第20話:安全対策
朝一番に和也が工具箱を抱えて台所へ入ってきた。
「ひなちゃん、今日は大工の日だよ」
「ネットで買ったやつ、全部届いたの」
「届いた。蝶番も掛け金も網戸用の金網も。箱の中にきれいに並んでる」
和也が目を閉じて空中に手を伸ばすと、工具箱の隣に細長い板が何枚も現れた。ひなたは板の木目を指でなぞった。節がなく角が丸く削られている。猫が爪をかけても引っかからないようにという注文を、和也が商品説明の欄に細かく読み込んで選んでいた。
「ちゃんと選んだね」
「ひなちゃんが獣医さんの目で見るからね。変なの買ったら怒られる」
「怒らないよ」
「怒るでしょ。目で」
否定できなかった。
家の出入口は女神が整えてくれていた。玄関も勝手口も窓も、外側に格子があって内側にもう一枚ガラス戸がある。それでもひなたは確かめたかった。扉を二枚開けたとき、猫が一匹でも通り抜けられる隙間はないか。窓を開けて空気を入れ替えるとき、網戸の下に爪がかかる場所はないか。
「全部見て回ろう」
「俺が先に回って危ないところを探すから」
「地図で?」
「地図で」
和也が先に立ち、ひなたが後ろをついて歩いた。その後ろをムギが歩き、猫たちが距離を置いて続いた。ももが先頭でゆずがその尻尾を追う。檸檬は二人の間に入り込み、ラスクとショコラは和也の足元に寄り添い、あんずは一番後ろから距離を保っていた。
玄関から始めた。外の扉を閉めてからでないと、内側の格子戸は開かない作りになっている。和也が指でつついた。
「ここはもう完璧」
「掛け金の位置が少し低いかな。ももが前足を伸ばしたら届きそう」
「届く?」
「届くと思う。あの子は器用だから」
ひなたが言うと、ももが玄関マットの上でちょこんと座った。見上げる目が妙に澄んでいる。ひなたは屈んで掛け金の高さを目で測った。確かにももが後ろ足で立てば届く位置だった。
「上げよう」
和也が新しい掛け金を取り出して、位置をずらし螺子を締めた。ももは作業の間ずっと、工具箱の縁に前足をかけて見守っていた。終わると掛け金に鼻先を近づけて、ふんふんと嗅ぎ、それから興味をなくしたようにあくびをした。
「合格?」
「合格みたい」
次は勝手口だった。台所の奥の小さな扉で、ゴミを出したり洗濯物を干しに出たりするのに使う。ここも二重になっているが、ひなたはもう一枚足したかった。
「ここは網戸の枠が弱い」
「ほんとだ。爪がかかる」
「金網に替えよう」
和也が古い網戸を外して、新しい金網を張った。ひなたは横で枠を支えた。金網は細かい目で、猫の爪が入る隙もない。張り終えて指で弾くとぴんと張った音が響いた。
「いい音」
「ひなちゃん耳がいいなあ」
「そうでもないよ」
窓を一つずつ回った。リビングの大きな窓は、格子と内側のガラス戸があり、ひなたが鍵を確認すると、和也が窓枠の下にも柵板を足した。ここは猫が日向ぼっこに使う窓だった。ゆずが窓辺に飛び乗り、ガラス越しに外の鳥を目で追う。尻尾の先が小刻みに揺れていた。
「見てる見てる」
「鳥が来るんだね。この庭」
「じゃあ、窓辺の止まり木も作ろうか」
「いいね。ももとゆずが喧嘩しないように二つ」
和也が板を二枚取り出して寸法を測った。ひなたは横で支えながら、窓辺に並んで座る二匹の背中を想像した。ももとゆずが並んでいる景色は想像するだけで胸があたたかくなった。
二階へ上がる階段の上には、前の家になかった小さな扉があった。ひなたが指で押すと蝶番が軋んだ。
「これ、何の扉?」
「階段の上と下を仕切る柵付きの扉だって。女神様が手書きの説明書をつけてくれてた」
「説明書あったんだ」
「ほら」
和也が差し出した紙には、丸い字で『赤ちゃん猫が階段から落ちないように。でも大人になっても使えます』と書いてあった。ひなたは思わず笑った。
「セレスティアさんらしい」
「落ちないようにって書いてあるのが優しいよね」
扉は猫が通れるくらいの隙間を残してあるが、人が開け閉めすることもできる。猫たちが階段を走って降りようとして、滑ったときのための安全策だった。ひなたは蝶番に指で油を差した。
二階のほうが手間がかかった。寝室の窓と、猫たちが好きな踊り場の大きな窓。
「ここは見晴らしがいいから、猫が一番好きなんだよね」
「ももとゆずがここで昼寝するんだよ」
和也が窓枠を確かめながら言った。ひなたは窓の外を見た。庭の桜の木が真下にあり、枝の先が窓のすぐ近くまで伸びている。
「枝が近い」
「あ」
「あの枝に飛び移れるかな」
「ももなら行くかも」
「格子があるから出られないけど、見てる間に興奮して窓にぶつかったら危ない」
ひなたは、窓ガラスの内側に透明な板を、一枚足すことにした。ぶつかっても衝撃を和らげるクッション付きのやつで、ネットで探すと『ペット用窓ガード』という商品が見つかった。
「あった。猫が窓に飛びついても怪我しないやつ」
「へえ。そんなのあるんだ」
「獣医の頃、窓にぶつかって鼻を怪我して来る子が何度かいたの」
和也が少し黙った。それから窓ガードを受け取って寸法を測り始めた。
「大丈夫。うちの子は誰も怪我させないよ」
「うん」
窓ガードを貼りながら、ひなたは猫たちの顔を思い浮かべた。檸檬は慎重で、ラスクは大胆で、ショコラは柔らかく、あんずは遠慮がち。ももは器用で、ゆずはやんちゃ。みんな違う動き方をする。だから一匹ずつの危険を考える。それが獣医の目の使い方だったし、今は暮らしを守るための目になっている。
「ひなちゃんが優しい顔してる」
「してないよ」
「してる。猫のこと考えてるとき、ひなちゃんは顔がやわらかい」
「そうかな」
自分では気づかなかった。ひなたは頬に手を当てた。指先に少しだけ温もりが残っていた。
昼には全ての窓と出入口の確認が終わった。最後にひなたは猫たちのために、一階のリビングの隅に新しいキャットタワーを設置した。ネットで取り寄せた一番背の高いやつだった。天井近くまで届き、途中に丸い穴や小さな台がいくつもついている。
「天空のタワー」
「名前つけるんだ」
「だって見上げると空みたいなんだもん」
和也が組み立てを手伝ってくれた。螺子を締めている間、猫たちは周りをうろうろして、箱の中に入ったり部品の上に乗ったりして邪魔をした。
「ラスク、そこ螺子」
「にゃ」
「どいて」
ラスクは名前を呼ばれると、ぴたりと動きを止めて和也を見上げた。それから悪びれる様子もなく、工具箱の中に入った。和也がため息をついて抱き上げ、ひなたの笑い声が響いた。




