぬいぐるみと、一体の完全体があった。

 だが明智院金四郎は、まだ納得していなかった。


 彼の中では、完全体のポチ太はなおどこかに潜伏し、首なしの一体はなお四体から縫い合わされた偽りの五体目でありつづけていた。


 そしてもちろん、周囲の全員が、それをめんどくさいと思い始めていた。


 後編へつづく。

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