第45話:てめえら、ふざけんな
朝、JLTVの運転席で目を覚ました。
窓が曇ってる。エンジンかけっぱなしで寝ちまったんだな。缶コーヒーを開けながら、何気なくスマホを見た。
春から、メッセージが来てた。
『夏子が咳をしています。熱も高いです。裏の小屋に移しました』
缶コーヒーが、手から落ちた。
足元で、コーヒーが広がっていく。拾う気にもならなかった。
裏の小屋。
楓と、あの男の子が、最後に入った小屋だ。春から聞いてた。
工場の裏に回って、小屋の扉を叩いた。
中から、かすれた声がした。
「……来ちゃだめ。うつります」
「俺は罹らないって言ったろ」
扉を開けた。
夏子が、毛布にくるまって座ってた。顔が真っ赤で、息が浅い。額に汗が浮いてる。
それでも、俺を見て、笑った。
「……乾燥じゃなかったみたいです」
「見りゃ分かるよ」
声が、ちゃんと出てたか分からなかった。
振り返ると、セーフルームの屋根のターレットの窓に、春が見えた。その下に、子どもたちの顔がずらっと並んでる。
夏子がスマホを出して、震える指で何か打った。
窓の向こうで、春がスマホを見た。口元を手で押さえて、しばらく動かなかった。それから、小さく、頷いた。
夏子が、こっちを見上げた。
「小雪さんのとこ、行きたいです」
何も言わずに、毛布ごと夏子を抱き上げた。
軽かった。小雪の時と、同じだった。
JLTVの後部座席に寝かせて、工場を出る。ターレットの窓で、若菜が一生懸命手を振ってた。春は泣いてた。泣きながら、それでも笑って、手を振ってた。
バックミラーは、見なかった。
真駒内の高台。
木刀の根元には、この前置いた揚げいもが、凍ったまま残ってた。アルミホイルが、雪に半分埋まってる。
木刀の横に、細い木が一本立ってる。その根元に夏子を座らせて、俺も隣に座って、二人で毛布にくるまった。
雪の向こうに、駐屯地の屋根が見える。
しばらく、二人とも黙ってた。
「……奏介さん」
「ん」
「最初に会った時のこと、覚えてます?」
「覚えてるよ」
「あたし、最初、すっごい変な人だと思いました」
「ひでえな」
「今も思ってますけど」
「もっとひでえな」
夏子が、くすくす笑った。笑うたびに、咳が出る。
「でも、奏介さんがいたから、あたし、また笑えるようになったんですよ」
……そうかい。
何か返そうとして、言葉が出てこなかった。
夏子が、木刀の方を見た。
「小雪さんに、あっちで怒られちゃうかな。奏介さんのこと、取っちゃったって」
「取られてないだろ」
「そうですね」
夏子が、また笑った。
「半分こですね」
それから、少し黙って、俺の袖を掴んだ。
「……ねえ、奏介さん」
「ん」
「私が私じゃなくなったら、送って」
喉の奥が、詰まった。
しばらく、何も言えなかった。雪がちらちら降ってきて、毛布の上に落ちて、溶けていく。
「……ああ」
やっと、それだけ言えた。
「約束ですよ」
夏子が、俺の肩に頭を乗せて、目を閉じた。
熱い頭だった。
日が、傾いていった。
夏子の息が、だんだん浅くなっていく。ひゅう、ひゅう、って、細い音になっていく。
俺は、夏子を抱いたまま、動かなかった。動けなかった。
夕焼けが、駐屯地の屋根を赤く染めてた。
夏子の息が、止まった。
どれくらい、そのままでいたのか分からない。
少しして、腕の中で、夏子の体がびくりと動く。
目が、開いた。
夏子の目じゃなかった。
唸り声を上げて、喉元に噛みつこうとしてくる。咄嗟に肩を掴んで押さえた。片手で、腰のグロックを抜く。
夏子の額に、銃口を当てる。
引き金に、指をかけた。
送ってって、言われたんだよ。約束したんだよ。今ここで引けば、それで終わるんだよ。
指が、動かなかった。
手が震えて、止まらない。銃口が、夏子の額の上で、かたかた揺れてる。
小雪の時は、撃たれた後を見てただけだった。
春は、子を撃った。自分で決めて、撃ったんだ。
すげえよ、あいつ。
俺には、無理だった。
「……無理だわ、これ」
グロックを、雪の上に落とした。
暴れる夏子を、腕の中に押さえ込んだ。
「二人で逝くか」
収納から、ロープを出した。
夏子を、木刀の横の木に縛りつけた。それから、自分も、夏子ごと木に縛りつける。ほどけないように、何度も、何度も巻いた。
夏子を、正面から抱きしめた。
「ごめんな」
耳元で、言った。
「腹、減ってたよな」
夏子の歯が、肩に食い込んだ。
痛かった。熱いのが流れて、服が濡れていく。
これで、一緒に行ける。
目を、閉じた。
……痛みが、引いていった。
肩の奥がむず痒くなって、傷が、塞がっていくのが分かった。
治癒魔法が、勝手に働いてるんだ。
夏子が、また噛んだ。また、塞がった。
また噛んで、また塞がって、また噛んで、また塞がる。
何度噛まれても、俺の体は、何も変わらなかった。
ゾンビにも、なれない。
死ねも、しない。
夜になって、また雪が降り始めて、ようやく分かった。
俺は、こいつと一緒に逝くことすら、許されないんだ。
夏子を抱きしめたまま、空を見上げた。
真っ暗な空から、雪が落ちてくる。
腹の底から、何かがせり上がってきた。
「てめえら、ふざけんな!」
叫んでた。
あの夜、あれだけ怖かったものに向かって。漏らして、へたり込んで、生きてるだけで儲けもんだって震えてた、あいつらに向かって。
「生きたい生きたいって、こいつだって生きたかったんだよ! 小雪だって、春が撃った子も、みんな生きたかったんだよ!」
喉が裂けそうだった。
「何が神だ! 何が管理だ! ふざけんなよ!」
その瞬間だった。
雪が、止まった。
空中で、ぴたりと。
風も止まった。夏子の唸り声も止まった。世界から、全部の音が消えた。
頭の中に、直接、何かが叩き込まれた。
低くて、重くて、こっちの存在そのものを値踏みしてくるような。
あの夜と、同じ声だった。
『――我の管理下にての不手際』




