第四回 三沢ヒロの入学試験について
「ウィス」
(ウィスときたか………)
学長、と思わしきその男は、常夏の海水浴場から直行してきましたというような出で立ちだ。
歳は30代くらい。逆立てた金髪。日に焼けた浅黒い肌。濃色のレンズが嵌められた細縁の丸眼鏡。下半身は膝丈の短いズボン、全開の半袖の開襟シャツの下からはタトゥーの入った上半身が覗いている。
ヒロが勝手にイメージしていた魔法学校の学長像から到底かけ離れたそれは、学長というよりもその辺の浜辺に生息するチャラ男だ。
濃色の丸眼鏡を額の上に上げると、彼はその肩書きからは想像もできない軽薄な挨拶でヒロとディナを出迎えた。
「二人ともおつかれーい。分かってるよ〜、ディナぴに召喚されたのってキミのことっしょ?オレはレアリス。このアカデミーの学長やってるよん」
「………………おいディナ、さすがに冗談だろ。その辺の海水浴場から迷い込んできた一般人じゃないのか」
「こんなふざけた格好の一般人がそうそうこのマグステルムにいてたまるものか。彼こそここの学長を務める男に他ならない」
「おいおいおーい!二人ともまーじで失礼極まってんジャン。オレこう見えてスゲー魔術師よ?んでそーゆーキミの名前はなんてゆーのさ」
とてもそうは思えない風体だったが、やはり魔術アカデミーの学長なだけに、彼も魔術師のようだ。
ディナといい、この世界の魔術師は凄くなさそうな見た目で凄い魔術師だと豪語してくる。胡散臭くないと魔術師は務まらないのだろうか、などと皮肉を考えた。
「三沢ヒロ…………です」
「ヒロっちね、りょ!んでどーしてディナぴは彼を連れてきてくれたワケ?ディナぴのことだからてっきり怒られるのがコワくて物置きにでも閉じ込めんのかなーとか思ってたんだケド」
怒られる、という言葉が気になった。勝手に異世界の人間を呼んだことを言っているのだろうか。
それよりも、さっきからヒロがこの世界にやってきたことは最初から知っていたような口振りだ。監視でもしていたのだろうか。
軽々しい口調と態度とは裏腹に、どこまで見透かしているのか侮れない。
ディナはレアリスの問いかけに拗ねたような素振りで答える。
「だ、だってメイルゥが………」
「なるほどにー。あの子怒らすとガチコワイもんねー。とりま、ちゃんとホウレンソウができるようになったディナぴはマジ成長ってことで、今回はぜんぜん不問ってカンジで!」
(あの竜人メイド、全然そんな風には見えなかったけど…………)
「んで、ヒロっちはしばらくこっちに住むワケっしょ?ま〜オレ的には全然ウェルカムってゆーか?むしろカンゲーしちゃうレベルなんだけど?」
「はぁ………」
「てかさ、どうせここに住むんならいっそアカデミーに入学しちゃったらよくない!?ちょうどあと半月くらいで新学期始まるし、生徒になったら寮部屋とかメシとか付いてくるしマジ最高ジャン?」
「に、入学………?異世界から来た俺が?そもそも学長だからってそんな自由に生徒増やしていいのかよ。なんかこう………試験とか手続きとか。お金だって……」
「えー、別にいんじゃねー?ま〜モチロン他のコたちはみんな試験受けてるから、ヒロっちだけタダで入れさせるってことはできないケド。とりま他のことについては気にしないでよ。学長権限でなんとかしちゃうからサ」
どこまで本気にしていいのかわからない物言いだった。それに話の流れがあまりにもスムーズすぎる。まるであらかじめそうなるように決められていたみたいだ。胡散臭さは拭えないが、だとしてもそれが本当ならヒロにとって願ってもない話だ。
ヒロを元の世界に戻す魔術の復元がいつになるか分からない以上、その間暇を持て余してひたすら待ち続けられる自信はない。学生として留学気分を味わえるなら退屈することはなさそうだ。寮の部屋なら寝床も確保できる。さらに食事付きときた。これ以上の条件はないかもしれない。
ただ唯一の問題は、ここが魔術の学校だということだ。
ディナに見せられた魔術はとても興味深いものだった。どうやらこの世界ではそれが理論体系として確立されているらしいし、それを学ぶこと自体には多少興味はある。
しかし、ヒロは魔術なんて当然使えない。
この世界で当たり前のように存在する魔術について何も知らない異世界人の少年が魔術の学校に入学して馴染めるとは到底思えない。そのせいで変に目立って問題が起こるようなら、ディナの研究室の物置きで囚人のような暮らしをしていた方がいくらかましに思えた。
しばらく考えてある程度自分の意志がまとまったところで、ヒロは返答のために申し訳なさげにちらとレアリスに目を向ける。すると、彼はヒロが考え耽っていた間ずっとそうしていたのだろうか。これまでの飄々とした態度とは打って変わった無機質な表情でヒロを見つめていた。
反射的にヒロは悪寒を感じた。しかしそれと同時にレアリスはすぐに表情を綻ばせたため、ヒロも特に気にせずに話を進めた。
「…………嬉しい提案だけど、俺は魔法なんて使えないし、入学したところで無意味だよ。他の形で支援してほしい」
「えー?それはないっしょ。ヒロっち教えたら多分魔術使えるよ。ねーディナぴ?」
ディナはいつの間にか自分には関係ない話だと言わんばかりに会話から外れて人工池の水面を眺めていた。レアリスがそれを咎めるように話を振ると、肩をびくんと大きく震わせておずおずとこちらに戻ってくる。
「……………うぇ!?…………あ、ああ。私の魔力感知でも、魔術の使用に必要な最低限の魔力は備わっているのが確認できる。基礎的な知識さえ身に付ければ一般人と同等に魔術を扱うことができるだろう」
「だってサ。それに今年から入学してくるコたちだってみんながみんな魔術メチャ使えるってわけでもないよ。ウチは初等部から高等部まであるけど、外部入学のコなんかには全く魔術を使ったことないコだっているもん。ヒロっちもそんな心配しないでダイジョブっしょ」
「そう………なの?それなら、まあ……」
「うーし、じゃー決まりね。学科は、そーだなあ。普通科もいいけど、今年はケッコー偏差値高いんだよね〜。とりまディナぴの魔術科でいっか!同じ校舎の方が都合良さそうだし?」
「…………そういえばこいつもこの学校の生徒なのか。小学生みたいな見た目だからあんまりイメージ湧かなかったけど」
「ん?ディナぴは生徒じゃなくて教授だよ、キョージュ。聞いてないの?」
「…………………え、教授?」
この小さい子どもが?と疑わしげにディナを見る。
ディナは先ほど再びふらふらとどこかに行ったかと思えば、今度は低木の前にしゃがんでハイビスカスの花弁を一心に観察していた。
この自由奔放さも見るからに子どもっぽい。大魔術師どころか、とても魔法学校の教授だとはその雰囲気から想像できない。
しかしよく考えてみると、研究室や使用人の存在からもただの生徒ではないことは分かりきっていたことだ。
「そ。まーディナぴの性格上授業とかはキツイから、特別教授ってコトで表には出さないんだけどね〜」
「は、はぁ………?」
確かに、街の中でのあの様子では授業なんて到底できたものではないだろう。
研究室と言っていたあの部屋は、生活感はあったものの日頃から何かしらの研究をしているような形跡は見て取れた。授業はせずに研究だけを行うのが特別教授ということなのだろうか。いまいち判然としない。
「あ、ちなみにディナぴはこんなんでも十六歳だよ。ヒロっちも同じくらいっしょ?事故とはいえせっかく知り合ったんだし、ここにいる間は仲良くしてやってよー。カノジョ友達いないからさー」
「じゅ、十六!?俺と同い年じゃん………」
仮に小学生の年齢だったとしても教授の肩書きを持っているのは不思議だったが、いざ自分と同じ年齢となるとその異質さがより鮮明に感じられるようだった。
自分と同じ十六年間の人生で、彼女は何をしてきたのだろうか。そうやって考えると、彼女の謎の多さが際立ってくる。
「あとはー、そうだな。肝心の入学試験についてだけど、ヒロっちはこっちの世界に来たばっかりだし一般教科とかはキツイと思うんだよねー。だからまー特別入試的な?残りの期間で無理のない内容にはしたいんだけど、どーしようかにー」
「言っておくけど、言葉が通じてもこの世界の文字は読み書きできないみたいだから。ペーパーテストとかは御免だよ」
ヒロは街を歩いていたときに見かけた店の看板に書かれた未知の文字を思い出していた。
当然読めるわけはない。元の世界では見たこともない形の文字だった。
「んー?なんだそりゃ。ディナぴ、どーゆーこと?」
「解らん。確かに召喚された当初から言葉は通じていた。詳しい原理は判明していないが、おおよそ召喚魔術に組み込まれた副次効果だと推測できる。しかし識字能力はその限りではないようだね」
「ふーん、なるほどにー。さすがに入学するのに教科書も読めんのはヤバめだなー。…………んじゃ、こーしよ!」
学長はしばらく顎をさすりながら考える素振りをすると、なにか妙案を思い付いたのか突然指を鳴らした。
「ヒロっちの入学試験その一、"読み書きのテスト"!」
「ほ、本気で言ってる?たかが数日で知らない言語の読み書きの習得なんてできるわけ……」
「まーたしかに?でもヒロっち既にアルトニア語ペラペラじゃん?発音と語彙がわかるんなら結構いけると思うんだけどねー」
「…………俺がアルトニア語を喋ってる?」
「うん、ガチネイティブレベルよ?」
衝撃だった。ヒロはこの異世界に訪れてからずっと日本語で話していたつもりだったし、それが魔術か何かで通じているのだとばかり思っていた。
しかしよく考えてみると、日本語の語彙は別で存在しており、今使っている語彙は日本語ではない別の言語であることに気付く。どうやらアルトニア語なる異世界の言語を無自覚で使っていたようだ。
それに、自分が異世界言語を無自覚に使っていたのなら、言葉は通じるのに看板の文字が読めなかったことにも合点がいく。
「………幸いにもアルトニア語は文字と発音の対応規則が明瞭な表音文字だ。どこぞの大国の言語のように単語ごとに規則性の無いふざけた綴りをすることもない。既に発音と語彙を習得済みとするなら、三十種のヴェトム文字と対応する発音さえ覚えてしまえば基本的な読み書きには困らないだろう」
「そ、そうなの?」
「んじゃそーゆーことだから!お勉強がんばってにー。それから二つ目だけど〜………」
「まだあるんだ………」
「"なんかいっこ魔術を覚える"!この二つでどーよ!」
「ま、魔術を………?さっきは使えなくても気にするなって言ってたじゃないか」
「いやいやそんな大したコトじゃないって!ヒロっちの認識で魔術がどんなもんなのかは分からんケド、なんか一つ覚えるくらいなら子どもにだってできるよ。ちゃーんと教えてくれるセンセーさえいればね〜?」
そう言うとレアリスはディナに露骨な視線を向けた。
その視線を感じ取ったディナは何か言いたげだが逆らえないといったような様子で、額から冷や汗を垂らしながらただ状況を見守っている。
「まっ、こっちは採点式というよりアピールみたいなカンジかなー。魔術科って言ったら魔術の基礎学習や応用研究なんかがメインになってくるから、ある程度熱意は持ってもらわにゃだからねー。別に簡単なのでもいいケド、すげーの覚えてきたらその分マジやるじゃんってなるカンジ?」
「マジやるじゃん……………」
「そ!つーわけで以上二つ、試験は一週間後にここで!それまでの生活はわりーけどディナぴの研究室でどーにかしてねん。一応ルゥちゃんに必要なモノ用意させてあげっからサ!」
ルゥちゃん、というのはあの竜人メイドのメイルゥのことだろうか。
結果的にしばらくはあの物置き部屋が拠点になりそうだ。ディナから離れられそうにないことは残念だが、寝床を用意してもらえるだけありがたかった。
「んじゃーヒロっちの家庭教師はディナぴがヨロシクね?一応教授なんだからサ」
「うぇ…………だ、だがしかし私も自分の研究で忙しいし………えっとその……」
「………………ンー?」
レアリスはにこやかな笑みを浮かべているが、それは明らかにディナを威圧する眼差しだった。
聞き返すレアリスにディナはこれ以上抵抗できないようだ。こくりと小さく首を振って了承すると、俯いたままぶつくさとなにやら愚痴をこぼしている。
ヒロもヒロで、勉強をディナに教えてもらうことには心底抵抗を感じていた。ただでさえ極力接触を避けたい相手なのに、彼女に教えを乞わなければならないなんて。手ほどきする立場につけ込んで、偉ぶったり人を小馬鹿にしている様子がありありと浮かんでくる。
メイルゥなら優しく教えてくれるかもしれないが、給仕の仕事がある彼女の手を煩わせるのは些か憚られる。やはり最も適任なのは、教授という役職に身を置きながら自分の好きな研究をしているだけなディナなのだろう。ヒロは渋々納得することにした。
* * *
「くそ……くそ……!あの南国男め。この誉れ高き叡智の大魔術師を家庭教師扱いしようとは………。許せんッ!」
「落ち着いてくださいディナ様あ。学長先生はきっとディナ様になら安心してお任せできると考えて判断されたんですよお」
「知るか!私は一刻も早くあの術式の不備を再検証しなければならないのだ。対象を召喚しておきながら元の世界へ帰還させられないなど、魔術としてあまりに不完全ではないか!」
「それだというのに、こーーーんないかにも愚鈍そうな異世界人に初等教育レベルの初歩的な勉強を教えなければならないなんて。なんか、なんかもうこれは…………………いろいろすごくもったいないではないか!」
研究室に戻ったヒロたちは、転送陣のある物置き部屋の掃除と、レアリスから貰った寝具の設置に取りかかっていた。
ディナは先の決定事項について不満を漏らしながら白銀の杖を振り回し、大型の荷物を魔術で浮かせて運搬している。
一方メイルゥとヒロはモップや雑巾で部屋に溜まった埃を掃除したり、散らかった小道具や資料らしき物を整理していた。
特にメイルゥはさすが使用人なだけあってか、度々癇癪を起こすディナを宥めながらも慣れた手捌きを止めることはなく、ディナの監督と掃除を両立させている。恐らくメイルゥも自分たちとそう歳は変わらないだろうが、その様子はどことなくわがまま娘とそれを手懐ける母親を思わせた。
「それにしても、入学試験は一週間後に文字の習得と何か魔術を一つ覚える、ですかあ………。無理とまでは言いませんが、それでも勉強漬けの一週間になりそうですねえ。ヒロさんは元の世界でも学生だったのですよね。お勉強は得意でしたか?」
「学校は…………あまり行ってなかったけど、勉強はできる方だと思う」
「ふん、素行不良児か。ますます不安だな!このディナ・メルリン・ナルクプーシュ直々に教えを受けておきながら不合格になるようだったなら、それはこのアルトニアの地を二度と踏むことはできないくらいの恥だと思いたまえよ」
「教授のくせに授業もできないあんたが言うか。………どうせ教壇に立ったら生まれたての子鹿みたくプルプル震えて動けなくなるんだろ。良い機会じゃないか?素行不良児の家庭教師ともなれば教鞭を振るう練習としては丁度いい」
「きッ、貴様ーーー!」
「あわわわわわわわ二人とも真面目にお掃除してくださあい〜!」
ディナが怒りのあまり白銀の杖を強く振り回すと、魔術で浮かせていた運搬中の荷物もそれに合わせるように激しく宙を飛び交った。
衝突した電飾が割れ、家具や本が散乱し、埃が舞い、掃除の甲斐も虚しく部屋は元の有様に戻ってしまった。
「あ…………」
ヒロとディナはやってしまったというように呆然と立ち尽くしている。
すると、普段の穏やかな彼女のものとは思えない、唸るような低い声でメイルゥが口を開いた。
「………………お二人とも、随分と仲がよろしいみたいですねえ?」
丁寧な口調でありながら怒気を含んだ禍々しい声色に、二人は思わずひっと小さく叫ぶ。
俯いて表情は見えなかったが、怒っていても微笑んでいても恐ろしいと思った。
「それなら、お掃除はお二人にお任せしましょうか。私は他のお仕事をしてくるので、今晩中にお部屋を綺麗にしてくださいね?でないとお………」
「で、でないと………?」
「お夕食、食べられないかもしれないですからねえ?」
メイルゥが顔を上げると、その溶け落ちそうなほど垂れた目の奥で、瞳がぎらりと光った。その瞳孔は縦長に収縮し、さながら獲物を狙う捕食者のような眼光を放っている。
その瞳に見つめられたヒロとディナは、今にも取って喰われるのではという本能的な危機感を抱いて身体を緊張させる。
部屋を後にする彼女の姿が見えなくなるまで身体は石のように硬直して、指先一つ動かせずにいた。
「………………掃除、するか」
「………うん」




