第八十三話 アーシャ、おつりをもらう
「やっぱりね」
場所は海辺の魔女様の暮らす、割と小さな一軒家。
そこの囲炉裏の前に、彼女は座って、おいらたちを待っていた。
「今日、ここに来る事も、だいたいはわかっていたのさ」
海辺の魔女様は、そう言って嫣然と微笑んだ。
その自信ありげな態度からしてみて、何かおいらが基準を満たしたのだろう。
「それを持ってこられると、分かっていたのよ。何しろ勇者は大昔から、神の試練に突破できるゆえに、勇者と呼ばれているのだから」
それ、と指さされたのは水差しで、おいらはそれを持ち上げて問いかけた。
「これが、美の女神の泉の水だって、事であってるっぺか?」
「驚いた、自分ではそれを手に入れたとわからない、というムカシガタリのような文献は、全く持って確かな事だったらしいね」
古い童話と同じ事が起きているなんて、と海辺の魔女様は手を叩いて喜んだ。
「なるほど、手に入れられる者は手に入れられる。手に入れられない者は永劫に手に入れられない。魔女たちに出回っている文献と一致するね」
彼女はおいらが差し出した水差しを手に取って、植物の蔓で編まれていて、一見すると水漏れしそうなのに、全くその気配がないそれを、空に透かす。
「こんなにたっぷりと手に入れられるなんて、思ってもみなかったわ」
「あの」
おいらはここでもう一回問いかけた。どうして答えが知りたかったから。
「それは、美の女神の泉の水なんだっぺな?」
「そうよ、当代の勇者。これは間違いなく、美の女神の泉の水……神なる美のしずくよ」
彼女がそう言って、水差しの栓を抜く。
そこから、ふわりと、水とは思えない華やかな香りが広がった。
「……香水じゃないっぺか?」
「噂に聞いていたが、すごい匂いだな」
おいらの怪訝そうな声に、先生が臭い、と言いたそうな声で言う。
「あんたがこの匂いを臭いと思うんだったら、間違いなく目的の物だわ、魔王の片割れ」
海辺の魔女様が、何か聞き捨てられない事を言ったような気がするんだが……おいらの耳の誤作動だろうか。
今、魔王の片割れっていったっぺな……?
先生と魔女様を交互に見ているおいらを見て、海辺の魔女様が言う。
「気付いていなかったのかしら、一度は戦った事がある相手なのに」
「だっておいら、あんまりあの時の事覚えてないっぺ」
まさに死に物狂いで立ち向かったから、相手の強さとか戦い方の癖とか、そんな物は覚えているけれども、顔だの形だのの記憶は、あいにくあまり持っていないのだ。
人間みたいな形だったのは覚えてるけど。
「……でもそのずっと前から、先生は海の国にいたっぺ」
「魔王が分身できる事も、今となってはお伽話の一つなのかしらね」
海辺の魔女様が、そんな事を言いながら、水差しの水を、とても綺麗な、細工物の香水の瓶に似た容器に、注いでいく。
それにたっぷり注いでも、まだ中身に余りがあるらしい。
彼女はそれの中身の寮を確認するように、ちゃぽんちゃぽんと揺らした。
「これだけ残りがあれば、西の国の神殿に、これを持って行ってもおつりがくるくらいね、さて……」
そんな事を言いながら、彼女が秤を持ち出してくる。
心臓石と、何かを置いて、重さが合わない、対価が合わない、という事を言っていたあれだ。
それに瓶を置いてから、海辺の魔女様は自分の手のひらをかざした。
天秤はおぼつかないように、ふらふらふらふら揺れていたのだが、ちょっと瓶の中身が重いかな、といったくらいの具合で、揺れが止まった。
「これでも多いってわけか」
彼女は何か考えたように、ちょっと顎に手を当てた後、娘さんを見た。
「お前や、あれを持ってきてちょうだい」
「あれですか?」
「そう、あれ」
あれこれそれ、で会話が成立するのがすごい。おいらが感心していると、娘さんが奥の布で仕切られた場所から、何かを持ってきた。
「これ?」
「そうだね、これだね」
だからそんな会話で他人に通じないっぺよ、と思いつつ、やり取りを見守っていると、娘さんは布に覆われていたそれから、布を取っ払った。
「……手甲?」
おいらは怪訝な声をあげた。そこに入っていたのは、見た目こそ綺麗でいい物の、ちょっと透かし模様が多すぎるんじゃないかと思う、装飾性だけはずば抜けて高そうな手甲だった。
それが一組。
なんだあれは、飾り物?
と思ったおいらとは違い、先生が少し身を乗り出した。
魔族にも価値があるものらしいが……おいらにはわからなかった。
しかし海辺の魔女様は、それを秤にぽんと無造作に重ねた。
そうすると、また、ふらふら揺れていた天秤が、ちょうどいい所で止まったのだ。
「よし。これならおつりも出ないね、いい持ち主に出会えて結構だこと」
「……?」
「勇者アーシェニカ」
「勇者は休業中だっぺよ」
「あなたは正しい心の持ち主です。そして正しく誠実に、海辺の魔女との取引を行いました」
厳かな声だった。そんな厳かな声で、彼女が言う。
「海辺の魔女は、あなたの大切な人に掛けた呪いを解き、そして、それでも足りない対価を、この手甲で支払います」
「おいら、お飾りはいらないんだけど」
正直な感想が口をついて出たのだが、先生が信じられない、という声で言った。
「アーシャには、あれがただのアクセサリーの一つにしか見えないのか」
「ただの人間にはそうかもしれません、魔王殿」
娘さんが難しい顔で言った後、海辺の魔女様が続ける。
「この手甲は、海辺の秘宝の一つです。海辺の魔女に、大昔に、海の国が支払った物であり、装着したものをあらゆる呪いから守るものです。そして」
「そして」
なんかすごい訳あり品な単語が出てきている気がするんだが、大丈夫だっぺか?
そんな事を思っていると、彼女が厳かに告げた。
「今は失われた、心臓石をはめ込めば、真の力を発揮するものになります」
「真の力って何だっぺ?」
「それは、海の国が私に渡した時から、それは失われていたから、わからないわ」
海辺の魔女様がそう言い、手をひらめかす。
それだけの動作だったのに、おいらにも、何か呪いが解ける音が、聞こえたような気がした。
「もっている事も、海の国に返す事も、あなたの自由よ。これはもうあなたの物だからね」
そう言って渡された手甲は、とてもきれいで、きれいで、おいらこんな物つけられない、と思うくらい綺麗に光っていた。
だから取りあえず、受け取って、問いかけた。
「これでもう、ディアノン様の呪いは、解けたんだっぺな?」
「完全に解いたわ。これで解かないなんて言ったら私が詐欺じゃないの」
そういって、海辺の魔女様は茶目っ気たっぷりに笑った。
可愛い笑顔だな、とおいらは相手が相手なのに、そんな事を考えた。




