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5-17 忘却のエルミラ

 フェイリックス医院の入院病棟の一室。真っ白な個室のベッドに仰向けで静かに眠り続けるエルミラの傍らで俺は二度目の朝を迎えた。

 聖教の専属医師に診断してもらったが原因は不明瞭で、殴り飛ばされた際に脳が損傷を受けた事が要因たるのではないかという話だ。出血量にしては傷は浅く、命に別状はないが昏睡状態が続く場合はその限りではないとも告げられた。

 エルミラは大いなる神秘(エニグマ)の特性により魔法による治療を行うことが出来ない。彼女自身の回復力に頼り、祈る事しか出来ない。

 俺自身が意識を取り戻したのも昨日の夜中。あの激闘から丸二日以上が経過していた。

 いつの間にかぶっ倒れ、気が付けば病院で手当てされ、おまけにあの化物を討ち取ったのは他でもない俺自身だという。誰かが俺を騙そうと功労者にして担ぎ上げているのではないかと邪推もしたが、そんな事を記憶喪失の浮浪者にして何の得もない。

 意識を失くす直前、突如発動した魔法術式も、体が乗っ取られたように紡いだあの言葉も俺が意図して起こしたものではない。俺が知る現実(おれ)は、エルミラを護れず都合よく昏倒した間抜けでしかないのだ。

 そして、目覚めた俺の問診をする医師にエルミラの容態を尋ね、現在に至る。

 エルミラの病室はフェイリックス医院の中でも聖教の重要人物のみが使用を許される特別病棟であり、一般の面会や訪問は罷り通らない。俺がこうして彼女の傍にいられるのはムスター大司教猊下の計らいがあって許されている。

 件のムスターは今回の事件の収拾に明け暮れている。実際に俺が目を覚ましてから彼に会ってはいない。

 窓のカーテンの隙間から朝日が射し込む無音の病室。一瞬にも永遠にも感じられる時間。俺はただ自身の不甲斐なさを悔やむ事しか出来ず、苛立ちが募っていく。

 思えば、彼女と出会ってからまだ半月も経っていない。

 何処の誰とも知らぬ俺を、どうして彼女は拾ったのだろうか。

 何処の誰とも知らなかった彼女を、どうして俺はこんなにも大切に思っているのだろうか。

 行きずりの愛。単純な男の性。孤独から生まれた依存。それだけでは説明がつかない、何か運命や因縁のようなものを感じずにはいられない。

 「馬鹿だな……」

 理由なんてどうでもいい。俺はエルミラが好きだ。愛している。これからも、彼女と共にありたい。それだけで十分だ。

 「ごめんな、エルミラ。俺がもっと強かったら、君をこんな目に合わせずに済んだのに。だから俺、もっと強くなるよ。君を護れるくらい、君よりも。だからさ」

 目を覚ましてくれよ。

 涙が零れる。強気な言葉に反し、みっともなく、ぼろぼろと。

 大粒の水滴が床に落ち、弾ける。

 その時だった。

 ベッドが僅かに軋む音がした。

 急いで涙を乱暴に腕で拭い、エルミラに視線を向ける。

 ぴくり、と彼女の眉が脈を打つように動いた。

 見間違い、ではない。そして、

 ゆっくりと、エルミラの瞼が上がっていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆



 怪我、魔素中毒による軽症者十八名。

 重傷者五名。

 死者一名、行方不明者二名。

 以上、パルウァエ森林調査及び征伐任務によるフェイリックス騎士団所属員被害者報告。



 異常個体の消滅から二日が経った。

 フェイリックス医院の入院病棟の一角は騎士団による貸切状態となっている。

 負傷者は酷い者でも骨折や臓器の損傷。命に別状はないとの事。問題は瘴気による魔素中毒者であり、意識障害や神経症状が出ている者も数名。治療は魔素の排出を行い経過観察、結局のところ当人による克服しか打つ手がなく予断を許さない状況だという。

 こればかりは団員の胆力を信じて待つしかない。当事者が必死に闘っているのだ。気を揉み女々しくやきもきしているだけでは団長は務まらない。

 結局、騎士団の力だけで事態を収めるには至らず、不浄の巫女エルミラ……聖教の助力を乞う形となった。益々あの狸がのさばり幅を利かせるようになるだろう。

 エルミラがあの場に姿を現したタイミングは不可解極まりないが、騎士団の被害がこの程度で済んだのはエルミラと、あの男の存在が大きい。そこだけは不本意ではあるが謝辞がない事もない。

 ただし、悩みの種は増えてしまったが。


 「見舞い、という訳ではありませんね」

 「ひでえ言種(いいぐさ)だ。団長様が自らご足労したっていうのによ。まあ正解だがな」

 騎士団員たちが押し込まれている病室とは別の個室に一人ベッドに上体を起こした姿勢でウェリスを出迎えるのはシグニスだった。

 肋骨三本の骨折と左腕靭帯の損傷。軽度の魔素中毒も発症しているが個室で特別待遇を受ける程の容態ではない。にも拘らず敢えてそう対処したのは彼がウェリスの数少ない友人の弟だから……という訳では当然なく、この療養中に内密に話したいことがあったからであり、昨日急遽宛がってもらった。

 「具合は?」

 「順調に回復していますよ。それでは、本題をお伺いできますでしょうか」

 「可愛げのない奴だな」

 要件は無論、パルウァエ森林征伐での出来事。

 ウェリスの部隊と別行動を取ってからの動向、大鬼型の異常個体、そして、二種の異常個体を仕留めたあの男について。

 ナナシ。不浄の巫女・エルミラ、延いては聖教の後ろ盾を持つ素性の知れない丸耳族(ヒューマン)の男。

 此度の作戦では暴動の警戒のため冒険者組合に斡旋を要請し、ルキ達の後続の部隊に配属された銀級(シルバー)冒険者。尤も、こちらからこの男を指名した訳ではなく、恐らくは聖教が一枚嚙んでいたと見ている。

 シグニスからの報告を聞くも、魔導国家ヴァヴェンデットの特級魔法師クラスの魔法使いであること以外は目新しい情報はない。

 「何者なんですか、あの方は」

 「さあな。記憶喪失の駆け出し冒険者。んで魔女のお気に入りってくらいしか知らねえな」

 「それも引っかかるんです。ああまで超越した大魔法師が誰も認知していないとうことが」

 「今まで隠遁してたってだけじゃあねえのか」

 「だとしても魔導庁が放っておく人材ではないでしょう。何か訳があって魔法の素養をひた隠していたとしても、世間の口に戸は立てられません。そんな人物が少なくとも半月以上も野放しにされているとは私には考えられなくて」

 この世界は魔法という万能の利器の存在が根幹にあり、生活の一部として根強く支えられている。故に、嘗ては魔法を扱うことの出来ない者は神に見放された落ちこぼれの出来損ないとして迫害を受け虐げられていた。そしてそれは今も完全になくなった訳ではない。良くも悪くも、文化や文明、何よりもヒトの心情や思想というものを排斥し価値観や理念を統一するのは不可能である。

 魔法を使役できるというだけで得られる恩恵は大きい。それを隠して無能者(エンプティ)に身を窶す理由は皆目見当がつかない。

 未知の魔法術式に丸耳族でありながら不浄の巫女とも引けを取らないであろう保有魔力量。未だに尖耳族(エルフ)至上主義の気は残るが、魔法の探求に心血を注ぐ魔導庁があれだけの魔法師を見過ごすとは確かに思えなかった。

 「他国の密偵の可能性があるって?」

 「最初はそうも考えました。記憶喪失も方便だと。しかし、あの方は本当に純粋な方です。自身を厭わず他人を優先するような。不器用とも感じる程に。そんな方が演技を振舞うとも考え難いです」

 つまり、あの歩く魔法兵器については不明のまま。ただし看過もできない。況してや聖教に取り籠められているのだから尚更だ。

 「で、お前ならどうする?」

 「恐らくですが、大きな催事が近々あるのではないですか」

 「兄弟揃って察しがいいな」

 「あの方に白羽の矢が立つのは火を見るよりも明らかですから。それを含めて暫く様子見、ですかね。勿論こちらの目の届く範囲に置いて、ですが」

 打つ手がない以上、致し方ない。概ね同意見だ。

 暫くは忙殺が続きそうだとウェリスは深い溜息を吐いた。



 ◆◇◆◇◆◇◆



 「エルミラ……!」

 うすぼんやりとした眠そうな眼を擦り、エルミラは仰向けのまま視線を動かせ周囲を見回す。

 よかった。本当によかった……。

 このまま目覚めてくれないんじゃないか。もう二度と君の声を聞くことも出来ないんじゃないか。

 そんな最悪の結末ばかりが脳裏にへばり付き、気持ちが逸り、不安で、堪らなく怖かった。

 また涙が勝手に溢れてくる。視界がぐしゃぐしゃでエルミラの顔がよく見えない。

 手の甲でそれを拭い、彼女の手を両手で優しく握る。

 びくっと、エルミラが驚いたように体を震わせた。

 「ご、ごめん……!起きてすぐ、君も万全じゃあないのに浮かれてしまって」

 四日間も昏睡し、今しがた目覚めたばかりの相手に配慮が足りていなかった。

 慌てて手を放し、エルミラに弁解する。きょとんと、目を丸くするエルミラは不思議そうに俺を凝視していた。


 ――何故だろう。とても、嫌な予感がする。


 いつも落ち着いていて、達観し成熟した大人の雰囲気も、口数は決して多くはないが俺を揶揄い艶やかに微笑む表情もそこにはない。

 見た目相応のあどけない面持のまま、エルミラは体を起こす。

 そして、小さく首を傾げ、こう言った。


 「あなた、誰?」


 それは、最も聞きたくなかった言葉だった。

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