★ナックルダスター
翌日。
この地にゲートが開いてから、四日目となる。
現代も、三百年前の世界もよく晴れていた。
朝から剛田部家を訪れると、葉菜が玄関先で俺の事を待っていた。
「おはようございます、沖田様。今日はよろしくお願いします」
と、丁寧にお辞儀してくる。
ちょっとはずかしそうではあるが、思っていたよりずっと笑顔で、元気だ。
この時点で、無理矢理『見合い』させられる訳じゃないんだな、と一安心。
波美、優里の二人に見送られながら、俺は彼女に剛田部家の土地を案内してもらうことになった。
まず向かったのが、近くにある小さな神社。
『水龍神社』という名前で、すぐそばを流れる『母川』の神様を祭っているという事だった。
特にこの神社近くの一帯は『聖域』とされ、剛田部家の人間か、その親族、特別に認められた者のみ立ち入りが許可されていると、葉菜は教えてくれた。
お参りをしようと境内近くまで行くと、身なりから神主と思われる初老の男性が歩いてきた。
「あ、元親様、おはようございます!」
「やあ、おはよう葉菜。……そちらのお方が、噂のお若い仙人様ですな。なるほど、いい目をしていらっしゃる。まるでワシの若い頃のようだ」
俺と葉菜を交互に見て、ニヤリと笑みを浮かべた……うーん、なんかクセのありそうな神主さんだ。
悪い人という意味ではなく、俺と同類というか……ひょっとしたら若い頃は女好きだったとか?
葉菜によると、彼と葉菜の父親が従兄弟同士……つまり親戚なのだという。
「本家の三人娘は皆美人だからのう。仙人様もお一人を選ぶのは迷われるだろうが、これも神の試練だとお思いなされ」
……うーん、この人、俺の事をどこまで聞いて、どこまで理解しているのだろうか。
よく分かっているような、分かっていないような……。
葉菜に対しても、頑張れと激励? し、彼女は赤くなって照れていた。
その後、お参りを済ませた後、川下の田園の方へ行こう、という事になった。
普通は峠道を使うらしいのだが、
「坂道がきついので、今日は天気も良いことだし川原を歩きましょう、その方が近道にもなりますし」
と誘われ、その言葉に従った。
川はそこそこの大きさで、澄んだ水が太陽の光をキラキラと反射させながら心地よい音を立てて流れている。
……って、ここ、俺が最初に彼女たちが水浴びしていたのを覗いた場所だ……。
「あの……沖田様、ここでのこと、覚えていますか?」
「ああ……道に迷った俺が、君たちがここで水浴びしているのを見て、見とれてしまってた」
もうここは開き直って、下手に言い訳するよりも褒めることに専念しよう。
「……嬉しいです、そんなふうに言ってもらえると……でも、優里姉ちゃんのこと、見てたんですよね?」
「いや、二人とも。すごく綺麗で、可愛かったからな……」
「……ありがとうございます。でも、背中流すのは、優里姉ちゃんを選びましたよね?」
……うーん、この質問の意図が読めない。ここは正直に話そう。
「ああ、それは波美だとちょっと怖いなって思ったのと、君だと一番年下だから、無理にそんなことさせられるのなら可哀想だな、って思っただけだよ」
「そ、そうなんですか? 私はぜんぜん嫌だとか、そんな風に思ってなかったから……だったら、よかったです……」
と、また頬を赤らめる。
川原を並んで歩く速度は、ごくゆっくりだ。
「……でも、若い男の人って、その……女の子の裸見ると、すごく嬉しいんですよね? 姉さん達と一緒にお風呂に入ったときも、そうだったんですか?」
うん、この質問で、だんだん彼女のことが分かってきた。
こういう性的な事柄に興味を示す年頃なんだ。
箱入り娘として大事に育てられてきて、若い男と話をする機会すらなかったんだろう。
ここは嫌われない程度に、男とはそういうものだ、と言うことを教えてあげよう。
「嬉しいって言うか……うん、まあ嬉しいのかな。なかなか女の子には分からないだろうけど」
「あの、その……でしたら、私が背中を流しても……喜んでもらえますか?」
「ああ、もちろん。君が嫌でなければ、だけど……」
「……よかった、安心しました……ご存じかもしれませんが、今日、私、沖田様の背中を流させていただくことになってますから、受けてもらえますか?」
「ああ、もちろん」
優里と波美にそうしてもらっているんだ、この娘だけ「嫌だ」なんて言ったら可哀想だ。
……まあ、本音ではこんなかわいい娘と混浴できるなんて、かなり楽しみなんだけど。
いや、親睦を深めるという意味で。
「良かった、これで私も姉ちゃん達とやっと同じになれる……それと……」
彼女がさらに赤くなる。まだ何かあるのか?
「あの……この場所も『聖域』の中なんです。それで、私達の親族以外では入れない決まりになっていて……さっきの宮司様と、父以外は男の人、いないはずなんです」
「なるほど、それでこの前、君たち水浴びしてたのか」
「はい、お風呂にはもったいなくて滅多に入れませんので……ここ数日は、残り湯を使わせてもらっていますけど……」
そうなんだ……っていうことは、俺が背中を流してもらっているのは特別、っていうことなんだろうな。
「そっか。じゃあ、俺、みんなによっぽど気を使わせてしまってるんだな」
「いえ、そんなことないです。それで、あの……誰も見ていませんので……あの、これはお梅さん……あの、年上の女中さんに言われたのですが、その、もし、二人っきりでいるときに、隣の男性に押し倒されたりしたなら……その方を気に入っているのなら、もうされるがままに任せたらいいって……あの、男の人って、それで普通なんだって言ってましたけど……そうなんですか?」
……へ?
えっと……押し倒すのが普通?
「……い、いや、いくらなんでも、それが普通って訳じゃないと思うよ。夜とかならともかく……」
う、俺は何を言っているんだ?
「よ、夜ですか? ……そ、そうですよね、いくらなんでも、こんな明るい時間帯にそんなことあるわけないですよね」
と、彼女はさらに顔を赤らめる。
「お梅さんだっけ? なんかずいぶん大げさに話す人なんだなあ……」
「はい、ずっと年上なんですけど、その……こっそり春画を私達に見せてくれたりして……」
……春画!?
これは、その……彼女の事、何にも知らない女の子と思ってたけど、下手すると俺なんかよりよっぽど知識のある、いわば小悪魔かもしれない……。
「……なるほど、それで……ひょっとして、男の人と、もうそういう経験って……」
「えっ? いえ、もちろん、ないです、ないです! ずっと父に大事に育てられてきましたし、よく考えたら、若い男の人とこうやって並んで歩くのなんて、初めてです!」
その言葉に、なぜか俺は安堵し……そして彼女の初デートの相手であることに、ささやかな喜びを感じていた。
次の瞬間、ドクンと、別の感情が走り、脳内にアドレナリンが噴出するのが分かった。
直後、俺は葉菜を押し倒した。
「えっ……あ、あの、沖田様!?」
「動くな、じっとしてろ!」
俺の乱暴な口調に、彼女は戸惑ったものの、特に抵抗せず目を閉じた。
刹那、二人がさっきまで立っていた場所を、すさまじい勢いで大きな獣が駆け抜けていった。
すぐに俺は起き上がり、体制を整える。
葉菜は目を開け、呆然としてる。
「大猪……山嵐だ! 生きていたか……葉菜、動けるか!?」
そう言って一瞬振り返るが、彼女はその衝撃的な光景に、愕然としているようだった。
でかい。
体長だけで言うと、葉菜のそれを上回る。
体重は、彼女の三倍……いや、四倍ぐらいあるかもしれない。
背に折れた矢が刺さり、怒りで目を充血させた巨大な猪。
本来、猪は猛獣に分類される。
全力で走ると、時速五十キロ近く、つまりオリンピック選手より速い。
体重は、大物になれば百五十キロを超えるという。
そんな化け物が、今、俺達に襲いかかろうとしている。
矢傷からは、血と、膿がにじみ出ている。
相当な痛みとストレスで、さらに凶暴化しているように見える。
山嵐と俺達との距離は、七、八メートルというところか。
川原のため足場は砂利、そして猪がいる場所の方が盛り上がっている……つまり地の利は向こうにある。
何とか、足元の手頃な石を拾っては投げ、牽制するが……以外と素早く後ずさりし躱されるし、当たっても大してダメージはないようだ。
なんとか、彼女だけでも逃がしたいが、腰が抜けているようだ。
自分だけなら、直線的な動きの猪をうまくいなし、切り抜けられるかもしれないが……そうすると、間違いなく葉菜が攻撃対象になってしまう。
華奢な体の彼女が、こんな大猪に突進されたら……命に関わるだろう。
対する俺は、太刀も脇差しも持っておらず……念のため懐に入れていた、とある護身用の武器が一つあるだけだ。
山嵐は、その体を沈み込ませた。
来る……俺は本能的に、そう直感した。
その武器を、拳に装着する。
あの巨体に対してはいささか頼りないが、今はそれしか手がない。
山嵐は、一歩も引かぬ俺に若干怯んだようにも見えたが、そこは怒りの方が勝ったようで……その巨体に似合わぬ恐ろしきバネで、すさまじい勢いで突っ込んできた!
俺に出来る事はただ一つ――。
一瞬の後、俺はカウンターで、右拳に装着した『ナックルダスター』――カイザーナックルとも、メリケンサックとも言われる――を、奴の額に叩き込んだ!
右腕から体全体に広がる、凄まじい衝撃。
俺は後方に一メートルほど吹き飛び、震えている葉菜のすぐ隣に倒れ込んだ。
山嵐は……突撃の勢いこそなくなっていたものの、まだ立っていた!
俺はすぐ立ち上がろうとしたが、己の体の異変に気付いた。
右腕に力が、全く入らない……。
手を突いて立ち上がることも出来ず……俺はただ、葉菜の体に覆い被さった。
――ものすごく長い時間に思えたが、実際は二、三秒だったかもしれない。
ドサリ、と何か重い物が落ちるような音がした。
その方向を見ると……大猪・山嵐は、その巨体を横倒しにして、ピクピクと痙攣していた。
俺はホウッ、と一息ついて、左腕だけを地面について立ち上がった。
「……葉菜、大丈夫か? まだあの猪、起き上がってくるかもしれない。早くこの場を離れよう」
「……あっ、は、はい……えっ……あの……えっ? 沖田様が……あの猪を、やっつけたのですか?」
「ああ、たぶんな。何かが砕ける感触が拳に伝わってきた……俺の右腕もやられたようだけどな……」
「そ、そんな……大丈夫なのですか?」
「大丈夫かって言われると、まあ、命に別状はないと思うけど……多分、肩の関節が外れている……帰ろう、まず君を屋敷まで届けて、俺も一度、仙界に戻らなくちゃいけない……ごめん、初めて二人だけになれたのに、こんなことになって……」
「何をおっしゃっているんですか、沖田様は私の……私の命の恩人です……こんな怪我までされて……」
彼女は既に泣きじゃくっている。
でも泣いていると言うことは、体は大丈夫ってことだ。
必死に俺の体を気遣ってくれる葉菜に、俺は素直に嬉しく思った。
左手で彼女の頭を撫でながら、屋敷へと並んで歩き出したのだった。
葉菜を送り届けた後、俺はすぐ現代に戻った。
ゲートをくぐると、そこには白ネコのエルがいた。
「……ニャ? 右腕、どうしたニャ?」
「名誉の負傷だよ……エル、治せるか?」
「ボクのせいで出来た怪我じゃないから、残念ながらダメだニャ」
なんともケチな神の化身だ。
仕方無く、俺は父親が経営する整骨院に直行した。
ちなみに、ここの受付は母親がしており、トレーニングで右腕を痛め、動かないことを告げると、ちょうど昼休み前で客がいない時間帯だったので、すぐ父に見てもらうことができた。
「……脱臼だな……こんな下手な怪我するなんて、まだまだだな……背中にも擦り傷があるじゃないか、一体、どんなトレーニングをしたんだ?」
父親は一目でそう診断し、俺を睨むようにそう言った。
「大イノシシを、殴り倒した」
「……そうか、俺は暴れ牛を殴り殺した事があるが、こんな風にはならなかったぞ」
お互い信用できない会話をして、そして父親は手荒く俺の関節をはめた。
右肩に激痛が襲い、思わず呻く。
しかしそれも一瞬で、すぐに痛みは少なくなり、そして右腕が動くようになった。
それでも、あとの処置をきっちりしておかないと癖になるということで、かなりガチガチにテーピングされた。
そして俺は、その後すぐ自宅に戻り、ゲートを通って三姉妹の住む屋敷へ向かった。
何より、葉菜の事が心配だったから……。
その葉菜は、玄関先で俺の事を見つけると、駆け寄ってきて、泣きながら俺に抱きついてきた。
そして動くようになった右腕を見せると、安堵の表情を浮かべていた。
精神的ショックも、心配していたほど大きくはなさそうだ。
しばらくして、槍を構えた使用人の男達と共に、弓を装備した波美が帰ってきた。
そして山嵐が殴り倒され、死んでいた事を告げ、改めて俺のことを驚愕の眼差しで見ていた。
俺は素手ではなく、「これを使った」と『ナックルダスター』を見せたのだが、
「こんな小さな武器で……」
と逆に呆れられた。
俺はこの日、更なる大歓迎を受け、そして葉菜がそっと近寄ってきて、
「あの……お礼にお風呂で、背中流させていただきたいのですが……」
と言ってきたので……テーピングも耐水性の物だったし、湯船に浸からなければ大丈夫だろうと考えた俺は、この日、彼女の初めての見合いだということも考慮して、快諾したのだった。
そして彼女の献身的な奉仕に、俺は姉二人とはまた違った愛おしさを感じてしまうことになるのだった。




