7.飴と鞭
帰宅してベッドでスマホを触っているといつの間にか寝てしまったらしい。
カーテンの開いた窓に煌々と光る自分の部屋が映っていた。
「何時……」
深夜1時。スマホを消して冷蔵庫を開ける。
白い箱の中身に舌打ちが出た。
「腹減った……」
寝癖の立った頭を掻きながらあくびをしシャワーを浴びる。
濡れた髪をタオルで拭きながら何気なくスマホに触った時、思い出した。
「そっか」
500マネーと書かれた電子マネー『シン』の画面を見つめた。
自分の力で稼いだ金だ。
ベッドの上でスマホを握りしめ、
「シシシシシ」
背中を丸めて笑った。
深夜、外を出歩くと少し誇らしい気分になる。道には俺しかいなくて、この長い道を全て支配した気になれた。王様気分だ。
しゃせー、と店員の声を聞きながらコンビニで適当に買い物をする。
支払いでシンに入っていた金と財布の中身全てを使い果たした。
コンビニを出るとすぐに缶ビールのプルタブを開けて大きく呷った。
喉から体へ泡立ったアルコールがドクドクと染み込んでいく。
「くぅうううう」
1人唸り、口についた泡を腕で拭う。
これが自分で稼いだ金の味か。
「……沁みるなぁ」
黒い空を見上げて呟いた。
きっと俺は今日という日を忘れないと思った。
「明日も、稼ぐぞー」
カーテンから淡い光が差し込む早朝。
家のチャイムが鳴った。1度目は無視しようと寝返りを打ったが、2度目、3度目のチャイムでようやく起き上がった。
「はい……」
若干ふらつきながら歩き、寝ぼけ眼を擦って扉を開く。
数名のスタッフが部屋の前で立っていた。腕を組んでいる人、廊下の腰壁に身を預ける人……
一気に眠気が飛んだ。
「え? 何用ですか」
「仕事のお迎えです」
「ああ、はい……準備します」
「下で待ってるんで」
数名の男たちがゾロゾロと階段を降りていく。
俺は扉を閉めて部屋の通路を見ながら──
「こっわ」
体を小さく震わせた。
また黒いバンに乗り、車で朝方の東京の街を巡った。ドライブなどではなく他参加者の回収作業に向かっているだけだ。
今日の天気は曇りらしく灰色に染まった空の下、路上で倒れている人やどこへ向かうのか若者たちの団体が見えた。
ふと1匹のネズミが一瞬車と並走するように道を勢いよく駆けた。
「すいませーん」
スタッフは他の参加者たちの家に行き、激しく扉を叩き、何度もチャイムを押して呼び出していく。
結局集まった参加者は9名で、残りの人は現地集合のようだ。
昨日ぶりのエンジェルサンと書かれた扉を抜ける。
「あっ、西加賀詩さんですよね。ちょっとこちらに来てもらってもいいですか」
別室の扉が開いている。
「はあ」
面倒でどう避けようかと思い後ろを振り返った。
別のスタッフが俺のすぐ後ろに立っていた。
「はいはい」
後ろから押し込まれるような形で俺は別室に進む。
金属の棚と床にポツポツと段ボールが置かれた倉庫のような部屋だった。既に数人のスタッフが待っている。
「機材の確認をしたところ、あなた昨日金銭を受け取ったのに申請していませんでしたね」
視線を逸らし考える。
あの500マネーの件らしい。
どうやら何か確認する手段があったようだ。
抜け目ないな、と歯噛みする
「ああー、そういえば忘れてました。すません」
もみあげを指で掻きながら軽く頭を下げた。
「ダメだよ。そういうの。ダメなんだよ」
そう言ったのは部屋の奥で椅子に座っていた金髪の男性だった。
手のひらサイズのドライヤーを触っている。
Tシャツの上からでも分かるほどに肩回りの筋肉が分厚い。腕には墨がある。
「はい。すいません。以後気をつけます」
俺は太ももに手を当て深く頭を下げた。
当面大人しくしてないといけない。
こいつには喧嘩をうっちゃいけないタイプの人間だ。
じゃないと……
「まー、いっぺん鞭打っとくか」
「はい。自樹矢さん」
俺は「え」と顔を上げる。
自樹矢と呼ばれていた男が手に持っていたドライヤーを横にいたスタッフに軽く渡す。
数名のスタッフが俺を見る。目が笑っていない。
「マジかよ」
殺される、と直感的に分かった。もう頑張って続けるとかいう次元に無かった。
死ぬのなら話が変わってくる。
俺は自樹矢に背を向け部屋の扉めがけて走り出す。
「はいはいはーい。ストップ。ストップ。ちゃんと頭に叩き込まないと忘れちゃうからねー」
「奴隷くーん、逃げないでー」
前にも後ろにも人がいる。
間合いの取り方から喧嘩慣れしていると分かった。
「くっそ」
奥歯に力を入れて拳を構えた。
トコトンやってやる。
それで、隙を見て、こんなところ辞めてやる。
次は次こそは……続けるから。
「どうします。こいつ」
「ん。退いて」
自樹矢が立ち上がった。
身長は俺が見上げるほど高く横幅も広い。
俺はすぐさまサイドに切り込み、右手でジャブを打つ。
それを自樹矢は首の可動域だけで避けてみせた。
「活きがいいね」
突然、俺の体が意思に反して伸びた。
足に力が入らず床に倒れ込む。
ゴツい髭剃りのような黒い機械を持った男が見えた。
厚手のゴム手袋をしたスタッフが俺の口を掴む。
「モッ……モゴゴ」
ドライヤーを口の奥へ突っ込まれた。
悪心に喉が震えた。
「モゴッ、モゴッ!」
口の中を冷風が満たす。
過剰に供給される空気に息が出来ない。乾いた口内はひりつき、裏から押された涙腺が涙を出す。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
しばらくして口からドライヤーが離される。
俺はみっともなく床に這いつくばったまま荒い呼吸を繰り返した。
全身に汗をかいている。
「ちゃんと周りと手袋は漂白剤つけて拭いとけよ」
「はい」
掃除用具としてバケツの中にまとめられた一式を取り出し、慣れた手つきで清掃を始める。
「次からはちゃんと申請すること。これで忘れないね?」
自樹矢が俺の目の前にしゃがみ、見下ろしながら言う。
「はい、はい。すいません……」
俺は頭を下げてヨタヨタと歩き他の参加者たちのいる部屋に戻った。
部屋には昨日より人が少ない。そりゃ逃げ出すよ、と納得し頷く。
チームメンバーが欠け、残された側の参加者たちは顔を見合わせ相談していた。
「バックれらしいよ」
「いやっ筋肉痛って言ってたけど?」
どうやら幸先不安そうだ。
まぁ俺は1人だから関係ないけど……
機材をつけてゲームを起動する。
3層の攻略期限まで残り6日……
「俺のレベルは5」
昨日の夜、買ってきた晩ごはんを食べながら3層の攻略を調べた。
3層の適性レベルは20。現状ファンタジーオブシンの最大レベルとなっていた。
「遠いなぁ……」
『LIVE』のボタンを押す。
軽く装備を整えダンジョンの前にワープした。
〈お邪魔します〉
昨日よりもずっと早く視聴者0の時間が終わる。
フッと笑って「いらっしゃい」とコメントに返す。
〈待ってた!〉
そのコメントを見て、視界がぼやけた。目頭が熱い。
下唇を引き上げて目を瞑り、天井を見上げた。




