5-15 魔鎧
「や、やりましたあ!」
ジニアが諸手を上げて歓喜を顕わにする。
呻吟し海水を浴びた果実のように萎れて縮んでいく土留色の球体。この一撃で好転しなければ更に打つ手を思案しなければいけないと考え倦ていたが、杞憂となったことに安堵を溜息と共に漏らす。
他の騎士たちも討ち取った実感が湧かないのだろう。誰一人勝鬨をあげず狼狽えているようにも見える。
ウェリスが大胆にも化物に歩み寄り直に接触して生死を確かめているようだ。
その直後、ウェリスは大きく飛び退き、声を張った。
「まだだ!息がある!魔法障壁のない今の内に畳みかけて息の根を止めろ!」
その号令は彼の周囲で疲弊を募らせ心身耗弱する部下だけに伝え鼓舞するものだけではない。後方での魔法支援を担う俺達へも向けたもの。
「本当にタフね。私たちも加勢してさっさと終わらせましょう」
「そうだな。ここから再起されたら堪ったもんじゃない」
それぞれ魔法術式を展開し魔弾の射出準備に入る。
「騎士さまは前衛に加勢なさい」
「え、あ、はいい!承知いたしましたあ!」
総攻撃をかける今が化物を討ち取る最大の好機だ。化物が魔法障壁を発動できず命からがらの今こそ攻め手を増やすのは正しいかもしれない。
だが、何故だ。
とても嫌な予感……悪寒に近いものが背筋を走った気がする。
そしてそれは、すぐに確信へと変わる。
エルミラの指示通り、ジニアが走り出した、その時だった。
突如、エルミラの背後から触手が三本、天を貫かん勢いで地中から突き出る。
中心の一本に残りの二本が巻き付き、より太く強固な一本の触手となる。それは油断していた俺たちを嘲笑うように身をくねらせ、勢いをつけた横薙ぎの一閃を放つ。
エルミラはエニグマの特質により魔法への耐性は絶大だ。しかし身体能力は平均的な女性程度、いや、体格差からそれ未満でしかない。即ち、エルミラにあの攻撃を咄嗟に回避する術はない。
「エルミラ!」
幸運にも俺とエルミラとの距離は手を伸ばせば届く距離。魔弾の術式を破棄し、即座に彼女を抱き寄せ、勢いに任せ前方へと倒れるように飛び込む。無論、触手の当たる判定部分をエルミラから逸らす為に。
更に無詠唱で魔術式を展開。俺とエルミラの双方に硬化を附与。
肉体を活性化させ身体能力を向上させる強化魔法の類は自身以外を対象とした場合は効力が著しく低下するが、効果薄であってもまともな防具を身に着けていないエルミラに出来得るなけなしの対策がこれくらいしか瞬時に思いつかなかった。
俺の背中に魁偉たる触手が打ち付けられ、鈍く重く、圧壊するような衝撃が走る。いとも簡単に振り払われ、そのまま慣性に従い中空へ吹き飛ばされた。
呼吸活動が停止する。酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すことができない。頭の中が徐々に真っ白に塗りつぶされ染まっていく。
痛みや苦しさは然程ないが、このままではすぐにでも意識を保てなくなるだろう。奥歯を噛みしめ、一か八かエルミラを抱えたままの右腕の肘で自分自身の横腹へと叩きつける。
肋骨が砕けた。しかし同時に血液まじりの唾液と共に空気を外へ吐き出てくれた。すかさず酸素を吸い込むと肺が驚き咳と血液が口腔から噴き出る。どの臓器かは分からないが、いくつかが潰されたらしい。硬化なしだったら背骨ごと圧し折られて即死していただろう。
そうこう逡巡している間にも慣性は失われずに空中遊泳を続ける。もう間もなく何処かの何かの樹木へと二人揃って衝突するだろう。何せ此処は未開の森林。自然は文字通り溢れかえっている。
ここまで時間にすれば一瞬に過ぎない。だが妙に思考が研ぎ澄まされ間隔が引き延ばされている。複数同時に術式を展開するのは正直あまり得意ではない。それもつい最近まで自身が魔法を扱うことが出来る事すら気付かなかった奴だ。扱えて二つや三つが関の山。だが今は頭が冴え、魔力も余りある。ならば念の為、硬化の強化を更に重ね掛けが可能かもしれない。
「二重、硬化!」
予め施した硬化の上から更に硬化を附与し、より筋骨を強固にさせる。自身の肉体が強張り、肉質のレベルで硬質化する。多分、成功とみていいだろう。
背を丸め、来るべき衝撃に備えてエルミラを離さないよう腰と肩に回した手をより強めて抱き寄せた。あれからエルミラの反応はない。もしかすると触手の一撃が彼女にも伝わりダメージを負った可能性も否めない。
首の付け根の辺りに何かがぶつかる。そう気付くよりも先にミシミシと木が凹む、というより内側の繊維から千切れていくような音が耳に入る。刹那、首から肩、背中へと鈍痛。次に弾けるように樹木が破砕し、衝突した部位が陥没し乾燥した木片が四散し、滑るように地面へと叩き落された。硬化の重複のおかげでぶっ飛ばされた時ほどの損害はない。
背後からの触手での奇襲。無数のそれを地中から伸ばして仕掛けたとして、随分小狡い攻撃方法を使う。
エルミラが放った魔弾で決着がついたと油断した俺の落ち度だが、恐らく目に見える部分以外、例えば土留色の球体の底面にも触手が連なっており、地面に突き刺して土壌から魔素を吸い上げていた可能性もある。溜め込んだそれで機能停止から回復し、今度はそれを反撃に利用したという所だろうか。なんにせよ、完全に回復される前に次の手を打たなければ。
「エルミラ、大丈夫か?」
腕の中で大人しいままのエルミラを覗き見る。
瞼を落とし、眠るような彼女はぴくりとも動かない。鼓動すら止まってしまっているかのように静かで、思わず気揉みし胸へと耳を当てた。
……か細く微弱ではあるが、心臓は働いている。
安堵しようとした矢先、彼女の額から鮮血が伝う。一縷ではなく、べったりと結構な量だ。触手に薙ぎ飛ばされた時か樹木へ衝突した時に頭を打ち損傷したのか。
しかしこの程度であれば治癒魔法で傷を塞いでしまえばいい。すぐさま治癒魔法を附与するが、出血がなかなか収まらない。
治癒が効いていない……?
まさか、エニグマの魔素への耐性は、強化や治癒も同様に無効化してしまうのか?
考えてみればそうだ。魔素への完全耐性であるならば、悪意であれ善意であれあらゆるものを無力化するという事。
なんて規格外な能力だ。なんて融通の利かない権能だ……!
迂闊だった。二重硬化で難を凌いだと思っていた。エルミラの特性まで配慮出来ていなかった。
頭部への損傷の度合は分からないが、事態は一刻を争う可能性も否めない。早くこの場を撤退し手当が必要だ。
「――――!!!」
土留色の球体が咆哮を上げる。視線を向けると傷口が不気味に泡立ち回復を始め、魔法障壁も発動を再開している。応戦する騎士たちの中にも被弾や瘴気の影響からか突っ伏し倒れている者の姿も出始めている。
最悪の状況。絶望的といっていい。俺が騎士達を見捨て、エルミラを抱えて単身で森林から脱したとして、フェイリックスに戻るまでにエルミラが持ち堪えるかも定かではない。
心拍数が上がり動悸がする。呼吸が不規則で眩暈がする。焦燥感から正常に頭が回らない。
どうしたらいい。何か妙手はないか。何が最善だ。
けたたましい心音が焦りと不吉な想像をより助長させていく。
煩い。勝手にばくばくと音を立てるなら、アイデアのひとつくらい出したらどうだ!
思考も精神も余裕が失われていき、苛立ちと不安だけが膨らんでいく。無意味に生理現象に八つ当たりするくらいには理性も正常を保てなくなっている。
しかし、その八つ当たりの先が、まるで返事をするように一度大きく心臓を跳ねらせる。
刹那、自身を中心とし、足元に魔法陣が展開された。
それは直径三メートルほどの正円。紫色に発光し、単一ではなく、二つ、三つ、四つと外周を覆うように拡がり巨大化していく。
難解で複雑な魔法術式。困惑している事も合わさり、瞬時に内容や種別を読み解けない。
頭上にも術式が発動し、同様に四重の魔法陣が生成される。
化物の仕掛けた魔法とも思ったが、どうやら違う。
これは俺自身の魔力を用いて、俺自身が発動した術式だ。
「……マ」
事態を呑み込めずまごつく中、俺の口が勝手に動いて声を発する。
咄嗟に片手で口を覆い塞ぐが、抑え込めずに自身の意思に反してそのまま言葉を紡ぎ出した。
「……ギア……アル、マ……!」
その未知の言葉を喉奥から絞り出すと同時、俺の意識は混濁に呑まれ、
途絶えた。
◆◇◆◇◆◇◆
戦況は最悪。
仕留める前に魔力を蓄え復活を遂げた化物は体勢を取り戻すと哮り立ち、触手の攻勢をより強め暴れ始めた。おまけに途絶えていた魔法障壁も再発動させてやがる。
跳ね飛ばされた団員が起き上がれず地面に突っ伏す。瘴気の影響でまともに動けない者も出ている。シグニスはまだ持ち堪えているが、察するにもう限界が近い。
俺とルキだけでこいつを抑え込むのは、無理だろう。ルキがどれだけ剣が達者であろうと、一人二人の力でこの化物を倒せる奴は世界屈指の実力でもない限り挑むだけで無謀。自殺志願といって過言ではない。
更には後方で魔法での支援をしていた魔女とその連れも狙われ、ぶっ飛ばされた。つまり、魔法障壁を突破する手段すら奪われてしまった。
「ルキ、シグニス。出来るなら他の団員を連れてここから脱しろ。無理ならお前たちだけでも構わない」
「やだ」
「……これは無駄口じゃあなくて、団長命令なんだがなあ?」
こちらの意図も察しず即座に否定するルキに苛立ちを覚えつつも、こんな状況下でも平常運転でいられる豪胆さに感心さえする。
「カルムが部隊を編成してこちらへ向かっている筈だ。それまで俺がこいつと遊んでてやる。だからさっさと戦闘不能になった邪魔者をどかせって言ってんだ」
「やだ」
「お前……」
「お二人とも、あれ……」
シグニスが珍しく声を荒げて後方を指差す。
その方向を見やると、煌々と紫色の光が発せられていた。
「……なんだ、ありゃあ」
強烈な魔力の波動。この化物も異常な魔力を纏い誇示しているが、あれも大概。見ているだけで胸焼けするような歪で禍々しい底気味の悪さが渦巻いている。
光は次第に硝子玉のように球体となり、中心へと徐々に収束して、弾けた。そしてそれまでとは比較にならない絶大な魔力が噴霧と共に周囲を包み込む。
それまで踏ん張っていた何名かの騎士が忽ち膝から崩れ落ちる。シグニスも例外ではなく、俺とルキだけがその異様に耐え抜いた。
青紫の霧の中、薄っすらとヒト型の影が揺らめく。
それは漆黒の鎧を全身に纏い、刃のように鋭く兇猛な二本の角を携え、悍ましく身の毛が弥立つ邪悪な風貌をした、御伽噺に出てくる悪魔のような姿の、何かだった。




