第七十二話 アーシャ、傷つけたかったわけではないのに
おいらは勇者であって聖女ではない。
否定するべく口を開こうとすると、大神官さんが言った。
「神殿は勇者のための聖女を見出さない、と通達してあるはずです、一体何を言いだすのやら」
「城の皆が話しておりましたのよ、神殿は頼りない勇者のために、彼を補佐する聖女を探していると! なにやらアーリャという女性を血眼で探しているとも聞きましたわ!」
いい加減にしろ、とおいらが思った時である。
不意に神殿の入り口がざわめき、そこから一人の侍女らしき疲れた顔の女性が現れて、シルヴィニア嬢の腕をとって言い出したのだ。
「シルヴィニア様、まだお勉強のお時間は終わっておりませんと、教師様が困っておいででしたよ、休憩時間を終えても戻ってこないと」
「私は、私を本当に愛している方とともに帰りますわ! ほら、ディアノン様がこちらにお迎えに来てくださったのです!」
まくしたてるように自分が正しいというかのように言った、シルヴィニア嬢に、侍女らしき人が溜息をついて説明する。
「またそのような戯言はいけませんわ。海の国の第三王子が、消息不明になっているのに、どうして西の国に来ているです。あり得ませんよ」
侍女さんは心底付き合いきれないらしい。
「ディアノン様、私をお迎えに来てくださったとおっしゃってくださいな!」
彼女はディアノン様にそう言った物の、ディアノン様はそんな事を言ったりしなかった。
「おれは、北の魔の山に用事があり、神殿に助力を求めに来たものだ。……あなたの事はあずかり知らぬことだ」
それを聞いた彼女は、酷く傷ついた顔になって、涙をこぼして、侍女の人に連れて行かれた。
そして嵐が去ったと思ったのだが……まだまだおいらの嵐は去ってくれなかったらしい。
難しい顔をして、ディアノン様がおいらに近寄ってきたのだ。
そして。
ぱしん。
おいらの頬を張ったのだ。
そんな強い力じゃなかったし、男の人にしては軽い力だったから おいらがどうとなる威力はなかったのに、その平手打ちは、おいらの心臓のあたりを殴りつけるような心地にさせられた。
「確かにお前が男か女かというそもそもの事を、おれは聞かなかったが。秘密にされて気分がいいわけじゃない」
……あ、傷つけた。
おいらはその平手打ちと、彼の揺れる青い瞳を見て、ああ、自分は隠し事をしたから、笑顔でいてほしいこの人を、かなり傷つけてしまった、と気付いた。
「……お前が黙っていたことを、この平手打ちであいこにする。……おれは女の子供に命を助けられ、竜の生ける死体と相対させ、魔女の呪いから庇われて、逃げ出す手を借りたのか」
ディアノン様は複雑そうだった。
おいらは、その複雑な声に、何も言い返せなかった。
だってそれは、ただの真実であり現実だったから。
その代わり、色々言葉をひねって考えても、ろくなものにならなかったから、素直にこう言うしかなかった。
「あなたを守るのに、男も女も大人も子供も関係ないっぺよ」
ただあなたが笑う方が、おいらの人生が色鮮やかなものになる気がしたから、おいらはあなたのために、全力を尽くしていたのだ。
そして今も、あなたに笑ってほしいのだ。
しかし、おいらの言葉に、ディアノン様は虚を突かれた表情になった。
思ってもみない返事が返ってきた、と言わんばかりの顔だった。
おいらの言葉を頭の中で繰り返して、そして、自分の中にしみ込ませるような目をして、それから、絞り出すように言った。
「お前は何も、関係ないと言うのか」
おいらはこの言葉に、こう返す以外知らなかった。
「当たり前だろ? おれはあなたに笑ってもらいたいんだ」
ディアノン様は、口を閉ざして、それから大神官さんを見た。
「アーシャが何ゆえに勇者という称号を与えられるのか、ようやく実感しました」
「ええ、神殿の見出した真なる勇者は、王宮が作り上げた偽物とは大きく異なるのです。……自分勝手で我儘なのは、変わらないでしょうけれど」
「おいら、我儘で自分勝手じゃないっぺ!」
「アーシェニカ、国よりなにより、たった一人を優先するというのは、なかなか自分勝手ですよ」
「ならおいら、勇者にならなくっていいっぺよ」
「困りましたわ、勇者じゃなかったら北の魔の山への許可は出せません」
大神官さんにいい負かされた。おいらはぐうと唸ってから、しぶしぶ言った。
「じゃあ、勇者になるっぺよ」
「その方があちこちにとって都合がいいでしょう。さて、あなたたちが身ぎれいになったら、話をしようと思っていたのです」
「どのような話だろうか?」
「北の魔の山に関係する事です」
この一年と少しの間に、何が起きているのか。
大神官さんは、おいらたちが行動する際に、気を付けておいた方がいい事を、教えてくれるつもりのようだった。
「神殿が勇者を見つけ出し、北の魔の山に向かわせれば、十中八九、王宮の勇者も同伴させろ、という圧力がかかりますからね」
圧力がかかる前に、説明しておいた方がいい事は、皆しよう。
大神官さんの口ぶりからして、そんな感じだった。




