第八十四話 海の国のその城では
「そんな、まさか……」
海の国、その城の中で、解呪師たちが、ざわざわとざわめく。彼等は行方不明だった王子を見て、目をみはるばかりだ。
彼が何者かにさらわれる前、彼等の目の中に映っていた王子は、憐れな事に魔女の呪いでがんじがらめにされており、それらの呪いたとげとげしく周りの空気を揺らしていた。
その呪いは解呪師たちでは手も足も出ないほど強く、魔女の怒りを解くか、魔女を殺さなければ解けない、とまで判断できるほどの、強大な呪いだった。
王子は結婚できないかもしれない、と解呪師たちは思っていた。
結婚式を中止するように、王に提案する事もやぶさかではないと思っていた、だが今はどうだ。
呪いなどまるでなかったかのように、王子の周囲に、呪いの痕跡はなくなっていた。
呪われた人間にはどうしても痕跡が残る、だというのに王子をどう見ても、その痕跡は見られない。
それが何を意味するのか、簡単だ。
魔女が、己の気持ちで、快く呪いを解いた、という事だ。
呪った相手を殺して解除した呪いはどうしたって、痕跡が痛々しく残るものなのだ。
だが呪いの形跡すら王子には残っていない、信じられない、こんな事があるのか。
「そんな事が、奇跡か……?」
解呪師たちは魔女など殺せない、格の違う相手を殺せるほど、心臓が強くもない。
魔女とは並ならぬ力の持ち主、解呪師たちが束になっても勝ち目のない存在、強く美しく誇り高い存在。
その存在が呪ったのだ、並の術者では歯が立たない呪いだったというのに、王子の周りにそれらは一切なくなっている。
「……おれの呪いはなくなったのだろうか」
行方不明から数週間、やっと見つかった王子は、そう言って問いかけて来る。
自分を見回しても、呪いがあるかどうかわからないのだろう。当たり前だ。
王子の呪いは、目に見えないからこそ、厄介なものだったのだから、
間接的異形形態化の呪い。
触れた女性を皆、怪物に変えてしまう、恐ろしい呪い。
それが無礼な王妃に怒り狂った魔女が、王子にかけた呪いだった。
「はい、呪いなどなかったかのように欠片も、痕跡すらありません」
解呪師たちが言うと、彼は目を伏せた。小さな声だったのに、それはやけによく響いた。
「勇者は本物だったんだな」
「はい? 勇者ですか?」
「この呪いを解いたのは、アーシェニカという本物の西の勇者だ。おそらく魔女求めていた、美の女神の泉の水を、持ち帰り、一人魔女の元へ向かったのだろう」
立ち上がった王子は、どこか寂し気な顔をした。
「一人で解決して、あいつは今どこにいるのだか」
「お探ししますか?」
解呪師が提案する。多少の探しものだったら、彼等も得意とするものだった。
だが王子は首を横に振った。
それをしなくていいとは、一体。解呪師たちが怪訝な顔をした時、彼が説明した。
「術者が探して見つかるならば、とっくに術者を頼っている。それに西の神殿が大騒ぎして、今、彼女を探しているのだ」
「西の神殿と言えば、神殿としては海の国のものを、はるかに超える規模ではありませんか、そこが探しているのに見つからないのですか?」
西の神殿が総力を挙げて探して見つからないとは、一体。
勇者はどこに消えたのか。解呪師たちはみな同じ事を思った。
「探して見つからないから、こうして国に戻る気になったのだ」
王子はそう言って、手のひらを見つめている。
「あんな小さな手に、俺は運命をゆだねてしまっていたのに」
一呼吸置き、言葉が続く。
「あの手がもう一度、手を差し出して来たら、今度は」
今度は、なんだったのだろう。解呪師たちがそんな事を思っていると、にわかに医療室の入り口が騒がしくなり、現れたのはスカーレット嬢だった。
今日も彼女は美しく着飾り、高位貴族らしい振る舞いを見せるが、王子が見つかったとあって、喜び勇んで駆け付けたのだろう。
少し息が切れていた。
「殿下、いましがた解呪師たちから知らせが入りましたのよ! 呪いが解かれたと! 私たちが立ち向かわなくとも、呪いは自然に消滅する程度のものだったのですわね!」
「そんなわけがあるか、お前の頭は空っぽなのか」
鋭い口調で言った王子の言葉に、婚約者は目を見開く。
その声は強い拒絶を意味している声だったのだ。
お前などにわかるものか、と声の裏側から聞こえるようだった。
それほど、スカーレットは拒否されていたのだ。
「そんなひどいことをおっしゃるなんて、お疲れなんですね、今体を休められる部屋を用意いたしますわ!」
何者かにさらわれ、やっと城に戻った王子が、疲れ果てて機嫌が悪いのだ、とスカーレットは判断したらしい。
彼女の知っている情報ならば、それもありうる話だった。
真実は大きく違っていて、彼女の知らない事は多すぎるほどあったのだが。
「この呪いを解いたのは、たった一人で全てをかけて、おれの呪いを解こうとした勇者だ」
部屋を用意すると言いながら、彼の肩に触れようとしたスカーレット嬢は、片手で振り払われる。
王子の瞳は厳しく光り、言うのだ。
「おれはお前のものではない。触るな、不愉快だ」
「そのようなことをおっしゃらないで、お疲れで心が荒んでいらっしゃるのだわ、野蛮なものにさらわれたと聞いております、そこでひどい目に遭ったのですね」
「お前ほど野蛮な相手ではないな」
スカーレット嬢があまりの言葉に涙をこぼす。ショックだったのだろう。
彼女はその涙をぬぐう事もしないで、わっと泣き出して走り去る。
「見苦しい物を見せた」
彼が解呪師たちに言うが、解呪師たちはなんとも言えない顔をした。
彼等も知っているのだ。女性が嫌いな王子に、次々と向けられた結婚の話の事を。
そしてだまし討ちのように、計画された結婚式の事も、その当日に彼が姿を消したのも、皆知っているのだ。
だからスカーレットは、彼とのつながりを作るために、こちらに来たのだろう。
思った以上に拒絶されて、衝撃だっただろうが。
「誰か、陛下にお伺いを立ててくれ。ディアノンが話があると」
「お伝えします」
解呪師の一人が一礼して去っていく。ディアノンは己の手を眺めて、己の指に触れて、目を伏せた。
「馬鹿は馬鹿でも救えない大馬鹿だ、どうしてお前は戻ってこない」
アーシャ、お前は何もいらないというのだろう、それではおれの気が収まらない。
「お前に与えられる褒美は、何なら正解なのだろうな」




