6-3 魔導先進国ヴァイスへ
ムスターの準備が整うと御者の合図と共にキャリッジの車輪が転がり始める。
馬車など乗り慣れていた筈のエルミラは記憶喪失以降はじめての外出に目を輝かせ扉に誂えられた硝子の覗き窓に張り付いて離れない。
案の定というか予想通りというか、二両のキャリッジの内、先頭を走る馬車には俺とエルミラの他に先程の騎士二人が同伴した。
街道を揺られ数時間、正午を過ぎた頃には山塊の麓に着く。
山岳信仰の対象ともなっている霊峰サントス山を中心にフェイリックス領とヴァイス領を隔てるマグナス山脈は東西に三百粁を優に超える大山脈である。
冬も近い秋の終わりは天候や強風の影響もあり、加えて内陸国であるヴァイスへは海路ではなくこの険しい山道を通る他ない……と思っていたのだが。
この山脈にも聖教の手の加えられた専用道が設けられており、実に整備の行き届いた間隔も広く取られた舗装路と、傾斜を削りヒトにも馬にも負担を少なくした勾配調整が施されていた。神聖な地を切り崩す事は禁忌とされていると勝手に思い込んでいたが、現代人は以外と逞しく柔軟なのやもしれない。
聞くところによると、マグナス山脈にはフェイリックスが管轄する鉱山資源を得るための採石場がいくつか点在しているらしい。ただしその内の半分は坑道に魔素が充満してしまったり出水で岩盤が脆くなってしまったりと安全面の観点や維持費との兼ね合い等で廃坑となり放置されたままの現状とのこと。更にはその跡地を盗賊や破落戸が塒にして占拠する始末とも。
「定期的に聖教と騎士団が巡回し点検を行っているのですがね」とカルムは苦そうに説明した。
斜面が緩やかとはいえ山は山。周囲の警戒や馬車馬を休ませたりでどうしても時間を消費する。日も落ちかけたのはまだ三合目に満たないくらいの地点。そこで本日は休む事となった。
野盗が住み着くとなれば夜は特に警戒が必要だろう。はしゃぎすぎたのか暇に飽いたのかエルミラは既に夢の中だったが、俺は外で焚火の番をしながら聖教騎士修道会の連中と一緒に見張りを務めている。
騎士修道会、という存在は名前以外知らなかったが、なんとも騎士よりも騎士らしいというか、寡黙で慇懃で……もとより、こいつらの声を一度たりとも聞いていない。挨拶や合図は必要最低限の動作だけで行っている。頭部を全て覆う密閉型の兜と重厚な鎧、籠手に脛当てに鉄靴と完全武装しているため表情ひとつ伺うことも出来ない。堅物、というより俺達と意思疎通するつもりは毛頭ない、とでも言われているようにも思える。
「そろそろ代わりましょう」
静かにキャリッジの扉を開きカルムが交代を申し出る。
「まだ二時間も経ってないんじゃないか?」
「もう二時間も経っているんです。私が盗賊の話をした事が原因なのでしょうが、些か緊張感を高めすぎと感じますね」
それはそうだ。危険ある要因を知れば身構えて用心する。護衛で配属されたのであれば尚更だ。
「わ、私たちの馬車より先に斥候の部隊が安全の確保の為に偵察と障害の排除を行っていますのでぇ……き、緊急事態や問題が発生した場合は信号弾で知らせる手筈にもなっていますし……」
うん?
のそりと馬車から下りるジニアが告げる内容を俺は知らない。
確かに国の代表の警護にしては人数が少なすぎるとも思ったが。
「突発的に魔獣と遭遇する場合もありますから絶対はありませんから、警戒はして損する事もないですが気を張りすぎると無駄に体力を消耗してしまいますよ。真面目は美徳ですが我々もついております故、ほどほどに。私とジニア君も交代で休憩をいただきますから、ナナシさんもどうかお休みになってください」
うん……そういう事は出発前に話しておいてほしいなあ。
急激に肩から力が抜けていく。俺は大人しく頷き、キャリッジの中で睡眠を貰うことにした。
◇◆◇◆◇◆◇
何度か魔獣との戦闘を経たが差し当たって問題もなく、駐屯地や中継の村を経由してヴァイスへも直に到着する地点まで辿り着く。
魔導先進国ヴァイスは建国から百年足らずと歴史としては浅く真新しい国家だ。
ただしこの国の持つ技術や斬新で奇抜な国策は世界規模で革命を齎し、今もなお世界の最先端を独走する。
その大半が建国者である賢王と名高いヴァイス国王陛下の発案であり、残る殆ども彼の者の方針と知識が基となり発展を遂げた。
温厚篤実で才気煥発。独出心裁にして破天荒解の完璧超人。賢王ヴァイスを讃える声は国内外問わず止む事はない。
更には百年ほど前に起きた動乱を救った勇者としても有名である。本当になんでもありの無敵の存在だ。
『ヴァイスってどんなところ?』
そう興味本位で尋ねたエルミラに淀みなく雄弁に語るのはジニア。言葉が堰を切ったように溢れて止まらず、普段の自信なく言葉を詰まらせることもなく十分以上喋り続けている。既にエルミラはうつらうつらと舟を漕ぎ始めていた。
「ジニア。その辺りでどうか」
「え!あ、はいぃ!ご、ごめんなさい、つい……」
漸くカルムが制止し、ジニアは頭を何度も下げて謝る。
「博識なんだな」
「あの、えっと、わ、私は読書が趣味、でして。歴史や伝記はその、ちょっと詳しい方なんですう……」
ちょっとどころではない。詳しすぎて聞き入ってしまったくらいだ。
ヴァイスは人種や種族の差別をせず、万民に公平と平等を約束する慈愛の国。
そんな謳い文句があったなと俺の残り滓のような記憶から掘り起こす。
それにしても建国百年、か。やはり俺の時間の感覚と現実には二、三十年くらいの開きがあるように思える。まあ、殆ど空っぽに近い状態で目覚めたのだからそう差はないと違和感を心の内に押し込んで開き直ることにする。
「さあ、目的地が見えてきましたよ」
窓の外を見ながら言うカルムの視線の先に国を取り囲む堅牢な石造りの巨大な壁が出迎える。
「やっとついたの!?もうお尻が痛くて大変だったんだから!」
頬を窓ガラスに押し付けて外景を確認するエルミラ。「お尻」という単語にジニアが過敏に反応していたが気付いていない振りをしてやるのが優しさというものだろう。
冒険者に登録して以降、自分自身が凶兆を引き寄せる体質ではないのかと思わされる事ばかりだった。無事に到着して何よりだ。
目を輝かせ気分を逸らせるエルミラを宥めつつ、ヴァイスへと近づく馬車に揺られながら安堵を漏らした。




