第二十六話 アーシャ、庭園にて
「待ってくれ」
おいらは庭園の中をゆっくりと歩いていた。夜空の星がきれいだが、残念な事に、城の灯りがかなりの明るさだからだろうか。普段よりもいくらか輝きが鈍く感じられる。
しかし城の明るさのおかげで、庭園の道もちゃんと見られるし、庭園の花も、普段とは違った表情を見せてくれている。
だからそれを楽しんでいたところ、背後から声をかけられた。
別の誰かを呼んだのだろう、庭園は薄暗いから、きっと逢引に使われているに違いない。
垣根の向こうでは愁嘆場が繰り広げられているかも、なんていう余計なお世話の想像をしていた時の事である。
「待てと言っているだろう。さっきからこちらの言っている事を何一つ聞かない娘だな
おいらは腕を掴まれた。腕を掴まれた瞬間に、おいらはその誰かを勢いよく投げ飛ばした。
本当によく飛んだ、と思う位に軽々と、その男は宙を舞ったのだ。
宙を舞ってから、垣根にそのまま頭から突っ込んだわけである。
いったいどこのナンパな男なのだ、と思ったおいらは、薄暗がりでもよくわかる、その男のきらびやかな衣装に、血の気が引きそうになった。
いいや、血の気は引いただろう。
生垣に頭から突っ込んだのは、何と、ディアノン様その人だったのだ。
うわ、まずい、見て見ぬふりをして逃げ出さなければ!
そう思った時だ。
「まさかか弱い娘に投げ飛ばされるとは思わなかったぞ……」
ディアノン様がゆっくりと起き上がって、おいらに声をかけてきたのだ。
怒ってはいなさそうなのが救いだろうか……と思いつつ、おいらは何か喋ったらおわる、という謎の直感の元、口を開かないで、そのまま噴水の水で、運よく今日は持っていたハンカチを冷やし、彼のもとに持って行った。
そして無作法かもしれないが、彼にハンカチを突き出した。
「俺にか? 投げ飛ばしたのに、変な所で善良だな……」
ハンカチを受け取ったディアノン様はとても不思議そうだった。確かに、投げ飛ばすような女性になんてあんまり出会わないだろうし、そしてその相手が、ハンカチを濡らして戻って来る事も、普通ないだろう。
普通はなくても、おいらとしては、思いっきりよく投げてしまったから、大丈夫か不安になるのだ。
その不安さこそ、ハンカチを濡らして持ってきた理由でもある。
しかしここでも、おいらはまったく喋らない事に決めていた。だって喋ったら一発で素性がばれるだろう。
ばれたら、きっと、なんでこんな事になったのか洗いざらい全部、話さなくちゃいけなくなるに違いなくって。
そして女の子だと気付かれたら、その時点で護衛の仕事は終わるだろう。
おいらだって馬鹿ではないのだ。そこまでひた隠しにしているわけじゃないが、仕事がなくなるのは遠慮したいから、聞かれるまでは黙っているだけである。
「ありがとう。……あ、まて、どこに行くんだ」
彼がハンカチを受け取ったため、これ以上関わり合いになりたくなかったおいらは、そのまま今度こそ、庭園を走り抜け、ディアノン様から逃げ出した。
その時に、思い切り靴を脱ぎ捨ててしまったのはご愛敬である。だって靴擦れがとっても痛かったのだから仕方がない。
靴擦れで走れっていうのは結構無茶なのだ。あれって結構肉に刺さって痛いのである。
どんな厳しい訓練も頑張って受けてきたおいらだが、靴擦れはかなり嫌な物の上位に入っている怪我である。意外と痛くて、集中力を途切れさせて、と悪い事ばっかりなのだから仕方がない。
おいらはそのまま、庭園の生け垣などに隠れたり、気配を察知したらすぐに移動したりして、麗しの鏡の魔法が解けるまでの間、ディアノン様から逃げ続けた。
午前零時の鐘が鳴り、おいらの魔法は解けたようだ。庭園にいくつかある噴水に顔を映すと、そこにはいつものおいらの顔があった。
しかしそう考えると、麗しの鏡の力ってすごいんだな。
「女の子のなりたい自分を映す力……」
普通に考えたら魅力的な力だけれども、努力を怠ったらそれが叶わないのならば、なかなか難しい力なのだろう。
自分はこんな姿になれる、と夢見て、でも叶わなかったら、女の子たちにとっては詐欺に思えるだろう。努力をしないだけでもさ。
おいらはこの後、誰かに見つかったらまず間違いなく、布団に戻れと言われるに違いないから、そそくさと、与えられた部屋に戻った。
部屋に戻ると、そこからあまり出られないスーズさんが待っていた。
「こんな時間まで、物置の整理なんて頑張りましたね、でももう眠りなさい、あなたも疲れて眠いでしょう」
おいらは言葉に詰まってしまった。言えない。物置の整理半分やった後、麗しの鏡の力で、綺麗な女の子に変身して、パーティを覗いてきていたなんてとても言えない。
だから欠伸交じりにこう答えた。
「ものが見つからなくって、半分も目録の品物を半分も探せなかったっぺ……」
「一見すると何が何だかわからない物置ですからね、ご苦労様です」
おいらは欠伸をしながら、布団にもぐりこんだ。
そのため、おいらは知らなかった。お見合いパーティーから戻ってきたディアノン様が、そのハンカチを洗うようにスーズさんに命じた事も、スーズさんがそのハンカチに縫われていた名前の頭文字に気付いた事も、そしてディアノン様が、おいらが脱ぎ捨てた靴の片方を持ってきた事も、おいらは何も知らなかった。寝ていたから。
そして起きて、ディアノン様の午前中の公務の間、おいらはそばに付き従って、お茶の用意を持ってきたり、片づけをしたりと、いつもの仕事をこなしていった。
その時だ。
本日も流れるような動きで丹茶を入れていたスーズさんが、ディアノン様に話しかけられたのだ。
「スーズ、今日はお前もパーティに参加しろ」
「殿下、私はあまりそう言った場は好まないのですよ」
「人を探している。その人間を早く見つけるのに、スーズもいた方が早いだろう」
「ハンカチの持ち主ですか」
「そうだ。女性はあまり好ましくないのだが、妙に気になって仕方がない」
おいらは何とか、丹茶を黙って飲み干した。絶対にむせてたまるかという意地があった。
そして会話の続きを、大人しく聞く。
「女性というと、やはりパーティに参加していたのでしょう。身元はすぐに分かるのでは?」
「その身元が分からない」
「まあ、目録にないのですか」
「目録に名前があったとして、確実にその娘を探し出せるかと言ったら疑わしい。別の娘が成り済ます可能性もあるだろう」
「確かに、殿下の目に留まったとなれば、その女性に成りすます事もありましょう。それに目録の名前は自分なのだから、自分がその女性である、という風に言う方も結構いらっしゃいますしね」
そんな熾烈な争いがあるのか……やっぱりああいったキラキラした世界は、誰にも邪魔されない場所で、心行くまできれいだな、って見物するのが一番だっぺな。
あの世界は、おいらには合わない世界だ。
それに、まさか誰かがその謎の美少女がおいらだって、気付くわけもない。
「しかし、女性を苦手とする殿下がそのように気になるとは、一体どんな美少女でしたか?」
スーズさんが興味深そうに問いかける。確かに、女性が嫌いなディアノン様が、気になる発言をする女性なんて、どんな人か気になるものだろう。
はい、それはおいらです! ……言えないっぺな。命は惜しい。
そんな風なやり取りの中、ディアノン様は、しばし考えた後、こう言った。
「見ていて不愉快な気持ちにならない女性だった」
「……ディアノン様は、もしかして女性を見ると、不愉快な気分になるんだっぺか」
「婚約者に裏切られた後からだな。どの女性も見ていると不愉快な気持ちに襲われる」
「何か呪詛でもかけられたんじゃないっぺか」
「それは自分でも考えたからな、医者にはかかったが……医者は裏切られた事による心理的な負荷が、一時的にそう言った風に女性を映すのだろうと判断した」
「確かに、嫌な事があった時と同じ条件が重なると、いらいらしますからねえ」
スーズさんもさもありなんといった声で同意する。
おいらも……仲間に裏切られたあの時と同じような建物は、見るだけでいらいらするから、それに似た気持ちだろう。
ディアノン様の女の人嫌いは、全部元婚約者の裏切りのせいだろう。
全くなんて事をしたんだ、元婚約者のご令嬢は。
出会う事があったら、その頬をひっぱたきたいっぺな。
なんて思っている間に、ディアノン様がこう言った。
「きれいな顔をした女性だったのは確かだ。化粧が薄くて、あの独特の匂いがしなかった。その代わりに、匂い袋のいい香りがして……衣装もそこまできらびやかなものではなかったな。全体的にただ綺麗な女性という風に見えるのに、妙に心にとどまる女性だった」
「今日もその方が、やって来るといいですね」




