第四十二話 アーシャ、縄張り争いを知る
おいらが宮仕えをする前と、何も変わらない平屋で早速、先生が、頭から水を被り、豪快に泥を落とし始めた。
いくら豪快な師匠でも、これだけ面倒くさがりだったとは知らなかった。
だっていくら泥まみれになったからって、行水位すると思ったんだっぺ。
しかし先生は、気前よく水を被った後に、うっとうしそうに服を脱ぎ始めたのだ。
先生、濡れた布が体に張り付いて、気持ち悪いのはわかるけど、泥まみれでも先に服を脱いだ方が、早かったっぺよ……と思いつつ、おいらは何かと大変そうで、面倒くさがって服を破きそうな、先生のお手伝いに回った。
「なんで先に脱がなかったっぺ」
「大丈夫かと思ったのだが、意外と泥がしつこかったな」
丸裸になって、けろりとした声で言う先生は、おいらがすばやくたらいに貯めた水の中で、泥を綺麗に落としてしまう。
石鹸を使わないで、これだけ泥を簡単に落とせるのは、何かコツがあるのだろうか。
ちょっと知りたいが、おいらは黙っていた。おいらが知らない、というか使えない技術を喋られても、むなしいからである。
そして先生は、綺麗に泥が落ちた後、これまたおいらが察して用意した布で体をぬぐい、腰だけに布を巻き、ふうと大きく息を吐きだした。
「客人を待たせて申し訳なかった。だが泥まみれの魔族との会話よりも、泥にまみれていない魔族との会話の方が、何かと集中力を切らさないと思ったのだが」
「……どちらにしても、魔族との会話は初めてなので、なんとも……」
ディアノン様が、一連のやり取りが終わって、先生が話しかけてようやく、ほっとしたらしい。
「しかし……服を着ないのだろうか」
「伸ばした髪の毛が邪魔だ。乾くまではこの格好で失礼させてもらおう」
「そんなものなんですか……」
「先生いっつもこんな感じだっぺよ、ディアノン様」
「さて、いい加減おれの衣類の事よりも本題に移ろう」
先生がそう言って、指先一つでかまどに火をかけ、お湯の用意を始めた。
実は先生は、無精をしたければそれが簡単にできるほど、魔法の技術に長けている魔族なのだ。
実際に、鍋と水桶に置かれていたひしゃくは、自在に動き、かまどでお湯を沸かし始めている。
「あいにく、この家には丹茶がないのだが、香草茶でも構わないだろうか」
「いえ、お構いなく……」
「また新しい調合だっぺか」
おいらは空気の匂いを嗅いで問いかけた。先生が頷く。
「お医者様に、もっと心が落ち着く調合が知りたい、と言われて試行錯誤している所だ。今日のは試作品だな」
「いい匂いだっぺな」
「それはいい事だ。……さて、おれにはあなたが、幾重にも呪いや魔法に縛られているように見えるのだが、よくまあ倒れないでいられる物だな」
「わかるのだろうか」
「魔女の呪いはよく見える。見る物が見ればそうだとわかる、それが魔女の呪いの特徴でもあるのだが……なかなか面倒な呪いだな。その呪いを、自前の魔力を犠牲にして押さえ込んでいるのも見える。二つも強力なまじないを背負っているのに、体は大丈夫なのか。普通ならば倒れているぞ」
「驚いた、魔族の御仁にはお見通しなのか」
「おれがそう言った魔女の術の系統に詳しい事も理由だろう。……しかし、魔女も手加減なく呪いをかけたらしいな」
「そんなのをわかるっぺ?」
「だいたいな。……しかし、御仁も運が良い事だ。魔女の呪いと腕輪の力が拮抗していなければ、腕輪をしているだけ損になったはずだ」
「そこまでわかるのであれば、魔女の呪いを解くことも、あなたにはできるのではないだろうか。解呪師達のように」
たしかに。どんな呪いなのかが見えているらしい先生ならば、魔女の呪いだって解けそうにも思える。
しかし先生は首を振った。
「解けない事もないが、とくと厄介ごとに巻き込まれてしまうからな。申し訳ないとは思うが、出来ないと言っておこう」
「どうしてできないんだっぺ? 解けるのに」
出来るならやってほしいと思うのは、いけない事なのだろうか?
おいらの疑問に、先生は噛み砕いた説明で教えてくれた。
きっとおいらの顔に、どうして、とでかでかと書かれていたからだろう。
「魔女との縄張り争いになってしまうからだ。おれがここに暮らしていて、海辺の魔女ともめていないのは、おれと魔女の行う事の範囲が思い切り違うからなのだ」
縄張り争いと聞いて、おいらは、魔物同士の縄張り争いを想像してしまった。
こっちに入るな、こっちは俺の陣地だ……いやおれの陣地だ……と言った争いを、西の国にいた頃、見た事があったのだ。
あれも、お互いに譲り合わないから、周りの村を巻き込んだ大きな騒ぎになり、おいらが結果的にどっちも殴り飛ばして、魔物を退治したのだ。
「……? つまりあなたが、呪いを解くと、魔女の領分に介入したという事で、魔女との関係が悪化するという事だろうか?」
しかし、よく分かっていないおいらとは違い、ディアノン様はすぐに言いたい事が分かったらしい。
彼の言葉に、先生が真面目に頷いたのだから。
「御仁は話が早くて助かるな。実際にそうなのだ。お互いに領分を侵せば、ただでは済まないのが魔女と魔族だ。魔女の方が色々と能力的に高い部分も多いが、魔族が決定的に負けないのは、年の功だからな」
「先生の方が長生きだから、魔女より強いって事だっぺか」
「魔女が幼い頃から知っているから、何かと弱みを見つけやすいというだけだ。だがお互いにきちんと線引きを守って暮らしていれば、よい隣人でもある」
先生が話している間に、香草茶が入ったらしい。おいらとディアノン様の前に、質素な陶器の器が出される。釉も塗っていないそれは、おいらにとって見慣れた物だった。
「……美味しいものですね、丹茶以外の茶を、あまり飲んだ事はないのですが」
「特権階級は、下町の食べ物や飲み物を、あえて口にしようとはしないからな。口にしたら特権がなくなると思うのが一般的だと聞いている」
へえ……お貴族様もなかなか苦労するんだっぺな、下町の美味しい物を食べたり飲んだりできないんだから。
おいらがふうふうと香草茶を覚ましていると、先生が言った。
「アーシャ、お前服の隠しに面白い物を持っているな」
「……え?」
おいらは言われた事の意味が分からず、ポケットをひっくり返した。
ポケットからは小枝とか、小石とか、つやつやしたガラスの欠片とかが入っている中で、ひときわ目立つのは、赤い石だった。
そう、竜の生ける死体を倒した時に、見つけた石だ。
「なんだそれは、どこで拾ったんだ?」
ディアノン様にも見せた事のなかった石だから、彼が怪訝そうな顔になる。
しかし、先生が手を出して、それを渡せと示してくる。
おいらは素直にそれに従った。
それを渡すと、先生はそれを光に透かして、何か納得したように頷いた。
「いい状態だ」
「先生……?」
「アーシャ、これを半分使わせてくれないか。いい職人を知っている」
「何か作るっぺか?」
確かに、赤い石は燃え上がるように綺麗だけれども……何かに使えるっぺか」
「久しぶりにいい物だ。これは職人も喜ぶ」
「いいっぺよ」
「出来上がったらお前に渡そう。これはお前に持ってもらいたがっている」
そう言いつつ、先生が何事か言葉を唱えると、石は二つに割れてしまった。
その石の片方をおいらに返して、先生はその石を、卓の上に置いた。
「それは一体何なんだ?」
ディアノン様が最もなことを言うが、先生はそれにだけは答えなかった。
答えない理由があるらしかった。
「さて、魔女に呪われた御仁。見た所その呪いの犠牲になった女の子が、一人いるようだが」
先生は、思いっきり話をそらした。ディアノン様は、先生の隠し事が気になったようだが、そこまで深く問いかけるほど、知り合いじゃないから強く出られないらしい。
多分おいらが、これはなあに、と聞いたら答えるんだろうが、おいらは黙っていろ、と視線で言われてしまったので、石の正体を聞けない。
多分、先生なりに、ディアノン様を何かに巻き込まないために、おいらに黙れと言っているのだ……先生優しいから。
「はい、伯爵家の令嬢が、毛深い怪物の腕に」
ディアノン様が答えると先生が、いつも通りの声で言った。
「毛だけなら、とれるぞ。その伯爵家の令嬢の髪の毛を焼いた灰で、腕をこすれば、その毛はとれる。腕の変形まではとれないが」
「そうなんですか!? 解呪師たちは手も足も出なかったのに。しかしそんな事を教えて、縄張り争いにならないのですか?」
「御仁の呪いを解いたら、縄張り争いになるが、間接的な被害者の治療は、縄張り争いにならない。意外とこのあたりの線引きは、微妙なものなのだ」
魔女と魔族の縄張り争いって面倒くせえ……おいら頭が混乱しそう。
なんておいらは思っていた物の、毛だけでも取れると聞いたディアノン様は、とてもうれしそうだった。
自分のせいであんな事になったから、気にしていたのだろう。
「異形形態化は解けないのですか」
「実際に、どういった異形形態化かみなければわからない。毛深いのなら、髪を使うのが一番早くて安全だからな。見なくてもわかる」
「では、ここに伯爵家の令嬢を連れてくれば……」
「こんな下町の平屋に、令嬢が来たがるわけがなかろう。絶対に行かないという落ちにしかならない」
おいらは、確かにこの平屋は、結構下町のはずれにあるもんな、と思った。
山の薬草を摘むため、港町のなかでも、山に近い場所にあるがの、この平屋なのだから。
そして……ちょっと下町の中でも、稼いでいない暮らしの平屋でもあるので、令嬢が来るというとは思えなかった。
「そしておれは、きらびやかな場所に行く事は嫌いだからな」
自分は来いと言われても従わない、と言外に言った先生だった。




