第六話 姑獲鳥(上)
「また三件先で姑獲鳥が出たってさ」
「やだねぇ……そういやぁ、そこの旦那がよォ」
今日も今日とて、花街では沢山の根も葉もないウワサが飛び交っていた。今日は魚屋でおばけカジキがお得だの、布団屋がボヤ騒ぎを起こしただの。花街とは総じて噂の回りが早いのだ。
人の噂も七十五日と言うが、花街では三日も持たない。流行り廃りが激しく、翌日には違う噂で持ち切りだ。
しかし、ここ最近はずっと花街で“ある噂”がまことしやかに囁かれていた。
「ノラ先生、姑獲鳥って知ってる?」
「また姑獲鳥の噂ですか」
紅蓮楼にて月一の診察に来ていたノラは、呆れた顔で遊女に言葉を返した。最近話題の“姑獲鳥”の噂。ノラは耳にタコができるほど、その噂を聞いていた。
曰く、突然赤子が攫われる。しかし数日経つと赤子は家の前に戻っている。確かそんな筋書きだったような気がする。
「噂なんて、当てにならないものですよ」
ノラは薬棚から薬袋を取り出しながら、呆れ声で言う。しかし遊女は興奮気味に前のめりになる。
「それがさぁ!その姑獲鳥って、現世の子供しか攫わないらしいのよ。なのに噂では常世の子供が攫われてるの。怖くない?」
「はぁ」
曖昧な返事のノラに、遊女は怒ったように頬を膨らませる。どう思う?と詰め寄る遊女に、ノラは珍しく辟易したような顔をしていた。
「やめなよ、蘭子」
それを止めたのは、聞き覚えのある声だった。
「太鳳さん。お元気そうで何よりです」
「あんたのおかげだよ、先生」
太鳳はふんわりと柔らかい表情で笑った。
あの後太鳳は、害のある客を全員出禁にし、お神酒もノラの言いつけ通り少量ずつ摂取しながら、なんとか元の健康的な状態に戻ることができていた。
未だコンプレックスはあるらしいが、今はそれより禿達と遊ぶのが楽しくて仕方ないらしい。
「本当ありがとうね、先生」
「いいえ、どういたしまして」
「ところでそこの色男は、まさか酒売りの……?」
太鳳に指された蛭子は、はーいとダウナーに返事をして、にかっと笑った。
「僕、ノラの弟子になったんだ。なんか傷つけちゃったんでしょ?ごめんね」
「は、はぁ、いや、別に」
「まだ情操教育の途中なんです」
「じょうそ……?なんだって……?」
「情操教育」
「へ、へぇ」
太鳳は突然の黒幕のお出まし、そして意味の分からない展開に大層驚いている様子だった。困惑して、頭に疑問符が浮かんでいる。
「子育てって大変ですね」
「子育て???」
「はい。蛭子を育て中なので」
「これが子供???」
更に困惑したのか、ふらふらと目を回す太鳳。そんな太鳳に、蛭子はニコニコと笑いかけていた。
そんな、やり取りをしている最中のことだった。
「──先生!ノラ先生はいますかね!?」
紅蓮楼に、そんな叫び声が響き渡る。なんだなんだと皆が入口に目を向けると、そこには上等な着物を着た有名な商家の若旦那の姿があった。
息を切らし、額に汗を伝わせている若旦那は、ノラの姿を確認するや否や急いで詰め寄る。そして、ゼーハーと息を吸うと土下座する勢いで頭を下げた。、
「先生、お願いだ!姑獲鳥を……あいつを止めてやってくれねぇか!」
あまりの必死さに、ノラはとりあえず若旦那の顔をあげさせると、真剣な眼差しで聞いた。
「その言い方……何か噂以上のことを知っているのですね」
その言葉に、若旦那な二度ほど頷く。
「奥座敷で詳しい話を聞きます。太鳳さん、お茶を用意して頂けますか」
太鳳は任せな!と胸をどん、と叩くと、急ぎ足で厨房へと向かった。ノラは奥座敷へ若旦那を通すと、自分も蛭子の手を引いて奥へと入っていった。
「蛭子、事件です。手伝ってくれますね」
その言葉に、蛭子は手を頭の後ろで組みながら気怠そうに言う。
「んー、気が向いたらね」
◇◇◇
「……」
「……」
若旦那は黙ったまま俯いていた。前に置いてある湯のみには口すら付けられておらず、熱々のお茶は湯気を立たせて冷えていく一方だ。
先に口を開いたのはノラだ。ノラはお茶を一口啜ると、ことりと湯のみを置いて言った。
「さて、どうされたんです」
若旦那はびくりと震えると、恐る恐る顔を上げる。ノラは凛とした表情で若旦那を見ていた。後ろにはつまらなそうに白い髪を弄る蛭子が控えている。
若旦那は観念したのか、ぽつりぽつりと事件の概要を話し出した。
「……親戚の子供が攫われたんだ。まだ戻ってきていない。一週間経ったのに、だ。親戚は凄く心配している。姑獲鳥ってのは本来、子供を返さないもんだろ?だから……」
「そこで、先生に姑獲鳥を止めて欲しいんだ。そうすれば、他の被害もなくなるし、一石二鳥だろ?」
ノラは眉間に皺を寄せた。はぁと一つため息を吐くと、若旦那に向かって冷酷に言い放つ。
「いいですか……私は薬師です。探偵にはなれません」
「……あぁ」
「事件を解決できるかも、定かではありません」
「……」
俯く若旦那に、ノラは続けて言う。
「でも」
「それでもいいというのなら、私は貴方に協力致しましょう」
その言葉に、若旦那はばっと顔をあげると、泣きそうに目を潤ませた。ありがとう、ありがとうと何度も繰り返し呟いている。
しかし、ノラは心の中でほんの少しの引っ掛かりを覚えていた。
(なんでしょうか……なにか大事なことを、隠されている、ような────)
先程から合わない目、行き場所を失ったように定まらない手……なんだか、様子がおかしい。
「ねぇ」
凛とした声に、はっと意識を戻す。言葉を発したのは、今まで後ろで静かに控えていた蛭子だった。
蛭子は若旦那を睨むと、苦々しい顔をする。ノラの作務衣の裾をキュッと掴むと、若旦那を指して言った。
「お前、大事なこと言っていないな」
その言葉に、若旦那の額からどっと汗が吹き出した。




