第一章 弔い写真 第十二話
何とか気力を振り絞りながらも日に日に薄れていく記憶に恐怖を覚えていた大学時代、啓嗣は“弔い写真”を知った。
それを教えてくれた女性と出会ったのは本当に偶然だった。
いつもだったら、大学へ行くのに切符を買う必要はない。けれど長期休暇の期間中でそんなに大学へ行く用事もないからと定期券を更新していなかった期間に、どうしても図書館で資料を探す必要が出てきてしまったのだ。
そこで久しぶりに券売機で切符を買った後だった。ちょうど啓嗣が使った券売機の足元に、パスケースのようなものが落ちているのを見つけた。落ちた拍子に開いたのだろうケースの中には写真が仕舞ってある。
この人が持ち主だろうか?と軽く辺りを見回したものの、それらしき人物は見当たらない。失くしたことに気付けば探し回るだろうし、駅員に預けておこう。
そう思ってパスケースを片手に駅員を探そうと歩き始めた時、キョロキョロと何かを探しながら歩いている女性を見つけた。
「あの、もしかして探し物ってこれですか?」
彼女がパスケースの持ち主であるという確証はなかった。それでも、せっかく探しに戻って来たのにすれ違うよりはいいだろうと声を掛けたのだ。
パスケースの表を見せるより中身の写真を見てもらった方が確実だろうと、開いた状態でそれを差し出す。大人しそうなその女性は最初こそ困惑している様子だったが、写真を見るとハッと表情を変えた。
「そうです!これを探していて……拾ってくださって、ありがとうございます」
「いえ。持ち主が見つかって良かったです」
静かな声の人だ。けれど駅構内の喧騒の中でも搔き消されることのない不思議な声だった。
そんな声に一瞬気を取られたことを誤魔化すように、写真に目線を落とす。すると、さっきまで普通の男性の写真だったものがにこりと笑って手を振った。
「動く写真、ですか」
「あ、はい。そうなんです」
「怪異ですね」
女性は黙っていたが、怪異だという確信があった。大学で怪異を学び、怪異に対する解釈を自分なりに作り上げてきたからこその直感だ。
怪異とは何か。それが啓嗣の研究テーマ。
怪異、言い換えればオカルトや化け物、妖怪。有名なところでいえばドッペルゲンガーや鬼、妖狐などが挙げられる。これらは創作物に於いて基本的に怖いもの、悪いものとして書かれることが多い。
確かに、人に害や恐怖を与える怪異もいる。けれど、怪異は決して悪いものではない。
これがいくつもの事例を検証し、解釈して辿り着いた結論だった。
思えば、大学で怪異の研究をしたいと言った時、反対する両親を一緒に説得してくれたのは姉だった。
理由なく怪異は生まれない。どうか、想いにそってくれ、と。そんな人の想いから、それに応えるために怪異は生まれてくる。
きっとこの写真もまた、想いに添った姿なのだろう。
知りたい、と思った。この怪異の名前と、その由来となった想いを。
「“弔い写真”というらしいです。私はこれをネットで見た筈なんですけど、何度探してもそのサイトに辿り着けなくて……」
啓嗣は自分の名前や所属、研究内容などを説明し、女性に写真の詳細を聞かせてほしいと頼んだ。
最初こそ困惑していた彼女だったが、大人しそうな見た目の通り強く断ることができずに写真のことを教えてくれた。
「恋人が亡くなってから自分の記憶の中のあの人の存在が薄れていくことが怖くて、絶対に忘れないようにしたいって思ったらいつの間にか、この写真が机に置いてあったんです。ネットで見た他の人の話も似たようなものでしたけど、まさか本当に亡くなった人が動く写真があるとは思わなかったから最初に見た時は驚きました」
「写真が置かれていたのは、“弔い写真”の名前を知った後でしたか?前でしたか?」
「後でした。確か、三日後くらい」
「動く写真を手にした時、お焚き上げに持って行こうとは思わなかったんですか?」
「そうですね……思いませんでした。だってこの写真があれば、私はずっと覚えていられる」
パスケースの写真は、既に彼女に手渡されている。写真の中の男性が今、どのような様子なのかを啓嗣は知ることはできないけれど、それを見つめる彼女の瞳に恐怖はなかった。
「ズルをしないと、生きていくことも出来ないから。だから、これからもずっと持ってます。この写真を」
こうして“弔い写真”の名前を聞いた数日後。自室の掃除をしていた啓嗣の前に、撮った覚えのない写真が現れた。これも忘れてしまったものの一つかと沈む気持ちで写真を手に取り眺めていると、不意に写真の中の家族が笑った。実際に声がするわけではないのに、不思議と「あぁ、こんな声だった」と思えるような、そんな写真。
“弔い写真”だと、すぐに気が付いた。
背景も動きも日によって変わるその写真は確かに、忘れないための助けとなった。
そして、ズルをしてでも忘れるものかと記憶と写真を握りしめたあの女性の生き方がとても美しいもののように思えて、だから啓嗣は自分や彼女と同じように、ズルをしないと生きられない人たちのために怪異と出会える場所を作ろうと決めた。
そうして今までにも何度も、異界喫茶を開くきっかけとなった怪異の名前を必要な人に伝えてきた。翠恋にも、この怪異の名前が必要だ。
「怪異は人の想いに添ってくれます。“もういい”と伝えればいなくなりますが、そうでなければ永遠に人の想いに添い続けます。あなたの前に現れた“弔い写真”をいつまで持ち続けるかは、ご自分でお決めになってください」
「分かりました」
まだ大学生だった頃に出会った“弔い写真”を啓嗣は今も持ち続けている。
もう少しだけ、きっともうすぐ気持ちに整理をつけるから、と。誰にでもなく心の中で言い訳をしながら、ズルズルと今日まで来てしまった。
“弔い写真”の中の大切な人たちは決して急かさない。失ったものばかり気にしていないで、前を向いて歩きなさいとは言わない。
それはきっとどの“弔い写真”も同じで、だからこそ啓嗣と同じように“弔い写真”を持ち続けている人はそれなりにいるだろう。
あの女性とはその後会っていないので、写真をどうしているのかは分からない。今までに“弔い写真”の名前を教えてきたお客さんたちも、わざわざ事の顛末を報告してくることはなかった。
けれど、当たり前だった日常を惜しむ気持ちは同じはずだ。
「異界喫茶でのお話は、これでお仕舞です。また困ったことがあれば、いつでもいらしてくださいね」
「ありがとうございました」
自分の想いに添ってくれる怪異の名前を知り、店を出ていく翠恋もまた、その気持ちは同じだろう。カナリアの羽のような色の長い髪が揺れる背中に、“弔い写真”の中に戻ってきた姉は笑顔で手を振っていた。




