第三回 アカデミーへの潜入方法について
「二つ目の角を右だ。………そこじゃない!二つ目だと言っただろうこのぽんこつめ。その次の角だ。………おいあんまり揺らすんじゃない。誉れ高き叡智の大魔術師は乗り物酔いに弱いのだぞ」
「あのさあ、なんでこんな狭い路地裏なの?それにアカデミーってあっちの方だったよね。逆方向じゃん。……………ていうか、いつまでおぶればいいんだよ。もう随分元気そうじゃないか、一人で歩けよ」
「ええい文句が多いなこの馬は。キミは黙って私の言う通りにすればよいのだ」
ヒロはディナを背におぶって日の当たらない路地裏を歩いていた。
路地裏では、何やら大きな木箱や表の店の資材と思しきものが雑然と並べられていたり、中身が溢れそうなブリキのペールが放置されている。時折ねずみやらカラスやらがそのゴミを漁って散らかしていた。あまり長居したい場所ではない。
ヒロは、不服の表情を浮かべながら彼女のぶっきらぼうな指示に従う乗り物と化している。
決して力に自信があったわけではなかった。むしろ運動を極力避けてきた人生ですらあったが、そんなヒロでも楽々と担げるほどディナの体は軽かった。その大仰なドレスの中に、本当に人ひとり分の身体が入っているのか疑いたくなる。
そういえばと、それまで彼女が持っていた杖の存在を思い出す。彼女の背丈ほどもあるあの白銀の杖はいつの間にやら消えていた。魔法で出したり消したりできるのだろうか、などと考察する。それなら最初から消しておけばいいものを、歩くたびにどすどすと鈍い音を立てながら地面を突いていたそれは、ある種の威厳の誇示のつもりだったのだろうか。
そんなことを考えながら路地裏を進むと、道なりの曲がり角を曲がったところで三方を壁に囲まれた行き止まりに当たった。
「ねえ、やっぱり道間違えたんじゃないの。なんならさっきの大通り、アカデミーの方に伸びてたじゃん」
「いいや、ここで合っているとも。ほらっ、さっさと降ろしたまえ」
そう言いながらディナがヒロの肩に置いていた手をポンポンと叩き、宙に浮いた脚をパタパタと振る。ヒロはその合図に半ば自動的に彼女を地に降ろした。体が反射的に従順な振る舞いをしてしまったことを癪に感じる。
足を降ろした彼女がふうと息をつく。その後左腕を上に伸ばして手を掲げると、青白い光の粒が大気中から次々に現れ、その手元の一点に集まっていく。次の瞬間、そこにあの白銀の杖がパッと姿を現した。
ディナは杖の頭を壁に向かって掲げる。その方向をよく見ると、その壁面には削られたような跡があり、それは人間大の大きさの魔法陣らしき模様を描いていた。ディナの合図に呼応するように壁面が淡い光を帯び始め、やがてその形がはっきりと分かる青白い光の線となる。
「……………?なにこれ」
「これは転送魔術。二つの離れた位置に設置したそれぞれの陣には物質構造と精神情報の読み取り、取得情報の送受信、そして物質・精神の分解及び再構成の術式が組み込まれている。これによって擬似的に二点間の移動を再現することが可能になっているのだ」
「私はアカデミー内部とこの街の各所にあらかじめ転送陣を仕掛けてある。この転送陣はアカデミーの研究室に直通するものだ。………………あっ。言っておくがね、別に人通りを避けたいわけではないよ。大魔術師ともあろう者がわざわざ自分の足を酷使する必要なんてないだろう?」
「…………それって」
ヒロは元の世界のとある漫画に登場した"どこもかしこもドア"の存在が脳裏に浮かんだ。
ドアを介して離れた場所を移動できるが、移動前と移動後の人間は再構成された別の人間で、移動前の人間は死んでいるのではないかという説がネットで度々議論されているのを見たことがあった。
今のディナの説明は、なにやらそれに近いことを言っている気がする。
「……………あのさ、分解された人間って、どうなるの?」
「だから、移動先の術式で受信情報を基に…………………ああ、なるほどそういうことか。つまりキミは、これをくぐる前の自分そのものがどうなるのかについて考えているのだね。移動前と移動後は肉体も記憶も意識も再構成された別物。それなら移動前の人間はどうなるのか、と」
「そういうこと」
「勿論、分解されるのだから理論上死ぬのと同じだね」
「えぇ………」
「キミの意見も解るよ。この転送魔術の理論が初めて考案された時も散々その議論はされていたみたいだし、今でもごく一部の唯物論を盲信する陰謀論者たちが声を荒げて否定しているしね。しかし彼らの意見は後の魔法史における魂の実証とその後の研究によって覆されているのだよ。でもね、私はそんな彼らを世間と同じように愚かだと一蹴するつもりはないよ。なぜなら真実とはいつだって他人の言葉などではなく主観的な観測と検証の先にあるものなのだからね」
「魂?魂があるとどうなるの?」
「この転送魔術で言うなれば、分解された転送前の肉体と精神に宿っていた魂は一時的にそこから離れるが、すぐに再構成された全く同じ構造の肉体と精神の複製に還る。つまり魂、ひいては転送者の自我なるものは転送前後で容れ物を入れ替えるだけに過ぎないということだね」
魂の存在が立証されていてすぐに戻ってくるから大丈夫です、ということみたいだったが、とは言えその説明で納得していいものかヒロは躊躇した。
傍から見ている分にはよかったものの、いざ自分が実態の知れない魔法なるものを体験するとなるとさすがに気後れを感じる。
(いや、これは単に生物共通の防衛本能として抵抗を感じているだけなんじゃないか)
(それがただの水だったとしても、それを差し出してきたのが知らない他人ならそれを飲むことを躊躇うのと同じ)
(……………まあ、冷静に考えれば分解されて死のうがどうだっていいか。別に生きて帰りたい理由があるわけでもないし。強いて言うなら痛いのは嫌なくらいだ)
「もう納得できたかね?もうすぐ日が暮れる。そろそろ門限の時間だ」
ディナがそう言って青白く光り壁面に浮かび上がる魔法陣の前に立つと、その姿がみるみる光に包まれ、そして消えた。
ヒロは意を決すると、それに倣うように魔法陣の前に立った。同様に自分の身体を光が包んでいく。そしてすぐに視界がぱっと切り替わり、部屋の一室になっていた。
目の前でヒロを待っていたディナがにやついた表情で語りかける。
「どうだね。分解され再構成された感想は」
「いや、特に何も………」
「そうだろうね。いちいち分解から再構成までの過程と魂の移行を違和感として認知するようならキミみたいな口うるさい人間に使わせられたものではない。こういう一般に流通する魔術にはそういった使用感も考慮された設計が求められる。ちなみに今のはこの私が理論だけ拝借して術式を組んだ自家製転送陣だが、我ながらなかなかの自信作だよ」
「知らないよそんなの」
適当に聞き流してからヒロは周囲を確認した。
アカデミーの研究室と言っていたはずだが、見るに住居の一室という印象だ。フローリングの床に、シックな花柄の壁紙。窓はない。壁に取り付けられたアンティーク調のガラスシェードのランプが部屋をオレンジ色に照らしている。
部屋は物置きにされているようで、使われていない家具や、上から布を掛けられた人間大のなにかしらの荷物やらが雑然と置かれ、いずれも埃を被っていた。
後ろを向くと、さっき路地裏で見たものと同じような魔法陣が壁に貼られた大きな模造紙の上に描かれており、青白く発光していた。その両隣にも同様に描かれた似たような魔法陣がある。さっきとは別の場所に通じているのだろうか。
ヒロがそうして部屋を観察していると、ディナはそれを気にせず扉から部屋の外へ向かった。ヒロもその後を追う。
そこはさらに広い部屋に繋がっていた。
その部屋も同じような意匠の造りだ。室内の家具はアンティーク調に統一され、天井のガラスランプのシャンデリアがオレンジ色の光でそれを照らしている。総括して洋風の屋敷を思わせる雰囲気だったが、中にはよく分からないオブジェや飾り物の類い、一見しただけでは用途が想像できない実験器具らしき物などが散見され、どこか奇妙さと物々しさも感じる。
手前には革のソファとチェアがレース生地のクロスを敷いたアンティークテーブルを囲んでいる。ダイニングスペースだろうか。
その奥に目をやると、威厳のある木製の書斎机があった。ここはディナの作業エリアだろうか。特にその周辺には模造紙を丸めた筒やら、書物が積み上がってできた塔やらがいくつか床に置かれている。書斎机の上なんかは物で溢れかえってそういう地形を形成しているかのようだ。
ヒロは所在なく立ち尽くしてとりあえず部屋を観察していたが、ディナはやはりそれに気を止める様子もなかった。
ディナは突然声を張り上げ、一帯に聞こえるようにして呼びかけた。
「おーい。誉れ高き叡智の大魔術師が帰還したぞー!」
「…………はーい、ただいまあ〜」
すると、どこかからその呼びかけに応じる女性の声がした。
気の抜けるようなその声の主は、やがて向こうの別の部屋からひょこっと姿を現し、銀の配膳プレートを携えてディナの元に駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませえ、ディナ様。実験はいかがでしたか?久しぶりの外出でお疲れでしょう。お風呂とお夕食の準備はできておりますよお」
その女性はメイド服に身を包み、紅い長髪を三つ編みにまとめている。ヒロよりも背丈のある長身だが、威圧感は無い。むしろ穏やかというか、やけに間延びした口調に似合う溶け落ちそうな垂れ目と柔和な表情が特徴的だった。
ディナの帰りを心待ちにしていたと言わんばかりに、まるで人懐っこい大型犬のようにぶんぶんとその尻尾を振っている。
(……………………………尻尾?)
メイド服のスカートの裾から太い尻尾が伸びていた。紅い鱗が艶やかな光沢を帯びる尻尾は爬虫類のそれを思わせる。
そうして彼女の顔を改めてよく見てみると、頭部のレースカチューシャの脇から二本の鋭利な角が生えていたことに気付く。
「今日のお夕食はディナ様のお好きなあ……………てあれ?」
その女性はようやくヒロの姿に気付いたのか、ヒロを見ると動きが止まり硬直した。
しばらく間を置いてから、彼女の頬が赤みを帯び始め、視線をヒロとディナに交互にやった。
「え?え?で、ででででででディナ様?そ、そんな。ままままままさか」
「…………?」
「そ、そんな。こっここここのわずかな時間で、おおおお近づきになった殿方をお連れ帰りになんて……………」
「わ、わわわわわ!どうしましょう、どうしましょう〜〜〜!というかディナ様ってそんな、殿方に興味を持たれるようなお方だったなんて!私ったらてっきり魔術が恋人みたいなカンジだとばかりに……………そ、そうですよね!ディナ様も年頃の女の子だもの!では私は何をお手伝いすれば!?あわわわわわわ!」
メイドの女性はいかにも錯乱した様子で手元のプレートをぶんぶんと振り回している。紅い三つ編みが激しく揺れ、角やら尻尾の存在も相まってそのまま口から火でも吹き出しそうな勢いだった。
その様子をただ眺めるしかないヒロはディナに問いかけた。
「これは何?」
「知らん」
ディナもなにやら奇妙な現象が起こったと言うようにそれを静観していたが、しばらくして口を開く。
「彼は…………………。………そういえばまだキミの名前を聞いていなかったな。キミはなんという」
「…………ヒロ。三沢ヒロ」
「ほー、へんてこな名だね。まあいい。彼はヒロ。私の偉大なる召喚魔術によって異世界からやってきた幸運な少年だ」
ディナは事務的にヒロから名前を聞き出すと、すぐにメイドの女性に向き直り改めて紹介した。
その女性はいくら取り乱していようともディナが話し出すと動きを止め、素直に耳を傾ける。まるで忠犬のようだ。
それから説明を聞いて自分の思い違いにすぐ気が付いたようで、赤面をプレートで覆い隠した。
「申し訳ありません、私ったらてっきりい………。なんてはしたない………」
「よく解らんが気にするな。ヒロ、彼女は竜人のメイルゥ。私が世話をしてやっている」
「ぎ、逆だと思いますう……」
どうやら使用人というのは彼女のことのようだ。
竜人なる存在には驚きだったが、ヒロの想像する異世界像にそういった亜人の存在もあったことで、受け入れるのは容易だった。
ディナと同じく、彼女とのファーストコンタクトからも変人の匂いを感じざるを得ない。今後が少し心配だったが、それはともかく使用人の存在を確認できた以上、ディナの身分は彼女の自称と相違ない可能性が強まってきた。
「ヒロはしばらくこの街に滞在することになった。彼の世話をしてやってくれないか」
「そ、そうなのですか?ええとでも私にはディナ様のお世話もありますしい…………」
ヒロは、世話のかかりそうな魔法使いだもんな、などと頭の中で相槌を挟んだ。
「それに、研究室は手狭だし寝室もディナ様のお部屋しか……………………ええっ!?」
「何を言っている。寝床なんてその辺の椅子でいいだろう」
「あ、そっ、そうですか?いやでもお客様を椅子に寝かせるなんてえ………」
そもそもヒロが帰れなくなったのはディナの責任だ。自分の希望で滞在するならまだしも、そちらの都合でそうせざるを得なくなったのに寝床もまともに用意してもらえないのはいかがなものだろうかと思う。せめて布団と枕くらいは用意してもらわないと割に合わない。
二人の会話を静観していたヒロだったが、先行きが怪しくなってきたところで割って入らずにはいられなかった。
「冗談だろ。その辺で寝るなんてごめんだ。あんたのせいでこうなってるんだから、その辺の責任くらいは果たしてもらわないと困るよ」
「ディナ様のせい………?実験は無事に成功したのですよね?ヒロ様のご意志で滞在を決められたのではないのですか?」
ディナは明後日の方向を見ている。自分で説明するつもりはないようだ。
「なにが成功なのかは知らないけど。元の世界に戻る魔法が不完全だとかで、帰れなくなっただけだよ。今のところあんたのご主人様はただの人攫いだ」
「だっだから、復元して帰してやると言っておるだろうが!」
「あ、あわわわわわわわ。そ、そうとは知らずに失礼いたしました。ディナ様に代わってお詫びしますう………」
メイルゥはどこか緊迫感のない口調だが、申し訳なさそうなのは確かだった。溶け落ちそうなその目元から今にもほろほろと涙が溢れそうになっている。
できれば本人に詫びてもらいたいところだったが、常識的な理解者ができたことにヒロは少し安堵した。
「ですがディナ様、そうなると一度学長先生にご相談されたほうがよいのではないですか?お部屋もそうですが、お帰りになる目処が立っていないなら私たちだけで事を運ぶのはいささか不安かと……」
「う。それは…………」
ディナは露骨に嫌そうな表情を見せる。
しかしヒロとしても上の人間に話を通してもらった方が安心して身を置けるだろうし、今後なにかと融通が効くかもしれない。その意見に賛成だった。
「はあ。彼とはあんまり顔を合わせたくないのだけどね。まったくしょうがない。どうせもうバレているだろうし、早いところ話をつけておこうか…………。行くぞ、着いてきたまえ」
そう言うとディナは先ほどの魔法陣があった部屋へ踵を返し、ヒロもそれについていく。メイルゥもその後ろからついてきた。
長身で角と尻尾を生やした亜人に背後を取られることにほんのわずかに抵抗はあったが、彼女をちらと見るとそんな不安も忘れてしまえるような穏やかな微笑を返してくれた。ディナと二人では分からなかったが、どうやらこの世界にも思いやりという概念は存在していたらしい。
ディナは物置き部屋でさっきヒロたちが現れたと思われるものとは別の魔法陣に杖を振りかざすと、魔法陣は青白く輝きだした。
先ほどと同じ要領で光に包まれたディナが姿を消したので、ヒロもその後を追う。
後ろではメイルゥが手を振りながら見送っていた。
視界が切り替わると、そこは緩やかなカーブを描く広大な廊下のど真ん中だった。壁際じゃないことが意外だったが、よく見ると足元が薄く光っている。廊下に沿って敷かれた絨毯の下に転送陣が隠されているのだろうか。
廊下は、象でも通ることを想定されているのかというほど道幅が広い。
頭上も高い。15mは優にあるだろうか。アーチ状の天井には荘厳なシャンデリアが吊り下げられ、見渡す限り連なっている。
廊下の片側は石壁になんらかの宗教画めいた巨大なステンドグラスの窓が並んでいる。恐らく外は日が傾き始めているのだろう。オレンジ色の太陽光が色とりどりのステンドグラスの色彩と混ざり合い、光の芸術となって室内に投影されている。
コンコン、という木を叩く硬い音が聞こえて、ステンドグラスに見惚れていたヒロは我に返った。ディナがすぐ側の巨大な細長い両開きの扉をノックしていたようだ。すぐに側に駆け寄ると、扉が鈍い音を響かせながらひとりでに開く。
(ここが学長室なのか。どんな人だろう)
(魔法学校の学長だ。年季の入ったおじいさん。とんがった帽子にローブ、ふさふさの髭はまず間違いないだろう)
(いかめしい…………いや穏やかなパターンもあるか。いずれにしても貫禄があって………そういう感じ)
開いた扉の中は、室内庭園のような装いだった。
ヤシの木や低木に咲くハイビスカスが目に入り、それらは南国の雰囲気を思わせる。
タイル張りの床には何本かの水路が流れており、それらを目で追っていくと中央の人工池に合流していた。睡蓮の葉が浮かぶその池の中央には玉座のような大仰な椅子が立っている。そこに一人の男が足を組んで鎮座していた。
歳は30代くらいだろうか。逆立てた金髪。丸いサングラス。膝丈の短いズボンに、前を全開にした半袖の開襟シャツの下からは小麦色に焼けた肌が見える。その肌には、足首から首元にかけてびっしりと魔法陣らしき絵図や紋様のタトゥーが彫られている。
「ウィス」
それは一言で形容するなら、"チャラ男"だった。




