第五回 はじめての魔術について
その後、ヒロの入学試験に向けた短すぎる受験勉強期間が始まった。
一週間後に行われる試験の内容は、この国の公用語である「アルトニア語の読み書き」に加え、「なにか魔術を一つ覚えて披露する」というもの。
ヒロのモチベーションは高かった。
試験に合格すれば晴れてアカデミー魔術科に入学。入学すれば寮の部屋が与えられ、あの生意気な大魔術師とやらと離れて生活できる。そのためにその本人から教えを受けることになるのは変な話だったが、きっと自分の研究に集中したいだろうし、彼女にとっても悪い話ではないだろう。そう思った。
物置き部屋はなんとか無事に清掃が終わり、今は学長のレアリスが用意したベッドと簡易的な勉強机が置かれている。まだ多少の荷物は残っているが、入学までの約半月、居候する上で大した問題ではなかった。
勉強期間の一日目。ヒロは朝からさっそく公用語に使われるヴェトム文字の勉強をしていた。
ディナはどうやら前日夜遅くまで起きていたらしく、しばらくは起きてくる気配はない。さっそく魔術の研究とやらでもしていたのかもしれない。ディナに代わってメイルゥがヒロの勉強を手伝っていた。
ヒロは召喚魔術の副次効果によってか、既にアルトニア語を理解して話すことができている。日本語と同様、発音と表記の対応がかなり素直なため、発音に対応する文字さえ覚えてしまえば頭の中の単語を書き起こすことは容易だ。とにかく一週間ひたすら筆を動かして身体に叩き込んでいけば、自分で文章を書けるようになるのも時間の問題だろうと思えた。
「わあ、すごいです!自分のお名前上手に書けましたねえ〜」
「う、うん………まあ」
ヴェトム文字の一覧とその発音を日本語でメモした表を確認しながら、ヒロはヴェトム文字で自分の名前をノートに書いてみせた。褒めて伸ばすつもりなのか、それを見たメイルゥはやけに大袈裟に感激していた。
異世界の言語とはいえ、自分の名前を書いただけで褒められるのがまるで小さい子どもとして扱われているみたいで、ヒロは少しむず痒かった。
昼時になり、リビングのダイニングテーブルでメイルゥが用意したランチを食べる。
白身魚のムニエルのようなもの、鶏肉らしき何かやジャガイモに近しい芋が入ったコンソメ的な味のスープ、本当に何をどう調理したのか見当も付かない和え物など、どれも微妙に馴染みがないのに、いざ口に運べばそのほとんどは美味しかった。
ヒロが興味ありげに料理をまじまじと観察したり、思わぬ味わいに舌鼓を打って脳内で感想を言語化したりしていると、その様子を見たメイルゥはくすりと笑った。
「な、何………?」
「いえ。なんだかヒロさん、ディナ様に似てるところあるなあって」
「は……………?普通に嫌なんだけど」
心から不愉快そうな表情のヒロの拒絶にメイルゥがたじろいでいると、寝室と思しき隣の部屋からディナが寝ぼけ眼をこすりながらやってきた。
丈の短いレースの寝間着。その上に羽織るだぼついた薄手のカーディガンはずれ落ち、肩が露出している。
いくら容姿が幼いとはいえ、あくまでもヒロとディナは同い年。年頃の男子高校生の前に現れるには些か無防備な格好に思えた。
「やあ………むにゃ、今日も……誉れ高い朝だね………」
「…………………………あのさあ、居候させてもらってる身でこんなこと言うのもあれだけど、同い年の男子の前にそんな格好で出てきて恥ずかしいとかないの?」
「ない………。ここ私の研究室………。嫌なら………むにゃに、………出てけ」
「そう。大丈夫です………」
合流したディナも昼食に混ざる。うつらうつらしているディナにメイルゥが甲斐甲斐しく料理を口に運んであげていた。
ヒロは、二人が日頃からこんなことをしているのかと思うと途端にいたたまれなくなった。
昼食を終えるとヒロは自室に戻り、早速勉強を再開させた。
文字と発音の対応表があるため、メイルゥがいなくても自習は十分に捗る。
しばらくするとノックもなしに扉を開けてディナがずけずけと部屋に入ってきた。さっきまでの眠たげな様子はない。身支度を終えたらしく、衣服もあの白いドレスとその背丈にそぐわない大きなとんがり帽子のスタイルになっていた。
「ヴェトム文字の学習は順調かね」
「メイルゥのおかげで滑り出しはいい感じだよ。ていうかノックくらいしろよ」
「そうか。では魔術をやるぞ」
「え?あぁ………まあ確かにそれもやらなきゃだけど。同時進行でやるの?」
「いくら誰でも扱えるとはいえ、魔術の初歩はセンスの有無で一つの術を習得するために必要な時間も大きく変わってくる。キミが予想以上に無能で手こずる可能性も考慮すれば、少しでも早く始めておくのが賢明だと言える」
「いちいち腹立たしいけど可能性の否定まではできない。わかった、頼むよ」
ヒロは言われるがままディナのデスクの方へ移動した。
資料や研究道具らしきものが雑然と置かれ山のように堆積した彼女の書斎机を挟んで二人は対面する。身長の低いディナの姿は机の上の山の陰になって見え隠れしていた。
キャスター付きの簡易的なブラックボードを用意すると、ディナはその手前に置いたスツールの上に乗った。その手には指し棒のようなものを持っている。
「それでは、授業を始める!」
「………………えっと、『なにか魔術を一個覚えて披露する』だったっけ。何からすればいい?言っておくけど、俺の世界には魔術なんてなかった。そういうのはアニメとか創作のフィクション。当たり前のものみたいに言われても困るからな」
「判っている。この世界でも初学者は基本原則から学ぶのがセオリーだ。キミにも一から解るように説明してやるからそう案ずるな」
そう言うと、ディナは指し棒を軽く振った。青白い光の筋がその先端から弧を描いて宙を舞い、ブラックボードに向かって飛び交うと、みるみる文字や図解が描かれていった。
当然アルトニア語で書かれたその板書を今のヒロが読み解くことはできなかったが、どうやらこの板書の流れに沿って説明するらしい。とりあえずはディナに任せることにした。
「まず先に、キミが混同して使っている『魔法』と『魔術』の定義について確認しておこう」
「………違うものなの?」
「ああ。一般的に『魔法』というのは学術体系全般を指す総称。そしてその中の一分野に『魔術』が位置している。科学の中に化学が含まれているのと同じだ」
(やっぱり、科学は科学で存在するんだ……)
「私のような誉れ高き叡智の大魔術師やこのアルトニア魔術アカデミーは、魔法の中でも『魔術』を専門として扱っている」
「なるほど。ちなみに魔法には魔術以外に何があるの?」
「他には呪術、妖術、秘術がある。興味があるのなら詳しく解説してやっても構わないが、今は魔術の習得を優先させるべきだろう」
「ふうん………。分かった」
「今のはこの世界の一般教養の範疇だ。これまでのように『魔法』と『魔術』を混同して使っているとどこぞの秘境の部族だと白い目で見られるから注意したまえ」
ディナは一息つくと、ようやく本題に入るといったように、指し棒でブラックボードの板書の一番上の項目を指し示した。
「まず、この世界の万物には『精神』がある」
「…………………はい?」
「キミや私のような生物には勿論、自然の植物、道端に転がる石、大気や水の一滴でさえ、そこには『精神』が宿っている」
「はあ……………?」
さっそく魔術の原理から説明されるのかと思いきや、急に宗教じみた話が始まって不安になった。しかしとりあえず今は素直に聞いて話の先行きを見守った方がいいだろう。
八百万の神やアニミズムに相当する話をしているのだろうか、とヒロは自分の世界の概念に置き換えて理解を図る。
「『精神』は物質と密接に結び付いており、どちらかに変化が生じるともう片方に影響を及ぼす相互関係になっている。そうだな………例えるなら、学校に行くのが億劫なあまり、お腹が痛くなってきたヨォ〜〜ン。といったような現象を想定するとよいだろう。厳密にはこれは魔法学における精神と肉体の相互作用とは異なる生理現象だが、関係性のイメージとしては近い」
「気持ち次第で体調に影響が出てくるやつね」
「そう。反対に体調が悪くなると気持ちも沈む、といったような相互関係が精神と物質にもある、というくらいの理解をしておけばよい」
「そしてこの原則を利用し、精神に干渉して現実に様々な作用をもたらす技術体系こそ『魔法』だ」
「ほお………?」
「中でも『魔術』は、対象の物質の精神に"指示"を送ることであらゆる現象を引き起こすものを指す。ここから『魔術』の原理の具体的な説明に移ろう」
「万物には精神があると言ったが、精神は『マナ』と呼ばれる要素によって構成されている。対象の精神を構成する『マナ』に干渉することであらゆる作用を引き起こすというのが魔術の大まかな仕組みだ」
「はー………?マナっていう用語もファンタジー系のゲームとかで聞いたことはあるけど、なんかこう、魔術を使うときに消費する魔力的なエネルギー…………とかではないの?」
「違う。キミの言う魔術を使うときに消費するエネルギーは、今キミが説明に使った『魔力』に相当する」
「…………どう違うの?」
「『マナ』は精神を構成する要素。そして『魔力』は生物の生命活動によって生み出されるエネルギーだ」
「はあ………。じゃあ『魔力』を使って『マナ』に干渉して、何かしらするのが『魔術』……………っていうこと?」
「よろしい。では実際に例を見せよう」
そう言うとディナは蝋燭が取り付けられた取っ手の付いたキャンドルスタンドを取り出した。
右手に持った指し棒をその蝋燭の先端に差し向ける。
「………【着火】」
ディナがつまらなそうに短く唱えると、蝋燭の先端に火が灯った。
「お、おお………!?」
「…………………………」
「…………………え、何?」
「おもしろくない」
「は?」
「おもしろくないと言っている。この大魔術師ともあろう私に、こんなどこの一般家庭でも使われているような初歩的な魔術を実践させて、一体何がおもしろいというのだ」
「いや、お前が例を見せるって言ったんじゃ………」
「はーーー、おもしろくないな。ほれ、やってみたまえ」
そう言うとディナは懐から取り出したもう一本の指し棒を乱雑に差し出した。
ヒロはとりあえずそれを受け取るが、使い方が分からず手元で持て余すしかなかった。
「い、いや。今のだけ見せられても何も分からないんだけど。呪文を唱えたら勝手に蝋燭に火が付いただけにしか見えないというか。なんなら魔術というより手品に見えるというか………」
「いいから、つべこべ言わずまずはやってみたまえ」
「ええ………」
ディナはふっと息を吹きかけて蝋燭の火を消すと、キャンドルスタンドをヒロの前に向ける。
ヒロは見よう見まねで指し棒を蝋燭の先端に差し向け、なんとかなれという気持ちで呪文を叫んだ。
「じっ………じにれーーーッ!」
「…………………」
何も起こらなかった。
当然といえば当然というべきか。『マナ』だの『魔力』だのとそれらしい説明を並べられたところで、ヒロはその実態を認識できていない。
勢いよく叫んだだけにとてもいたたまれない気持ちだった。ディナの同情ともとれる冷ややかな視線が痛い。
「……………」
「威勢に関してははなまるをあげよう」
「どうも………」
「しかし困ったね。誉れ高き叡智の大魔術師である私は物心つく前から魔術が使えていた。魔術を使えない人間の理屈も気持ちも理解できないから、実技面においてどうアドバイスしたらよいか判らない」
「そんなこと言われたら詰みなんだけど」
「ふうむ。それじゃあ『魔力感知』を使って魔力の動きを知覚するところから始めるのが手っ取り早いかもしれない」
「魔力を感知?魔術が使えないのにそんなことできるの?」
「魔力感知はある程度の魔力を有する者であれば誰でも使える技能だ。キミには魔術を行使するだけの最低限の魔力は備わっている。キミがどれだけ情けなくて哀れでも問題ないから安心したまえ」
「なんかもう何も言い返せない。分かりました」
「今から行うのは魔術師家系でよく行われる、子どもに魔術を教えるときに用いる手遊びの一種だ。よく見たまえ。この光が見えるな?」
そう言うと、ディナは掲げた小さい両手をぱっと広げてみせる。するとその右手に青白い光が纏わり始めた。
「見えるよ。なんか右手が光ってる」
「よろしい、ではこの光を目で追いたまえ」
ディナの右手の光がうねり、ゆっくりと左手に移動した。次に右手。少し間を置いて左手と、交互に行き来する。
ヒロが言われた通りにその光の移動を目で追っていると、その移動を繰り返させながらディナが言う。
「今から徐々にこの光の可視成分を取り除いていく。やがて目視できなくなるはずだ。それでも集中して可能な限り光を追うのだ」
「う、うん」
ディナの言った通り、光が少しずつ薄まっていった。ヒロは目を細めながら消え消えになる光の動きを辿る。やがてそれは完全に目では見えなくなった。
(……………あ、あれ?)
しかし、気が付くと見えなくなったはずの光の存在を感じ、それを目で追っている自分がいた。
右へ。左へ。しばらく間を置いて右へ。今度は左に移る途中で右手に戻っていった。そしてまた左へ。
(なんだこれ。目では見えていないのに、そこにあるのが分かる。気配に近い感覚。いやそれよりももっと正確に、形や動きまでも感じ取れる)
しばらくそれを続けると、その気配が片方の手に留まって静止した。
「今、光はどちらの手にある?」
「………………右手」
ヒロが答えると、右手にあったその気配は徐々に形を成して元の青白い光の姿に戻っていった。
「………………驚いた。かなり正確に魔力の動きを捉えられている。途中で引っかけてやろうと思ったのにまさかそれも見破るとは」
「そういうゲームじゃなかったと思うんだけど」
「とにかく、どうやら魔力感知には長けているようだ。一時はどうなることかと思ったが首の皮一枚繋がったようだね。今キミが目で追っていたものこそ『魔力』というエネルギーに他ならない。この魔力感知の訓練を続けていけば、さっきの【着火】の魔術で魔力がどのような挙動をしていたのかを感じ取り、感覚的に理解できるようになるはずだ」
「………………あのさ、その【着火】の魔術、もう一回見せてくれない?」
「だから、魔力感知には訓練が必要だと言っているだろう。ちょっと上手くいったからと調子に乗るな」
「いや、でも…………」
光を追うその手遊びで魔力の存在を感じ始めてから、ヒロはどうもおかしかった。
自分の身体から先のと似たような気配を感じる。とても微弱だが、それは自分の身体の中心から溢れ、身体を薄膜のように包んでいた。
自分の身体だけではない。部屋にある家具、飾り、観葉植物、照明の光、大気。それらには、気配とは異なるなにか微細な振動のようなものを感じ取れた。それらはさも最初からそうだったかのように至るところにある。まるで世界の見え方が百八十度変わったかのような、不思議な感覚だった。
そしてディナには、自分のそれとは比べものにならない密度のある気配が纏わりついている。ディナの身体の中心から湯水のように湧いて溢れかえり、それは身体の周囲へ異様な密度で押し留められていた。
これがディナの言う『魔力』や『マナ』なのだとしたら、それを確かめずにはいられない。
「はー、仕方ない。何が悲しくてこの誉れ高き私がこんなおもしろみの欠片もない魔術を二度もやらねばならんのだ。まったく、キミやあの南国男は人材の有用な使い方というものを全く心得ていない。はーあ」
ディナはぶつくさ言いながらキャンドルスタンドと指し棒を手に取ると、先ほどと同じ要領で蝋燭の先端を差した。
「…………はい、【着火】」
ヒロはそのごくわずかな変化も見逃すまいと身構えた。
ディナが呪文を唱える直前、彼女を包む気配が脈動したかと思うと、彼女の詠唱と同時に指し棒の先端に向かって渦を巻きながら勢いよく流れていった。気配は指し棒を経由すると渦を巻くような流れが直線上に変化する。そのまま指し棒から噴出されたそれは蝋燭の先端から見える芯の部分に集中し、その一点が細かく振動するような感覚を得た。
そして、蝋燭に火が灯った。
「……………ほれ。どうだ、なんか解ったか」
「これは………………そうか、なるほど………」
「おい、まさか本当に解ったというのかね?さっきの今で?」
「もう一回やって!」
「は、はあ?冗談だろう。何故この誉れ高き………」
「いいからッ!」
「ひ、ひえ………」
ヒロがすがるようにディナに迫るその様子が、家事を終えてたまたま通りかかったメイルゥの目に留まった。
メイルゥはとっさに物陰に隠れ、赤面する顔を隠す配膳プレート越しにその光景を見つめた。
「こ、これはあ……………やっぱりそういうことだったのですかあ!?あわわわわわわ!」




