第29話:犬猫たちの会議(特別編)
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母屋の二階の窓辺には午後の光が溜まっていた。
別棟の屋根が庭の向こうに見える。その窓のひとつに人影が動いていた。小さな黒い点が行き来しているのが、和也で白い点がひなたの帽子だと全員が知っている。
ももが窓枠に前足をかけて最初に鳴いた。
にゃー(今日もひなちゃんはお店にいる)
ゆずがその隣に飛び乗って、尻尾でももの背中を叩いた。
にゃー(でも和也もいる)
にゃー(和也はずるい)
二匹の声に引かれるようにキャットタワーの上から次々と影が降りてきた。檸檬と、ラスクとショコラとあんずが窓辺の床に並ぶ。階段のほうからは、爪の音が三つ重なって近づいてきた。ムギが先に着き、その後ろに大福とミルクが転がり込んだ。
ムギは窓のいちばん近くに座り直し短く鼻を鳴らした。
わん(静かにしろ)
大福とミルクがぴたりと止まった。ムギは続けた。
わん(ひなちゃんが出かけて、今日で三回目の営業だ)
わん(四回目だよ)
ミルクが小さく訂正して、ムギに睨まれた。
これがこの家の昼の習慣だった。人間が店に行っている間、動物たちは窓辺に集まる。誰が決めたわけでもない。ただ全員がそうしたくなるのだった。
檸檬が窓の外を見上げて言った。
にゃー(和くんがいる)
にゃー(和くんは今日も立ってる)
ラスクが前足を揃えて続けた。ショコラはその横で小さくあくびをした。
にゃー(和くんは何を持ってるの)
にゃー(四角い黒いの)
にゃー(あれ重そう)
猫たちの声はいつも少しだけ遠くのことを話していた。あんずは窓から離れた壁際に座り耳だけをこちらに向けている。いちばん小さな子はいつもそうだった。
あんずがぽつりと言った。
にゃー(ひなちゃんは、今日ちょっと元気がなかった)
全員が振り向いた。
にゃー(どうして)
にゃー(朝ごはんのときにね、ため息の音)
大福が首を傾げた。
わん(ため息のときは、元気がないの)
にゃー(ひなちゃんは、いつもあったかい空気)
ムギが静かに頷いた。
わん(昨日帰ってきたとき、俺も気づいた)
わん(いつもはすぐ撫でてくれるのに、昨日は一拍遅かった)
ミルクが目を丸くした。
わん(どうしたのかな)
わん(わからない)
ムギは窓の外を見つめた。
わん(でも和也がいたからすぐ戻った)
ももが鼻を鳴らした。
にゃー(和也は、そういうところだけは、ちゃんとしてる)
ゆずが賛成するように尻尾を揺らした。
にゃー(でも抱きしめすぎ)
そのとき別棟の窓の中で、白い点と黒い点が重なった。
全員が一斉に窓に顔を寄せた。
別棟の厨房の窓辺でひなたが背伸びをしていた。その後ろに和也が立ちひなたの肩に額を乗せている。長い腕が腰に回りそのまま動かなくなった。
わん(またやってる)
ミルクが声を上げた。
わん(また和也がひなちゃんを抱きしめてる)
にゃー(今日だけで二回目だよ)
にゃー(昨日は三回だった)
ラスクとショコラが淡々と数えている。その横で檸檬が、前足を揃えたまま真面目な顔で言った。
にゃー(和くんは、ひなちゃんのことが大好きだから)
にゃー(それは知ってる)
にゃー(僕もひなちゃんが大好き)
にゃー(僕も)
にゃー(僕のほうがもっと)
ももとゆずが同時に言い張った。檸檬がむっとして耳を伏せた。
にゃー(ひなちゃんは私のところへ来てくれる)
にゃー(でもひなちゃんは僕たちを先に迎えてくれた)
にゃー(順番じゃない)
にゃー(じゅんばんだよ)
猫たちの言い合いが窓辺で賑やかに膨らんだ。ショコラがその外でのんびり前足を舐めている。ラスクは言い合いを眺めながら小さく呟いた。
にゃー(和くんが、ひなちゃんを抱きしめると、ひなちゃんの顔が緩む)
にゃー(あの顔はいい顔だ)
言い争いがふっと止んだ。
ムギがゆっくり口を開いた。
わん(あの顔を見ると安心する)
大福が勢いよく頷いた。
わん(うん。ひなちゃんが笑うと、俺もうれしい)
わん(僕も)
ミルクが小さな尻尾を振った。
わん(でも和也ばっかりずるい)
わん(ずるいね)
わん(ずるい)
三匹の犬が声を揃えて、窓の外に向かって鳴いた。ももとゆずも続いた。
にゃー(和也ずるい)
にゃー(和也ずるい)
窓の向こうでは、当の本人が何も知らずに、ひなたの髪に顎を乗せていた。
猫たちの声は届かない。犬たちの声も届かない。それでも全員が真剣な顔で窓に向かって抗議を続けた。
わん(ひなちゃんは、こっちの子なのに)
わん(でも和也は、ひなちゃんを守ってる)
ムギが静かに言った。大福とミルクが口を閉じた。
わん(昨日の知らない犬のとき)
わん(あの犬は匂いが年寄りだった。優しい犬だった)
わん(ひなちゃんは触らなかった)
わん(和也が手を取った)
ムギは目を細めた。
わん(俺にはできない。ひなちゃんを下がらせることも前に出ることも。ただ座って待つだけだ)
わん(でも和也はできる)
ももが静かに言った。
にゃー(和也は、ひなちゃんの一番近くにいる人だから)
ゆずが頷いた。
にゃー(僕たちの一番は変わらないけど)
にゃー(二番目は和也)
にゃー(悔しいけど)
あんずが壁際から小さく付け加えた。
にゃー(和くんもひなちゃんもあったかい)
にゃー(あんずは、ひなちゃんのほうが好きなんでしょう)
にゃー(うん。でも和くんも好き)
檸檬が思わず笑うように喉を鳴らした。ラスクとショコラが顔を見合わせた。
にゃー(和くんはあんずを遠慮させない)
にゃー(ひなちゃんのほうが好きでも、ちゃんと撫でてくれる)
あんずは前足に顎を乗せて目を細めた。
窓の外では別棟の扉が開いて和也が出てきた。母屋のほうをちらりと見上げ手を振っている。二階の窓辺の動物たちに向けて笑っていた。
ももが短く鳴いた。
にゃー(こっち見てる)
わん(手を振ってる)
にゃー(振り返す?)
にゃー(どうやって)
猫たちが顔を見合わせた。ももが前足を窓ガラスにぺたりとついた。ゆずも同じようにした。檸檬とラスクとショコラも並んで、前足を上げた。あんずだけがそっと遅れて、肉球を窓に押し当てた。
ムギが座ったまま尻尾を、一度だけ床に打った。大福とミルクもそれにならった。
窓の外の和也が驚いたように目を見開いた。それから嬉しそうに口元を押さえて別棟の中へ戻っていった。
わん(あいつにやけてた)
にゃー(にやけてた)
にゃー(やっぱり和也はずるい)
全員が同じ結論に達して小さく息を吐いた。
日が傾く頃には全員が窓辺のあちこちで丸くなっていた。
大福とミルクは、ムギの腹に寄りかかって眠っている。ももとゆずは、二匹で一つの毛玉になっていた。檸檬が窓際で目を半分閉じ、猫たちの中心にあんずが収まっている。
ムギだけがまだ起きていた。
別棟の窓に灯りがともるのを見ていた。浮き灯りが一つまた一つと、庭の上に色を濃くしていく。
わん(もうすぐ帰ってくる)
ムギは誰に言うでもなく言った。
わん(ひなちゃんの足音は、いつも二歩目が少し速い)
わん(和也の足音は、いつも半歩あとから追いかける)
窓の下の砂利が小さく鳴った。
二つの足音が近づいてくる。二歩目が少し速い音と半歩あとの音。
ムギの耳がぴんと立った。尻尾が床を打った。
その音で全員が目を覚ました。猫たちが、一斉に起き上がり犬たちが転がるように階段へ走った。玄関の扉が開く音がして、二重の格子の向こうに二つの影が立った。
わん(おかえり)
にゃー(おかえり)
にゃー(おかえり)
返事はない。人間の耳に届く言葉ではないと全員が知っていた。
だけど、ひなたはしゃがんで両手を広げた。
「ただいま」
和也が靴を脱ぎながら小さく笑った。
「今日はみんな窓にいたよ。手を振ったら振り返してくれた」
「ほんと」
「うん。たぶん」
「たぶん」
ひなたはミルクを抱き上げ、大福の背中を撫で、ムギの額に頬を寄せた。手は温かかった。その温度を確かめるように、ムギは長く息を吐いた。
あんずが階段の途中から顔を出して鳴いた。
にゃー(ひなちゃん今日はあったかい)
もちろんひなたには聞こえなかった。だけど、小さな白い体が足元に寄ってきて、手のひらに顎を乗せるとひなたは指で耳の後ろを撫でた。
「あんず、ただいま」
喉がごろごろと鳴った。それを聞いた全員が静かに目を細めた。
夜の台所には湯気の匂いが広がっていた。窓の外の浮き灯りがゆっくり揺れている。食卓には、それぞれの皿が並び、動物たちの器もそれぞれの場所に並んだ。みんな自分の器の前に座り、ひなたの「いただきます」を待っていた。
その声が響いたとき、家のなかのすべての耳がぴんと立った。
これがこの家の一日の終わりの合図だった。




