第40話:任務終了
剣を引き抜いたら、上官の怒鳴り声が、ぴたりと止まった。
二メートル近い鉄の塊だ。鉄骨を叩いて伸ばして、刃を付けただけの、剣っていうより鈍器みたいなもん。それを片手でぶら下げてる男を見て、隊員の列がざわついた。
「う、撃て! 撃てと言っている!」
上官が叫んだ。
誰も撃たなかった。
小銃を構えたまま、隊員たちは動かない。そりゃそうだよな。さっき、あの女が子どものバスを守ったのを、ここにいる全員が見てたんだから。
歩き出した。
雪を踏む音だけが、やけに大きく聞こえる。
途中で、膝をついてる若い隊員の横を通った。小銃を雪の上に落としたまま、真っ青な顔でこっちを見上げてる。
「……宮郷二尉、だったんですか。俺、俺……」
足は止めなかった。
「お前は悪くない。アイツがそう言ってた」
それだけ言って、通り過ぎた。後ろで、若いのが声を殺して泣き出したのが聞こえた。
誰も撃たないのに業を煮やしたのか、上官が自分で拳銃を抜いた。
乾いた音がして、胸に何かが当たった。
痛いなあ、とは思った。服に穴が空いて、血が滲んでくる。でも、それだけなんだよ。治癒魔法が勝手に働いて、傷の奥がむず痒くなって、塞がっていくのが分かる。
足は止めなかった。
二発目が肩に当たった。三発目がまた胸に。
歩く速さも変わらなかった。
「な、なんなんだ……」
上官の手が震えてる。拳銃の銃口が、ぶれてる。
「なんなんだ、お前は……」
隊員たちが、息を呑んでるのが分かった。そうだろうな。人間が撃たれて、穴が空いて、それが目の前で塞がっていくんだから。
上官の前に立った。
近くで見ると、普通のおっさんだった。五十過ぎくらいの、どこにでもいそうな。
「聞いていいか」
自分の声が、びっくりするくらい静かだった。
「子どもが乗ったバスに火ぃつけようとしてる奴らがいて、それを止めた奴がいて。お前が撃てって言ったのは、どっちだ?」
上官の喉が、ごくりと鳴った。
「め、命令に従っただけだ。武装した者によるテロ行為に対して、規定通りに……」
「決めたのはお前だろ」
剣を、振った。
一振りだった。『上官の体だった物』が、雪の上に崩れた。
振り返った。
バスの周りに、逃げ遅れた連中がへたり込んでた。ガソリンの缶を持ってた奴。火炎瓶を投げた奴。バスを押し倒すのに手を貸してた奴。顔は覚えてないけど、手に持ってるもんと、服についてる匂いで分かる。
一人が、腰を抜かしたまま叫んだ。
「お、俺たちは市民だぞ!」
「知ってるよ」
それだけ答えて、歩いていった。
一人ずつ、叩き斬った。
悲鳴が上がって、途切れて、また上がって、途切れた。逃げようとした奴もいたけど、雪に足を取られて転んでた。剣を振るたびに、人の体だった物が雪の上に崩れていく。
誰も止めなかった。止められなかったんだろうな。どう見ても、人間の力じゃないもん。
JLTVの陰で、夏子が小雪の手を握ったまま、じっとこっちを見てた。止めようとはしなかった。泣き腫らした目で、ただ、見てた。
全部終わった時、雪の上に静けさが戻ってた。
息ひとつ、上がってなかった。剣の先から、赤いのがぽたぽた垂れてる。
隊員の列も、遠巻きに見てた残りのデモの連中も、誰一人動かなかった。
その時、ゲートの内側から、誰かが歩いてきた。
スーツの男だった。周りの黒服が慌てて追いかけてくる。
「長官! 危険です!」
「お下がりください、長官!」
男は、それを手で振り払った。革靴で雪を踏んで、こっちに歩いてくる。六十代くらいかな。白髪混じりで、ひどく疲れた顔をしてた。
剣の届く距離で、男は立ち止まった。
それから、深く、頭を下げた。
「官房長官の森だ」
顔を上げて、まっすぐこっちを見た。
「この件は、私の責任だ。私の首で勘弁してくれないか」
……へえ。
しばらく、森の顔を見てた。目が逸れない。怯えてはいるんだろうけど、逃げない目だった。
「あんたも、自分で覚悟決めて、自分で決めたってことか……」
森が、少し首を傾げた。
「……うん? よくわからんが」
それから、当たり前のことを言うみたいに言った。
「私は政治家になった時から、こういう事態になったら、国のために命は差し出すって決めてたよ」
……そうかい。
なんか、笑っちまった。
政治家なんて、一番嫌いな人種だと思ってたんだけどな。こんなところに、同じようなこと考えてる奴がいたよ。
「……そうか」
剣を、収納にしまった。
森の肩から、ほんの少しだけ力が抜けたのが分かった。
「洞爺の自衛隊の事は、知ってるか?」
森の顔が、一瞬、強張った。
「……ああ。報告は受けてる」
「あの人たち、自衛官や医療者たちにさ、『君たちはよくやってる』って言ってやれ。それだけでいい」
森は、黙って頷いた。何か言いかけて、やめて、もう一度、深く頷いた。
踵を返しかけて、止まった。
JLTVの陰を見た。夏子が、まだ小雪の手を握ってる。羽織をかけられた小雪は、眠ってるみたいに見えた。
「……小雪は自衛官で『宮郷二尉』なんだ」
森が、そっちを見た。
「人助けたくて、自衛隊入ったんだって。最後は子ども助けて、死んじゃった」
振り返って、森を見た。
「なあ長官。任務終了の命令、出してやってくれないか?」
森は、長いこと小雪の方を見てた。
それから、背筋を伸ばした。スーツの襟を正して、隊員の列の方に向き直る。
よく通る声だった。
「宮郷二尉」
雪の上に、声が響いた。
「任務、ご苦労だった。……任務を、終了せよ」
一拍、間があった。
隊員の列が、一斉に敬礼した。
ざっ、と揃った音がした。膝をついてた若い隊員も、よろよろ立ち上がって、泣きながら敬礼してた。ちゃんと、教わった通りの敬礼だったよ、たぶん。
小雪を抱き上げて、JLTVの後部座席に座らせた。
夏子が黙って運転席に座って、エンジンをかける。俺は後部座席で、小雪の頭を膝に乗せた。
JLTVが、ゆっくり動き出す。
敬礼したまま動かない隊員たちの列の前を、通り過ぎていく。誰も腕を下ろさない。一人も。
窓の外を、駐屯地のゲートが流れていった。
小雪のデスクがあったところ。小雪の、ホームだったところ。
バックミラーの中で、それがだんだん小さくなっていった。
「……よかったな、小雪」
膝の上の頭を撫でた。
冷たかった。




