4-2 フェイリックス医院の異端医師
冒険者ギルドに昨日請け負った薬草採取の依頼の報告を済ませ報酬を受け取った。三種あった内二種だけの納品となった為、支払金は銅貨十枚。本来であれば新たに依頼を受注して稼ぎに出るつもりだったが、エルミラから特別手当を貰い懐は潤っている。ならば当初の目的通りに、と訪れたのフェイリックス医院。
大聖堂を構える聖教のお膝元の国である恩恵もあってか、小さな町や村にある施療院と比べ見た目も規模も豪華で立派なものだ。冒険者ギルドの組合所や他の建造物、街の雰囲気でもそう感じたが、フェイリックスは俺の持っていた知識と反し裕福で活気づき興隆を果たしていた。
俺の知るフェイリックスは良く言えば清貧。有体に称せば質素な国であった。海に面した国土を活かし産業として漁業が盛んであり、昔からこの国の経済活動の根幹だった。ただしフェイリックスは霊峰と名高いマグナス山脈に囲われ隣国から隔たれている。要するに他国へのアクセスが頗る悪い立地なのだ。その為、海路以外で海産物の取引をする手段がなく、儲けとしては決して多いものではなかった。
そんな辺鄙な国だからこそ、デム教への参拝者以外が滅多に訪れることもなく、戦争とも縁遠かった理由でもあるだろう。しかし今は見違える程に発展し大都会に負けないくらいに賑わい、繁盛している。この記憶がいつのもので、正しいかどうかも定かではないのだが。
そのポンコツな脳を正常にする為にも治療が必要だ。開け放された扉を通り、医院の中へ入ると冒険者ギルドの組合所同様、正面に受付を担当している女性職員がおり、案の定身分証明書の提示を要求された。
ギルド証を見せ、内容を用紙に一通り記入してから返却される。
「ではナナシ様、本日はいかがなさいましたでしょうか」
「実は記憶喪失、みたいでして。三日より前の記憶が一切思い出せないんです」
「なるほど。ではご案内の呼び出しが掛かるまでお隣の待合所でお待ちください」
手を差し出された方向には三人掛けの木製の長椅子が六脚用意されており、診察待ちであろう先客が何名か疎らに腰かけていた。俺も手前の無人だったそれに座り、待つこと数分。
『診察でお待ちのナナシ様。向かい側六番診察室にお入りください』
突如室内に何者かの声が響き、驚きから肩が跳ねた。上方に首ごと顔を向けると何か網目状の蓋がされた箱が壁に設置されており、そこから声が発信されたと思われる。くぐもったような、振動したような不思議なものだったが、恐らくは受付を担当していた女性の声。昨日ムスターが使用していた拡声の魔装具……の派生形だろうか。遠隔にも声を届けることが出来るなんて魔装具の進化は目を見張るものがある。
周囲はまるで何事もない風に素知らぬ顔。動揺しているのは俺だけのようで、もしかすると拡声の魔装具もこれも今時は珍しい物ではないのやもしれない。
「ナナシ様。いらっしゃいますか?」
「あ、はい!」
今度は肉声で受付から呼び出しされ、いそいそと指定の部屋番が振られた部屋へと向かった。
診察室内は異次元だった。
勿論比喩表現だが、異質である事に変わりない。
机、診療台、照明器具などは特筆して注目する箇所はない。部屋の奥に重厚感のある成人男性一人よりも大きな物質、恐らく絡繰細工の一種がカタカタと音を立てて可動しているのも気にはなるが、問題はそこではない。
途轍もなくとっ散らかっているのだ。平たく言えば汚い。二十平方メートル四方程度の個室に脱ぎ捨てられた服、崩れて逆さまになった書物や巻物、くしゃくしゃに丸められた紙の山、何に使うか見当のつかない道具、食べ掛けの何か等々。床や机、あろうことか診療台の上にもそれらが散乱している。およそ治療を受ける筈である場所がこんなにも生活感を丸出しにして良いものなのだろうか。良い訳がない。
開けたばかりの引き戸を閉め、部屋番号を確認する。引き戸に貼付された木札にしっかりと六番診察室と記されている。取敢えず俺は受付へと踵を返した。
「ごめんなさい。聞き間違えたようで、どの診察室に入ればいいのでしょうか」
受付の女性に尋ねると、
「六番診察室です」
にこやかに応答した。間違いであってほしかった。
「ごめんなさい。六番診察室なるものは魔窟です」
「申し訳ありません。アノマーレ先生は少々だらしない性格でして……」
「……少々?」
「申し訳ありません。大分性格と素行に難がありますが、腕は確かです」
ここで問答を続けても無駄と悟り、渋々と魔窟へ引き返す。
扉の向こう、散らかり放題の部屋に三白眼で無愛想な女性が小さく手を振って出迎えた。
「おかえり。まあ座りなさいな。僕も暇じゃあないのだよ」
低めのハスキーな声。座れと差し出された手の先には丸椅子には幸いゴミが乗っておらず、促されるまま腰を落とした。
丸い黒縁の眼鏡をかけたぼさぼさで頭の前も後ろも長い白髪の女性。白衣を纏い椅子に座しているがその状態でも長身でスタイルの良さが分かる。そして更に彼女は珍しい事に獣耳族である。
獣耳族は尖耳族と丸耳族を含めた三大人種の内、最も種族数の少ない稀有な存在であり、保有魔素は丸耳族よりいくらか多い程度だが、他種族と比べ肉体能力が大きく勝る。そして耳が顔の横ではなく側頭部辺りにあり、犬や猫のような形態をしているのが特徴で、中には尻尾を生やす個体も存在する。彼女もまた天に向かって伸びた三角形の狐のような獣の耳と短いがふわふわで綿のような毛艶の尻尾を携えている。
「獣人は珍しいかい?」
「ご、ごめんなさい。そういうつもりでは……」
視線を感じた獣耳族の医師は表情変わらず眠そうな目のままこちらを見て尋ねる。確かに珍しい人種だからという事もあるが、問題はそこではない。見入ってしまった最たる要因は彼女の服装だった。
白衣の下は上下一体型のシュミーズのみ。つまりは下着だけ。薄紫のそれは胸元を隠す機能はなく、寧ろ強調されているといっていい。一般的な女性より少し大きく感じる豊満な果実は男であるなら意識せずにはいられない。
「僕の診療が必要ということは風邪や怪我ではないのだろう?症状を言い給え」
こちらの気などお構いなしに診察に移行する医師。確かアノマーレと受付の女性が言っていたっけ。
机の上の雑多の数々を腕で払い除けて辛うじて空いた平面にくしゃくしゃの紙を置いて先の曲がった羽根ペンを握り、催促するようにインクをつけたそれをまだ皺しかない無地の紙の上から叩いている。律儀に一秒に一度。刻限を知らせるように。
「えっと、三日より前の記憶が全く思い出せず、自分自身の事すらも分からない状況でして。記憶喪失、ってやつだとは思うのですが、治る……というか解決策はあるのか、と」
「ほう。身分証は持っているからここを受診出来ている筈だけど、まあ詮索は止めておくよ。そうか、記憶障害ねえ」
そう。この症状の告白により伴う最大の欠点は、俺の持つ身分証が偽名であると悟られてしまう所だ。打ち明けた相手が人情家だったり話の分かってくれる聖人であることを祈りつつ一か八かに賭けるしかなかったが、幸いにもアノマーレ医師はそこを突いてはこないようだ。
続けていくつかの質問を受け、アノマーレ医師が皺だらけの紙にペンを走らせる。外傷の有無や簡単な計算、地名についてなどまともなものばかりで安堵する。診察室は酷い有様だけど。
一通りの回答を終えるとペンを置き、上半身を左右に揺らしつつ、耳をぴくぴくと脈動させ顎を指で摘み何かを思案するアノマーレ医師は暫くそうしていると突然何か閃いたのか椅子から跳ね出てゴミの山を漁り始めた。
四つん這いで尻を突き出して物色しているのだが、この人には羞恥心とか貞操観念とかが欠如してしまっているのではないか。単純に患者を異性として見ていないだけかもしれないが、そうだとしてももっと自分を大事にした方が良いだろう。そう思いながらも視線は尻に釘付けだった。
「おお、いたいた。この子を使おうじゃあないか」
この子……?
取り出された……というか掃き溜めから発掘されたのは兜のような何か。鼻から上を覆う形状をしており、至る所から長い管?が何本も垂れている。俺の安堵を返してほしい。
「まだ試作品なのだがね、自作の脳波測定器といって……簡単に言えば脳が発する微弱な信号を読み取り数値化する装置だ。これで君の脳が正常かどうか確認しようじゃあないか」
怪しい見た目のアイテムを自慢げに語り俺へ強引に押し付ける。さあ被れと訴える眼差しは新しい玩具を与えられた子供のように純真無垢な輝きを放っている。
「安全、なんだよな?」
「ああ、心配は無用だ。臨床試験は実施している。気分を害したり体調を崩す結果は出ていない」
まだ八人しか試験していないが、と小さく口早に呟く獣耳族の医師。一抹どころか盛大に不安を抱かせるが、死にはしないだろう。
覚悟を決めて謎の兜を頭に被せる。ずしりとした重量感。視界は完全に塞がれていて目を見開いても暗黒以外は映らない。耳を澄ますと兜自体が駆動音を発しており余計に憂患を増長させる。
兜を装着して三分ほどが経過したか。或いはもっと短いかもしれない。これが放つ異音とは別に視界の外でまた漁り探し物色する音が聞こえている。
「あの、一体これはいつま、でっ!?」
突然、何かが肘の内側辺りに刺さった。立ち上がろうとするも、肩に体重をかけつつ抑え込まれ阻まれる。
「落ち着き給え。ちょっと血液を採らせてもらっているだけだ」
「血液……?」
「血は情報の塊だ。血中を調べれば体の不調や異常の究明が可能なのだよ。尤も、誰も理解してくれないのだがね」
施療院で行う治療は問診と投薬が一般的だ。患者の容態の確認の為に触診や場合によっては瀉血の処置を執ることもあるが、血液を採取し検査しようという話は聞いたことがない。
彼女が話し終わると同時、兜が引き抜かれ視界を取り戻す。刺された左腕を見ると既に止血の為の包帯が巻かれていた。
「さあ解析ちゃん、お仕事の時間ですよー」
さっきまでの淡々とした涼しい口調ではなく、同一人物から発せられたものとは思えない猫撫で声で部屋の奥で異質な存在感を放ち続けている絡繰に恍惚の表情で頬擦りしているアノマーレ医師。俺が装着していた装置から伸びた管の先端はどうやらそこに繋がっているらしい。
「ずっと気にはなっていたんですが、そのこの場に似つかわしくない絡繰はなんですか?」
「ああ、紹介をしていなかったな。この娘は解析ちゃん。君の脳波を測定してくれたのが分析くん。二人とも私の可愛い子供たちだ」
「子供たち」
名称を知りたいのではなく、機能について尋ねたのだが……まあ深追いするのはやめておこう。本当にこの人は医者なのだろうか。
「あ、患者君。君は今日はもう帰ってくれて結構。解析の結果が出るまで処方できないからね。五日ほど経ったらまた来てくれ給え」
絡繰とじゃれるアノマーレ医師は掌をひらひらとさせ、さっさと出ていけとジェスチャーする。今日の所は結果は分からず仕舞いということらしい。
そう長くない時間だったはずだが妙な疲労感を覚えつつ、軽く会釈をして俺は診察室を後にした。
また五日後にここに来なければならないのか……。まあ眼福にはありつけるか、とポジティブに考えることにしよう。
◇◆◇◆◇◆◇
解析ちゃんが呻き声をあげ稼働を続ける。如何せん彼女は頑張り屋ではあるが少し騒がしくしてしまうきらいがあり、その上デリケートで繊細だ。体は大きいが丁寧かつ優しく接してあげなければ拗ねてしまう。
対照的に小柄で主張が控え目な分析くんは筋肉質で丈夫な体つきをしており、粗雑な扱いをされてもどこ吹く風。堅実で真面目、でも融通が利かないぶっきら棒が玉に瑕。二人揃ってでしか成し得ない仕事もあり、凸凹なコンビだが中々にマッチしていると親目線で思っている。
「さあさあ、二人が頑張っている間に僕は次の準備をしなければ、と」
先の患者から採った血液の入った試験管を手動遠心機に仕掛け、クランプを回して作動させる。今これを自動で行う機械の開発も進めているがまだ当面完成の目途はない。ああ攪拌ちゃん、もう暫く母との対面は我慢しておくれ。
実の所、血中の情報で記憶障害の原因を究明する確信はない。単純に健康そうな二十代くらいの若年男性のデータを収集したかったので採血しただけだった。発明も医学も日進月歩。常日頃から探求心と研鑽によって新たな時代が幕を開くものだ。うん。
しかし僕は世界をより良くしたいだとか、自身の名を後世に残したいなどと大それた事は微塵も考えてはいない。ただ素晴らしい発明家である曾祖母と医師だった父の成し得なかった偉業を僕が果たし、僕の尊敬する二人の意思を継いで宿願を成就させたいだけなのだ。
それにしても動きづらいな。子供のころから感じていたのだ、服という代物の存在意義についてを。防寒の為ならば部屋で暖を取り籠ればいい。自身の地位や身分の誇示、或いは性別や部族の証明の為なら僕には不要。つまり僕にとって衣服とは拘束具に他ならない。
僕が診察を担当するのは精神障害やその可能性がある器質的障害の患者だ。他の内科や外科の医師のように客がひっきりなしに訪れるような部署ではない。要するに次の診察は未定ということ。いつもそうなのだが。
ならば別に他者を気遣う必要もない。白衣と下着、履物を脱ぎ捨ててありのままの僕の姿になる。うん、実に開放的である。
そもそも衣服というものは獣耳族への配慮が足りていない。尻尾があるのだから自ずと選択に限りがあるし、必要ならば受注生産して余計な出費になる。公序良俗に反すと外出の際の着用が義務付けられ社会常識となっていることには納得してやろう。ならばその規制を緩和する制度を設けるとか、獣耳族への服は一定周期で配布するなど多少考慮してくれても良いのではないか。仮にそうなったとして裸で過ごす事を止めるつもりは毛頭ないが。
「アノマーレ先生、先ほど診察の患者様の問診票を……なんでまた素っ裸なんですか!」
医師見習いで受付担当のベル君が入室するや否や大声を上げる。
「うん?今はこの部屋に一人だけだからだが?」
「ここは職場ですから例えそうでもすっぽんぽんになるのは我慢してくださいっていつも言っているじゃないですか!ああ!もう、またこんな散らかして!一時間前に私が掃除してあげたばかりじゃないですか!」
「頼んでいない。それに配置にセンスを感じなかった。あれでは作業効率が低下してしまうぞ」
「こんな部屋で効率が上がるヒトなんていません!手伝ってあげますから早く片付けてください!あと服も着て!!」
ベル君の悲鳴にも似た絶叫が医院に響き渡る。やれやれ、待合室の患者たちも驚いているだろうな。彼女はどうも落ち着きや配慮というものが不足している。
「今、とても失礼な事を考えていませんでしたか!?」
だが感は鋭い。
分かったと両手を挙げて降参のポーズ。
検査と研究は部屋の清掃を終えるまでお預けとなった。




