9 焔鼠
カルセドの町を抜けた先には荒野が広がっている。
貨物トラックは土煙を上げながら、その開けた荒野を駆けていた。狼の亜人がハンドルを握っている。
「はぁ……」
古びた貨物トラックの荷台で、ヒカリが深いため息をついた。
「どうしたんですな。急にため息をついて」
「いや……今更だけど、私、本当に常識が無いなって」
ヒカリの沈んだ声に、アカガネとキララは顔を見合わせる。心の底から落ち込んでいるようだ。
「そんなことないよ。それに、ええと、それだけ一生懸命お父さんを探してるってことだと思う」
アカガネの援護に、キララもうんうんと頷く。
「そうなんですぞ!ヒカリ殿は多少周りが見えなくなる時があるんですな。でもそれは小生も同じことなんですぞ。同じ穴の砂エビと言ったところなんですな!」
「同じ穴の砂エビって何……?でも、ありがとう。こんなことに巻き込んじゃってごめんね」
「気にしたら負けなんですぞ。さっさと終わらせて、ファルト博士とやらから情報を聞きだすんですな」
その時、同じく荷台に寝そべっていたリンが顔をもたげた。空気の匂いを嗅ぎ、「きゅふっ!」と鳴く。
前方で運転していた狼の亜人が、荷台を振り返った。
「おい、目的地が見えたぞ」
***
トラックが止まったのは、白い柵が続く土地の前だった。
前方に土レンガと鉄の端材でできた家が建っている。その周りには柵で囲われた穀物畑が広がっていた。
道の両側に敷き詰められた金色の大地に、三人は目を奪われた。
「ここには土があるの?」
辺りを見回して、アカガネが驚いたように問う。
50年前の厄災の日から、大地は水分と栄養素をほとんど失ってしまっていた。植物が育つような豊かな土は、この世界の限られた土地にしか残されていない。
土は水と同じくらい貴重な資源だ。ここにはその貴重な二つが揃っている。
「ああ。でも気をつけろよ。農場主はいつも泥棒に目を光らせているからな。見つかったら使用人共からボコボコにされるぞ」
「しないよ、そんなこと……」
狼の亜人は牙を剥きだして笑うと、思い出したように三人を振り返った。
「おっと、そういえば自己紹介がまだだったな。オレの名前はライジュ。短い間だが仕事仲間だ、よろしく頼むぜ」
「よろしくお願いします。私はヒカリと言います。こちらは友達のアカガネ君にキララちゃん。それにリンちゃんです」
「よろしくなんですな」
「よ、よろしく……」
少し緊張した面持ちの三人に、ライジュはニヤリと笑みを浮かべた。
「そんなに大した事はねぇって。社会見学とでも思ってついて来い」
穀物がそよぐ柵の間を通り、農場主の家の前に辿り着く。
この辺りでは普通の家だ。
やっぱり借金するほどお金が必要なんだろうか。農場経営に思いを馳せていたアカガネは、わずかな違和感を覚えて首を巡らせた。
おかしな所はないはずなのに、何故か胸騒ぎがする。
「おい、カルロス、いるんだろ?」
ライジュが遠慮なく玄関のドアを叩く。鉄の扉がガンガンと音を立てた。
「聞いてんのか?取り立てだよ、今日が期限だっただろうが……」
もう一度ドアを叩こうと拳を振り上げたライジュは、ふと妙な匂いに気が付いた。
「待って!」
唐突に、ヒカリが強くライジュを引っ張る。あまりに突然なことで反応が遅れたライジュは、たたらを踏んでよろけた。
「オイ、何す……」
「危ない!」
ヒカリに抗議しようとライジュが声を上げるのと、アカガネが叫んだのは同時だった。何かを察したリンも、キララを咥えて右へ飛んだ。
次の瞬間、扉が勢いよく開き、中から炎が噴き出してきた。
「うお!?」
ゴォッ!という音と共に、炎が直線状に吹きつけられる。開いた扉からも炎が蛇の舌のように外へ漏れていた。
「なっ……!?」
一行は絶句しながら玄関から後ずさる。
燃え盛る炎の中から、ゆらりと影が蠢いた。
「あは……あはは……ひひ……」
それは鼠の亜人のようだった。巨体で、背中が盛り上がっている。体躯だけならライジュにも引けを取らないその亜人は、濁った眼で一行を睨みつけた。
「あ……あ~~?ま、また、弱い奴、き、き、来たかぁ?ひ、ひ……」
どう見てもまともな様子ではない。涎を垂らし、時折痙攣しながら喋る姿に一行は戦慄した。
「な、何なんですな、この……」
「さぁね。この農場の従業員じゃないことは確かだな」
ライジュが毒づく。鼠の亜人は口から泡を飛ばしながら叫んだ。
「あ…あああ!?!?お、おれは弱くないィイイ!!ひ、火!!バカにする奴!!燃やす!!」
鼠が銃口を向け、そこから鉛玉ではなく炎が噴き出した。持っていたのは火炎放射器だ。背中が盛り上がっているように見えたのは、燃料タンクを背負っていたからだった。
先ほどは直線だった炎が、明確な意思を持って一行に襲い掛かる。
「きゃっ!?」
「危ねぇ!」
ヒカリとライジュがすんでの所で炎を避けた。
鼠は隙を見て接近しようとしたアカガネに気づき、すぐに噴出口を向けた。円を描いて迫る炎に、アカガネも距離を取らざるを得ない。
その内、穀物畑にも火が燃え移った。
乾いた土地に育っていた穀物畑は、瞬く間に火の海と化した。
「ひっ……ひひひっ……全部燃えろ……き、汚い、汚い、あは、ひひっ!!」
熱波で蜃気楼が立ち上る。くそ、とライジュが悪態をついた。
「これじゃ近づけねぇ。かと言って、逃げるのも無理だな」
背後で燃え盛る畑にちらりと視線を送る。炎は次々に燃え広がり、トラックまで戻れそうもない。
ライジュは腰に下げていた剣の鞘に手を置くと、態勢を低く保った。
「おい、誰でもいい。アイツの気を引け。オレが一撃を叩き込んでやるからよ」
剣というより鉄の棒のような見た目だが、どうやらそれがライジュの武器らしい。
アカガネとヒカリ、キララはそれぞれ目配せをして、別々の方向に走り出した。
「ひ、ひひ!ジャマだ!!」
キララに火炎放射器の噴出口が向けられる。その前にリンが立ち塞がった。
耳を伏せて威嚇する姿に、鼠が苛立ち叫んだ。
「オマエも、ジャマ!!」
しかしトリガーを引く前に鼠は気配を感じて振り向いた。ヒカリとアカガネの二人が、射程圏内を目指して駆けてくる。
鼠が噴出口を二人に向けなおすと、アカガネとヒカリは左右に別れた。
一瞬、鼠はどちらに狙いをつけようかと迷ったようだ。その隙に駆け出していたライジュが、鼠に肉薄していた。
それは奇妙な剣技だった。ライジュは身をかがめ、目にも留まらぬ速さで剣を振りぬいた。
瞬きをしていたら、恐らく何が起こったのかわからなかったかもしれない。それほどライジュの態勢は攻撃前後で変わらなかった。
それでも鼠はよろめいただけで、倒すほどの痛手は与えられなかったようだ。巨体に似合わぬ素早さで、後ろに飛びのいていた。
「クソッ、チョロチョロ動くなよ!」
悪態をつくライジュに、鼠は火炎放射器を向けた。
「イタアアアイイ!!!!燃やす!燃やす!全部!!」
ゴォッ!と炎が再び噴出し、辺りの空気が熱風の渦を作る。ライジュは素早く距離をとった。
アカガネやヒカリも、炎の壁に阻まれて鼠に近づくことができない。熱気がじりじりと体力を奪っていくのを感じて、アカガネは内心焦りを募らせた。
──何か、突破口がないと。
同じことをヒカリも考えていたようだ。何か決め手になるものはないかと辺りに視線を配っている。
せめて、背後の穀物畑が鎮火すれば……。
その時、噴出される炎の音に混じって機械音が聞こえてきた。
重低音は徐々に近づいてくる。
「なんだ?」
ライジュもわずかに意識を逸して、音の出処を探った。
近づく音の正体に気がついたヒカリが、ぱっと顔を輝かせた。
「キララちゃん!」
キララは巨大な機械の車を操縦していた。轟音を立てて動く車は、前面に設置されたローラーのような機械を駆動させて、燃え盛る穀物を次々と刈り取ってゆく。
どうやら元々は穀物収穫用の機械だったようだ。
「にゃははははー!これ、楽しいんですなぁ!」
地面から操縦席まで高さがある為、炎の熱もキララまで届かない。
収穫機が通り過ぎると周囲の炎はあらかた鎮火していた。同時に息が詰まる程の熱気も徐々に収まってゆく。
火炎放射器を携えた鼠は、前歯をギリギリと鳴らした。
「ギィッ!ああ!メザワリ!メザワリ!」
「目障りなのはテメーだ、クソ鼠!」
もう後ろで燃え盛る炎は無い。
駆け出したライジュに鼠が火炎放射器を向けたが、同時にアカガネも大地を蹴って走り出していた。
鼠は何かを喚きながらデタラメに噴出口を振り回す。炎がうねり、壁のように立ち塞がった。
突然、その炎がかき消えた。
鼠に飛びかかったのは、リンだった。
リンの首輪に取り付けられたギラ鉱石には、素早く動く物を一瞬だけ弾き返すという性質がある。連続する物には通用しない。炎を弾くのもわずかな時間だけだ。
だが、ギラ鉱石の性質を知らない鼠は思わぬ反撃に狼狽え、噴出口の引き金から指を離す。
炎の壁が消えた。
鼠は飛び込んでくるリンの爪を辛うじて躱す。
しかし反撃しようとするより早く、今度はアカガネが鼠の懐に飛び込んだ。
「来るなァ!!」
鼠が引き金を引くと、再び炎の壁が周囲に広がった。すんでのところで炎の直撃を避けながら、アカガネが叫ぶ。
「今だ!」
その時、ヒカリが背後から鼠を狙い撃った。
弾は鼠の背負う燃料タンクと噴出口を繋ぐホースをピンポイントで撃ち抜く。液体燃料が漏れ出し、鼠の足元を濡らした。
慌てて引き金から指を外したが、次の瞬間、鼠の身体は業火に包まれていた。
「きひいいぃいい!!」
甲高い悲鳴を上げながら、鼠が炎を振り払おうと身を捩る。頑強な身体は火に包まれて尚、倒れる気配がない。
鼠は怒りに満ちた目で周囲を睨みつけた。
「ひっ!ひひっ!ミチヅレにしてやる!!」
燃える身体のまま、鼠が一番近くにいたアカガネに手を伸ばす。そこに、稲妻の如くライジュが割って入った。
「させるかよ!」
アカガネにもほとんど見えない速さで、ライジュが剣を振るった。太刀筋が鼠を炎ごと切り裂き、空気が陽炎のように揺らめく。
短い悲鳴を上げ、鼠の巨体が地面に倒れた。




