第二章 記憶の本 第十三話
「それなら、俺も細に余計なことを教えたかも」
少し早めに閉店した月光茶店のカウンターで愛瑛佳の話を聞きながら、啓嗣は珍しく細が一人でここを訪れた日のことを思い返していた。
胡蝶が亡くなってから数ヶ月が過ぎようとしていた頃だ。年が明け、冬の寒さはとうに過ぎ去って春らしいどころか夏も近いのではないかという気温を記録したある日の午後。細は一人で異界喫茶を利用した。
といっても、噂を聞きつけたわけではなく怪異に詳しい友人に知恵を借りに来た、といった様子だったが。
「凄くざっくりした言い方になるけど、昔の気持ちを思い出せる怪異とかっているのか?あと、……人を殺す声を与える怪異、とか」
カウンターの、いつもの席。愛瑛佳と胡蝶の場所をきちんと空けた定位置に座っていつも通りに甜茶を飲みながら、そんなことを聞いてきた。最初は普通の声量だったのだが、二つ目の怪異について尋ねる声は心なしか小さい。
「いるよ。名前も知ってるけど、二つ目の怪異は教えられない」
「なんでだよ?」
「細が渉夢に教えて、それで一も二もなく払ってお仕舞だから。昔の細と同じだよ」
怪異に頼る人には必ず、そうしなければならなかった事情がある。そして啓嗣は聞かれれば、噂話と交換で想いに添う怪異の名前を教える。すると怪異はその人の元へ現れて、想いに添ってくれる。
では、渉夢たちのように怪異の名前を捜査したいならどうするか。啓嗣の逆をやればいい。事情を知って、その事情に添ってくれる怪異の名前を見つけ出す。
けれど既に名前を取っている怪異なら、わざわざ逆を辿る必要はない。名前を取るために事情を知ることが必要なだけで、事情を知らなければ怪異を払えないというわけではないのだから。
怪異に頼った人間の事情を必死に探っているように見えても、名前さえ取ってしまえば彼らも事情なんて関係ない。まずは解決で、事情は後だ。
「だから教えない。それに、事情のほうをほったらかしにして払ったところで必要な人はまた怪異に頼るから、意味もないしね」
「……分かった」
そういった状況に、細も心当たりがあった。
外から見たら怪異の被害者のように見えてもその実、本人が願って怪異の力を借りているのだ。何度払ったところで、願うきっかけをどうにかしなければ結局同じことの繰り返しになる。
昔の細とは違い、今はもう啓嗣の言い分に納得することができるから、素直に引き下がってもう一つの用件へ話題を移した。
「一つ目の怪異の名前は、教えてもらえるか?俺が思い出したいんだ」
「そういうことなら、教えるよ。だけどこれも商売だから、細の知ってる噂話一つと交換になるんだけど……」
「噂話か……渉夢が話してくれたやつくらいしかないんだけど、流石にそれじゃズルいよな」
「いいよ。元々ここは、そうやってズルをするための場所なんだから」
そうして啓嗣はこの日、細から“遊園地の招待状”の話を聞いたのと交換で“想出回廊”という怪異の名前を教えた。
「細は近いうちに必ずトンネルの夢を見るよ。それが“想出回廊”。この怪異がきっと、細の想いに添ってくれる」
啓嗣が関わることができるのはここまで。ここから先、一体いつ細の夢に“想出回廊”が現れて、何を思い出すのかは分からない。
けれど恐らく、何かを思い出したから単独捜査なんて行動に出たのだろう。
だから愛瑛佳が余計なことを言ったのなら、啓嗣だって余計なことを教えたのだ。
そんな話をすると愛瑛佳は少し笑って、「ありがとう」と言った。それからとっくに閉店時間を過ぎていることに気が付いて、謝りながら慌てて帰っていったのだった。
その日から数ヶ月が経ち、胡蝶と細がいない日常の中で愛瑛佳は警察官として立派に働き続けていた。時折月光茶店に立ち寄ってはいつもの席でいつものカフェオレを飲んで仕事に戻っていく。そんな姿を見慣れつつあった。




