第三話 狐小路の対価
「そこ座りな」
野干に促され、ぐらぐらと不安定な丸椅子に腰をかける。腹には薬棚を抱え、狐面はつけたままだ。野干はそんなノラを見ると、ニィと笑って目の前の椅子に腰をかける。
そして薬棚を指すと、声を潜めて言った。
「お前、薬師だな?」
その言葉に、ノラはこくりと頷く。
「そうか。で?薬師が、なァんで酒のことを聞きたいんだ?」
その野干の言葉に、ノラは声を詰まらせた。
はたしてこの野干は敵か、味方か。返答を誤ればその場で痛めつけられることも、この狐小路でなら有り得るのだ。ノラは慎重に、それでいて芯を強く持ち、答えを決めた。
「……知り合いが、事件に巻き込まれているかもしれないのです。その“酒”関連の」
「……へぇ?」
野干は面白そうに片方の眉を上げると、ふんと息を吐いた。そして大きく伸びをすると、ノラの薬棚をこつんと叩いて言う。
「分かった。情報は教えてやる」
「ほんと、ですか」
「あぁ、ただし」
野干は牙を見せると、ノラの喉元に爪を立てた。
「対価、払ったらな?」
◇◇◇
ノラは薬棚の中に入っている薬草をいくつか取り、それを護摩鉢で練ってある薬を調合していた。
一体どんな対価を要求されるのかと身構えたノラだったが、意外にも野干の呈した対価は『傷薬を五十個作ってくれ』というものだった。
元々少ない材料を使うのでその部分だけが痛手だったが、傷薬は薬師として初歩中の初歩。ノラは野干に監視されながらも、対価の傷薬作りに勤しんでいた。
やがて、二十五個目の傷薬を作り終えようとした時、今まで無言だった野干が口を開いた。
「……最近よ、夜になると、ぼろ着た変な兄ちゃんが酒を売ってんだ」
薬を作り続けるノラに、野干は続けて語る。
「飲めば痩せる」
「飲めば疲れねぇ」
「……願いが、叶う」
ノラはその話を聞いて、これはただの酒ではないと直感した。痩せる疲れない、更には願いも叶うなんて……
(明らかに妖……いや、それ以上のモノが関わっている)
ノラは護摩鉢で生薬を練りながら、はぁとため息を吐いた。面倒なことになりそうな予感がする。
「今いくつだ」
「四十八です」
野干はその言葉を聞くと、満足そうに鼻息を吐いた。
「実の所な、俺もシマを荒らされて困ってたんだよ。嬢ちゃんが事件とやらを解決してくれることを願ってるぜ」
そう言うと、野干は出来上がった生薬をひぃふぅみぃと数が五十あることを確認し、ほんの少し顔を綻ばせた。
薬草を片付けるノラに、野干が紙切れを渡す。
「場所はここに書いてある、現世ユキの看板が立ってるところだ」
ノラは紙を受け取り、深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました。また後日お礼に伺います」
「いい、いい。来んな。ここは危ねぇからな」
野干はそう言うと、ニッといい笑顔で笑ったのだった。
◇◇◇
「あらこんばんは。先生、今日はどうされたの?」
こんな夜中に、と付け足す遊女にノラは、少し気になることがありまして、と返した。
ここは紅蓮楼。花鳥風月の中でも最高の人気を誇る妓楼である。
ノラはキョロキョロと辺りを見渡すと、お目当ての遊女の姿を見つけた。太鳳は以前よりも更に痩せ細っているように見える。しかしどこか肌艶があり、一見健康そうに見えた。
「太鳳さんは──」
「あぁ、あの子。最近更に客を取るようになってね。細い体なのに疲れないから、殿方達にはいいみたい。花魁になるのも遠くないって」
近くにいた遊女がそう答え、忙しそうにどこかへ歩いていく。ノラはそんな太鳳を横目で見て、紅蓮楼を後にした。
(痩せて、疲れない、か)
向かうは狐小路。紙に書かれていた、酒売りの場所である。
◇◇◇
顔を狐面で隠し、狐小路の鳥居をくぐる。変わりのない治安の悪さに、ノラはいつもより特段慎重になって歩いた。
紙の指示通りに、四つ目の角を曲がり、更に右折。左折左折右折と路地裏を徘徊していけば、開けた土地に出た。
昔ながらの土管がいくつか配置してあり、ぱっと見はただの空き地。しかしその奥には、いかにも怪しい一本の路地裏があった。
薄暗く奥が見えないが、『現世ユキ』と書かれた看板から、この奥に件の酒売りがいるのだろうと当たりをつける。
ノラは土管の中に隠れると、そのまま息を潜め、“彼女”が来るのを待っていた。
◇◇◇
コツ、コツ。足音が響く。
ノラはより一層音を立てないように息をする。土管の隙間から見えるのは、やはり。
痩せ細った体で重そうに着物を引きずり、独特な色香を醸し出している、太鳳だった。
路地の奥、橙色の提灯が灯る。その下で、一人の青年が盃を傾けていた。
「……いらっしゃい。今日は、どんな願いを叶えに来たの?」
その笑顔を見た瞬間、ノラの背筋に冷たいものが走る。
──間違いない。この男が、事件の中心だ。




