第一章 弔い写真 第六話
大学の友人である徒野叶佑から聞いた話だ。翠恋たちは、今年から大学四年生。卒業論文や卒業制作、就職活動も大詰めの時期だった。
翠恋が通っているのは美術大学のため、卒業論文か卒業制作のどちらかを選択することができる。これは翠恋も叶佑も卒業制作を選択していた。
四年次から選択できる専攻で翠恋は絵画コースを、叶佑は彫刻コースを選んでいたので授業が被ることは少なくなったが、それでも入学当初から仲の良い友人だ。お昼の時間が被れば一緒に食べることもあるし、雑談もする。これは、そんな時に聞いた話だった。
「卒業制作はどう?順調?」
「ちょっと迷走気味。一回スタート地点に戻って、改めて考えてみるつもり」
夏に向けて短く整えられた飴色の髪を軽く乱すように撫でるのは、何か悩んでいる時の叶佑の癖。大学生活を共に過ごしているうちに見抜けるようになったわけだが、珍しくも迷走しているらしい。
藍色よりも薄く、浅葱色よりも濃い青色の瞳は、悩んでいても変わらず静かな湖畔のようだ。目は魂の窓である、なんて言葉もあるけれど、まさに湖畔のような瞳の通りに叶佑はとても穏やかな男の子だった。
この瞳が変化するのは叶佑が本気で怒った時だけだと翠恋は記憶している。それも見たのはたった一回だけ。
あれは確か、たまたま同じ企業の面接を受けた時だったと思う。面接官のおじさんに「芸術なんてただの趣味」みたいなことを言われて馬鹿にされたことがあった。そこは芸術系に一切関係のない一般企業だったので、そういう人がいるのも仕方がない。
そしてここは一応面接の場。ここで反論して、万が一にも揉めて騒ぎを起こして次の世代にまで迷惑を掛けるわけにはいかない。いや、いっそこんな人がいるような企業を後輩たちが受けて時間の無駄遣いをしないように一言物申しておくのもありかもしれない、なんてことを考えもしたけれど、生憎と翠恋にはここで口を開く度胸はない。
だから翠恋は黙っていたし、それは叶佑も同じだった。けれどふと隣を見上げて目に入ってきたのは、いつも変わらない湖畔のような瞳に熱が宿り、まるで冷たい炎のような青色だった。それがあまりに鮮烈で、印象的で、ずっと忘れられないでいた。
余談だが、この時の面接は二人とも駄目だった。まぁそれは仕方がないし、受かっていても次には進まなかっただろう。
「いつもやってることと同じじゃんって思ってたけど、卒業制作となるとなんか難しいよね」
「そうだね。思ったより進まなくて、焦る」
「まぁまだ時間はあるし、試行錯誤しながらやるしかないか」
とは言ってみたものの、翠恋にも焦りはあった。
この時期は卒業制作に就職活動にととにかく忙しいと先輩たちから聞いていたこともあって、早め早めに準備をしてきたつもりだった。それは翠恋だけでなく叶佑も、他のどの学生も大体同じだろうけれど、やっぱりみんな同じように行き詰まったりバタバタしたりと忙しそうにしている。
中には既に就職活動を終えて卒業制作に専念している人もいたけれど、それはごく一握り。そのうちの何人かはそもそも就職せずにアルバイトをしながら作家活動をしていくとかで、最初から就職活動そのものをしていない人も含まれる。
だから、そう、まだ誰もが卒業制作と就職活動に追われている時期で、二人が特別遅れているわけではない。それだけは多少の救いだった。
「翠恋のテーマも“永遠”だったよね?進んでる?」
「一昨日は凄い進んだんだけど、昨日からパッタリだし、なんか今日も駄目そう」
「翠恋はムラがあるからなぁ」
「叶佑は一回集中したら凄いよね。話しかけても全然反応してくれない」
「ごめんって」
卒業制作や卒業論文を作るにあたって、生徒たちは自分でテーマを設定することになっている。翠恋と叶佑は偶然にも、“永遠”という同じテーマを設定していた。けれど突き詰めれば、詳細は結構違う。
叶佑は、永遠とは何か。永遠は本当にあるのかをテーマに。翠恋は、芸術は永遠なのかをテーマにしてそれぞれに卒業制作に勤しんでいる。
翠恋なりに毎日真剣にこのテーマと向き合っているのだが、叶佑が言ったように如何せん集中が続かない。湧き上がってくるものがあれば何時間でも、それが止まるまで筆を動かし続けるのだが、何もなければ丸一日キャンバスと向かい合っていても全く一筆たりとも進まないこともある。
それがまさに昨日だった。一昨日の勢いが嘘のように、もう何も湧き上がってこないのだ。こうなってしまったら待つしかない。いつもそうだ。気分転換にスミレの絵を描いたり、思い付くままに落書きしたり、本を読んだり音楽を聴いたり、こうして人と話したりお風呂に入ったり。何かしらやっているうちにまた自然と湧き上がってくる。
どうやらこれは翠恋だけに限った話ではないようだった。物凄い集中力を誇る叶佑も、ふと集中が切れるとその後は空っぽになったような感覚に陥るらしい。それから早ければ一日、長ければ数週間ほど空っぽの期間が続き、ある日突然アイデアが降って湧いてくるという。以前、お皿を洗っている時に湧いてきて驚いたと叶佑は語っていた。
「二人して空っぽの期間に揃って悩んでても仕方がないし、最近聞いた怖い話でもしようか」
「え~怖い話?なんで?」
「こういう時には刺激も必要でしょ?」
「まぁ、そうかもしれないけど」
叶佑が言う通り、刺激も必要だと思う。昨日一日はキャンバスを前にしてひたすらぼんやりして過ごした。ある意味リラックスした状態だったわけだ。それで何も湧き上がってこなかったのなら、今度は脳を刺激してみる。これで駄目ならまた何も考えずリラックスした状態で過ごして、駄目なら刺激を取り入れる。その繰り返し。空っぽの期間を脱したい時に二人がよくやる方法だ。
翠恋は絶賛スランプだし、叶佑も迷走気味。なら、やらない手はない。
「でも、あんまり怖いのは無しね!ほどほどでお願い!」
「怨霊に襲われるとかじゃないから、大丈夫だと思うよ。怖いというより不思議な話かも」
そうして叶佑によって語られた不思議な話というのが、“ピエロの風船”だった。
「翠恋も知ってると思うけど、僕たちの一つ上の先輩……紅露嘉月先輩と青石神楽先輩の話だ。神楽先輩も今の僕たちと同じように、卒業制作と就職活動に追われていた」
時期としては去年の、ちょうど今頃の話だという。叶佑は今でも何かとお世話になっている嘉月からこの話を聞かせてもらった。恐らくは神楽と同じように卒業制作と就職活動に悩む叶佑のことを心配してのことだろう。
「卒業制作はスランプに陥って思うように進まず、就職活動も難航していた。神楽先輩はかなり焦っていたらしい」
きっと周りをよく見てみれば、同じような状況の生徒はたくさんいたことだろう。けれどより目に入りやすい身近にいたのは、院進を決めた友人や就職先を決めた友人、卒業論文なり卒業制作なりが順調に進んでいる友人ばかり。
何も気にせず伸び伸びとした環境を与えられているにも拘らず、自分だけが立ち止まり、空回っている。
日に日にそんな思い込みに浸食されていくようになった。
「そんなある日、嘉月先輩は神楽先輩から不思議な話を聞いた」




