19.区切り
翌日の早朝、迎えはなかった。
俺は起き上がり、支度をして部屋を出た。
渋谷駅まで電車を乗り継ぎ、歩く。夕方頃からコスプレをしてゴーカートを運転する人が現れる道も、この時間は静かなものだ。
自販機でエナドリを買う。
缶を取り出して体を起こすと缶コーヒーが目に入った。
「懐かしいな」
バイトの面接前にこの自販機で缶コーヒーを買ったことを思い出した。
「ん?」
ビルの外に大型の車が停まっていた。バックドアが開け放たれたままだ。
俺は階段を登りエンジェルサンと書かれた扉を押して中に入る。
「通りまーす」
廊下の先から数人のスタッフがやってくる。
机や椅子を外へと運び出していた。
1人、壁に背をつけて腕を組んだままスタッフを見ている人物がいた。
──自樹矢!
金髪の短い髪、腕の墨。間違いない。
緊張から体に力が入った。あれからきちんと申請は通しているし、問題行動も無かったはず……
自樹矢の前を通る。何も言わない。
機材の置いてある部屋に入り、俺はホッと息をついた。
部屋には既にあらかたの机と椅子が無くなっていた。
無機質だった部屋がより寂しくなっている。
「次、そこからそこの机は廊下に並べといて、別の車が取りに来るから」
部屋で昇華が紙を挟んだバインダー片手に指示を飛ばしていた。
「よっ、おはよ」
片手を上げて昇華に話しかけた。
「おはよー」
昇華が振り返る。長い髪がドレスの裾みたく広がり弧を描く。
軽く片手を上げて返してきた。
昇華は俺の頭の方を見て「髪、跳ねたままだよ」と指差した。
「ああ」
俺は適当に髪を撫で付ける。
「違うって、こっちね」
昇華が俺の髪に手を伸ばす。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。香水だろうか。
真剣な表情。少し細めた目がじっと俺の顔の横を見ている。
「はい、出来た」
昇華が離れていく。
しばらく俺は呆気に取られていた。
「それ使ってね。浪井君の分は残してるから」
俺の使っていた機材たちが部屋の端に寄せられていた。
「こいつらは気にしないで、いつも通り配信しちゃっていいから」
「……他の人たちは?」
確か5人ほど続ける人がいたはずだが。
部屋を見渡す。何人かいるものの全てスタッフだと思う。
「さあ? そもそも今日来るのかな? 自由出勤だし、知らないや」
昇華は首を傾げて言う。
「わかった。あと、1日待ってくれてありがとう」
「いいけど、これで貸し借りはチャラね」
俺は頷いて自分の機材の方へと向かった。
配信をつける。
0から視聴者数が1つ、2つと増えていく。
〈おはようございますー〉
〈朝活ですか?〉
〈朝ご飯食べながら見てます〉
すぐに数件のコメントが来る。
「おはよー」
なんとなしに見た自分のアイコンに銀色の冠がついていた。
今熱い新人ライバーランキングを開く。おそらくバニィが追い抜いたのだろう、と思っていた。
「マジか」
今熱い新人ライバーランキング1位は知らない配信者だった。
初心者の女性らしい。
「3層攻略済み……」
プロフィールに書かれた一文を読み上げていた。
今、配信はしていないらしい。最後の配信は昨日の夜だ。
〈どこかの企業所属の子らしいですよ〉
その企業に思い当たる節があった。
俺は機材を上げて部屋の方を見る。同じように機材をつけている人はいない。まだ来ていないようだ。
「まさかな」
ハハハ、と乾いた笑みが出た。
〈浪井さん、1位を最終日まで守り切りましょうよ!〉
〈王者奪還!〉
俺はコメントに対して「いやー」と答えを濁すつもりだった。
もう明日には……
〈『500マネー』頑張れ!〉
色違いのコメントが流れる。
「はーい! 頑張りまーす!」
両手を振り上げ俺は満面の笑みで言った。
「バニィもまだ来てないし、どうしようかな」
軽く先に2層で体を動かそうかなと考えていた。
〈薬屋に行ってください!〉
「まあ。いいよ」
どうせ暇だし、軽く回復薬を補充するのもいいだろう。
街の石畳の道をしばらく歩き薬屋が見えてくる。
店は既に開いているようだ。
「おはよう、早いね」
カウンター越しに中で作業をしていたメリーブに声をかけた。
「あっ西加賀詩さん、おはようございます!」
メリーブが駆け寄ってくる。
店内は以前と違い漢方薬のような粉系ではなくポーションなどの瓶系の薬、それと小物が増えていた。
「店の雰囲気がちょっと変わったね」
「わっ! 気づきましたか」
メリーブは手を合わせて嬉しそうに目を細めた。
「少しお店を自分色に。あと、ちょっといつもと違うものを入荷してみたんです」
へー、と頷く。
確かに店内はエスニック調の小洒落たカフェのようにも見えた。
「これが、自然回復力を高めるポーションで、こっちは足の速さを上げるポーションです」
俺はそのラインナップに僅かに眉を上げた。
腰痛に効く薬や風邪薬などを売っていた以前の店とは大違いだ。
「いいね。どっちも3本買おうかな」
「はい! 準備しますね」
テキパキとメリーブは棚からポーションを出していく。
「以前よりお店に異世界人のお客さんが来てくださるようになったので、探索で使えそうな物を色々と入荷してみたんです」
袋にポーションを詰める背中が上機嫌に揺れていた。
「ああ、これなら売れると思うよ」
棚にあった札の値段を見て銀貨6枚を払う。
ポーション1つで銀貨1枚。回復薬1つで銅貨2枚の以前と比べてだいぶ大きな額が動くようになるだろう。
「……それは、もちろん大切ですけど」
どうぞ、とメリーブは顔を逸らし袋を突き出す。耳は赤い。
彼女の好意には気付いていたが、
「ありがとう」
俺は一歩引いた位置で止まっていた。作り物だと割り切ったはずなのに……分からない。
「気を付けてくださいね」
ああ、と答え薬屋を後にした。
『おはようございます! 僕の方はいつでも行けます』
バニィからメッセージが届く。
俺はすぐにバニィをチームに招待した。
「いやー、浪井さんの名前、他の配信者の方の話題に上がってましたよ。僕たまたま聞いてて声出して驚いちゃいました」
やってきたバニィがアハハと笑う。
昨日と同じ調子。特にランキングが3位に落ちたことを気にしていることもないようだ。
「バニィ、1つ頼みがある」
俺は小さく息を吐き出して指を1本立てた。バニィを見る。
相変わらず、バニー姿で頭の上に伸びる黒い耳が揺れている。
「良いですよ。内容はなんですか?」
「今日で2層を終わらせたい」
一瞬、バニィは目を丸くしたが、
「ええ、もちろん」
とすぐに深く頷いた。
「ありがとう」
俺は頭を下げた。
──今日で一区切りつけないと。
強く拳を握り、思う。
俺たちはその後、すぐに2層攻略補給地へとワープした。
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