第13話:商店街
門を出ると、煉瓦敷きの道が左右に伸びていた。
昼前の光が建物の壁を白く照らしている。昨日の夕暮れとは別の街のように見えた。空には浮き灯りが残っていて、昼間の光の中では色の薄い硝子玉みたいにふわりと浮かんでいる。
「右」
和也が目を閉じて言った。
「商店街は右に五百メートルくらい。危ないものは今のところ感じない」
「頭の中の地図って、そんなにはっきり見えるの」
「見えるっていうより、知ってる感じ。ここを曲がれば何があるって、最初から知ってたみたいな」
「私の料理と同じだね」
「ほんとだ」
並んで歩き出した。ひなたは自然と和也の手を取ると、和也が一瞬だけ目を丸くして、それから嬉しそうに指を絡めた。
道の両側には洋館と木造の家が混ざって並んでいた。洋館の窓は縦に細長く、ガラスの向こうで薄いレースのカーテンが揺れている。木造の家の軒先には提灯がぶら下がっていて、その下を着物姿の老人がゆっくり通っていく。洋装の女性とすれ違った。帽子に羽根飾りがついている。袴姿の少女が三人、本を抱えて笑いながら走っていった。
「すごい。本当に大正だ」
「大正って学校で習ったくらいしか知らないけど、こういう感じだよね」
「写真で見た街が動いてる」
ひなたはつい足を止めて見入ってしまった。そのまま路地の奥にふらふらと入りかけ、手を引かれて戻された。
「そっちじゃない」
「ごめん」
「地図があるから大丈夫」
「頼りにしてる」
和也が少し得意そうに笑った。
商店街に入ると空気が変わった。
人の声と物の匂いが、いっぺんに押し寄せてくる。八百屋の店先には積まれた大根とかぶと里芋。魚屋の台には氷もなく魚が並べられていて、その上を蠅が飛んでいる。肉屋の軒には皮のついた肉の塊が吊るされ、店先の地面には薄く血の色が染みていた。
ひなたは無意識に息を止めた。
目が、勝手に動いていた。魚の目の濁り方。肉の切り口の色。包丁とまな板を拭く布が灰色に汚れていること。店主が手を洗わずに釣り銭を渡し、そのまま魚を掴んでいること。
「ひなちゃん」
「うん」
「顔、怖い」
「ごめん。つい」
「ここは買わない?」
「買わない」
ひなたは即答した。
「あの子たちのごはんは取り寄せがあるし、私たちの分もある。ここで買う理由がない」
言いながら、買い物客たちの顔を見た。みんな普通に笑っていた。魚を包んでもらい、肉を量ってもらい、そのまま持ち帰っていく。それが当たり前の日常なのだ。ひなたの胸に、自分の中の線がもう一本、静かに引かれた。
あれは、あの人たちの暮らし。
私が手を出す場所ではない。
そう言い聞かせるまでもなく、心はすでに静かだった。それを冷たいと思う自分も、もう驚かなかった。
「あそこ、塩と砂糖を売ってる」
和也が指さした先に、小さな乾物屋があった。軒先に麻袋が並び、白い粉が山のように盛られている。
「いらっしゃい」
腰の曲がった女将が奥から顔を出した。
「砂糖と塩を見せてもらえますか」
「あいよ。砂糖は一斤でこれだけ」
提示された値段を聞いて、ひなたは目を瞬いた。思っていたよりずっと安かった。
「安い」
「そりゃ安いさ。砂糖と塩だけはどこの家にもあるもんだよ。お嬢さん、新しい人かい」
「最近こちらに」
「そうかい。ならこれを持ってお行き。ここのは混じりっけなしだ」
麻袋にたっぷり砂糖を詰めてもらうと、ひなたは紙幣を払った。この世界のお金は昨夜のうちにアイテムボックスに入っていた。和也が袋を持ち上げて、ひなたの顔を覗き込んだ。
「ひなちゃん、嬉しそう」
「だって砂糖だよ。お菓子が作れる」
「うん。俺も嬉しい」
隣の店で卵を売っていた。籠の中に茶色い卵がぎっしり詰まっていて、女将が一つひとつ布で拭いている。ひなたは籠を覗き込んだ。殻にひびはない。ぬめりもない。
「これは買えそう」
「ギリギリ?」
「うん、ギリギリ」
自分でもおかしな言い方だと思った。それでも十個ほど買って、帰ったらよく洗うことにした。




