第七十三話 アーシャ、色気のない会話を思い出す
大神官さんの部屋には、色々な報告書らしきものが積まれていた。それらのいくつかを抜き取り、彼女はおいらたちに、いい香りのお茶を出してから口を開く。
おいらはそのお茶を口にして、その薬臭さに苦笑いした。
西の神殿のお茶は、おいら行商相手に売っていた香草を煎じた物の匂いに、よく似た匂いだった。
そしてディアノン様にとっては、嗅ぎ慣れない香りで、飲みにくい物だったらしい。
それでも、もてなされていないわけじゃないので、ディアノン様は文句ひとつ言わない。
それがえらいな、とおいらは思った。慣れない食事とか飲み物とかに、文句を言う旅人はそこそこ多いのを、この旅で改めて実感していたからだ。
何も言わずに、お茶を飲み、不機嫌な態度を全く見せないこの人は、立派だった。
しつけがちゃんとしているなあ、といった部分で、立派だった。
育ちがいい人ほど、口に合わない食べ物を、けなす方向にあるのだ。
これもおいらの見てきた経験による。
いつだったか覚えていないけれど、魔王退治の旅の途中で立ち寄った村で、もてなしとして用意されたご飯を、仲間だった彼女たちが口に合わない、とほとんど残した事があったっけな。
その時、おいらは、出された食べ物を残す、という事をする人間が、この世にいるのだと知ったのだ。
育ちがよく、ちゃんとご飯を食べていた人たちは、あんな事が出来るんだ、と思うと、それはちょっと受け入れられなかったっぺな、あの時は。
今は遠い昔の話だ。
おいらは、そう言った人たちとは、感覚とか常識が違うのだ、と思う事にしている。
さて、お茶を飲んだディアノン様が、慎重に口を開いた。
「先ほど、神殿が聖女を探している、という噂が流れているというような事を、あの女性は言っていたが……」
「ええ、そのようなでたらめが流れているのは、わけがあるのです」
「わけ? さっきのお嬢さんには、でたらめだって言ってたっぺ」
「ええ、聖女を探しているという噂はでたらめです。私たちが探していたのは、アーシェニカ、あなたであり、“魔王の花嫁”ですからね」
魔王の花嫁。変な言葉を聞いた気がする。
何かの聞き間違いじゃないだろうか?
花嫁ってのはお嫁さんの事だ、これは理解できる。
でもその頭に、魔王の、とつくと、途端に意味不明になるのだ。
それってどういう事だろう? 神殿が、居なくなったおいらを探すのはまだわかる。
偽物勇者に対して、こっちが本物だ、お前たちがあがめている偽物なんて神殿は関わってない、と主張するために必要だし、偽物勇者をとっちめるためにも、そして王宮の無茶な要求を突っぱねるためにも必要だろう。
そう、おいらは旅の途中で出会った神官さんから聞かされていたのだが……
ここでどうして、魔王の花嫁なんてものが出て来るんだっぺか?
おいらはディアノン様の方を見て、彼もおいらを見ていた。
明らかにおいらたちは、情報不足だった。
しかし、分からない。
だって大神官さんの口ぶりだと、まるでおいらが、その花嫁、みたいだ。
でもおいら、結婚した覚えはかけらもない。
おいらと魔王の花嫁に、何のかかわりがあるのだろう。
「アーシェニカ。あなた西の魔王と約束していたそうじゃありませんか?」
全く分かっていないおいらを察したのだろう。大神官さんが、おいらに思い出させるように、質問をしてきた。
「約束?」
魔王と約束。何か一瞬だけ、記憶の片隅に引っかかったんだが……思い出せない。
つまり、何か約束したが、思い出せないほど些細な物のはずなんだが……
というおいらの顔を見て、大神官さんは、重いため息をついた。
「あなたはすっかり忘れているようですね」
「申し訳ないけど、全く思い出せないっぺよ……おいら何約束したんだろう」
「思い出せないほど、ささやかなものだったのではないか?」
おいらの顔を見て、ディアノン様が言い出す。
うん、おいらもそう思うのだが、大神官さんはそう思っていないみたいなんだ。
思い出せる気配もないおいらを見て、彼女が額に呆れたように手を当てて、それから言った。
うわ、思いっきり呆れられてるっぺこれ……
「あなた、西の魔王に、嫁に行く当てがない、と言ったそうですね?」
おいらは数拍、口を閉ざして、その記憶をどうにか掘り出した。
嫁に行く当てがないって、……ああ!
「ああ、ああ、あああ!」
思い出した。
確かに、西の魔王に挑んで、死力を尽くして戦って、結果お互い瀕死の引き分け状態の時に、そんな馬鹿な会話をしたような気がするっぺ!
思い出しにくいのも当然だ、だってあの時、おいらたちは、もうぼろっぼろだったのだ。
相手は力を制御するという、額の角がへし折れた状態に、顔骨の一部を殴って砕いたから、眼窩が陥没していたはずだったし、おいらは魔王の胴体の骨もいくつか負った記憶がある、対しておいらの方は、魔王の拳が胴体に決まったせいで、内臓破裂みたいな状態を起こしていたはずだ。治癒魔法を使った仲間が、後で、言ったところによれば
「あれで生きてるのがおかしいくらいの重傷。息がある事にびっくりした」
という怪我をしていたはずなのだ。
それくらいお互いにぼろ雑巾の状態になって、おいらたちは何かわかりあったのだ。
そしてお互い、血を吐きながら、手が届く距離で向かい合って座り込んで、そんな変な話をした。
こんなに強い嫁を手に入れられる男は得だな、といった魔王に
「こんな見た目で、こんな強力の女、嫁に行く当てなんて人間にはないな」
って言ったっぺ。ようやく、思い出した!
「その顔を見るに、記憶がありそうだな」
魔王に嫁のあてがないという世間話が出来るなんて、非常識の塊ではないか? と言いたげに、ディアノン様は呆れていた物の、大神官さんは続ける。
「そして魔王は、それを聞いたあなたに、こう言ったそうじゃありませんか」
「こう言ったって?」
「ちゃんと説明するのですから、焦らなくて大丈夫ですよ」
説明を急かすおいらを、大神官さんはなだめて、おいらがすっかり忘れてしまった事を言った。
「おれはお前のような女を、幾百年にもわたるほど長い事探し求めていた。お前こそがおれの探し求めていた女だ。誰もお前を嫁に欲しがらないというのなら、おれが貰いたい」
「……そんな長々とした台詞じゃなかったっぺ」
「そうなんですか?」
「なんかこうとってもあっさりと……ええっとなんて言ったっぺか……」
おいらは大神官さんに言われたような、情熱的な科白を言われた覚えが全くない。
でも言葉の選び方からして、そんな風な事を、魔王がおいらに言ったのは、公然の事になっているのだろう。
なんて言われたか……思い出すのがとても大事な気がするんだが……
おいらは記憶の引き出しをひっかきまわす勢いで漁り、そして、やっと思い出した。
「じゃあ好敵手からか? だ!」
思い出した言葉を聞き、大神官さんが、椅子から転がり落ちた。
「西の魔王……外堀から埋める予定だったのですね……」
「確かに、その言葉で、求婚されたり花嫁と認識されたりは、しないだろうな」
「何から何まで普通じゃないのですね……!」
「だからおいら、西の魔王が喧嘩友達が欲しいんだとばっかり思ってて……」
色々なごたごたが起きて、その事すらすっかり頭の隅に行ってしまったのであった




