第7話:授けられし力
「では次にお力の配分を決めましょう」
光の文字が六つ静かに空中で回った。
「料理人は、ひなたさんでよろしいでしょうか」
ヒヅキが言った。
「思い描いた通りの料理が、失敗せずに作れる力です。主菜も甘味も全てです。ただし土台はひなたさんご自身の腕。あなたの手が覚えていることが基になります」
ひなたは頷いた。
「味見をしなくてもわかるようになりますか」
「わかります。最初は違和感があるかもしれません。土台はひなた様本人で、ご本人がやってきたことの延長にある力です」
「それなら慣れます」
即答するとヒヅキが目を丸くした。
「慣れる」
「はい。土台は私ですよね。それなら大丈夫だと思います」
ヒヅキは数秒ひなたを見つめてそれから、小さく笑った。
「確かに」
和也が光の文字を指さした。
「俺は危険を察する力と地図と癒やしの魔法をもらいます。ひなちゃんが迷わないように」
「癒やしの魔法には枷があります」
セレスティアが慌てて付け加えた。
「効くのは和也様ご自身と、ひなた様とお二人のペットの犬猫たち。それから神獣と呼ばれる動物だけです。他の人間には使えません」
「それで構いません」
和也は迷わなかった。
「他の誰かを助ける力は欲しくないんです。ひなちゃんと動物たちに使えれば十分です」
ひなたは和也の横顔を見た。冷たい言い方に聞こえるかもしれない。けれど、他人に踏み込みすぎない線を持つ人だと知っていた。自分と同じだと思った。
「二人に共通のものは」
ヒヅキが続けた。
「時間の止まる箱と取り寄せの力です。箱は容量に限りがなく中の物は劣化しません。中にもう一つ小さな箱があり生き物が入れます。入った動物は眠った状態になり出せば目を覚まします」
「猫たちを移動させるときの」
「はい。取り寄せは貴方がたの世界の食べ物や道具を買える力です。スマホかタブレットで使えます」
ひなたはポケットからスマホを取り出した。画面を点けると待ち受けの柴犬と目が合った。
縁側で斜めに座ってこちらを見ている写真だった。何度も変えようと思ったのに結局この子の顔に戻してしまう。
ムギを迎えたのは兄たちが犬をくれるより前のことだった。獣医を辞めてひと月ほど経った夏の終わり。眠れなくて食べられなくて部屋の天井ばかり見ていたとき自分でも何を思ったのかブリーダーのサイトを開いていた。
車を借りて遠い町の小さな犬舎まで行った。子犬が六匹いた。毛玉のように転がって鳴いて跳ねて互いに噛みついていた。その輪の外で一匹だけが少し離れてお座りをしていた。小さな柴犬だった。
ひなたが近づくとその子は立ち上がった。走ってはこなかった。ゆっくり一歩ずつ歩いてきて膝のあたりで止まった。見上げる目が妙に落ち着いていた。
この人だと決めた目だった。
ブリーダーが笑って言った。
「その子は人を選ぶんですよ。他のお客さんには寄っていかなくてね」
その夜ひなたはケージの横の床に布団を敷いた。眠れなかったのに隣で小さな寝息が聞こえているだけで朝になっていた。
あの日が最初だった。誰もいない家に帰って自分から声を出したのは。
ただいま。
小さな柴犬は玄関で座って待っていた。まだ体が小さくて座り方も不格好だったけれどちゃんと待っていた。
「ひなちゃん」
和也の声で画面に意識が戻った。
「ムギの写真」
「うん」
「大丈夫。ちゃんと連れて行くって言ってくれたよ」
「うん」
ひなたは親指で画面を撫でた。喉の奥はまだ熱かったが、涙はもう落ちなかった。アルバムを開くと檸檬たちを撮った写真も、大福がミルクを踏んだ動画もそのまま並んでいる。
「写真は消えませんか」
「消えません」
セレスティアが答えた。
「充電も魔素で満たされます。壊れないようにしておきます」
ひなたは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「謝るのはこちらです」
ヒヅキが言った。
「それでは貴方がたの望みをもう一度確認します」
ヒヅキは巻物を広げて読み上げた。
・地球の家族から二人の記憶を消すこと。
・家屋の中の物とペットと預金を全て新しい土地へ移すこと。
・庭付きの広い邸と店舗を用意すること。
・猫たちが外へ出ないよう全ての出入り口を整えること。
・和也とひなたを二十歳に戻すこと。
子を授からない体にすること。
・スキルの配分。
ひなたは聞きながら一つずつ頷いた。最後まで読み終えてヒヅキが顔を上げた。
「異論はありませんか」
和也がひなたを見た。ひなたも和也を見た。
二人の薬指に結婚指輪が光っていた。どちらの世界でも変わらずにそこにあるものだった。
「ありません」
声が重なった。
ヒヅキが巻物を閉じた。
「では次に参りましょう」
白い空間が少しだけ温かくなった気がした。ひなたは和也の手を握り直した。まだ何も始まっていないのに心の底で小さく灯りが点いたようだった。




