第七十九話 アーシャ、選ばれる
何がどうしてこうなっているのか、おいらにはさっぱりわからなかった。
ただ締めあげられている首は現実のもので、おいらは息が出来ず、意識も明滅している危険な状態である。
なんでディアノン様がおいらを?
考えても考えても、呼吸もおぼつかない状態では、意味がない。簡単な事すら考えられなくなっている、まずい、まずい。
何がまずいって、そりゃあおいらの命がなくなるのはまずい。
だってここでおいらが死んだら……
「だれが、あなたを、まもるんだ」
ディアノン様一人で、北の魔の山を歩き回れるわけがない。だってここは毛皮や脂肪が分厚い、刃物があまり役に立たなくなる魔物が、たくさんいるって聞いている。
そこで、ディアノン様一人で、どうにかできるわけがない。
合流できたのは本当に運がよかったんだろうけれど、この先、強い魔物が、現れないとは言い切れない。
誰が、あなたを、魔物から守るのだ。
もしかしたら、おいらの力なんていらないほど、ディアノン様は強いのかもしれないが、おいらはあんたの護衛なんだ。
それに。
「あなたを、人殺しにしたくない」
おいらが途切れがちな声で、やっと言った言葉を聞き、無表情に近い顔だったディアノン様の目が、揺らいだ。
まるでとても熱い物を触ったように、彼の手がぱっと離れる。
そして何を見たのか、おいらからよろよろと後ずさった。
そこでようやく、まともな息ができるようになったおいらは、彼に言った。
「おいらが、女だって言わなかったのが、そんなに嫌だったとは知らなかったっぺ。でもここで、あなたが人殺しになるのを、許せるわけがない」
あなたは優しい人だから。
きっとここでおいらを殺そうと思ったのは、おいらが裏切ったと思ったからだろう。
騙された、と思った心が、行き場をなくしたんだろう。
でも。
「でも、ここで、おいらを殺すよりも、ちゃんと目的の物を、手に入れてから、二度と顔を見たくない、って、言ってくれれば、おいらは、あなたの目の前から永遠にいなくなるっぺ、約束する、誓う。だから」
ディアノン様の瞳が揺れている、信じられない物を見た目をしている。
その目の奥で、揺れている、彼の心を、おいらは見たような気がした。
「ここでは、我慢してほしい、おいらに、あなたを守らせてほしい」
おいらはまだよろめく体に鞭打って、膝をつき、深く、頭を下げた。
「ちゃんと上手に、あなたの目の前から消えるから」
そして顔をあげると、ディアノン様が、両手をだらりと垂らして、目だけが信じられない、あり得ない、という風に揺らいでいた。
「……ディアノン様?」
おいらが呼びかけると、彼が聞きたくない、というように耳をふさいだ。
「どうしたんだっぺ……?」
それともおいらの声さえも、もう、聞きたくない耳障りなものになったっぺか。
それはそれで仕方がない。
だってディアノン様は、女の人を見ると、衝動的に殴りたくなるほど、女性に対して不信感があったのだ。
なのにおいらは、誰も気付かなかったから、黙ってて、女だけどそばにいた。
それが、遅効性の毒のように、彼を苦しめているのなら、おいらは、おいらは。
「ディアノン様? ……ディアノン様!?」
おいらが呼びかけると、彼が頭を振って嫌がり、何度も頭を振り、聞きたくないという意思表示のように耳をふさぎ、しゃがみ込む。
そしてそのまま地面に倒れ込みそうになったその体を、おいらは駆け寄って支えた。
駆け寄って支えようとしたおいらを、ディアノン様が拒否するように殴る。いたい、すごく痛い、この人に殴られる事は、痛くて痛くてたまらない。
でも、騙されたと思ってしまうディアノン様の心の方が、きっともっと痛そうだった。
信じてたのに、という感情の行く先に、おいらは覚えがある。仲間に裏切られた時、おいらは信じてたのに、って思った。
哀しくて悲しくてたまらなかった。悔しかった、衝撃だった。
それと同じだけ、ディアノン様が、おいらが黙っていた事に、ショックを受けたなら、おいらはその拳を甘んじて受け止めるしかないのだ。
何度も体中を、ディアノン様の拳が叩く、殴る。
おいらはそれでも、彼を支えた。痛くて涙が出てきたけれど、この涙は悲しいからじゃない。痛いから出て来るんだ。
感情的じゃない涙だから、いいんだ。
「……」
おいらはだから、彼の目を見て、まっすぐに見て、笑いかけた。
どうして、自分が笑いかけたのか、それはおいらもわからなかった。
ただ笑わなきゃ、と思ったんだ。
おいらが口を吊り上げて、笑う顔を見せた時、ディアノン様が、信じられない、と言いたげにおいらの目を見返した。彼の眼から涙がこぼれ落ちて、おちて、そして。
「……え?」
ディアノン様の体が、かき消えた。
そして、からん、と一つの何かが、地面に落ちた。
「……幻だったっぺか……?」
それともこれこそが、大神官さんの言っていた、北の魔の山の選別だったのだろうか。
わからないながらも、おいらは、その落ちたものを拾い上げた。
「……指輪だ」
その指輪は、とても単純な造りをしていて、つるりと丸い、甲丸仕立ての指輪で、不思議な金色の光を放っていた。
とりあえずおいらは、それをなくさないように、指にはめて、立ち上がった。
「……本当のディアノン様を探さないと、いけないっぺか、これは」
本物のディアノン様が、ちゃんと、北の魔の山に入れたかも、おいらはわからないけれども。
「……水晶玉で探せるっぺかな」
やろうと思えばできそうだ。
だからおいらは水晶玉を掴み、ディアノン様を念じた。
「……やっぱりディアノン様、神殿にいるみたいだっぺな……」
水晶玉は正直だ、そこの矢印が、一度現れた後、大神殿、という文字に変わったんだから。
ディアノン様は、鳥に乗れなかったんだろう。
「やっぱり一人か……」
そんな事を思いながらもおいらは立ち上がり、今度はちゃんと、水晶玉に、美の女神の泉の水、と念じた。
水晶玉の矢印はくるくると回転した後、一つの方向を指し示す。
おいらはそこがちょうど背中を向けていた場所だから、向き直り……
「扉?」
いきなり現れた、蔦に覆われた扉に、色々突っ込みたい気分を味わった。
さっきまでなかったのに、どうして現れたんだろう。
どういう条件の元、これは姿を現すのだろう、と思いつつ、矢印が示しているから、おいらはその扉に、そっと指を滑らせて、取っ手がないか探った。
取っ手というかくぼみがあって、そこに指をひっかけて、引くと、扉は開きそうだった。
不思議な事に、おいらが触ったら、青々としていた蔦がするすると動き出し、扉の開閉の邪魔にならないように、下がっていく。
これは選ばれたという事で、合ってるっぺか……? なんて思いつつ、おいらは扉を開き、その中に入って行った。




