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異界喫茶  作者: 昏片逢瀬


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第一章 弔い写真 第十話


 誰にも何も告げることなく神楽が姿を消すなんてことは、これまでに一度もないことだった。

 心当たりの場所を探しても全て空振り。嘉月が携帯に連絡をしても繋がらない。これは異常事態だと判断した大人たちは、すぐさま警察に捜索願を出した。

 目撃情報を集めながら、家出と誘拐の両方の可能性を考えて捜査が行われることが決まる。そこで嘉月は、ピエロの話を警察にしてみようと決めた。

 信じてもらえるかは分からない。それでも僅かでも捜査が進展する可能性があるならばと思ったのだ。


「実は……神楽がいなくなる前日に、変なピエロに会ったって話を聞いたんです」


 その時捜査に来ていたのは、女性警官が一人と男性警官が二人の三人組。彼らは嘉月の話を聞くと揃って顔を見合わせて、「またか」と誰かが呟いた。

 上に報告をすると言って男性警官の一人がその場を去り、女性警官は改めて親族に行先や失踪の原因、そしてピエロの正体に心当たりがないかを聞きに行くと言って去っていった。

 残されたのは嘉月と、警察官にしてはどこかぼんやりとした印象を受ける不思議な男性。そこにいるのに靄のようというか、どんな人物だったのかを説明するための言葉も浮かんでこない。強いて言うなら、トパーズのような瞳が美しい人だった。

 そんな彼とこの場に二人残された嘉月は、気まずいことこの上ない。

 ピエロの話が肯定的に受け止められたのかもよく分からなかったし、事態が好転しそうな気配でもなかった。それに他の二人ならまだしも、この警官は特に何を考えているのか分からない人物だった。


「あなたは、どうしたいですか」

「え……えっと、何がですか?」


 適当な理由をつけて自分もこの場を去ろうと考えていた嘉月の耳に、静かな声が届く。

 それは目の前のぼんやりとした警察官のもので、どうやら嘉月に聞いているらしい。やはりと言うべきか、質問の内容もぼんやりしていた。けれど投げ掛けられた声だけは、芯をもってはっきりと響いた。


「あなたも、遠くへ行きたいですか」

「いや、別に……ここでやらないといけないことがあるので」


 ゆくゆくは自分がこの家を継ぐ立場にあることは幼少期からしっかりと言い聞かされていたことで、今ではその自覚もちゃんと持っている。その為の教育も受けてきた。堅苦しい、息苦しいと感じないことはないが、それでも芸術を学びたいという嘉月の気持ちを尊重して美術大学への進学を認めてくれたことには感謝している。

 勿論、美術大学に入ったからと言って芸術だけを追いかけるわけにはいかなかったが、それでも楽しい四年間だった。だから、遠くへ行きたいと思ったことはない。


「それなら、あなたの前にピエロが現れることはないので、大丈夫ですよ」

「どういう意味ですか?」

「そのピエロは、遠くに行きたい人だけに風船を配っているんでしょうから」

「ピエロのこと、何か知っているんですか?」


 警察官の口振りから何かを知っていると判断した嘉月が前のめり気味に訊ねる。けれど迫られた当人は相変わらず反応が薄く、嘉月の勢いなど気に留める様子もない。


「他にもそういった話が何件かあるんですよ。ピエロだけではないですけど」


 つまり彼はそういった類似の案件から推測して、件のピエロが風船を配る対象が“遠くへ行きたい人”だという結論に至ったのだろう。そこに至るまでの経緯をもっと詳細に聞きたかったけれど、報告と聞き込みに行っていた二人が戻ってきたことでタイミングを逃してしまった。

 そしてこの日以降、担当するチームが変わったらしく、嘉月が彼ら三人と再び会うことはなかった。


 そしてあの警察官が言った通り、風船を持ったピエロが嘉月の前に現れることもなかった。けれど神楽が嘘を吐くことなんて有り得ないから、例のピエロは実在しているのだと嘉月は信じている。

 神楽が話した噂話。ピエロの風船。遠くへ行きたい人に風船を配って、その人を本当にどこか遠くへ連れて行ってしまう。どこへ連れて行かれて、その後どうなるのかは、誰にも分らない。

 ちょうど何もかもが上手くいかない時期だった神楽は、どこか遠くに惹かれていた。だからきっと、ピエロは神楽をどこか遠くへ連れて行ったのだ。


「気にする必要なんてなかった、って言っても、それができたら誰も苦労なんてしないんだろうけど。でもな、叶佑。お前も考え込みやすいから……遠くへ行かなくても、ここでいくらでもできることはあるってことは覚えておきな」


 ある日何の脈絡もなく“ピエロの風船”の話を始めた嘉月は恐らく、叶佑にこれを伝えたかったのだろう。もしかしたら神楽と同じように悩むかもしれない後輩のために。

 そのお陰もあってか、当時の神楽と似たようなスランプの状況にあっても叶佑は思いの外思い詰めることなく、翠恋にオカルト的な話をする余裕もある。

 こうして“ピエロの風船”に纏わる一通りの出来事を聞き終えて、翠恋はあることが心配になった。


「聞いちゃった後で確認しても遅いんだけどさ、これって聞いたらその人の元に現れるとか、そういう種類じゃないんだよね?あ、でも紅露先輩だって見てないんだし、感染系ではないのか」

「うん。もしそうなら、嘉月先輩がピエロと出会ってないのはおかしいからね」

「そうだよね」


 この時には既に、翠恋の心の中には異界喫茶を訪れる計画があった。けれど肝心の噂話がどうにも上手く仕入れられない。そんな折に叶佑から“ピエロの風船”の話を聞いて、これなら、と思った。感染系ではなさそうなら誰かを巻き込む心配もない。

 翠恋はそう判断して、今日、異界喫茶にてこの話をするに至ったのだった。


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