第16話 仮面の男はだいたい本人
事件が起きたのは、午後七時十分。
山あいの温泉旅館《鶴乃湯別館》の大広間で開かれていた、旧家・鷺沢家の親族会の最中だった。
もっとも、最初に皆の注意を奪ったのは事件ではなく、男だった。
広間の床の間の脇、少し灯りの届きにくい場所に、その男は座っていた。黒紋付に白い足袋、背筋だけは妙にきれいで、顔には古風な白い仮面。能面ほど本格ではないが、十分に「何かありそう」と思わせる顔つきで、口元も目元も隠れている。表情は読めない。ただ、そこにいるという事実だけが、場の空気を少しだけ湿らせていた。
親族の誰も、その男について多くを語らなかった。
「あの人は?」
と田所刑事が小さく聞いたときも、
「親族です」
と旅館女将が言い、
「事情があって」
と長男が言い、
「昔から、ああなんです」
と誰かが言った。
全部言ってるようで、何も言っていなかった。
そして、明智院金四郎はその男をひと目見た瞬間、明らかに元気になった。
「……なるほど」
「始まったな」
と田所刑事が言った。
「まだ何も起きてませんけど、頭の中ではもう二回くらい家督争いが起きてる顔してますね」
「そんなことはない」
と明智院は言った。
「だが、仮面の男が親族会にいる時点で、状況はかなり良い」
「良くはないだろ」
と田所。
鷺沢家の親族会は、亡くなった先代当主の三回忌を兼ねていた。集まっていたのは、現当主代理の長男・鷺沢慎吾、その妹の志保、慎吾の妻・麻里、古参の家政婦・八重、それに数人の親族。そして、仮面の男。
その男の名は、鷺沢清高と紹介された。
「清高さんは、顔に少し事情があって」
と慎吾が言った。
「人前では、ああしているんです」
「なるほど」
と田所刑事は言った。
「そこまではまあわかるとして」
志保が、味噌汁みたいに当たり前の顔で付け足した。
「あと、たまに入れ替わるのよ」
「は?」
と田所。
「親族会とか法事とか、長いでしょ」
「まあ」
「だから、気が向かない日は従兄弟とか若い子が代わりに入ってるの。
仮面かぶって黙ってれば意外とわからないし」
田所刑事が、ゆっくり明智院を見る。
「聞きました?」
「聞いた」
と明智院は低く言った。
「今、盛り上がりました?」
「少しだけ」
「だめだこりゃ」
「でも別に大秘密ってほどじゃないのよ」
と志保は続けた。
「みんなだいたい知ってるし」
「知ってるんだ」
「“今日は本人かな”くらいの話」
「親族会としてどうなんだ、それ」
と田所。
麻里が肩をすくめる。
「清高さん、昔から親戚づきあい嫌いなの。
説教も嫌い、酒も嫌い、長話はもっと嫌い。
だから仮面の中身が時々違う」
「理由がしょうもないな」
「そこがあの人らしいのよ」
明智院だけが、何かもっと大きな意味を掘り起こそうとする目をしていた。
「仮面。
入れ替わり。
親族会。
やはりそうか」
「まだ何も起きてないんですよ」
と田所。
事件が起きたのは、その十五分後だった。
慎吾が親族の前で相続と今後の屋敷管理について話し始めた、その最中。突然、床の間の脇で低い音がした。小机が揺れたような、杯が倒れたような、短い音だった。
全員が振り向いたとき、仮面の男――清高が、座布団ごと横に倒れていた。
胸には、菓子皿の脇に置かれていた菓子切り包丁が、きれいに突き立っていた。
悲鳴が上がった。
杯が落ちた。
旅館の女中が泣きそうな声を出し、八重はその場にへたり込んだ。
田所刑事が駆け寄り、首元に手を当てる。
そして静かに首を振った。
「死んでます」
大広間は、一気に“親族会”から“事件現場”へ変わった。
外は山に囲まれた別館。雨は強く、道はぬかるんでいる。旅館側の話では橋の向こうで小さな土砂崩れがあり、車はしばらく通れないらしい。電話も山の天気で不安定。つまり、ゆるやかなクローズドサークルだった。
そして大広間には、死体と、仮面と、ざわつく親族たちがいた。
明智院が、そこでゆっくり立ち上がった。
「犯人は、この中にいる!!」
沈黙。
「ええ、そうでしょうね」
と田所刑事が言った。
「広間の中で刺されたんですから」
「雑だな」
と明智院は言った。
「仮面の男が親族会の席で死ぬ。
しかもこの家では、仮面の男が日常的に入れ替わる。
この状況で、その一言を雑に扱うのはよくない」
「今、だいぶうれしそうでしたね」
と志保が言う。
「否定はしない」
と明智院。
慎吾は青い顔で立っていた。
「清高さんが……」
「確認します」
と田所刑事。
「これ、そもそも今夜の中身は本当に清高さん本人なんですよね?」
親族たちが一斉に、妙な顔をした。
「……たぶん」
と麻里が言う。
「たぶん?」
「だって、始まる前にもう座ってたし」
「私は本人だと思ってました」
と八重。
「でも途中で入れ替わることも、普通にあるので」
「あるんだ」
「あります」
「それ“あります”で済ませていい文化なのか?」
と田所。
志保が言った。
「まあでも、今日は法事寄りの集まりだし。
さすがに本人じゃない?」
「いや、逆にこういう堅い場だからこそ嫌がって、入れ替わる可能性もある」
と慎吾。
「でも、始まる前に哲也くん来てた?」
「来てないと思う」
「圭介くんは?」
「いや、あの子ならもっと背が高いでしょ」
「体格的には本人っぽかったわよ」
と麻里。
明智院の目が、危険なほど輝き始めた。
「なるほど。
つまり今夜の最大の謎は、“誰が刺したか”だけではない。
“誰が刺されたか”でもある」
「きたな」
と田所刑事が言った。
「ここから長いぞ」
明智院は死体を見下ろし、重々しくうなずいた。
「考えてみたまえ。
この家では、仮面の男は時々別人だ。
ならば今夜もまた、本人である保証はない。
もし中身が清高でなければ、この殺人は“清高殺し”ではなく、“清高に見せかけた別人殺し”になる」
「言い方はそれっぽいけど」
と麻里。
「しても、あんまり意味なくない?」
「そうなのよね」
と志保。
「たまに入れ替わってるの、みんな知ってるし」
「つまり別人を殺しても、結局あとでバレる」
と慎吾。
「そう。
だからそんなことしても、あんまり得しない気がするのよ」
明智院は、その常識的な反応を受けてもまったくひるまない。
「浅い」
と彼は言った。
「意味がないように見えることこそ、意味がある」
「出たな」
と田所。
「“意味がないように見えることこそ意味がある”は、だいたい意味ないときに言うやつですよ」
明智院は続ける。
「もし犯人が、“中身はどうせ誰かわからない”という家族の怠慢を利用したとしたら?」
「怠慢っていうか、慣れです」
と志保。
「それだ」
と明智院。
「慣れは盲点を生む」
「言いたいことはわかるけど」
と麻里。
「でもそのために、わざわざ入れ替わり文化を利用して殺すかなあ」
「だいたい本人が嫌いなら本人のとき狙えばいいだけだし」
と慎吾。
「それはそうだな」
と田所。
それでも明智院は執拗だった。
「いや、まだわからない。
むしろ、ここで“意味がない”と思わせることに意味が――」
八重が、小さく手を挙げた。
「あの……」
「何です?」
と田所。
「仮面取ったらわかるんじゃないですか?」
沈黙。
長い沈黙。
田所刑事が、静かにうなずいた。
「……それはそうだな」
「まあ、そうね」
と麻里。
「うん」
と慎吾。
「最初からそれでよかったんじゃない?」
と親族の一人が言った。
明智院が、ほんの少しだけ顔をしかめた。
「待ちたまえ」
「何です」
と田所。
「仮面とは、そう軽々しく――」
「本人確認のほうが先です」
と田所刑事。
「今は美学より検視です」
仮面の紐がほどかれた。
白い面が持ち上がる。
下から現れたのは、少し焼け爛れた痕のある中年男の顔だった。
「……清高さんですね」
と慎吾が言った。
「本人だったか」
と志保。
「本人ね」
と麻里。
「清高様です」
と八重も言った。
また沈黙。
明智院だけが、少し遠くを見ていた。
「……そうか」
「何が“そうか”なんです?」
と田所が聞いた。
「仮面の下に、特に第二の謎はなかったということだ」
「最初からその可能性が一番高かったんですよ」
明智院は咳払いした。
だが崩れはしない。むしろ、ここから妙に元気になった。
「いや、むしろここからだ」
「嫌な予感しかしませんね」
と田所。
明智院は、清高の死体を見下ろして重々しく言った。
「この家では、仮面の男はだいたい本人だ」
「そうね」
と志保。
「でも、ときどき別人でもある」
「そうなのよ」
と麻里。
「法事とか親族会とか長いと、本人が途中で嫌になって」
「雑な運用だな」
と田所刑事が言った。
「雑ではない」
と明智院は言った。
「量子的だ」
沈黙。
「嫌な予感しかしないな」
と田所。
明智院は人差し指を立てた。
「確認されるまで、その男は清高でもあり、清高でない誰かでもある。
つまりこれは、仮面のシュレディンガーの猫だ」
さらに長い沈黙。
「仮面の親戚でやるなよ」
と志保が言った。
「箱の中の猫と同じことだ」
と明智院。
「観測されるまで、正体は二重に存在している」
「いや、うちは猫じゃなくて親族なんだけど」
と麻里。
「しかも、さっき観測して終わったでしょ」
と慎吾。
「そこが浅い」
と明智院。
「この家では、“今夜の仮面の中身が誰か”を誰も真面目に確かめようとしない。
だから“仮面の男”という箱の中に、本人と別人がだいたい同居しつづける。
その曖昧さこそが、今夜の事件の土壌だ」
「言いたいことはわかるけど」
と田所は言った。
「言い方がいちいち腹立つんだよな」
それでも、全員が少しだけ納得したのも事実だった。
たしかにこの家では、仮面の中身を確かめることは、ずっと後回しにされてきたのだ。
田所は、死体の周囲を見直した。
倒れた座布団。
転がった杯。
菓子切り包丁。
そして、ほんの少しだけ乱れた紋付の袖。
「争った感じは弱いですね」
と麻里が言った。
「ええ」
と田所。
「座った相手に、かなり近い位置から一撃で刺してる。
叫びもなかった。
つまり“普通に近づけた人間”がやった可能性が高い」
「普通に近づけた人間」
と慎吾が繰り返す。
「親族会ですから、全員まあまあ近づけますね」
と志保。
「それもそうだな」
と田所。
そこで明智院が、ゆっくりと一歩前へ出た。
「最後のピースが見つかったね」
「今回は何です?」
と田所。
「“だいたい本人”だ」
「は?」
と慎吾。
「この家では、仮面の男はだいたい本人。
つまり親族たちは、“今日は本人かな、別人かな”くらいの曖昧な認識で彼に接していた。
だからこそ、そこにいる人間の言葉や感情の重みまで、どこか曖昧になる。
この事件は、その曖昧さの上で起きたのだ」
「言いたいことはわかる」
と志保。
「でも、誰が刺したかはまだ全然わからない」
「いや、わかる」
と明智院は言った。
「志保さん。あなたですね」
「やっぱり来たか」
と志保が言った。
慎吾が顔をしかめる。
「理由は?」
「倉だ」
と明智院。
「母の着物。
家の記憶。
管理の一元化。
そして清高氏の不用意な一言。
あなたはそれに耐えられなかった」
「まあ、そこはわかる」
と麻里が言う。
「さっきからだいぶ効いてる顔してるし」
志保は黙っていた。
だが田所刑事はすぐに首を振った。
「惜しいようで惜しくない」
「何?」
と明智院。
「動機はありそうです。
でも、ここで刺すには位置が合わない」
「位置?」
「志保さんが座っていたのは慎吾さんの隣。
そこから清高さんを一撃で刺すなら、かなり大きく身を乗り出すか、立つかしなきゃいけない。
誰かしら見ますよ」
「じゃあ」
と明智院。
「麻里さんですね」
「雑だなあ」
と麻里。
「あなたは給仕で自然に近づける。
しかも途中で杯を置き違えた。
つまり手元が清高氏の近くへ行っている」
「それと刺すのは全然違うでしょ」
と麻里。
「それに私はそのとき、まだ生きてる清高さんの前に杯を置いただけ。
刺すならその場でしょう」
「うむ」
と明智院。
「では慎吾さんだ」
「順番に雑に切ってるだけじゃないですか」
と田所。
「違う。消去法だ」
「雑な消去法だな」
慎吾は深く息を吐いた。
「俺は前に出て相続の話をしてたんですよ。
あの場で人を刺して、何食わぬ顔で話を続けるのは無理でしょう」
「そうとも限らない」
と明智院。
「むしろ話しながら刺すことで、視線を自分から逸らさせる高度な――」
「はいはい」
と田所が止めた。
「それ以上育てない」
そこで、ずっと黙っていた八重が、ぽつりと言った。
「でも……清高様、最初から少し変でした」
全員がそちらを見る。
「変?」
と田所。
「ええ。
いつもなら、もう少しこう……座り方がだらしないんです。
仮面をつけていても、肩が少し落ちていて。
でも今日は最初から、やけにぴんと背筋が伸びていて」
「本人じゃなかった?」
と明智院が身を乗り出す。
「いや、顔は本人なんですよね?」
と田所が冷たく言った。
八重はおろおろしながら続ける。
「顔は清高様でした。
でも、なんだか妙にきちんとしていたというか……。
まるで、“今日はちゃんと自分です”って見せたがってるみたいに」
その一言に、田所刑事の目つきが少しだけ変わった。
「……見せたがっていた」
と彼は繰り返した。
「ええ。
今日は本人かどうかなんて、皆そんなに気にしていないはずなのに、逆に“今夜は自分だ”って、ちょっと主張してるような」
「なるほど」
と田所が言った。
「何が」
と明智院。
田所は、清高の袂からのぞく紙片を取り出した。
半分折れたメモだった。
今夜、倉のことを皆の前で話す
あの件も含めて、もう黙っていない
志保の顔から血の気が引いた。
「“あの件”?」
と慎吾が聞く。
麻里が、小さく言った。
「昔、清高さん、倉の着物を何枚か勝手に外へ持ち出してたことがあったの」
「何だって」
「古物商に見せて、値を聞いてたのよ。
大ごとにはならなかったけど、家の中ではずっと嫌われてた」
志保は静かに言った。
「知ってたら、もっと早くぶっ飛ばしてた」
「言葉が物騒だな」
と田所。
「でも刺してません」
と志保は続けた。
「私はたしかに腹は立った。
でも、そのあと兄さんが話してる間、私はずっとその場にいた」
「証明できます?」
と田所。
「できます」
と慎吾が言った。
「少なくとも、俺の隣から大きく動いてない。
“倉の話をここで出すな”って、袖つかまれたし」
「それはかなり具体的だな」
と田所。
明智院が、不服そうに腕を組む。
「では誰だ」
「そこですよ」
と田所。
彼は、ゆっくりと八重を見た。
八重は、はっとして身を縮めた。
「えっ、私?」
「あなたはさっき、“酒の追加を置いた”と言いましたね」
「はい」
「どこに?」
「床の間脇の小机に……」
「つまり清高さんのすぐ横です」
八重は青ざめる。
「でも、私は刺してません!」
「そうでしょうね」
と田所。
「あなたがやったなら、もっと震えてます」
「じゃあなんなのよ」
と志保。
田所は、小机の位置を少し動かした。
「この机、清高さんにかなり近い。
酒を置くとき、自然と体を少しかがめる。
その瞬間、仮面の紐や袂、座布団のあたりまでよく見える」
「ええ」
と八重。
「そのとき、誰か別の手が出たのを見ていませんか」
「……」
八重は唇を震わせた。
「見たんですね」
と田所が低く言う。
「……麻里様の手が」
八重は絞り出すように言った。
「杯を置き直すとき、すっと前に……。
でも、まさか刺すなんて思わなくて……」
大広間が凍りついた。
慎吾が妻を見た。
「麻里?」
麻里は少しのあいだ何も言わなかった。
やがて、深く息を吐いた。
「そう」
「なんで」
と慎吾の声が、少しだけ裏返った。
麻里は、倒れた清高を見た。
「だって、この人、今日はちゃんと本人だったから」
明智院がぴくりと反応する。
「ほう」
「そこか」
と田所刑事が言った。
麻里は静かに続けた。
「この家じゃ、仮面の中身なんて曖昧なこともある。
でも今日は違った。
あの人、自分で口を開いたもの」
「発言内容か」
と田所。
「ええ」
と麻里。
「“ようやくあの倉も開くのか”って。
あんな嫌味、あの人しか言わない。
代わりに入ってる従兄弟たちは、だいたい黙って座ってるだけだし、余計なことは言わない。
でも今夜の清高さんは、本人しかやらない調子で、本人しか言わない嫌味を言った」
志保が、ゆっくり顔を上げた。
「……そうね」
「だから私は、中身を確かめる必要がなかった」
と麻里は言った。
「仮面を取らなくても、“今日は本人だ”ってわかった。
そのうえで、あの言い方をされて……腹が立った」
「何に」
と田所。
「あなたの借金のことを、あの人ずっと知ってたのよ」
と麻里は慎吾を見た。
「しかもそれを、ここぞってときに匂わせてくる。
“倉を管理する前に、管理されるべき人がいるんじゃないか”ってね。
私は、その一言が許せなかった」
慎吾は何も言えなかった。
明智院だけが、そこでぽつりと呟いた。
「なるほど。
仮面ではなく、嫌味だったか」
「かなりそうですね」
と田所。
「今回は仮面の正体じゃなくて、“本人しか言わない一言”が本人確認になってた」
「嫌な本人確認だな」
と志保が言った。
明智院は静かに一歩前へ出た。
「犯人は、この中にいた」
「今回は完全にそうでしたね」
と田所。
「しかも仮面とか入れ替わりとかより、もっと普通の感情だった」
「そうだ」
と明智院は言った。
「仮面には理由があった。
入れ替わりも、実際にあった。
だが事件の本質はそこじゃない。
人は意味ありげな記号に飛びつく。
しかし、実際に刃を持つのは、もっと普通で、もっと嫌な感情だ」
「今回はちゃんとしたこと言ってるな」
と田所。
明智院は少しだけ不満そうだった。
「だが私は、仮面がもう少し事件に食い込むことを期待していた」
「やっぱりな」
と田所。
「“今日は本人かな”くらいの緩い運用じゃ、あなたは満足できなかったんでしょう」
「だいぶ」
と明智院は言った。
その夜、明智院金四郎の事件ノートにはこう記された。
『仮面の男はだいたい本人』
犯人はこの中にいた。
だが仮面は、事件の芯ではなかった。
それはただ、その人が仮面を好み、時々別人と雑に入れ替わるという、
いかにも意味ありげで、実際にはあまり意味のない習慣にすぎなかった。
だが、本人しか言わない嫌味だけは、仮面を越えて本人のものだった。
人は記号に飛びつく。
しかし事件を起こすのは、たいていもっと普通で、もっと嫌な感情だ。
それを横から読んだ田所刑事は、静かに言った。
「今回はほんとに、“シュレディンガーの親戚”に探偵だけが過剰反応した話だったな……」




