第39話:愛してる
路地を一本入って、住宅街の裏道を歩いた。
ガキの頃、この辺は自転車でよく走ったんだよ。駐屯地の裏を回って、川沿いの道に抜けられたはずなんだけど、家が建て替わってて、なかなか思い出せない。
「こっちだったかなあ……いや、違うな」
後ろの方から、拡声器の声がずっと聞こえてる。さっきよりも荒くなってきてて、何人もが同時に怒鳴ってるから、もう何言ってるのか分かんないんだよな。
「うるせえなあ」
ぼやいて、次の角を曲がろうとした、その時だった。
乾いた連射音が響いた。
足が止まった。
聞き覚えがある音だった。この一ヶ月、訓練で、室蘭で、何度も隣で聞いてきた音。
HK416だ。小雪の。
一拍遅れて、別の銃声が重なった。もっと重たい、自衛隊の小銃の音。一発、二発、三発。
気づいたら、走ってた。
戻ったら、景色が変わってた。
バスが横倒しになってた。周りの雪が濡れてて、ガソリンの匂いがむっと鼻を突く。火炎瓶を握ったまま倒れてる男が、何人もいた。デモの連中は悲鳴を上げて、散り散りに逃げていく。
倒れたバスの窓から、夏子が子どもを一人ずつ引っ張り出してた。
「奏介さん!」
夏子の顔が、泣いてるのか怒ってるのか分からなかった。
「こいつら、子どもが中にいるのに、バス倒して、ガソリン撒いて、火ぃつけようとして! 小雪さんが止めて、そしたら、そしたら……!」
夏子が、バスの向こうを指さした。
雪の上に、小雪が倒れてた。
周りの雪が、赤く染まっていく。ゆっくり、広がっていく。
駆け寄ろうとしたら、ゲートの方から隊員の列が小銃を構えて近づいてきた。先頭にいる、年のいった上官が怒鳴った。
「動くな! そのテロリストを渡せ!」
……テロリスト。
収納からHK416を出して、上官の足元の雪に、一連射を撃ち込んだ。雪が弾けて、隊員の列が一斉に止まる。
「……黙ってろ」
それだけ言って、小雪を抱え上げた。軽かった。こんなに軽かったっけ、この人。
JLTVの陰まで運んで、雪の上に下ろす。夏子が子どもたちをバスの陰にまとめてから、JLTVをこっちに回してきて、隊員の列との間に横付けした。盾になるように。こういう時の夏子は、ほんと頭が回るんだよ。
「小雪」
呼んだら、目が開いた。
「……奏介」
声がかすれてた。胸の辺りから、血がどんどん出てくる。押さえても押さえても、指の間から溢れてくる。治癒魔法は、自分にしか使えない。こんなことなら、何がなんでも他人に使える方で交渉しとけば良かったんだよ、あの時。
「子どもたちは?」
小雪が、最初に聞いたのはそれだった。
夏子が、JLTVの陰から顔を出した。
「全員無事です! みんな出しました!」
「……よかった」
小雪が、笑った。
血まみれの顔で、笑ったんだよ。
隊員の列の中に、若いのが一人いた。
小銃を構えたまま、真っ青な顔で、がたがた震えてる。
小雪が、首だけ動かして、そっちを見た。
「……あの子、私が撃ち方教えたの」
振り返った。若い隊員と、目が合った。向こうの目が、見開かれていく。気づいたんだな。自分が撃った相手が誰なのか。
「ちゃんと、教えた通りに撃ってたわ。……いい腕」
歯を食いしばった。
「自衛隊は皆殺しだ」
口から出た声が、自分でも聞いたことがないくらい低かった。
小雪は、ゆっくり首を振った。
「私ね、大震災の時、自衛隊に助けられたの」
「……喋んな」
「聞いて」
小雪の手が、俺の袖を掴んだ。
「瓦礫の下から引っ張り出してくれたのが、自衛官だった。家族が並べられた安置所で、何も言えずに座り込んでた私に、声をかけてくれたのも、女の人の自衛官だったの」
息が、ひゅうひゅうと鳴ってる。
「今も、日本中で、自分のことなんか厭わないで、動いてる自衛官がたくさんいるわ。洞爺の人たちみたいに。……私は、そういう人に憧れて、自衛隊に入ったの」
小雪が、若い隊員の方をもう一度見た。
「だから、あの子は悪くないのよ」
……何も、言い返せなかった。
言い返したいことは山ほどあった。でも、この人がそう言うなら、そうなんだろうって、思っちまったんだよ。
「……俺は、何をしてあげられる?」
やっと出てきたのが、それだった。
小雪が、少し笑った。
「自分で決めて、好きに生きて欲しい。それだけよ」
それから、目を細めて、小さく付け足した。
「……揚げいも、約束、守れなくてごめんね」
ばかだなあ、この人。
こんな時に、そんなこと気にしてんのかよ。
視界が滲んで、小雪の顔がよく見えなかった。泣いてるんだって、自分で気づくのに少しかかった。
「じゃあ、俺がお前の代わりに助けるよ。困ってる人とか、頑張ってる自衛隊とかさ」
言いかけて、止まった。
違う。そうじゃないだろ、俺。
首を振った。
「……いや、お前の代わりじゃない。俺がやりたいんだ。俺が、自分で決めた」
小雪の手が、俺の頬に触れた。
冷たかった。さっきJLTVの中で握った時は、あんなにあったかかったのに。
「そう、……ありがとう」
小雪が、笑った。湯の川の夜と同じ顔で。さっき、窓越しに手を振ってくれた時と同じ顔で。
「愛してる」
手が、ゆっくり落ちた。
夏子が、声を上げて泣いてた。
子どもみたいに、わあわあ泣いてた。バスの陰の子どもたちまで、つられて泣き出してる。
俺は、小雪を抱いたまま、しばらく動けなかった。
どれくらいそうしてたのか分からない。
小雪をそっと雪の上に寝かせて、自分の羽織をかけてやった。顔にかかった髪を、指でどけてやる。まだ少し、笑ってるみたいな顔をしてた。
立ち上がった。
隊員の列の方を向く。若い隊員は、小銃を下ろして、膝から崩れ落ちてた。その横で、上官がまだ何か怒鳴ってる。
「テロリストの協力者として拘束する! 武器を捨てて――」
うるさいなあ。
収納に、手を突っ込んだ。
南区の工場で、鉄骨を叩いて伸ばして作った、あの馬鹿みたいに大きい剣。ヒグマを一撃で叩き斬った、あれ。
柄を握って、引き抜いた。




