第四話 太鳳
「いらっしゃい。今日は、どんな願いを叶えに来たの?」
その男の言葉に、太鳳は声高く笑いながら答える。
「酒を。金ならあるわ。もっと、沢山の酒を頂戴」
「ふふ、君は熱烈だねぇ」
ぼろぼろの甚平を見に纏った男は、そんな太鳳を見て苦笑する。そして大きな瓢箪から盃に酒を次いだかと思えば、そこにふっと息を吹きかけた。その瞬間、酒の水面がきらきらと光を帯びる。
「あぁ……まるで魔法ね」
太鳳は盲目的に、その酒を眺めているようだった。
土管の影からその様子を見ていたノラは、これが異常なことに気がつく。
(やはりか)
ノラの嫌な予感は、その時点で確信するものになっていた。
太鳳は大枚を叩くと、男の盃を強引に奪う。そして一気にその酒を飲み干すと、声高らかに笑った。まるで金切り声のような笑い声に、ノラも男も、思わず耳を塞ぐ。
「あぁ、乾きが満ちていくわ……!今までの飢えが嘘みたい!」
「そりゃあ良かった。また明日、おいでよ」
次のお客も待ってるからさ、と言った男は、盃を受け取るとそこにまたとくとくと酒を次いでいく。その一瞬、男と目があったような気がした。
男は遠くを見つめるような目をして、話しかけた。
「ねぇ、“土管の君”は何がお望みなんだい?痩せること?疲れないこと?ぜぇんぶ叶えてあげるよ」
ばちっとノラの背筋が凍る。男は確実にノラのことを見据えていた。全部、バレていたのだ。ノラが土管に隠れ様子を伺っていたことも、お見通しだったのだろう。
ノラの額に冷や汗が伝う。
男はこちらを認識している。太鳳は分かっていないようだが、見つかるのも時間の問題だ。
「ねぇ、出てきなよ。君の願いも叶えてあげるよ?」
男はあまりにも純粋な目でノラを見据えていた。そう、まるで本当に、悪気がないみたいに。
(この感覚……あれは神ですか)
神とは総じて厄介なものである。どんなに外道をしても、自分は神だからと自身で全てを許してしまう。それで本当に悪気がないのだから、余計にたちが悪い。
ノラは、あの男は神だと当たりをつけた。神特有の、何を考えているのか分からない目──そして、見ているだけで本能が畏れを覚えるような気配。
(面倒なことになりましたね)
ノラははぁとため息をついた。神には全てお見通しだ。ここに隠れていてもいずれ正体はばれる。
「……」
ノラは無言で土管から出た。狐の仮面をつけているからか、太鳳はノラが誰だか分かっていないようだ。
「太鳳さん」
「っ!?」
名を呼ばれ、太鳳は驚いたように目を見開いた。その声で正体が分かったのか、唇をわなわなと震わせている。
「先、生」
「……」
気まずい沈黙が流れる。その最中も、男はとくとくと盃に酒を次いでいた。
先に話したのはノラだった。仮面を取ると、太鳳の目を見据えて、そして頭を深く下げた。
「気づけなくて、ごめんなさい」
その真摯な突然の謝罪に、太鳳はまた驚いたように目を丸めた。
「貴方が何を思ってこのお酒を飲んでいるのかは、私には分かりません。でもきっと私が、何かを見落としてしまった」
「私は、貴方達の薬師なのに」
本当にごめんなさい、と頭を下げるノラに、太鳳はぐっと唇を噛む。
ノラはゆっくりと顔をあげると少しだけ目を見開いた。
「ゔぅ……」
そこには、大きな瞳から大粒の涙を流す太鳳の姿があった。化粧はぐちゃぐちゃ、美しい夜の花は見る影もない。でも。
花街では、遊女は美しく咲く大輪の薔薇にならなければいけない。
けれど今日だけは、泣き崩れる一輪の鈴蘭でもいいと、ノラは思ったのだった。
「落ち着きましたか」
土管に横並びで座りながら、ノラは太鳳の背をさする。太鳳は泣き止み、赤く腫れた目を擦りながらこくりと頷いた。
「色々、限界だったのよ。最近ついた旦那は痩せろ痩せろとしつこくて。あー、あたしって太ってんだって思って。それで無理に痩せようとして、でもダメで」
「この酒に出会って、運命だと思った……。お腹も空かない、疲れない。身体はみるみる痩せていく……でも、それは長くは続かない」
言葉を詰まらせながらも、太鳳はぽつりぽつりと語り出した。
「段々、酒がないと飢えるようになっていったわ。早く酒を、酒を──ってね。ダメだって分かってるのに、飲まなきゃ苦しいのよ」
まるで麻薬のようだ、とノラは思った。飲むと苦しくなる。だから楽になるために飲む。そんな悪循環を、太鳳は一人で続けてきたのだろう。
「ゆっくり、治していきましょう。大丈夫、私がついていますから」
背中をさするノラに、太鳳は「ありがとう」と涙を零したのだった。
(さて、問題は────)
ノラは未だ飄々と、しかし不思議そうにこちらを見ている男に目を向ける。
「この神をどうするか、ですね」
ノラの目には、鋭い眼光が宿っていた。




