誘拐
『三姉妹の誰かを選び、寝食を共にし、子種を残して欲しい』と懇願された俺は、その日、現代に戻って悩みに悩んだ。
エルのアドバイスにより、彼女達とその父親の提案は受け入れようと思ったが……一体、誰を選べばいいのだろうか。
選ばれなかった女の子は傷つくのではないか、それならばいっそ、何か理由を付けて誰も選ばない方がいいのではないか……。
エルに相談してみると、
「君自身が今後の人生に於いて、後悔しないようにすればいいニャ」
というアドバイスをもらった。
何か行動を起こさなければ、得られる物もない。
俺の人生にとっても、本当に好きになった女の子と初めて結ばれる好機――。
そして俺は、決断した。
その日の夕方、再度剛田部家を訪れた俺は、彼女たちの父親の提案を受け入れると話した。
そして選んだのは――三姉妹の次女、優里だった。
その瞬間……波美と葉菜は、一瞬悲しそうな表情を見せたが……すぐに笑顔を取り戻し、そして優里を祝福した。
その優里も、最初は申し訳なさそうな顔をしていたが、二人に抱きつかれ、涙を浮かべ……そして三人とも、泣いた。
やっぱり、優里も泣き虫だったか……。
ただ、いきなりその日から一緒に、というわけにはいかない。
現代に家族がいる俺は、一度帰らなければならない。
翌朝にまた訪れることを告げて、俺は現代へと戻った。
夕食時、父と母に、二日ほど一人旅に出ると告げたところ、夏休み中と言うこともあって、特に反対もされなかった。
もともと放任主義だったし、男だから変な心配しなくてもいいし、二日程度なら別に良いだろう、逆にいい刺激になると奨められた。
これで、あっさり障害はなくなった。
俺は翌日、翌々日を江戸時代で過ごすことになる。
そして、初恋の相手・優里と結ばれる――。
楽しみであり、ドキドキする反面、不安もある。
特に、思い出される波美と葉菜の切ない笑顔が、俺の胸を締め付けた。
それでも……この日、決断を出す事に満足したためか、十分眠る事ができたのだった。
翌日、日課のロードワークを終えた俺は、シャワーを浴びて着替えた後、約束通りゲートを潜り、剛田部家を訪れた。
玄関で待っていてくれた優里は、弾けるような笑顔で俺を出迎えてくれた。
それだけで鼓動が高まるのが分かる。
今日、明日と、彼女と一時の夫婦として過ごす事になる。
この日も良く晴れていて、天も俺達の事を祝福してくれているようにさえ感じられた。
まず、彼女が剛田部家の土地を案内してくれることになっている。
これは、本来は葉菜とそうするはずだったのだが、大猪の襲撃により中断してしまっていたのだ。
葉菜がそのことを気にしており……優里に、その続きをするように進言したのだという。
そんな気遣いもできる葉菜を選ばなかったことに、少し罪悪感を感じたが……いや、考えるのはよそう、自分は優里を選んだのだから、短期間ながら彼女と幸せになれるように努力しようと切り替えた。
と、ここで忘れ物をしたことに気付いた。
彼女たちにカタログを見せて、仙界、つまり現代から持ってきてあげると約束していた品。
ぷるるん、と唇を潤すルージュだった。
別に急ぐ必要はなかったのだが……優里とのデート中も、できればそれを使っていてほしいと、そんなふうに考えたのだ。
そのことを優里に話すと、
「今日一日、時間はありますし、勇二様が望むなら、私は待っていますよ……あ、そうだ、それじゃあ私も水龍神社にお参りに行っておきます。その……神様にいろいろお礼と、お願いがありますから……」
と、頬を赤らめた。
お礼はなんとなく分かるけど、お願いって何かな……。
ひょっとして、身籠もりますように、とか……。
俺はあえて聞かずに、四半刻(約三十分後)にもう一度会おうと約束して、剛田部家をそれぞれ後にした。
水龍神社とゲートは少し離れた位置にあるが、それぞれ歩いて十分ほどの距離だ。
一旦現代に戻った俺は、三姉妹のルージュを自分の部屋に置いていたので、それを持ってすぐ引き返す。
剛田部家に戻ると、まだ優里は帰ってきていなかった。
お参りする時間もあるし、歩く速さの違いもあるから、もうちょっとかかるだろうと考え、玄関先で待っていた。
すると、そこに波美が出て来た。
気のせいか、目が若干、赤く腫れているように感じたが……それでも、俺の顔を見ると笑顔を見せ、優里と一緒じゃないのか、と聞いてきた。
そこで彼女は水龍神社に一人でお参りに行ったことを告げると、少し表情を曇らせた。
気になって事情を聞いてみると、
「最近、『聖域』内にあまり見かけぬ若い男が出没しているという噂を聞いているんだ……私はそれが勇二殿のことだと思っていたんだが、今朝、たまたま叔父から聞いた話で、昨日、三人組を見かけたっていうことだったんだ。勇二殿、なにか知らないか?」
「三人組? いや、心あたりないけど……」
「そうか……心配しすぎなのかもしれないが……」
そんな事を話されると、俺も不安になってくる。
たしかに、優里、帰って来るのが遅い……。
と、そこに一人の男性が、腰のあたりを押さえながらヨロヨロと歩いてきた。
神主の格好……水龍神社の宮司、元親様だ。
「……おお、仙人様……た、大変じゃ。優里が……優里が、さらわれてしもうたっ!」
えっ……っと、俺と波美は顔を見合わせて、固まった。
「どっ……どういうことですかっ!」
「じ、神社の……境内から若い娘の悲鳴が聞こえたから、あわてて出て行ったんじゃが、三人の賊が優里を縛り、荷車に乗せているところじゃった……もちろん急いで止めに行ったが、突き飛ばされ、この有様じゃ……そして奴等は言った、『剛田部家の娘は預かった、無事返して欲しくば、三百両を明日の日暮れまでに用意しろ。役人に知らせたりしたら、殺す』と……」
――目の前が、真っ白になる思いだった。
優里が……優里がさらわれたっ!
俺が、ルージュなんか取りに戻っているときに、一人にさせたばっかりに!
俺は走った。
全力で、水龍神社を目指した。
多分、三分もかからずに辿り着いたが……そこにはもはや、怯えた巫女達しかいなかった。
彼女たちに、優里と男達はどこに行ったか聞いた。
すると、東……つまり海の方角を指差した。
すぐ神社から出て、その方向に走る。
微かに、荷車の跡が残っている。これをたどれば、すぐに追いつけるはずだ。
しかし……十分ほど走って、大きな通りに出たところで、他の足跡や別の荷車の跡と混ざって、分からなくなった。
それでも、必死になって走ったのだが……途中でいくつも道が分かれ、完全に分からなくなってしまった。
人通りも少なく、すれ違った農夫に話を聞いても、見かけていないと言うことだった。
しかたなく、元来た道を戻っていると、必死の形相の波美と出会った。
「勇二殿……優里は!?」
「いや……見つけられていない……」
俺は力なくそうつぶやいた。
「勇二殿……貴殿は、仙人だろう? 神の使いだろう?」
波美は、俺にすがりつき、涙を浮かべ……必死に語りかけてくる。
この状況で、言える訳がない。
『俺は、実は何の能力もない、自分の恋人一人守れない、ただの軟弱な男だ』などとは……。
俺は一旦、仙界に戻ることを波美に告げた。
今、俺が出来る唯一の事と言えば、神の化身・エルに頼ることだ。
俺はまた必死に走り、ゲートに飛び込んだ。
「おかえりニャ。二日は帰って来ないと思ってたけど、早かったニャ?」
脳天気にその白ネコは笑っていた。
そこで俺は、江戸時代で起こった事件のあらましをその神の化身に話し、何とかしてくれるように懇願した。
「……それは大変な事だけど、ボクにはどうしようもないニャ」
「ど、どうしようもない?」
「ボクは確かに神の化身だけど、『現代における』っていう枕詞が付くニャ。三百年前の事に関しては、もう過ぎてしまったことニャ。ボク自身、ゲートを創り出すことはできても、それを利用することはできない。だから、君が自分で何とかするしかないニャ」
「そ、そんな……俺に、何ができるっていうんだ?」
「よく考えるニャ。ボクも、君の考えにアドバイスすることぐらいは出来るニャ」
その言葉に、少しだけ救われた気がする。
たとえアドバイスだけでも、自分一人で思い悩むよりはずっと心強い。
「えっと……なんとか彼女の居場所をしる方法はないか?」
「……ボクには思い浮かばない、君ならどうする? まず自分で考えるニャ」
焦る気持ちを抑え、必死に思い浮かべる。
そしてネットでも検索してみるが……有効な方法としては、スマホで位置情報を特定し、警察に調べてもらう、とかが出て来た。
だが……江戸時代においてその方法は通用しないし、彼女はそもそもスマホを持っていない。
「……そうだ、警察犬だ! 警察に届け出て、警察犬を借りればいいんだ!」
名案が浮かんだと、エルに話してみるが……。
「無理だニャ。女の子が誘拐されたと届け出たとして、その娘の素性を、どうやって説明するニャ? 君の必死さを見て、イタズラではないと思ってくれるかもしれないけど、警察犬なんてそんな簡単に出動してくれないニャ。それに……万に一つ、時間をかけて説得して出動してくれたとしても……君以外の生命体は、ゲートを通ることができないニャ」
「そ、そんな……じゃあ、どうすれば……」
「よく考えるニャ。君なら……なにか名案を考えることが出来るはずニャ」
エルの言葉に励まされ、俺は必死に思考を巡らす。
人海戦術で、人を集めて探し出すか。
いや、それだと時間がかかるし、動きを察知されれば優里の命が危ない。
役人に届けるのも、同様に危険だ。
ここはやはり、現代の知識や技術を駆使して……。
しかし、いくら考えても妙案が思い浮かばない。
こうしている間にも、優里には危険が迫っている。
命までもは奪われずとも……年頃の美しい娘が若い男三人にさらわれて、無事で済むはずがない。
怖い思いを、苦しい思いをしているに違いない。
それなのに、俺は何も出来ないじゃないか。
何が仙人だ、何が神の使いだ!
俺はあまりの情けなさに、唇を噛んだ。
自分の膝に拳を叩きつけた。
どうすればいい、何をすればいい……。
再びエルにアドバイスを求めるも、返ってきた答えは
「自分と、剛田部家の者達を信じて、協力して解決する方法を考えるニャ」
だった。
しかし、それで目が覚めた。
そうだ、これは剛田部家に対する身代金目当ての誘拐事件なんだ。
それならば、波美、葉菜の姉妹とその父親、そして親戚である宮司達の力も借りて、総力戦で立ち向かわなければならないんだ……。
そう判断して立ち上がったとき、その奇跡は起きた――。




