第一章 弔い写真 第十三話
それから数日が経ち、翠恋は順調に卒業制作を進めていた。とはいえ相変わらず集中にムラがあり、今まさに集中力が途切れたタイミングだった。このまま粘ってもいいことはない。
一度休憩を挟もうと部屋を出て、キッチンでコーヒーを入れる。ついでに甘いものも食べたかったので冷蔵庫からチョコレートを取り出して、コーヒーと一緒に運んだ。
こんな時、スミレがいたら足元をパタパタと尻尾を振りながら歩き回って、「危ないよ」と注意しながらも笑っていたことだろう。
今はまだこうして日常のふとした中でスミレの気配を思い出すことができるけれど、きっといつかその記憶も薄れていくのだろう。翠恋は相変わらずそんな恐怖を感じていた。
異界喫茶で“弔い写真”という怪異の名前を教えてもらったものの、未だその写真が翠恋の手元に現れる気配はない。実際に動く写真の実物まで見たからには疑う気持ちはないけれど、まだかまだかと落ち着かない気持ちにはなる。
けれどそれではいけないと、気分転換も兼ねて散らかった部屋の掃除をすることにした。卒業制作や就職活動の忙しさにかまけて散らかり放題に散らかっていることが気になってはいたのだ。
どうせ後で使うからとそこら辺に置きっぱなしにしていた画材道具や、すぐ使うつもりで結局使わなかったスケッチブック、きっとまた参考のために開くだろうと本棚に戻さず出したままだった画集など……改めて見ると本当に散らかっていた。
何故か床に落ちていたスケッチブックを拾って机に置き、画材道具も全て集めてお決まりの場所に綺麗に整理する。一応自分が使いやすいように物を置く位置は決めているので、使った後きちんとそこに戻しておけば常に綺麗なはずなのだ。
ただ何かと忙しくなると掃除に手を抜きがちなだけで……なんて心の中で言い訳をしながら画集を拾い上げる。当時の自分は何を参考にしようと思っていたんだっけ、と過去に想いを馳せながらパラパラとページを捲っていると、画集の間から何かが落ちた。
「これ、スミレの写真……こんなの撮ったっけ?」
画集を本棚に戻し、床に落ちた紙を拾ってみると、それはスミレの写真だった。場所はこの家のリビングで、窓の外を見つめている後ろ姿。
確実に翠恋が撮ったものではない。翠恋はいつも、スミレの顔が写るように撮っていたからだ。
母が撮ったものの中には、こういうのもあった気がする。毎回写真と一緒に「待ってるよ」とスミレの様子を伝える一言が送られてきていた。けれどそれをプリントした記憶はない。
もしかして母が自分でプリントしたものを翠恋に渡そうとしたのかとも考えたが、画集に挟んでおく意味もなければ母がスマホから写真をプリントアウトできるとも思えない。
ならこの写真は、まさか……。
「……動いた」
期待でドキドキと忙しなく動く心臓の鼓動を感じながらじっと見つめていたその写真が、あの日異界喫茶で見た写真と同じように動き出した。
窓の外を見つめて座っていたスミレがゆっくりと立ち上がる。それから振り返って、嬉しそうに尻尾を振りながらこちらに向かって走ってくる。そのまま走り抜けて一度フレームアウトしたスミレだったが、またすぐに写真の中に戻ってきて、今度は翠恋の方を向いてお座りをしている。
「これが、“弔い写真”」
名前だけを聞いたら恐ろしい想像をしてしまいそうな怪異。でも実際は全く怖くない。スミレは生きていた頃と変わらない、真っ白な美しい毛並みと大きな黒い瞳でそこに、写真の中にいる。
わんわん、と写真の中でスミレが吠える。実際にその声が聞こえてくるわけではないけれど、こんな風に鳴いていたなと思い出させてくれた。
「この写真があれば、絶対に何も忘れないね」
大切なこの写真がどこかに行ってしまわないように、写真立てに入れておこう。
そう思い立った翠恋は、去年の誕生日に叶佑から貰った写真立てを使うことにした。木で作られたフレームはシンプルなようで、実はそのフレーム部分に結び水引の紋が刻まれている凝った写真立てだ。しかもその紋は手先の器用な叶佑が自分で彫ったのだ。何故結び水引なのかというと、翠恋の誕生日で調べて出てきた花紋がそれだったかららしい。
翠恋はこの写真立てをとても気に入って、お気に入りの風景写真を入れて机に飾っていた。その風景写真を抜いてしまうことには迷いもあったけれど、やっぱり“弔い写真”を飾っておくならここがいいと思った。
風景写真を飾る場所はまた今度考えよう。そう心を決めて、翠恋は“弔い写真”を机の上に飾った。
怪異は、この“弔い写真”は、もういいと伝えるまで翠恋の手元に在り続ける。翠恋が、スミレのことを忘れていってももう大丈夫だと思えるようになるまで、ずっと、永遠に。
「ずっと一緒にいようね、スミレ」
わん、と。返事をするように、“弔い写真”の中でスミレが一声鳴いた。




