第二回 知らない世界とその街について
異世界のどことも知れぬ深い森の中。木々たちが意思を持って避けたかのように広がる楕円状の広場は、黄色く色づいた落ち葉が絨毯のように敷き詰められている。
ヒロとディナはその中央で、えも言われぬ気まずい空気を漂わせていた。
ヒロを元の世界に戻す魔術は未完成だった。
さすがにばつが悪かったのか、ディナは額に滝のような冷や汗を浮かべてぎこちない作り笑いを浮かべている。視線がヒロを避けるようにあっちこっちに移動して落ち着きがない。
ヒロも二転三転する状況に、所在なさげに立ち尽くすことしかできずにいた。
「し、しかし……ッ!キミはとても幸運だ。なにせこの私は誉れ高き叡智の大魔術師、ディナ・メルリン・ナルクプーシュ。未完成の帰還魔術の復元くらい造作もない。安心したまえ、キミは私が責任を持って元の世界に帰してやる」
ディナは取り繕うように言い放つ。
「そりゃそうでしょ。俺を勝手にこの世界に呼んだのはあんたなんだから。あんたがどうにかするべきだ」
ヒロがそう言い捨てるとほぼ同時に、彼の腹の音が鳴った。
家を出る前に朝食の菓子パンを胃に入れていたはずだった。普段から食事はあまり食べる方ではなかったし、こんなにすぐに空腹になるのには少し違和感があった。
(意識を失っている間に思っていた以上に時間が経っていたのかもしれない。あるいは、なんならこんな超常現象を体験したんだ。身体に何が起きていたっておかしくないか……)
ヒロはとりあえず丁度良く手に持っていた一切れのバゲットサンドを一思いに口に運んだ。使っている素材もよくわからない異世界の食事が口に合うとは到底期待していなかったが、とりあえず小腹を満たせればなんでもよかった。
しかしいざ口に入れてみると、それは意外にもヒロが自分の世界で食べる食事と遜色ないものだった。
「…………意外とおいしい」
「………!そ、そうか!それはよかったではないか。それはつまり、ここでは少なくとも食文化の違いを懸念する必要はないということを意味している」
ディナは都合が良い言い分を見つけたと言わんばかりに嬉々として言った。
「しかし、いくら私が誉れ高き叡智を持つ大魔術師とはいえ、魔術の修復には多少時間がかかる。しばらくはこの世界に滞在してもらわなければならないだろう。その間衣食住くらいは保証してやるから安心したまえ。そんなサンドイッチでよいならいくらでもくれてやれるしな」
依然として偉そうな態度は癪だったが、彼女がそう言うのならそうするしかない。
それに。
(まあ別に、それでもいい。どうしても帰りたいかと言われると、そういうわけでもないし)
(元の世界に戻ったところで、前と変わらず退屈で意味のない人生をなんとなくで生きていくだけだ。不満があるというほどじゃないけど、帰ってやりたいことがあるわけでもないし)
(それでも、この大魔術師サマとやらが自分の都合で俺を振り回そうとするのは気に食わない。いずれにせよ、こいつには自分の責任を全うして俺が帰る手立てを用意してもらわなくちゃ。)
ヒロは脳内でそう結論づけた。元の世界に強い未練がない彼にとって、当面の身の振り方を決めることにそう迷う余地はなかった。
「………ごちそうさま。ところで、これはあんたが作ったの?」
食べ終えたヒロが口元を指で拭いながらディナに問う。
「私ではない。私の使用人が用意した」
ヒロは、これまでの印象からしてこのちんちくりんが料理をしている様子はあまり想像できないし当然か、などと考えていた。
しかしそれはそれとして、この少女が本当に使用人を持つような偉い魔法使いなのかは甚だ疑わしかった。そもそも、彼女はどう見ても子どもだ。大魔術師などという自称も、どれも口先や言葉遣いだけで、ただの子どもの戯言だったとしてもおかしくない。
そう考えていると、彼女が保証するという生活も、それ以前に元の世界に戻す魔法を復元するという話も、あまり真に受けるべきではないような気がしてきた。
「あのさ………あんたって本当にすごい魔法使いなの?」
「ほお、興味深い。キミは筋がよいね」
「………!おい、まさか………やっぱり全部デタラメだったのか?」
「探求とは"疑う"ことから始まるものだ。よく解っているではないか」
「………………?」
「まあ一般的な感覚で考えても、キミの立場からすれば私の素性に疑念を抱くのも無理はない。キミを召喚せしめたとはいえ、気絶していたキミには私に召喚されたという自覚はないだろうし、帰還魔術が失敗に終わったのは紛れもない事実。これが同じ魔術に精通する研究者ならいかに難題たるかを理解してもらえたかもしれないが?素人のキミに同じことを要求するのは些か酷なことだと言えるね」
「………………………」
どうして彼女との会話はこんなに疲れるのだろう。ヒロは心の中で嘆いた。
帰還魔術とやらが復元されるまでの間は彼女の厄介にならなければならない。それが既に億劫でしょうがなかった。
滞在している間は可能な限り彼女との接触は避けようと決めた。
「……………えっと、要するに、あくまでもあんたの主張はすごい魔法使いだってことでいいんだよね」
「最初からそう言っているだろうに。どうした?食後の血糖値上昇で思考力が低下したか?」
「…………………じゃあ、それを確かめるためにもそろそろ場所を移そうよ。まさかこんなところでしばらく過ごせだなんて言うつもりじゃないだろ」
「ふむ、よいだろう。私としてもこのまま自分の誉れ高さを疑われたままにしておくのは不本意だし、なによりキミ自身が可哀想だ」
「冗談だろ。まさかその感じで俺のことを同情していたとでも?」
「ああ勿論だとも。こんなに名誉ある天才美少女大魔術師が目の前にいるというのに、無知ゆえにそれがいかに光栄なことか理解できずサインの一つもねだれないだなんて、あんまりではないか」
「あぁ、そう………」
「むふふ、安心したまえ。キミはやがて知ることになる。私が街を闊歩するだけで人々が押し寄せ、私を慕い!敬い!その姿を一秒たりとも見逃すまいと刮目する……そんな様をッ!そうしてキミは気付くのだ……………嗚呼!こんなことなら真っ先にサインを頂戴するべきだったヨォオン!……………とね」
そう言って彼女が不敵に笑うと、その白いドレスの裾を翻してくるりと後方へ体を向ける。左手に彼女の背丈ほどはある白銀の杖、右手に荷物入れの小さなラタンのカゴを持って、ぶんぶんと威勢よく腕を振って歩き出した。ヒロもその後を追う。
* * *
ヒロがディナの後を追ってしばらく歩くと、森を抜けた先は丘の上になっていた。
「見たまえ。あれが私たちの都、栄都マグステルムだ」
丘の傾斜の向こうには見渡す限りの街が広がっていた。赤褐色の煉瓦屋根で統一された街並みは、ヒロの住んでいた日本ではまず見られない光景だ。それだけならまだヨーロッパの歴史ある旧市街と大差なかっただろうが、この街には明らかに異様なものがあった。それは街の中心に位置する巨大な建造物。
中央にはひときわ高い時計塔。その周囲を六つの塔が取り囲み、それぞれの塔が宙に架けられた渡り廊下によって複雑に結ばれている。そこまではまだ理解できた。問題はその下だった。
塔の根元をひとつにまとめる巨大な居城らしき建築は、いくつもの棟が複雑に合体していて、壁面から部屋らしき箱が飛び出ているかと思えば、その上や下から、時には真横に小塔が生え、そこから思いついたかのように捻じ曲がった廊下が継ぎ足されている。
窓の並びさえめちゃくちゃで、一直線に横並ぶ窓を目で追うと突然直角に折れた別の窓列にぶつかる。
それらの光景は、素直に表現するなら小さい子どもが描いた絵をそのまま形に起こしてみたというような支離滅裂さだった。
「ねえ、あの馬鹿げた冗談みたいな建物は?」
ヒロはあまりの光景にディナを呼び止め、思ったままの疑問を投げかけた。
「よくぞ聞いてくれた。あれは我らが誇る知識の城、アルトニア魔術アカデミーである!」
馬鹿げた冗談と形容したそれがまさかの教育機関だとは思いもよらず、開いた口が塞がらなかった。困惑のあまりディナとその建物を交互に見やる。
だが現実離れした光景を前にしたことで、森の中だけでは感じられなかった異世界に訪れた実感がようやく湧いてきたとも言えた。
再び歩き始めた二人は街に入った。
石造りの門をくぐると、そこは人の賑わいに溢れる大通り。丘の上から見た街の規模もさることながら、人の多さを見てもかなり栄えた街であることが窺えた。
知らない世界の知らない街ということで興味深いのはもちろんのことだが、これから自分がしばらくの間滞在することになる環境として観察から始めるべきだとヒロは思った。
(ここの住人は元の世界で言う西洋人に近いかもしれない。服装は………ブラウスやオーバーオール。あ、ハット帽にスーツの人もいるな。現代っぽい格好の人はいない。全体的にレトロな雰囲気だ。……………ブレザーは比較的違和感なくて溶け込めてるかも)
(建物は石造り、地面も石畳。雰囲気はヨーロッパの古い街っていう感じだ。やっぱり異世界ファンタジーものに出てくる世界観と同じなのかな)
(とすると、ああいうのの世界観って………、文明の進行度は中世くらいだったっけ?いやでもブラウスはともかく中世にオーバーオールやスーツなんて…………。え、街灯立ってる。電気あるの?いやガス灯か?)
(ええ……なんか普通に小洒落たカフェとかある。あ、看板に文字が書いてる。見たことない文字だし読めないけど………………あれ、そういえば俺とあいつってなんで言葉通じてるんだろう。これも魔法?)
ヒロが辺りをきょろきょろと見回しながら考察に耽っていると、後方からやってきた馬車がヒロのすぐ横を通り過ぎた。ヒロは驚いて足を止めた。トラックの次は馬に轢かれるところだった、と脳内で軽い自嘲をする。
足が止まったついでに何の気なしに目線を前方へやると、自分のすぐ前を歩いていたはずのディナの姿がないことに気付いた。驚いて思わず変な叫び声が出る。
知らない世界の知らない街で置き去りにされるのはさすがに困る。
すぐさま辺りを見回して探すと、人の往来の隙間から白いとんがり帽子が見えた。ヒロは安堵のため息を漏らしてその大通りの端の方へ向かった。
「おい、勝手に離れないでくれよ。異世界で路頭に迷わせる気か。…………ん?」
ヒロが悪態をつきながら駆け寄ると、ディナはなにやら背中を丸めてぶるぶると小刻みに震えながら、おぼつかない足取りでふらふらと歩いていた。手でとんがり帽子のつばを押さえ込み、顔を隠している。
どう考えても前は見えていない。右へ寄ったり左へ寄ったりで、ときたま前から来る通行人とぶつかっては鈍い呻き声をあげている。
「……………何してんの」
「お、おぉおうぅ。キミかぁ。ち、ちゃんと着いて来て…………いるかね……」
心配、というよりも困惑のあまり、彼女のとんがり帽子に隠れた顔を覗き込む。その顔色は元々肌が白いのも相まってか、およそ人間の肌とは思えない青白い色になっていた。その目は泳いでどこを見ているのか分からない。
「具合が悪いの?どこかで少し休もうか」
「な、なにをぉ……言っている……。叡智が……誉れ高いぃ……大魔術師が…………具合が、悪いわけないだろぉおおぉぉ〜〜………」
とりあえずその主張は理解できなかったが、そんなことよりもヒロはふと彼女の少し前の発言が頭によぎった
「なんか……………そういえば、あんたが街を闊歩しているのに、誰も来ないね」
「…………ッ!?」
「慕い、敬って、その姿を一秒たりとも見逃さなさいように刮目するって聞いてたんだけど」
「そッ!それはぁ〜〜〜…………ッ!」
「当の本人はむしろ顔を隠して道の端を歩いているときた。これはいったい………」
ヒロは決して意地悪をしているわけではない。彼はその謎について純粋に気になったため、下心なく真剣に推理を始めた。
「そうか。つまりあんたは、人混みが苦手なんだ」
「………」
「いや、人そのものが怖いのか」
「んぉおぉ〜………」
反応があったため正解のようだ。だとして、この調子では到底ガイド役を任せられはしない。ヒロは心底億劫そうに膝を曲げて彼女の顔に高さを合わせる。ため息の混ざった声で聞いた。
「で、どこに向かってたんだよ。そんな歩けないようじゃ埒が明かないし、どうにかして運ぶよ」
ディナは力なく指をさした。その指はゆらゆらと揺れておぼつかない。これでは何を示しているのかも判然としない。
仕方なくもその方角に目を向けてみると、他の建物よりも頭ひとつ、それどころかいくつも抜けた巨大な建物が自然と視界に入った。あの馬鹿げた冗談みたいな建物だった。
「あ、アカデミぃ…………私の、研究室……」




